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弐 人生そんなに甘くはありませんでした――②


◇◇◇


あの日をきっかけに、字皓さん、周藍さんの二人とは店で顔をあわせると世間話をする仲になった。といっても主に話しをするのは私と字皓さんで、周藍さんが会話に入ってくるのは〈甜琳〉関係の話題のときのみだが……

 だが不思議なことに、周藍さんの無愛想さは慣れると居心地が良かった。本人が何にも気を使わない人だからだろうか、こちらもとにかく自然体でいられるのだ。嫌なことははっきり嫌と言えるし、無理をして話さなくてもいい。とにかく楽だった。

 字皓さんがこうして周藍さんの側にいるのも、案外そんな理由なのかもしれない。


 そんな二人のことを父に確認したところ、やはり常連らしく覚えていた。なにしろあの髪だし、顔だし、スタイルだし……とにかく華があるっていうのはああいう人たちのことを言うのだろう。何をしていなくとも目立つらしい。そして字皓さんに聞いていた通り、周藍さんはお茶すら飲まず、〈甜琳〉しか口にしないという。さらには店で人の倍以上も〈甜琳〉を食べるにもかかわらず、大量にそれこそ買い占めんばかり勢いで買って帰る……そういった点でも父は覚えていたようだ。


 なにはともあれ店の経営も順調で、無銭飲食客もあれ以降ぐっと減り、毎月、毎年店の売り上げを少しずつではあるが確実に伸ばしていた。

 順風満帆、何の問題も起こらぬまま三年の月日が流れ、私は安心しきっていたのだ。第二の人生はやはりイージーモードだと……


 しかし人生はそれほど甘くないことを知る。


 その日、母は町内の奥さまたちと観劇に行っており留守だった。

 私と父は日頃忙しく家事に追われている母を笑顔で送り出したあと、いつもより少し遅めの朝食をとる。

 いつもならにこにこと美味しそうにご飯を食べる父なのだが、妙に元気がない。ため息をついては箸からポロリとご飯をこぼし、汁椀をひっくり返したところで我慢できなくなった。


「なあに、お父さん! 私の作ったご飯はそんなに不味いわけ!?」

「いや! 違うよ!! 一琳は母さんと同じ料理上手だ。とても美味しいよ……」

「じゃあなんでそんな様子が変なのよ!」

 

 そう尋ねたら、父は答えずにしばらくの間黙り込んでしまった。私は苛立ちを押さえるようにパクパクご飯をかき込む。

 ご飯だって、おさかなだって、汁物だって、ちゃんと美味しい。そりゃお母さんにの味には及ばないけどさ……

 そんなことを考えていると、父が箸を卓に置いた音がした。チラリと目を向けると、何やら真剣な表情の父がこちらを見ていた。

 その様子に私も食べる手を止め、箸と茶碗を置く。


「実はな――」


 そう切り出した父の話の内容は、衝撃だった。事実を知る前の、私が料理下手って理由の方が百万倍マシに思えるほどに……


「ちょっ、ちょっと待って! お父さん、もう一回、言ってちょうだい!!」

「いや、だからな、あのだな、えー、借金があるんだ……」


 父は申し訳なさそうに肩を落としてしまった。いつもならここで、『まあお人好しのお父さんのことだし、仕方ないか……』とため息を吐きつつも追及を諦める、なんてこともしばしばなのだが、今日はそんなことを言ってられない。


「どうして借金があるの!! まさか私やお母さんに隠れて博打にでもはまっているんじゃないわよね?」

 

 弱腰の父にぐいぐいと詰め寄ると、父は観念したように口を開いた。


「とんでもない! そんなことしているものか! ただ〈白眉(バイメイ)〉に……」

 

 父の口からでた名に思わずギョッとする。


「バイメイって……まさか、あの〈白眉〉じゃないよね? 彼からお金を借りたなんて、冗談よね?」

 

 その名を聞いて想像する人物。この町に住んでいる者なら、その多くが金貸しを営んでいるひとりの男を思い浮かべるだろう。

 本当の名は誰も知らない。年の頃は二十代半ば。当然髪もまだ黒いのに、眉だけが真っ白なのだ。だから〈白眉〉と呼ばれている。

 私は父にバイメイの正体を尋ねながらも、かなりの確率で当たっているだろうと覚悟していた。そして同時に心の奥底から違っていて欲しいと願っていた。

 あの男は駄目だ。あの男から金を借りた者の末路は、この町に住む者なら誰でも知っている。


 ――破滅だ。一度手を出すと、骨の髄までしゃぶられる。


 しかし私の願いも虚しく、父はそうだと頷いた。


「なあんですってええ!」


 般若のごとく眦を吊り上げ絶叫した私は咽こんだ。くそう、そのままの勢いで父をとっちめようと思ったのに……

 咳こみながら息を整える私の背中を、優しくさすりながら父はようやくいつもの調子を取り戻した。


「ほらほら、そんなに怖い顔をしないでおくれ」


 そののんびりとした雰囲気に毒気を抜かれてしまった私は、諦めたように息を吐く。


「どうして〈白眉〉になんてお金を借りたの? 借金しなければいけないほど、店の経営は苦しくないでしょう?」


 いつもチェックしている帳簿を父の顔にグイグイ押し付けながら迫る。


「一琳、こら、やめなさい」

「お父さん! 何時借りたの? いくらなの? お金を借りた理由は?」


 立て続けに質問する私と帳簿を身体から引っぺがした父は、困ったような苦笑いを浮かべながらも答えてくれる。


「理由っていってもなあ……以前からたまに顔を出してた〈白眉〉が、ある日座るなり泣くもんだからさ……」

「店に来てたですって?」


 それは初耳だ。私も月の半分は店に出ている。なのに、一度も会ったことがない……


「最近は顔を見せないが、半年程前まではよく来てたんだよ……ああ、そうか。一琳が見たことないのは、〈白眉〉が朝来てたからだよ。一琳は私塾に行ってる時間だしね」


 確かに今もまだ私塾に通っているため、昼からしか店は手伝っていない。

 だが、イマイチ納得できない。勝手な想像だが、〈白眉〉という男はそんな朝から行動するような人種(タイプ)には見えないのだ。もっとこう、夜行性のイメージだ。


「あの〈白眉〉が朝からねえ……で、それで?」

「結構常連だったんだよ。それがさ、ある日店に来るなり『もう来れないかもしれない。これが最後だと思う』なんて言うからさ、理由を聞いたんだ」


 父の行動はまあ普通だと思う。ただし、相手も普通の人ならの話だ。相手が〈白眉〉とくれば、そんな自分からねぎを背負って鍋に入るような真似絶対しては駄目なのに!


「そしたらさ、『自分の悪い噂が広まって、商売あがったりだ。これ以上、誰も金を借りてくれないと首をくくるしかない』って言うんだよ。事情を聞いたらさ、断れなくて……たった十クワンでいいって言うし……」


 それを聞いて私は頭を抱えた。完全に父を狙われた。邪魔の入らない父だけの時間を狙って店に通い、店にいるのが不自然でなくなったころに、父を嵌めたんだ。


〈白眉〉の悪い噂は、そのほとんどが真実だ。誰も借りなくなったのは、皆、知っているからだ。噂が広まり始めたのはここ五年ほど。それ以前は〈白眉〉という名前も聞かなかったというから、多分そのころに、この町に住みだしたんだろう。

 きっと町に住むカモたちから搾り取れるだけ搾り、このように商売がしにくくなると違う町に移って同じことを繰り返すのだろう。父はその町最後の客という訳だ……


「その噂は私でも知ってる。あの〈白眉〉相手にそんな仏心出しちゃ駄目だよ。早く返さないと、家のお金だけじゃなくて、店まで盗られちゃうよ!」

「そうか……すまない、一琳」


 項垂れる父の背中をそっと撫でる。父は何も悪くない。底抜けのお人好しなだけだ。悪人が多くいる世の中で、父のような人は珍しい。それでも、私は父の性格が嫌いにはなれなかった。


「いつ、借りたの?」

「……半年ほど前になる」

「半年……」


 非常にマズイ。〈白眉〉は暴利の金貸しだ。一日金利を返さないだけで、元金が倍になると噂できいたこともある。


「お父さん、その間に一回でも返済はした?」


 父は首を横に振る。


「〈白眉〉に頼まれて借りた途端、店に顔を見せなくなったんだ。何度か連絡を取ってみたんだが、返事がなくて……それが昨日久し振りに店に来たと思ったら、全額そろそろ返してくれって言われたんだよ」


 私はたった十クワンがどれほどの借金となっているのか、確かめるのが恐ろしくなってきた。


「で、今の金額、いくらなの? 聞いたんでしょ?」

「九万クワン……だったかな」

「きゅ、九万!?」


 私は足の力が抜けて、その場にペタリと座り込んだ。


 (ティエン)(ラン)に住む民の平均月収は二千クワン。お茶が一杯一クワンだ。ご飯で五クワン、宿に泊まるなら店にもよるが、一泊二食で三十クワンから五十クワンというところだろう。

 鈴音の感覚だと、一クワンは百円程度だと認識している。つまり平均月収は二十万ほどになる。つまり、千円の借金が九百万まで膨らんだことになる。


「な、なっ……ど、どうして……」


 言葉が出なかった。たった半年で……やばい、今すぐ返さないと、本当に……

 でも九万クワンなんて大金、ポンと用意できるわけもない。三年前にようやく店の経営を立ち直らせたところだし、タイミングの悪いことについ最近店を改装したばかりで、仕入れなどに使う現金以外、ほとんど手元にないのだ。

 私はどうしたものかと知恵を振り絞るが、何もいい案は思い浮かばない。


「と、とにかく! 〈白眉〉に連絡をとるわ……お父さんは今日は店休みにして家にいてちょうだい!」


 このまま何も打つ手もなく先延ばしにするたびに、どんどん借金が増えていくのだ。現実逃避している場合ではなかった。

 私は一目散に家を飛び出したのだった。



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