笑いの武者修行 東京遠征編
【きよぴこ:第2話】笑いの武者修行、東京遠征編
大阪・道頓堀の喧騒の中で、きよぴこは震えていた。
それは恐怖ではなく、込み上げる情熱、あるいは「笑い」という名の戦場に立つ者の武者震いだった。
1982年、中学の教室でエロ本を回し読みしながら、女子の視線ひとつに一喜一憂していたあの頃とは違う。今の彼は、大阪の大学という「笑いの虎の穴」に身を置く、ストイックな煩悩の求道者なのだ。
しかし、現実は厳しい。
「きよぴこ君さぁ、話が長いのよ。フリが8割でオチが微粒子レベルやんか」
サークルの飲み会で、意中の女子に放たれた一言が胸に突き刺さっている。
大阪の人間は、笑いに対してあまりにも真剣すぎた。彼らが求めるのは、職人芸のようなテンポと、鋭利な刃物のようなツッコミだ。愛知のゆったりとした時間の中で培われたきよぴこの「エロ・トーク」は、ここでは時代遅れの鈍器のような扱いを受けていた。
「……あかん。このままでは俺の才能が、大阪の荒波に飲み込まれて消えてまう」
そこで彼は決意した。武者修行だ。
向かう先は、日本の首都・東京。
大阪の厳しい査定に揉まれた今の俺なら、笑いのハードルが低い(と勝手に思い込んでいる)東京の女子大生相手なら、爆笑の渦を巻き起こせるはずだ。
きよぴこは、アルバイトで貯めた軍資金と、当時の流行だったショッキングピンクのシャツ、そして石田純一スタイルで肩にかけるためのセーターをバッグに詰め込み、青春18きっぷを握りしめた。
東京・渋谷。
ハチ公前で待ち合わせた合コンの席。きよぴこは、大阪仕込みの(自称)軽快なトークを全開にした。
「自分ら、知ってる? 愛知に『おむつマン』って呼ばれた伝説の男がおったんやけどな……」
必死に標準語を混ぜつつも、語尾に滲み出るエセ関西弁。
だが、東京の女子大生たちの反応は、大阪のそれとはまた違った意味で冷ややかだった。
「……ねえ、あの人、ずっと一人で喋ってるけど何なの?」
「なんか……圧がすごくない? 肩パッドも浮いてるし」
クスクスという笑い声は聞こえるが、それは「面白い」ではなく「面白い格好の人がいる」という、憐れみに近いものだった。
きよぴこの心に、冷たい秋風が吹き抜ける。
中学時代、教室の隅で仲間たちとバカ話をしていれば、それだけで世界が笑いに包まれていたあの頃。あの心地よい一体感は、大人になればなるほど、遠ざかっていくような気がした。
結局、合コンは散々な結果に終わった。
独り、代々木公園のベンチで夜風に当たっていた時、きよぴこはふと、風の便りに聞いた噂を思い出した。
――かつての仲間の一人が、東京のどこかでアフロの女王として君臨しているらしい、と。
「……あいつも、頑張っとるんやな」
姿は見えないが、この巨大な東京の空の下で、かつての戦友もまた、自分と同じように何かに抗いながら生きている。そう思うだけで、少しだけ勇気が湧いてきた。
きよぴこは、肩にかけたセーターを締め直し、立ち上がった。
「よし。明日は別の大学の学食に乗り込んだるわ。俺の『おむつマン・エピソード』を、東京が泣いて笑うまで語り倒したるからな!」
きよぴこの孤独な挑戦は、まだ終わらない。
1982年の煩悩は、今や1980年代後半の熱気の中で、より複雑に、より力強く、明後日の方向へと突き進んでいた。




