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君のいる未来のために  作者: 伝説のぴよ
第一章 それでも、この世界で

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軋む音

 人形作家になんてなりたくなかった。

 反抗期だったのかな?

 特に夢なんてなかったし、じいちゃんも父さんもその前のじいちゃんも割と名の知れた人形作家だったけど、人形作家になろうなんて一度も考えた事がなかった。


 なんか、かっこ悪いと思ったんだよな。親の真似をしているみたいで。

 親と同じ人形作家なんて、誰かの真似をしないと自分として生きていないような気がして、どうしても人形なんかって気持ちがなくならなかった。


 でもある日、そんな俺の考えがひっくり返る事が起こった。

 博物館の人達がうちに来て、価値のありそうな物を引き取って行った日。

 その残り物の中に、ティアがいた。

 ぽつんと、箱の中に無造作に入れられた人形。

 いや、その時は人形の形をなんとか保っていただけの、つぎはぎだらけの“何か”だった。


 博物館の人達はほとんどの人形やその他の物は引き取って行ったのに、ティアだけは破損状態が酷すぎる事と品質維持が困難とか言う理由で引き取って行かなかった。


――――この子の何が悪いの?


 戒め、もう二度と百年前の事件を起こさないようにって思うなら、この子こそ連れて帰るべきでは? どうしてこの子だけ、引き取らないの?

 そんなのってある?

 綺麗じゃないから。ぼろぼろだから。綺麗なまま保存できないからって、そんなのただの、怠慢じゃない? それが仕事でしょ?

 どうして引き取らないの? どうして他の子と一緒に連れて帰ってあげないの?


――――まるでこの子が、いらない子みたいじゃないか。


 なんでかよくわからないけれど、まるで自分がそう言われているみたいだった。

 でもそれから俺は、黙々と勉強するようになった。人形の事を呼吸するように吸収していった。

 ティアみたいな子を作りたくなくて。ティアみたいな子こそ、愛されるように作りたくて。


 今だからこそ思うけど、もしかしたらこの気持ちは、血だったのかもしれない。

 じいちゃんも父さんも何も言わなかったし、見せなかったけど、気がついたらティアは見違えるような美しい人形になってた。

 やわらかい栗色の髪は緩やかで美しい波を描き、ゆで卵のようにつるりとした白い肌に日があたると、本当に生きているようだった。

 吸い込まれるような深みも見える新緑の瞳は、光の角度によって見え方を変えて輝いて、それはまるでころころと表情を変えて笑う人のよう。

 白いレースが上品に、幾重にも波打つ白いワンピースを着て、前の人形の形を保っている“何か”の気配なんて微塵もなかった。


 ぽつんと残された、なんて絶対に言わせない。思わせない。人形本人にだって気づかせない。

 そういう決意が感じられる、そんな仕上がりだった。

 言いたくはないけど、じいちゃんも父さんもかっこよかった。

 本当に、かっこよかった。







 朝食後、ティアに家の中を簡単に案内する。

 一階は朝食をとった少し広めのリビングにダイニング、キッチン、トイレにお風呂がある事。

 二階は階段を登ってすぐ目の前にある、ティアと出会った俺の私室。

 階段を登って右手に進むと左手に空き部屋、廊下を挟んで右手に物置部屋がある。


 俺の私室の隣になる空き部屋、そこをティアに使ってもらおうと中に招き入れた。

 入って正面に大きめの窓が二つ。それに沿うよう奥にベッド、その横には大きめのクローゼットと姿見が置いてあった。

 入り口側にはソファーとテーブル、見た目がいいように壁には飾り棚がある。

 足元をチラリと見る。

 床には俺の部屋より質のいい暖かそうな厚みのある深緑のマットが敷いてある。

 あまり掃除はしてないけど、客室として時々使っていたから簡単に掃除すればすぐに使えるはずだ。


「ここ空き部屋だから使っていいよ。掃除サボってたからちょっと埃っぽいけど」

「こんなに広い部屋、使っていいんですか?」


 ティアが驚いた様子で部屋を見回している。


「もちろん。嫌なら案内しないから、気にしないで使って? ちょっと家具が古臭いかもしれないけど」

「そんな事ないです。この家具、ジョイさんの部屋と同じ物ですよね。シンプルなのにすごく優しいデザインだと思います。この家具のモチーフになってるやわらかい丸みが、個人的にすごく好きです」


 そんなふうに言いながらティアはそばにあった飾り棚に触れた。

 本当に気に入ってるようで、その丸みを何度も指で撫でて微笑んでいる。


「それならよかった」

「でも、ほんとに使ってもいいんですか? この家で一番広い部屋なのでは?」

「まあ、そうなんだけど。でも俺は自分の部屋が気に入ってるし、出入りも楽で使いやすいんだよ。だからこっちにわざわざ移動したくないし、ティアが使ってくれたら助かる」

「そんな……」


 ティアが困っているように目を泳がせている。

 なんとなく自分がこの部屋を使っていいと思えないんだろうなと予想する。

 俺は本当に気にしないから、好きに使ってくれて構わないんだけど。


「ほんとに気にしなくていいよ。それに、ティアがこの部屋を使ってくれたら喜ぶと思うんだ」

「え?」

「ここは、父さんと母さんの部屋だったから。ティアがこの世界を見て、知って、楽しんでくれたら、ティアの体を修繕できてよかったって、絶対喜ぶよ」


 絶対にティアを幸せな人形に仕立て上げるって決意してたと思う父さんが、ティアがこうしてこの世界で生活してることを喜ばないはずがない。

 そしてそんな父さんが好きだった母さんも、やっぱりきっと喜ぶんだ。

 ティアが悲しげな顔をしてこちらに寄って来た。

 

「あの、ジョイさんのご両親は……」

「うん、十年前、事故で亡くなったよ」

「事故……」

「うん、事故、かなぁ」

「……何か腑に落ちない事があったんですか?」

「……いや」


 そうじゃない、と言うように俺は首を振る。

 もう両親が事故で亡くなってから十年になるのに、思い出すとどうしても胸が苦しい。

 自然と胸元の服を左手で握りしめた。


「両親は隣の街へ向かってる途中、突然の嵐にあって山道から滑り落ちてしまったんだ。行く必要なんてなかったのに突然夜中に出発して、次の日にはいなくなってた」


 突然の孤独。

 当たり前にあった家族の存在、温もりが、思い出が、寝る前までには確かにあったそれが、なくなった。

 信じられなかった。

 

「疲れ切って寝てた俺の代わりにそれを聞いていたじいちゃんから、後で教えてもらった。隣街に出かけた理由は、隣町で催し物があったからなんだそうだ。滑り込みで参加しようとしたらしい」

「……どうしてそんな無理をされたのでしょうか? きっと何か、どうしてもそうしたい、理由があったんですよね?」

「――――そうだね」


 ふとした時に、ジョイ、ごめん、遅くなったって名前を呼びながら帰ってくるんじゃないかって思った。

 何度も、ごめん、寝坊したって笑いながら起きてくる父さんを見た気がした。

 夜になっても灯りのつかないキッチンで、今も母さんが、温かいご飯を作ってくれてるような気がするんだ。

 何度も、何度も、何度も。

 二人の気配を、全身で感じてた。


「初めて作った俺の人形を、その催し物に参加させたかったらしい。だから二人が死んでしまったのは、俺のせいなんだ」


 ティアが息を呑んだ。

 澄み渡って奥まで見えそうで見えない新緑の瞳が、驚きに俺を見つめている。

 考えすぎかもしれないけど、色んな感情がその目の奥に揺らいでいるように思う。

 ティアも大事な人を失った過去があるようだから、もしかしたらそれと重ねてしまったかもしれない。

 違うよ。そうじゃない。

 悲しませたい、わけじゃないんだ。


「俺は大丈夫だよ。だからそんなに気にしないで欲しい。こんな話して、ごめんな?」


 そう言って、窓から見える街並みに目を細める。

 いつもこのくらいの時間に怒られながら起きていた。

 それなのに朝起きたら両親がいないなんて、夢を見ているのかなって、思った。

 だからこの夢から自分が起きればいいんだって、思った。

 でも、何をやっても夢から目覚める事はできない。

 自分を傷つけても苦しめても、ただ物理的に死にそうになるだけで、目なんて覚めない。夢は覚めない。

 じゃあ逆に、寝てみたらどうだろうってやってみたけど、寝られやすらしないんだ。


――――――あの時俺が人形を作らなければ、今どうなっていたんだろう。


 そんな疑問がつきまとう。

 父さんが今でも、工房を切り盛りしてるのかな? 母さんはそれを支えながら、穏やかに人生を過ごせたのだろうか?

 俺が人形を作らなければ、二人の人生を壊す事は、なかったのだろうか?

 そう何度も自分に、世界に聞くんだ。

 胸元の服を握りしめている手が震えている。


(――――――大丈夫)


 反射的に呪文のように唱える大丈夫。それに何が大丈夫なんだと問う自分。

 

(――――――大丈夫)

 

 いつの間にか止めてしまっていた息をゆっくりと吐き出す。

 息もまた、震えていた。

 こんな歪でまともに仕事もできない俺を、じいちゃんは最後まで心配してくれていた。

 事故が起こってから一年も経たずに、病気で亡くなってしまったけど。


 俺がボンクラだから。俺が人間としてまともに機能してないから。

 こんなんじゃ仕事もできないし、生活なんて論外で生きていく事すら危うかったから。

 自分が行けばよかった、生い先短い自分が行けばよかったって、いつもそう言いそうになって、それすら俺が心を痛めるから言わなかったのを知ってる。


 じいちゃんは優しい。

 ティアに対してだってそう。俺に対してだってそう。

 厳しいところもあったけど、最後まで優しかった。

 ティアがゆっくりと俺の震えてる右手を取る。


(え?)


 どこか遠慮しているような自信のなさそうなティアが、そうして触れてくる事に驚く。

 ティアを見ると、今にも泣きそうな顔をしている。


(どうして? どうしてそんな顔をする?)


 もう十年にもなる。普通ならもう、受け入れてる事なんだ。人間はいつか死んでしまうものだし、それがこうやって後悔に満ちるものになってしまう事も珍しい事じゃない。

 なのにこうやって心の傷にして、いつまでも引きずって、それを乗り越えられていない俺が悪いんだ。

 そもそもティアが気にする事なんかじゃない。


 今にも泣きそうなティアを見ていると、最後のじいちゃんを思い出す。

 じいちゃんも、今にも泣きそうだった。

 じいちゃんも自分の息子が自分より早く旅立ってしまった事に苦しんでたはずなんだ。それなのにその息子が残した俺がこんなふうにダメになって、どうしていいかわからなくて苦しくて、いっぱいいっぱいだったはずなんだ。


 そんな顔をさせてごめん。じいちゃんを、ティアを、苦しめたかったわけじゃないんだ。

 これは俺の問題。自分で乗り越えないといけない問題。

 俺なら大丈夫だから、だからみんな、心配しないで。


「――――――大丈夫なんかじゃ、ないですよ。だから、大丈夫なんて、言わないで」


 ぽろぽろと、ティアの目から涙が溢れる。その姿が歪んだ。

 

「傷つくのも悲しいのも、当たり前。だってジョイが、何よりも大事にしてたものなんだから」


 歪んでぼやけて見えない。

 ぽろぽろと握りしめられた手に溢れた涙が落ちてくる。

 右手を包んでくれている手のひらは熱いくらいに温かくて、ぎゅうっと握りしめて気持ちを伝えようとしてくれていた。

 目が、胸が、心が熱い。

 頭より先に体が勝手に反応してる。そうしてやっと、理解してしまった。


「大丈夫って言って自分の気持ちに蓋をして、自分をいじめないで。大丈夫じゃない自分を悪者にしないで。大事なものを亡くして悲しいのも寂しいのも、辛いのも苦しいのも、どんな気持ちだって、それは全部、大切なジョイ自身」

 

 言いながら気持ちが昂っているのか、ティアはしゃくりあげる。滝ように涙も溢れている。

 それでも絶対に手を離す事はなく、絶対伝えるという意志を感じる。


「大丈夫なんかじゃ、ないよ。当たり前なの。大丈夫じゃないジョイ自身を、もっと大事にしてあげて」


 どうか幸せになってくれ。

 そう言い残したじいちゃんとティアが被る。


「大丈夫じゃなくていい。そのままのジョイで、いいんだよ……!」


 そう言い切って、ティアは泣いた。

 天を向いて。

 ぽろぽろと、ぽろぽろと、溢れる涙は朝日に輝いてる。

 その輝きが眩しくて、また目が熱くなる。


“大丈夫なんかじゃない”


 こんな事言われたのは、初めてだった。

 大丈夫だよ。大丈夫だよ。狂ったようにそう言われてきたし、言ってきたから。

 どこか神聖にすら感じる、しゃくりあげるティアの頭を震える左手で撫でる。

 ティアは一度動きを止めたけど、そのまま素直に撫でられながら泣き続けた。

 

「………………ありがとう」


 その言葉は、音になったどうかわからないくらい小さく掠れた。

 その流してくれた涙の分だけ、もう少しだけ、がんばれそうだと思った。

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