シー イズ ア クレイジー …ガー…る?
異世界召喚や転生ものに対するキーワードって現地ものであっているのでしょうか
だってキーワードが多いのが妬ましいのだもの
作者だって目立ちたいもの
「世の中には二つの人種がいる。」という言葉がある。
善人と悪人、金持ちと貧乏人、貴族と凡俗。
などなどと、物事を単純化して説得力を持たせるために詐欺師や演説屋が使うフレーズだ。
物の例えというのは究極に単純化すると意外な説得力を持ったりするものである。
ああ、例えば、物事はどう転ぶかわからない。結局その結果には成功か失敗かのどちらかしかないのだから。と言えば、成功か失敗かの確率がフィフティフィフティになったわけじゃないのに雰囲気だけで博打を受け入れそうにならないだろうか?
嘘をついたわけじゃない。詳しく説明しなかっただけだ。というやつである。
私はそういうやり方は嫌いじゃないが。
とはいえ人間右にいるか左にいるかで分けられるほど、流石にそんなに単純なわけがなくて、絶対に信用が置けると思ったやつにちょっとした誤解から裏切られたりするような事例もあるわけであり、この理論は間違いなく詭弁の類なのだが、(まあそもそも私にとっては詐欺師のやり口というのは参考になるものだが)自分にとってのこの二種類を考えてみるのはなかなか面白そうである。
もし自分なら人間をどう二種類に分けるか?
暇つぶしに色んな奴に考えさせて答えを聞いてみたいものである。
私はこう分けることにした。“他人のために生きる人間”と、“自分のために生きる人間”だ。
何故その二つなのか。
しかも他者のための行動をとることも己の願望からくる衝動なのだから、大局、人間は自分のために生きていると言えるのではないか。……ああそうかもしれない。
だが違う。
本当に大事な選択を迫られる局面で、それら二つの人種は決定的に違う決断を下す。
結末は神の作られし大いなる渦の中。でも、決断は悩みぬいた人間の所業だ。
そして、私はきっとその中で、自分のために生きる人間だ。
私は日記を書く手を止め、羽ペンを置く。
そして倒れ落ちる頭を机を支えにした腕で受け止め。顔を手で覆う。
「何だこりゃ……。」
ぐったりしている中にも大さじで山盛り分の苦々しさを盛り込んだ声で、本日の日記への感想を述べる。
久々に……読み返して恥ずかしい“大作”を書いてしまった。
たまたま思いついたテーマがきっと悪かった。
別段日記に書く事が思いつかないときはどうでもいいことを書き込んで誤魔化すのだが、今日のは適当な思考遊びの暇つぶしに適したテーマに見えてなんか哲学的とかそういうところに足を踏み入れていることに気付かなかった!
というか自分で考えた適当なテーマだったはずなのに何故真剣に悩み始めてんだ私はっアホか!!
「はははしんどいもう……。」
魔術研究日記と銘打っていたはずの我が手帳は、研究結果や考察が存在感の薄い、仮に考察があったとしても何故か魔術に関してじゃない、非常に混沌とした日記然としたなにか、になっていた。
自分が私生活の中でスキルアップに貢献できる覚書を作ることができる勤勉な人間であるなどという素敵な夢を見ていた若さあふれる時代など遠い昔のことだと定義しているのに、何故か日記とタイトルには書いてあるそれに筆を走らせる習慣だけは無意味に残りやがった。
つれづれなるままにひぐらし羽ペンにむかいて
別に今のご時世に羽ペンなどという骨董品を使う必要も、紙媒体に記録する必要も、どこにも必要性という奴などない。使っている奴もほぼ見た事がない。
のだが、私にとってそれは忘れ去るべきつまらない道具ということにはならない。その不便は記録するという行為を楽しむための味付けとなり得るものだ。
ようは気分の問題である。羽ペンを持って手帳に影を落としている美少女と化した私を想像するとテンションが上がるのだからそれは使う意味があるということだろう。ええ、私は少女と呼ばれるような位置にはおりませんとも色んな意味で!しかも形容詞に美が付随するようなとこにはね!
つい興奮してしまった。あらいやだはしたなう。違った、いやだはしたない。
まあつまり、私は巷で言うたいそう暇な人というものらしい。
オブラートに包まれると余計に傷つく余裕のある人と化す。あるかんなもん。
今もこれから寝に入るところで、椅子に座ったまま大きく伸びをする。
くそっ、人を貶める時にだけ異常に息の合ったチームプレイを発揮するババアどもめ、いつかハゲになる呪文を見つけて自分で自分に向かって唱えさせてやる。
アブラカタブラハゲルハゲールテッペンカラクールマエカラモクールうふふふふふふふふふふ。
……寝よう。…ぐう。