紅さんの多様性
「また隣同士だね、紅さん」
年往たちの理数科は、1年10組だ。
「変な席順の決め方だったわね」
6×6=36の机が並んでいる。理数科の生徒たちは、出席番号順に二つのサイコロを振らされた。例えば、一つ目のサイコロが1、二つ目のサイコロが6だったとする。その場合、最左列の前から数えて6番目の席になるという寸段である。何回も振っていると、当然席がかぶってくる。3-4が出てすでに埋まっている場合は4-4、もしくは3-5が割り当てられる。紅は6-6、年往は5-6に着席していた。
「理数クラスって誤解されがちだけど、色んな人たちがいるんだなあ」
勉強しか出来ないと批判されるレベルなら、そもそも勉強が出来るとは言えない。
「北伊勢高校の理念だもの。でも、ちゃんと筆記試験は課すけどね」
ペーパーテスト一切免除なら当人の人生は茨の道だが、損失は社会が負担することになる。
「多様性ってニュースで聞かない日が無いよ」
あれから何かを信じてこれただろうか。
「多様性といいながら言ってることが同じような話ばかりなのよね。聞いてるほうは頭が痛くなってくるわ」
この人の話はつまらないとなればどんどん人が離れていくはずだが、いかんせん発表するおもちゃが与えられているので、無関心な人の耳目にも触れてしまう。
「会社でも学校でもあてはまるんだけど、あの熱量で主張しだしたら、コミュニティはとても保てないよ」
リアル社会ではめったにお目にかかれないが、ネット上だと利己主義のかたまりみたいな主張が、跳梁跋扈している。
「トシがワンパターンな話しかしなくなったら、距離を置かせてもらうわ」
滅びに向かうための主張など、断じて認められない。ましてや、自分は何も貢献することなく地道に働く人々を引きずり下ろすなどもっての他だ。ただし、心の中で思っているだけなら、どんな破滅的悪魔的思想を持とうが、その自由は保障される。
「話題に困った時のテーマリストみたいな投稿を見かけたけど、なんかずれてるよね」
話したくなった事を話すのが、お互いの関係のために良い。あとはちゃんとキャッチボールできるように文の体裁を整えるのみである。
「トシもわたしもだけど、話したいことがあり過ぎて、話題に困ったことなんかないわよね」
北伊勢高校理数科首席ともなれば、四六時中なにかを考えている。ただ、トシに影響されて、ぼーっとする時間も脳の機能アップ的に必要だと考えを修正している。
「そうそう。紅さん、部活決めた?」
紅は引く手あまたである。
「なんかさ、ひとつに絞れなくって。だって野球もしたいしギターも弾きたいし、絵も描きたいじゃない?」
紅は欲張りである。
「そんな好奇心旺盛な紅さんのために、北伊勢高校では複数クラブへの掛け持ちが認められてるんだよ」
もちろん、紅の多才ぶりを発揮するための寛大な処置である。成績上位者ほど、入れるクラブ数は増える。
(紅さんみたいに様々な方面へ邁進するのが本当の意味での活動家だし、人としての魅力が多様ってことなんだよ。そう、そうあるべきなんだ)