第三話 謀り事
第三話 謀り事
八畳ほどの天井の低い和室に入った。高校を卒業するまで使っていた自分の部屋だ。一年ぶりに醤油臭い古い樹の臭いを嗅いだ。子供の頃に買い与えられた学習机とベッドと本棚が今でも変わらずにある。時が止まったように部屋の中は一寸も狂わずに維持されていた。のんびりと過ぎていたあの頃に比べれば、この所、色々な事が起きた。
ベットに腰かけてようやく息をついた。明日になって、どんなふうに父を説得できるだろうか。勝手にしろと言われて勘当同然で家を追い出されるような始末の悪い事だけは避けたかった。でも今のままでは父は僕が家に戻る事も父親になる事も絶対に許さないだろう。
傍らに置いた携帯に”おやすみなさい”というメッセージと眠った顔の絵文字でメールが届いた。彼女からだ。僕はオヤスミと簡単に返信する。今日も僕のいないアパートの部屋を掃除して、僕が散らかしたままにしてきたシャツや漫画本を片付けてくれたに違いない。一人で食事をしたのだろうか。母親になる事がどういう事とか彼女は考えながら夜を過ごしたのかもしれない。
僕が生母と一緒に暮らしたのは4、5歳の頃までだった。小さかった僕が一緒に暮らしていた時の記憶は曖昧で、生母が今どこで何をしているかって事や、僕がなぜ捨てられたかって事も含めて大切なことは何一つ覚えていなかった。
僕の出自については家族の間では約束したかのように避けて通る話題だった。なぜ僕がこの家に貰われてきたのか。産みの母が僕を捨てた理由も含めて、それらを知っていたのは養子縁組を取り仕切った祖父だけだった。その祖父は七年前に風呂場で倒れて、そのまま何も言い残さず死んでしまった。
祖父やその跡継ぎの父のように事業を営んでいると必ず跡継ぎ問題にぶつかる。だから僕のような養子が貰われてくる事は珍しくない。僕はそんな具合に理解して、それ以上深く考えたことは無かった。だけど何故この家に連れてこられたのが他の誰でもなく僕だったのか。
ただ明確に覚えていることがある。僕はその生母の事をエコーと呼んでいた。本当の名前はどうしても思いだせないけど、幾つか断片的に覚えている事や風景よりも記憶に残っているのはエコーという呼び名であった。その呼び名を思い出しても会いたくなる事はないけど、エコーという名前を思い出す度に僕の心は、夜の闇よりもしっとりと濡れて重くなる。それは寂しさに似ているけど決して寂しさそのものではない。僕を捨てた人を想って寂しいだなんて可笑し過ぎるからだ。
僕の母はこの家の母一人だけだと思っている。毎日、僕のために早起きをして弁当を作り、寝坊の僕を起こし、学校に行かせ、成績を心配し、遊びまわる僕をたしなめ、卒業式で涙し、将来を案じ、自分よりも優先して家を守り、今夜も僕の帰りを待ってくれていた母。それでも時々ふと心をよぎる事がある。母には言えないけど、消えかけた記憶がふとした拍子に姿を現すのだ。その事に小さな罪悪感を感じて僕はあの人の事を、つまり本当の母親の事を思い出す事を意識的に避けてきた。ポケットから携帯灰皿を取り出して窓際に立った僕はタバコに火をつけた。少し開けた窓の隙間に流し込むように煙を吐いた。そういえば記憶の中のあの人のたばこの吸い方と似ているような気がする。
外の世界に出た煙は拡散してうっすらぼんやりと漂ってやがて起きたら忘れる夢のように曖昧に消えた。
翌朝、久方ぶりの枕に寝違えたのか寝覚めの悪い嫌な覚醒の仕方をした。頭に鈍痛を抱え起き上がると、口の中がねっとりと異物でべとつくのに気が付いた。洗面所でうがいをし、顔を洗うとぐるぐる廻っていた脳みそと目の焦点が一致してきた。
僕は庭に出てみた。子供の頃よく母と花壇の世話をしたものだった。いまではすっかり寂れた枯れ花壇には花を咲かせることも無く寂れている。無精に伸びた雑草の貧しさが目についた。
僕が大学に入って京都に行ってしまうまでとは庭の様子は変わってしまったけど、もちろん母の年齢では、もう腰をかがめて庭仕事をするには広すぎて手に負えないのだろう。
それを見ているうちに僕はニヤリとした。家に戻る理由が見つかったからだ。僕が結婚して妻と孫を連れてこの家に戻る。そうすれば庭の世話や家の修繕だってできる。それらを息子の自分がするのならば、父も反対する理由はないのではないか。そして祖母も巻き込んで母と一緒に父を説得すれば話が通るかもしれない。祖父が亡くなった今では父にものが言えるのは祖母をおいて他にはいないはずだ。
ふとバルコニーに洗濯物を取りこむ母が見えた。春の初めのまだ冷たい夜風に母は斜めに押されていた。母は父のシャツや下着や祖母の物も含めて、ぐにゃりとつぶれたり丸くなったりした衣服を一枚ずつ指でつまむと両腕を伸ばして何度か引っ張ってしわをを伸ばし、それぞれ竿に通したり挟んだり、引っかけたりする。それを何度も同じようにする。繰り返しても繰り返してもまた明日になったら同じように洗濯をするのだろう。僕が子供の頃に見たのと全く同じ事を今日も繰り返している。なぜ繰り返すのかと母が考えた事があるかどうか知らないが、ここから見える母は疑問の余地もなく無心で洗濯物を干し続けているのだった。しばらく眺めていたが小さな背中を伸ばし、手をいっぱいに広げる母の物干しが大変に辛そうに見えて僕は家の階段を登った。
バルコニーは風に吹かれていた。背伸びをしてタオルを竿に掛ける母の姿の向こうに高架線路を走る赤い小田急線が見えた。
「母さん。風が冷たいのに大変だろう。手伝うよ」僕は籠の中からシャツを取りだした。
「いいのよ慣れてるんだから、大丈夫。手伝わなくてもいいのよ」母は僕の手から洗い上がったばかりのしわくちゃのシャツを取ろうとした。「いいよ、遠慮しないでよ」僕らは一つの洗濯物を引っ張り合う事になった。父の物かも知れなかったシャツは、両方の手で正月のお餅みたいに引っぱり合われている。右へ左へと僕達が引っぱり合うたびにシャツが散々な目に合っている。「いいから離してよ」そう言って母の顔を見るとなんと母は子供のようにはしゃいだ笑顔だった。
「えぇ!楽しんでんの?」僕が言うと母は笑いながら「手伝わなくてもいいのよ、服を干すのにも順番があるんだから、自分で干さないとおかしくなるのよ」と言って洗濯物を奪い取って自分の陣地から僕を追い出そうとした。
「子供の頃はお手伝いしなかったのにね」母は笑顔のまま残りの洗濯物を狭い物干し台の幅に合うように手際よく干し切った。「毎日、洗濯物干しして飽きないの?」「そうね。飽きるとか飽きないとか考えたりしないわよ。毎日やらなきゃいけない事なんだから。」そして母は何年も同じことを繰り返している。 その母の後ろの景色横切る小田急線。
「そういえば、子供の頃からよくこうして電車を眺めたよなぁ」
「昔は電車が高架の上を走ってなかったから見えなかったわよ。高架になったのもずいぶん前だけど」
「たしか僕の小さいころにはもう電車が見えるようになってたんだよ」
「あなたが電車を見てたなんてね。いっつも俯いて猫背で歩いているような大人しい子供だったのに」母は僕が窓の外の景色に興味を持ったことが無いとでも言いたげだった。
「窓の外くらい見た事あるよ。例えば昔って貨物列車とかも走ってたよね?」
「まさかぁ、小田急に貨物なんて聞いたことないわよ。変な事言うのね」
母は笑っていたが、僕は大真面目のつもりだった。しかし言われてみればその通りで私鉄で貨物列車は走らないのだ。
「でも貴方が元気そうでよかったわ」母は二年ぶりに会う僕にそう言って壁際の椅子に腰かけた。少し息が苦しそうだった。
「大丈夫なの?」「平気よ、少し疲れただけよ。やっぱりもう歳なのかしらね」
母は額にかかった髪の毛を後ろに撫でつけて、凝った肩を楽にするように首を回した。その髪の毛の白いそれが着々と増えているのが判った。
母は休むのもそこそこに、僕のシャツをたたみ直していた。
「昨日の夜はお父さんと何のお話していたの?今朝から体の調子が悪いみたいよ」
母はシャツの袖を内側に左右の袖が同じ比率になるように織り込み、裾の皺を伸ばして衣料品の店員のように正確な長方形にシャツを畳んだ。
「また何か、心配させるようなこと言ったのね?」
何もかもお見通しと言った感じで母は言った。
「あのさぁ母さん。俺がもしもこの家に戻ってくるとしたらどう思う?」
母は、ちらりと僕の顔を見た。
「珍しく家に帰って来たと思ったら・・・お父さんが心配するのも仕方ないわね」
あれは心配といっていいものだろうか。言いたくなるの僕は堪えた。
「ここは、あなたの家だから。どうぞご自由に。でも学校はどうするの?」
「大学は辞めるつもりなんだ」
母はこういう時、怒ったり騒いだりしない人だった。そういうところが好きだった。
「お父さんが良いって言えば私は構いませんよ」
母は表情も変えずそう言った。傍らに有る手拭いを一つ一つ確かめるかのように畳んでいた。「だったら、もう一度お父さんに話してみなさい」
母がうまくとりなしてくれると助かるって考えだった。でも母は父に従って暮らしてきた人だ。なにより子供ができたとまでは、まだ話す勇気が無かった。母はただ繰り返し手拭いを畳んでいた。綾取りのように正しく繰り返し無機質に手が動いた。
「わかってるよ。いつも父さんの味方をするんだね」
「まぁ、なんて事を言うの」
母は驚いたように言ったが、僕はそれだけ言って立ち上がった。子供ができたと言ってしまいそうになるからだ。母は手を止めたまま僕の方を見ていた。それを背中で感じたのに僕はワザと振り返る事もせずに母の元から立ち去った。これ以上話していると何もかも話してしまいそうだった。それはきっと母を困らせたり悲しませたりするに違いない。