一話 幻痛肢影(げんつうしえい) 1-2
「……あんた、誰?」
彼女の言葉に、断ち切られた。
「え?」
「あんた、本当にヒカル?」
眉を潜め疑惑の視線を送る彼女。その様は不審者を見つけた時の反応であり、とても彼氏を見る眼ではなかった。
不審に不気味を加味した、疑惑に疑問視を植え付けた視線を向けて来る。
そんな眼差しを受け、見ず知らずの恋人から心引き裂かれる苦しみを受けながら、それでも『俺』ではなく俺を見た彼女を見る。見惚れてしまう。心が癒されてしまう。
初めてだった。初めて、本当に本人か疑われた。
それはそうだ、映画でもない限り本人に成りすますなど出来るわけがないし、常識的に考えてそんな発想に至るわけがない。
それでも、彼女は看破した。
『俺』の存在を、俺という存在を。
何故だろうか、
この時の俺は、
どうしようもなくこれ以上なく―――嬉しくなかった。
むしろ拒否反応さえ覚えた。
「な、なに言ってんだよ」
しどろもどろになりながら、必死に言葉を紡ぐ。
自身の気持ちに気づかぬまま、それよりも疑いをかける彼女が不思議でならなかった。
どうして解ったのだろうか。愛の力というやつか。バカバカしい。
「俺以外の誰に見えるって言うんだ?」
「……ねぇ、覚えてる?」
こちらの言葉を無視し、慌てる俺と反比例する彼女は、冷静に言葉を選び尋ねる。
見極めようと、見定めようと粗を探し傷を見つけようとしていた。
それにしても厄介な質問だ。覚えてるとは、今の俺に一番言ってはいけない言葉だった。これは、ほぼ間違いなく答えられない。俺が『俺』になったのは今朝の話で、それ以前の話を持ち出された場合、何一つ答えられる術はない。というよりも、そもそもが『俺』のことを聞かれた場合に何一つ返答できる解答を持っていないのだ。
それ以前など関係なく、『俺』のことに関しての質問はすべて必殺と言ってもいい。
必ず俺の意見を殺せる質問。紛うことなき言葉。
ただ、それでも俺は必殺であるはずの質問に対し、矛盾ではあるが避けることができた。生還することができた。彼女と同じように、俺に対して似た質問があったが、それに対しすべて明瞭な返答ができたかと言えばそうではないが、俺が今日一日、赤の他人である『俺』を演じ切れたのは他でもない、クラスのみんなや話し掛ける人達のお蔭だった。
常識で考えてほしい、当然のことを考えてほしい。
いったい誰が、精神が入れ替わったなどと思うだろうか。
夢物語以前の古典的手法、今更感しかない物語の王道よりも常套手段に相応しい空想の代表である『入れ替わり』など、誰が信じるだろうか。
人が変わった。
まるで別人。
中学校から高校へと進学し、大学で久しぶりに会えば聞くことのできるセリフ。
そう、人は誰もが変化する。
例え変化していなくとも、少し見ない間に人の記憶は改ざんされ、勘違いという名の変化になってしまう。
さらに、本人ではなく別人の振る舞いをしても、人はそれを成長と変化で片付け常識に当てはめることができる。
だから、だからこそ、そんな常識を打ち破り現実を蔑ろにできる彼女に驚いた。
そんな現実感を捨てた存在に、この世界その物のような彼女に、驚愕を強いられた。
驚く俺は、常に彼女の後手に回ってしまう。
「ヒカルが私に告白した時の言葉、覚えてる?」
好きだと叫んでやろうかと思った。
告白など好きだ愛してると言って抱きしめキスをすれば終わりだと考える様々な未経験者の俺からしたら、そんな偏りも酷い知識しか持ち得ていない俺からしたら、告白に使用される言葉など見当もつかない。
当然、そんな行動的な真似ができれば恋愛初心者なんて称号はとっくのとうに捨てている。どう答えていいのかも解らず、在り来たりな「えーっと……」などと嘯いていると、彼女は、『俺』の恋人は目つきを変えた。
鋭かった視線は冷たくなり、
厳しかった態度には空白が生まれ、
近かった距離に間ができた。
彼女は確かに、変化した。
まるで、人が変わったかのように。
居住まいを正し、いつでも動ける臨戦態勢へと移行した彼女は、聞く。
単純であり、繰り返したことであり、誰にとっても重要なことを。
「貴方は誰?」
それは彼女が、この『俺』の恋人が、明白に明確に、確固たる事実として、俺の存在を認めた瞬間だった。
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