1 異世界へ
張り裂けんばかりの歓声が、周囲を埋め尽くしていた。
俺は心地好く耳を傾けながら、ゆったりと背もたれに体を預けていた。高級リクライニングチェアは、しっかりと体を包み込んでくれている。
目を開けると、そこにはログイン画面があった。
俺は近くにある時間を確認する。12時50分。開始10分前だ。
思い返せば、これまで長かった。VRMMOがエレクトロニック・スポーツとして知名度を得てから数年。今では有名な大会は全国放送されており、賞金も優に十億を超える。
とはいえ、大抵の参加者はこれだけで生活していくことなどできやしない。練習するにしても、マシンのレンタル料だけで給料は飛んでしまう。
俺も今ではプロとしてやっていけているが、以前は極貧生活だった。もちろん、裕福というわけでもないんだが。
しかし、俺はチャンスを目の前にしていた。ここは大規模VRMMO《After World Online》の世界大会会場で、今回の優勝賞金は100億円。今から始まる決勝戦は百対百のチーム戦だから一人あたり1億になるが、信じられない額であることは間違いない。もう手の届くところまで来ているのだ。
そうはいっても、油断することはできない。なんせ、この《After World Online》というVRMMOは、この大会に合わせて制作されたという気合の入れっぷりで、全プレイヤーが未経験という状態なのだ。
だから、どんな攻略法が存在しているか未知数だ。
一つ、息を吐く。
時間が5分を切った。続々と隣のマシンはログイン状態に移行していく。一層、歓声が強くなった。
観客が沸きに沸く理由。それは現実世界では到底あり得ない、命をかけて戦いというものが繰り広げられるからだろう。もっとも、「何人にも精神的・肉体的な苦痛を与えるものであってはならない」という倫理原則から、痛みは感じないのだけど。
これから、戦いが始まるのだ。俺はこの現実世界を離れ、仮想世界の戦士となる。
いつも、このギリギリの緊張感がたまらない。さあ、ゆこう――。
俺はログインアイコンをタッチする。刹那、眩い光に包まれた。
†
真っ白な空間が広がっていた。
「おいおい、なんだこりゃ」
「どうなってんだよ、キムチパーティーか?」
周囲のプレイヤーたちが騒いでいるのが聞こえる。ちなみにキムチパーティーというのは、運営がメンテナンスをいつまでたっても終わらせないことを皮肉って遊んでいると揶揄する言葉だ。非VR型MMOの初期、韓国産のMMOが多かったことから、キムチの名を冠することになったらしい。言葉だけが残っている、というものだ。
もっとも、いまだAWOの開発元ははっきりしていないのだが。
俺は辺りをぐるりと見渡す。なにもない空間に、おそらく同チームと思しきプレイヤーたちがおよそ百人。ぴったりかどうかはわからない。
彼らのほうが先に来ていたとはいえ、状況をわかっていないのは同じだろう。だから、声をかけないことにした。
……うん、別に話しかけるのが苦手ってわけじゃないんだ。世界大会での標準言語は英語。日本人プレイヤーもいるにはいるが、日本語が使われる場面なんて、SAMURAIだとかNINJAだとか、奇妙なものばかりだ。
だから仕方ないはず。
隅っこで大人しくしていると、唐突に天にウィンドウが開いた。
「ようやく始まったのかよ。お詫びにレアアイテムでもくれねえかな」
「そんな良運営じゃないでしょー」
「ってか、チュートリアルってどういうことだ?」
彼らの好き勝手なつぶやきを聞きながら、俺もウィンドウ上の文字を見る。そこには確かにチュートリアルと表示されていた。
大会予選の開始前の1時間だけ、練習する時間が与えられていた。そのときに操作方法やAWOの特徴などを掴むことはできている。だから、決勝前にチュートリアルが始まるのは、いささかおかしさを感じる。
そんなことを考えていると、プレイヤーたちそれぞれの前にウィンドウが浮かび上がった。そこにはいくつかの説明が書かれている。
まず、メニュー画面の開き方は、念じるだけで作動するようになっているということ。これまでは音声認識だったから、俺も半信半疑にならざるをえない。
だが、実際に念じた瞬間、ウィンドウが開いた。周囲では驚きの声が漏れている。
俺はついでにステータス画面を確認しておく。
水無月恭弥
レベル 1
HP 100/100
MP 100/100
最大重量 30/100
攻撃 1
防御 4
移動 1
幸運 0
武器 なし
防具 N初心者の鎧
N初心者の手袋
N初心者の靴
まず、レベルはモンスターを倒していくうちに上がっていく。HP、MP、総重量はレベル×100で計算されていたはずだ。
ダメージの計算式はおそらく、
(攻撃-防御+モーション補正+乱数+基礎スキル補正)×スキル倍率×重量補正
で表されるはずだ。もっとも、1時間程度しか試していないため、確定情報ではない。ここでこのAWOが秀逸とされているのは、モーション補正――武器の当たり方によって、ダメージが変化するというところだ。
頭部や防具のないところにヒットすると、高ダメージが与えられることになっている。それゆえに、初期装備だろうが、戦い方次第では格上の相手を倒すことができる。
乱数は幸運によって変化するランダムな値で、重量補正は相手との総重量の差によって決まるものだ。だから、基本的に総重量は最大値にそろえることになっている。
そして基礎スキル補正とスキル倍率だ。これはスキルによって異なるものだが、単体相手のものでは基礎スキル補正が高く、防御力を無視したダメージを与えやすくなる。一方、広範囲型のスキルではスキル倍率が高く、相手とのステータス差が大きい場合――すなわち雑魚を一掃するときに高ダメージが出やすい。
また、基本的に、衣類は装備に含まれないため、初心者装備三点だけが防具として認識されていることになる。体装備は防御力が上がりやすく、腕装備は攻撃力に補助がかかり、足装備は移動速度に補正がかかりやすい。
総重量を越えない限りは、箇所に重複して装備することも可能なので、色々な戦闘スタイルが考えられる。
と、そこまで俺が考えたところで、チュートリアルが次に進んだ。ウィンドウ上に、映像が流れ始める。
そこにいる外套を頭部まで纏った男が、語り始めた。
「最後まで勝ち残った諸君、おめでとう。決勝戦は、舞台を移して行われることになっている。場所は――異世界アルマだ」
どうやら新マップということらしい。もっとも、予選の間に他人の試合を見たくらいしか把握してはいないのだが。ギルドによっては、プレイデータを回して、戦略を練っているところもあるらしいが、俺はそもそもギルドに入ってもいなかった。
「そこは諸君にとって、なにより相応しい場所だろう。君たちには神々の使徒となって、戦ってもらう。決勝戦ではちょっとした細工があって、善と悪、二つのカルマにチームをわけさせてもらった。これは君たち自身が持つ心の奥底を反映したものだ」
これは演出か? しかし、たった数回のプレイで善悪を判断することなどできるはずもない。これまで個人データを収集し続けたとすれば、個人情報侵害で大問題だ。
「さて、君たちが戦う相手は悪のカルマを持つ者たちだ。勇敢なる正義の使者として見事打ちのめした暁には、なんであろうと願いを叶えよう」
男は高らかに宣言した。そして最後に告げる。
「悪に染まり滅びるか、善に照らされ存続の道を辿るか、世界の命運は君たちに託された。なお、注意するがいい。これは遊びではなく、リアルな戦いだ。死ねば生き返ることはない――。さあ、いきたまえ」
次第に男の声が小さくなっていく。
そして意識が遮断された。