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三話 泡沫幻像(うたかたのげんぞう) 1-2

     ÷     ÷


 思えば、もっとよく考えれば思いつくことだった。

 海城がやっている行為について。海城は日々の生活を無難にこなせるようにと、『ヒカル』の振る舞いを俺に教えた。どうしてこんな現象が起こったのか説明することもなく、聞いても解らないと答えるだけで先に進まずにだ。そんな何の変哲もない、変化のない毎日が続くとは思っていなかった。このまま『ヒカル』の身体に居続けるなんてことにはならず、海城からしても恋人である『ヒカル』を取り戻すために試行錯誤すると考えていた。

 浅はかな思惑だ。

 単純な思考だ。

 何故、そんな都合の良い展開を考えたのだろうか。

 俺は物語の主人公でもなく、ましてやこれは漫画やアニメとは違う現実のことだというのに、俺は何故、何とかなると盲目的に無意識に考えていたのか。

 どっかのヒーローなら何とかなるだろう。主人公として、物語を先導する役割がある。

 だが、もし、例えこれが物語だったとしても、俺は間違えていた。思い違いをしていた。

 この物語の主人公が、俺である保障など何処にもないということを、勘違いしていた。

「あのね、これはみんなの決まりなの」

 理解が追い付かない俺を置いて、前園は話を進める。進めていく。勝手に、終わりへと向かっていく。

「貴方――『ヒカル』はね、みんなのモノって決まりなのよ」

 くすくすと、上品な笑い声をあげる前園。先ほどの猫キャラよりも大分マシな笑い方だったが、怖気が増した声だった。

 寒気を感じ、怖気を見る。恐怖の対象。

「精神の入れ替え、それについての原因は解らないわ。だって、科学的に証明できないもの。他人の精神が、それも、異世界の精神が『ヒカル』の身体にいるなんて、どうやって証明できるの? だから大人は簡単で常識的な判断をしたの。貴方の病気は解離性同一性障害。多重人格障害とも言われた病名を、名前のない現象に、現実的な名前をつけて解決したのよ」

 キスをするのかと思ってしまうほど近い前園の顔は、他の何よりも恐ろしかった。

 人の皮を被った何か。

 とても同じと人間と思えず、もしこの世界が俺の知っている世界と違うのなら、やはり同じ世界の人間と思えないのは正しいのかもしれない。

「でもね、私達はそう考えなかった」

「わたし、たち……?」

 複数形の言い方で、海城と前園のことだと思った。思ったけれど、言い方が、言い回しの仕方が、それ以外の可能性を示唆していた。

 考えは正しく、前園は言葉に引っかかった俺を見て、悪戯めいた笑みで余計な補足をする。

「そう、貴方の知り合いの女子、そのほとんど」

 くすり、とここでまた笑う。眩暈がする事実に、俺は吐き気を堪えて質問する。

 知らなくてはならない。知っておかなくてはならない。

 これ以上最悪なことがない為にも、理解しておかなければならない。

「なんで、そんな事を」

「貴方は理想なのよ」

「り……そう?」

「そう、理想で――夢の形」

 前園が俺の頬を撫でる。

 優しく、慈しむ。

 悪魔とも言える言葉を吐きながら。

「貴方の見た目はかっこよくて、貴方の性格は頼もしかった。それでもね、貴方は人間でもあったの。一緒にいれば幻滅することもあるし、長く見ていれば飽きてしまうこともある」

「そんなこと、当たり前じゃないか。完璧な人間なんて、いるわけ……」

「そう、当然なの。そんなことは当たり前なんて、誰だって解ってるわ。でもね、当然じゃなくせる方法が現れたのよ」

「んむっ!?」

 突然、前園がキスをしてきた。

 感極まったというよりも、どこかそれは茶番に近い、自己満足の延長行為。いつかの海城と同じで、熱っぽい、それでいて荒々しく静かな自分のための口づけ。

「ふふっ」

 顔を離し、唇が別れ、前園がうっとりとした瞳で見て来る。見つめて来る。

 自分の唇に人差し指を当て、その仕草がまた女性特有の色気を感じさせて。

 唐突の行為に為す術もなく、それ以上にどう反応していいのかさえ解らず、ただ前園の話の続きを待つしかできなかった。

 前園は俺の胸に頭を押し付け、どこか興奮した様子で続きを話す。

「こうやってね、貴方は私たちは受け入れてくれるの。受け入れざるを得ないの。だって

それが私たちの『ヒカル』だから。貴方が演じる、『ヒカル』は拒むことが出来ない」

「まさか、お前ら……!?」

 頭を離し、顔向ける前園。

 そこには歪な笑顔があった。

 気持ち悪く、気味が悪い、人の欲望の顔。

「ええ、利用させてもらったわ。ああ、あのね、別に私たちは貴方の精神を『ヒカル』の身体に入れたとか、そういうことをしたわけじゃないわ。魔法とか、魔術とかがない限りは無理でしょ? でも昔から『ヒカル』は何処か変わってしまうところがあった。癇癪持ちだったり、二重人格に見えてしまったり、思春期によくある反抗期や世界を斜めに見たりなんて、成長すれば自ずと消えていく『性格』が、他の人よりも顕著に見えただけだった。別の精神が入っていると知るまでは、ね」

 ここまでの話で、ここまで話を聞いて、嫌な予感は加速する。増加する。

 繰り返されていた事実。

 海城の話では、昔から行われていた行事。

 前例が、それらはすべて彼女らの為に利用された。

 前例が、それらはどんな目的なのかを語っている。

 『ヒカル』を、一人の人間を、彼女らは物のように扱っている。

 背筋に流れる、冷たい汗が厭に気持ち悪い。ぬるりとした感触が、俺を束縛する。

「なぁ……俺からも、一つ聞いていいか」

 俺の言葉に、前園は笑う。どんな質問が来るのか理解しているのか、どんな反応をするのか楽しんでいるのか、前園は吐き気のする笑みを浮かべながら、首肯した。

 だから俺は、例えこの先に地獄しかなくとも、聞くしかなかった。知るしかなかった。

 名前も知らぬ未知が相手では、対処ができない。

 未知を打開するには名前を付ければいい。

 しかし、名前を付けても、未知が――道が開けるとは、限らないが。

「今まで……今までこの『ヒカル』の身体に入っていた奴らは、どうなったんだ?」

 俺の問いに、予測されていた問いかけに、前園は答えた。

 深く裂けた、暗い眼差しの笑みで。

「さぁ、知らないわ」

「知らない……?」

「だって、貴方だって解っているでしょう? ここまで話せば、ここまで語れば」

 未来に何が待っているかなんて、解っているでしょう―――と。

 この先に何があるのか、未来なんて不確かなモノが相手でも、それでも過去に同じことを繰り返していたのならば、誰が何を持って来ようとしているのかは解る。

 この場合の誰かは海城達であり、

 この場合の何かはヒカルの事だ。

「俺を」

 干上がる喉。枯れる声。

 震える身体に、痛む心。

 あり得ない現実に直面した時よりも、それ以上に、それ異常に、壊れた現実の方に恐怖を覚えた。

「俺を――殺す気か?」

「ええ、結果的にそうなるわね」

 間を置くことも、息を飲む暇も、躊躇もなく、あっさりと前園は肯定した。

 殺人行為を、告白した。

 妄想だと良かった。飛躍しすぎた妄想ならば安心できたのに、前園は肯定してしまった。

 そう、考えたのだ。

 今までの俺はいったいどうなってしまったのかを。

 彼女たちはこれが何を原因で起こった現象なのか、微塵も興味を抱いていない。それどころか、この現象を望んでいる節さえあった。

 現象を利用した『ヒカル』の創造、構築。

 新しく入ってきた中身に、入れ物について丁寧に説明をし誘導し、親切に教授し授業した。彼女たちは自分たちに都合のよい『ヒカル』を作っている。海城の言葉から、今までも同じように誰かの精神が入ったことがあるのは解っている。しかしその度に、彼女らは創り直していく。

 『ヒカル』という理想を。

 『ヒカル』という想像を。

 完璧な理想の異性を創造していた。

 ならば、その素材となる『人格』はどんなモノでも構わなく、構わないのならば、どうなろうとも構わないのだ。

 俺の人格がヒカルに塗り潰されていくように、俺の人格をヒカルに塗り替えるように。

 肉体的に生かし、精神的に殺す。

 直接的ではなくとも、間接的に人を殺す彼女らの行動に戦慄する俺を見て、前園はでも、と口を開いた。

「でもね、今回は海城がズルをしたのよ」

「ず、ズル?」

「ええ、あの子、その前も恋人役をやったのに、今回もまた貴方の恋人になったじゃない。あれはね、タブーなの。たった一人が幸福になるシステムじゃないのよ、これは」

 みんなが平等に、幸せにならなきゃならないシステムなんだから――そんな、人間関係では望ましくない、それ以外でも羨ましくないことを言った。

 システムと、役割だと。

 幸福を語る――創り出すシステムだと。

「だからね、そっちがその気なら……ってこと」

 前園は恍惚とした表情で、語る。自身の願望を、自身の欲望を。

「ここまで話したのはね、私が貴方の味方ってことを理解して欲しかったからよ」

「味方? 味方だって? 俺を利用した癖に、今までもそうやってきた癖に、何を」

「だから、ちょうどいい機会だったのよ。このシステムを壊すのに、貴方を助けるのにも、恵まれた機会なの」

 恵まれたと言った。海城が欲張って二度目の恋人役を行い、いや、今までの話を聞いているともう何度目かは解らないが、それでも順番を守らずに横入りをしたのだと。

 そしてそれが、俺を助けるためだと言ったのだ。

「……ふざけるなよ」

 さすがに、ここで騙されるほどバカじゃない。バカに落ちるつもりはない。

 ようは単純に、前園は手っ取り早い大義名分が欲しかっただけだ。

 ルールを守らず『ヒカル』を手に入れていいならば、自分もその権利があると、欲望を隠しているだけだ。

「それで、今度はみんなの『ヒカル』からお前の『ヒカル』になるってことか? 冗談じゃない、俺は俺だ!」

「だから、貴方は誰なの?」

 爆発しかかった感情が、一気に消失する。

 前園は俺の肩を押し、あまりに自然な動作だったので踏ん張ることも出来ずに後ろに下がってしまい、椅子に足がぶつかり座ってしまう。前園は座った俺を、見上げる俺を見つめながら、微笑みながら、悪魔のような小悪魔な笑みを張り付けて、優しく重く、実感を伴って、俺の膝に腰かけた。座った。

 正面を向きながらで、普段だったら赤面ものの体勢だが、今はそんなことまで頭が回らない。

 前園の言葉が、頭を占める。締めて来る。ギリギリと、満遍なく、容赦なく。

「ねぇ、聞くわよ、私は。貴方の事を。鏡を見て御覧なさい? そこにいるのは誰かしら? 貴方の名前は? 貴方は―――誰なの?」

「おれ……おれ、は……」

「そう、貴方は『ヒカル』よ。ふふっ、可愛い」

 軽く頬にキスをする前園。

 愛を、愛を感じる。

 向けられた愛。

 海城とは違う、今になって思うが、海城はもっと踏み外した狂気を感じさせる愛情だった。執拗に執拗に、盲目的に恫喝的に、どこまでも求める愛を、ストーカーにも似た歪んだ愛を感じた―――が。

 だが、だ。

 だからか、かもしれない。

 海城の愛を理解した今、前園から感じる愛はそれとは違う、どこ歪ではあるけれども真面な、まだマシな、常識的なモノを感じた。

 まさか、本当に俺の事を想って、『ヒカル』じゃない俺のことを考えてくれたのかと一瞬だけ考えたが、名前のない俺を想ってくれたなんて思ったが、考えたせいで、思いつく。

 まさかの考えに。

 もしかしての思いつきに。

 それは本当に、ただの思いつきだ。

 論理も理論も根拠も証拠もない、純粋に何となく思ったことだった。

 いや、本当にそうだろうか。無意識に、繋がっているんじゃないだろうか。

 だからこそ、このままでは何かも、俺のすべてを『ヒカル』に奪われる前に、俺は俺の言葉を口にする。

 例えそれが、無駄に終わっても。

「まえ、ぞの……」

「なぁに、ヒカ」

「お前は、誰だ?」

 正面の前園の顔が、凍る。

 俺は前園のセリフを遮り問いかけた。『ヒカル』とは呼ばせない。それは俺の名じゃない。だからこそ、主導権を握るために、俺は彼女を追い詰める。思い付きで、想ったことを。

 前園は頬を引くつかせながらも、笑みを崩さず、俺の首に巻かれた指先を震わせ、応えた。答える。

「な……なにを、言っているの? 私はまえぞ」

「まえにゃんじゃないのか?」

「っ!?」

 今度こそ、明らかに狼狽した。

 その様子から、もはや恐怖は感じない。

 目の前にいるのは訳の解らない異世界の住人ではなく、ただの女子高生であり、ただの人間だった。俺と同じ、こんな質問にも答えを持っていない同類だった。

 狼狽から今にも泣きだしそうな表情へと変わり、それでも本人は気丈に振る舞い、振る舞っていると思いながら、必死に抵抗する。自身の奥底から湧き出る、自身の問答へと。

 そんな前園を見て、俺はさらに言葉を重ねる。

 これは殺し合いだ。

 俺と前園の、心の居場所の殺し合い。

 だから俺は、容赦しなかった。

「お前はどっちなんだ前園。どっちのお前が元々のお前なんだまえにゃん。教えてくれよ、お前はいったい、お前の中にいる前園とまえにゃんは、どちらが本来のお前な」

「やめてぇっ!!」

「がっ!?」

 前園が悲鳴をあげ、物理的に俺の言葉を止める。首に巻かれた腕を離し、手を首に伸ばし締め付けてくる。彼女の行動に対応できず、俺は椅子ごと後ろに倒れた。それでも前園は、彼女は俺の首を絞めつける。

「黙って……黙りなさいよっ! わたっ、私は私なんだからっ! あんたと違ってちゃんと名前だって……っ! 私は、まえ、まえ……っ!!」

「ぐっ……っ!?」

 火事場の馬鹿力か、女子とは思えない筋力で首を絞めて来る。

 しかし、虚を付かれた際は反応できなかったが、それでも縺れ込めば、一瞬の隙が過ぎてしまえば力ではこちらが圧倒的だ。

「痛っ!?」

 彼女の腕に力を込めると、あっさりと手を離す前園。腹部に女子が座る魅力的な体勢ではあるが、雰囲気は最悪だった。腕を抑えながらこちらを睨みつけてくる。

 憎悪と殺意、そして怯えた瞳で。

 そう、気づいたのは偶然だった。

 そもそも、今の質問は普通なら取り乱すことはない。どんな意味を込めようと、答えられずに苦々しく感じても我を忘れるほどの質問じゃない。大それたものじゃあ、ない。

 これは、この質問は前園だからこそ、もしかしたら海城や他の俺に関わる女子たちかもしれないが、だからこそ普通以上に狼狽えてしまう問いかけだった。

 前園は知っているのだ。知ってしまったのだ。

 名前がなくては人は定まらず、名前がなければ人は変わってしまうということを。

 今までどんな洗脳をしてきたのか知らないが、前園たちは見てやってきた。俺のような人間を、『ヒカル』に造り替えてきた。

 同時に、気が付いてしまったのだ。名前は他人が決めるモノであると。

 生まれた時から選択権がなく、他者の手に委ねて決めるのが名前だと。

 『ヒカル』を創るために名前を利用したこと。

 他者によって決まる自分の名前のこと。

 人間の枠組みながらも、千差万別の個性を求める自分たち。

 同じ人間ではないための名前だったのに、名前が同じだけの『ヒカル』を製造できてしまった彼女たち。

 気づいたのだ、思い出したのだ。

 自分たちが何者であるのかを。

 自分たちが何者でないのかを。

 どうやって自分を、他人に頼らずに自分だけで決められるのかを、理解してしまった。

 それが出来ないことを、理解してしまったのだ。

「や、やめて……」

 前園は尻もちをつきながら後ずさり、俺から降りても後ずさり、逃げようと、離れようと後ずさる。

「ごめんなさい、謝るわ、ごめんなさい。だから、やめて、消えたくない。私は、私なの、だから、お願い―――」

 消さないで、と。

 そんなお願いを聞いて、女の子に頼まれたら、こんな時どんな対応をするかなんて一つだ。

 俺は後ずさる、怯え涙さえ浮かべる前園を、まえにゃんに近づき、肩を叩き。

 びくりと震え、目を見開く彼女を見て。

 『ヒカル』の笑顔で、言った。

「君は、誰なんだ?」


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