静かな採寸
クリスの家にお泊まりしてから数日が経った。
仕事にはまだ慣れないところもあるけど、毎日がんばっている。
「今日はこの子にしよう」
クリスからもらった服を今日はどれにしようと気分で決めて、仕事に向かう。
それがなかなか楽しくて、今までにない満たされてる感覚があった。
淡いアイボリーのブラウスにそれに合わせて淡いスモーキーブルーのスカート。
ブラウスの生地は柔らかくてボタンはパールになっている。
スカートはウエストの部分には細いリボンがあって、自分の体に巻きつけるようになっていた。
自分の腰に合わせてリボンを巻いていく。
余ったリボンは後ろに大きめにリボンの形を作って、動きが出るように流した。
鏡の前で全体の動きを確認する。
(この組み合わせ好きかも)
シンプルだけど可愛いく合わせられたと思う。
少なくとも私は好きだ。
(今日もがんばれそう)
鏡ににこにこしている私が映っていた。
「おはよう、ジョイ」
私よりひと足先に工房に入り作業を始めているジョイに挨拶をする。
作業台には私にはよくわからない細かい部品が広げられている。
ジョイが使用している作業台の反対側の通路を抜けて、工房の奥にある掃除道具がある場所へ向かう。
「おはよう、ティア。今日もよろしくな」
「うん、がんばるね」
ジョイの方を振り返り、箒を握りしめて気合いを伝える。
ふっ、とジョイは空気を緩めて笑った。
「ありがと。でもまあ、無理しない程度にな?」
「うん、ありがとう。でも私、この仕事好きだから大丈夫だよ。じゃあ店先を掃除してくるね」
「ああ、よろしく」
箒と塵取りを持って外に出る。
カランという音を背後で聞きながら、大きく深呼吸して、今日も爽やかに晴れてくれている空を仰ぐ。
最近はずっと、いい天気が続いている。
通りを通る風も気持ちよくて、最高だ。
「おはよう、ティアさん」
「おはようございます、ユイリさん」
いつものようにユイリと挨拶を交わして少しだけ雑談をする。
そんな事をしながら店先を掃除していると、だいたいこのタイミングで声がかかる。
「おはよう、ティアお姉ちゃん」
「おはよう、エミル」
振り向くと、いつもと変わらない笑顔のエミルが歩いてくる。
「ティアお姉ちゃん、今日も綺麗だね。その服も似合ってる」
「ふふ、ありがとう。気をつけてね」
いってきまーすと手を振って登校するエミルに、手を振り返して見送るのにも慣れてきた。
そんな私達を見て、ユイリが微笑ましそうにしてるのが目に入る。
それにいつも、こそばゆい気持ちになる。
毎日同じように過ぎていく一日。
でもたしかに、違う毎日。
毎日積み上げられていくものに、私はたしかに幸せを感じてる。
今日も綺麗になった店先に満足していると、ふと影がかかった。
「ん?」
後ろを振り向くと、そこには上質そうなダスティラベンダーの服を着た綺麗な女性が立っていた。
◇◇◇◇◇
────知っている気がする。
見た事があるような気がする。
友人なのだろうか。挨拶をしている明るく穏やかな声は、耳に優しく心に響く。
どこか楽しそうに箒を使う動きに合わせて、緩くうねる栗色の髪の毛が彼女の柔らかさを表すように揺れている。
透き通り光を跳ね返す柔らかい肌も、健康的な血色を感じさせる頬の赤みも唇の艶も、初めて見る可愛らしい女性そのものだ。
──────やはり知らない。
彼女の身につけている淡いアイボリーのブラウス。
その生地は上品に艶があり見た目重視のように思えるが、実はとても柔軟性に富んでいて、着ている者の肌を傷つけないように作られている。
着ている者を包み込むような優しいアイボリーはたしかに、彼女のような人の服を作る時に最初に浮かぶ色だ。
そしてそのブラウスに合わせられているスモーキーブルーのスカート。
こちらも同じように内側から発光するような質感をしているが、もちろん着ている者を傷つけない生地を選び、動きを妨げる事がないようにデザインされている。
さらに内側には着心地が良くなるように配慮されて丁寧に作られているはずだ。
彼女の細く締まった腰に絡められているリボンが女性らしいラインを描いている。
慈しむような笑顔で、飾るように結ばれているリボンと上質なスカートが風に流れて揺れているその姿は、一枚の絵画のようだ。
静かに彼女を見つめていると、風がまた通り抜けた。
スモーキーグレーの髪が視界を遮る。
細い真っ直ぐな自分の髪を押さえて、そのまま惹かれるように彼女を観察する。
でも────私はこの女性を知らない。
だけどたしかに心にある、この既視感はなんなのだろうか?
彼女の身につけているスカートが、風に美しくたなびく様子に少しだけ誇らしさを覚える。
その服の事なら、誰よりもよく知っている。
ひとつひとつ丁寧に、“あの子”のために作ったから。
──────ああ、そうか。
彼女は“あの子”に、似ているのか。
ふっと、笑ってしまう。
“あの子”が彼女に服を譲る事はあるだろう。
売りに出す事も、あるかもしれない。
自分の中にまだある空洞に、冷たく乾いた空気が切り裂くように走る。
姿形はまるで系統が違うけれど、彼女は“あの子”にそっくりだ。
理解してしまうと、全てが腑に落ちてしまった。
点と点が繋がるように、全てが見通せた気がした。
彼女は少年にも挨拶をしている。
柔らかく微笑んで、挨拶を返された少年もとても嬉しそうだ。
(────優しい子)
優しく細められるその目に、笑顔に、それが滲んでいる。
ただ手を振るだけなのに、無意識にでも相手を想って考えながら手を振っている。
────好きだから。彼女は彼らが好きだから、そうしている。
こんな優しい場面なのに、心が小さく悲鳴を上げた。
ズンと重い、痺れるような感覚が体に広がる。
微笑む彼女の笑顔に胸が痛む。
まるで切り裂かれた後の傷がじゅくじゅくと膿み出しているよう。
目の前が滲む。
それでも自分にはそんな資格なんてないと、ぎゅっと目をつぶって心を殺す。
目を閉じても浮かぶ、彼女の笑顔。
心のどこかにずっとある、“あの子”の笑顔。
“あの子”だって、同じように優しい。
“あの子”だって、同じようにみんなを愛している。
だけど“自分がそうしたい”からそうする。
──────それがどれだけ、難しい事か。
“あの子”と同じ場所に立っていても、向いている方向が違う。
歩いてる方向が違う。
本当はあの子だって、あの場所に立てた子なのに。
私が間違えなければ“あの子”は彼女と同じ方向に向かっていたかもしれないのに。
足が勝手に動いていた。
気づいた時には彼女のそばまで来ていた。
人の気配に振り向いた彼女は、その顔に疑問を浮かばせながら首を傾げている。
──────ああ、私はまた、繰り返すのかもしれない。
また、壊してしまうのかもしれない。
それでも、この気持ちを押さえつける事なんてできなかった。
「────突然で申し訳ないけれど、よかったらあなたの名前を教えてもらえる?」
少しだけ、声が震えた。
喉の奥の方が震えて、なぜか涙が出そうになった。
────あなたを教えて欲しい。もっと、奥まで。
私はたしかに間違えたけど、決して本質は見誤ってなかったと。
今度は間違えない。
そう、教えて欲しかった。
◇◇◇◇◇
「────名前ですか? 私はティアと言います」
突然現れた女性に私は首を傾げながらそう答える。
女性は優しく微笑みながら頷いた。
「ティアさんね。教えてくれて、どうもありがとう。私はエレナ・リュシア。デザイナーをさせてもらってるわ。あなたと少しお話ができたらと思って、声をかけさせてもらったの」
そう言い、女性は笑みを深めながら私を静かに見つめている。
肩で切り揃えられた艶やかなスモーキーグレーの髪が通り抜ける風になびく。
それを上品に手で押さえながら、女性は少しだけ首を傾けた。
「リュシアさん……デザイナーさん、ですか?」
そんな人が私に何の用だろうか?
「ええ。よかったらエレナと呼んで? 実はティアさんが今着ている服は、昔私がデザインしたものなの」
「え!? そうなんですか?」
「ええ」
優しく微笑んだまま、私を見るエレナの瞳が小さく揺らぐ。
エレナはゆっくりと瞬きをして、想いを馳せるように噴水公園の方に目をやる。
口を開くが言葉が出ない。
エレナは言葉を探しているのか、一度深く呼吸をした。
そして私を見る。
「────誰かの事を想いすぎて、自分を削ってしまうような、とても優しい子のために」
「あ……」
クリスの笑顔が頭をよぎった。
胸の奥がきゅっとする。
無意識に左手で胸を押さえた。
ふ、と空気を和らげるようにエレナは笑った。
「あなたにも、とても良く似合ってる」
「えっと……ありがとうございます。どの服も素敵で大好きなんです。毎日、服を選ぶのが、楽しみになってます」
「本当に?」
エレナはその言葉にぱっと嬉しそうに笑みを深めた。
エレナの反応に小さく笑って頷いた。
「はい。毎日自分の着たい服を選んで、仕事や自分のやりたい事をする。そんな事、他の人から見たらきっと当たり前なんだろうけど、私には世界がひっくり返るようなとても大きな事件でした」
毎日が楽しい。
同じような日々が過ぎて特別な何かがあるわけじゃないけど、でも私はこんな日々をきっと望んでた。
穏やかで優しい、そんな日々が私は好きだ。
エレナは目を細めて私をじっと見つめている。
「──────そう。ティアさんは、素敵ね」
「そんな事ないです」
ふるふると首を振る。
私はやっと当たり前のところに来れたんだから。
「いいえ、輝いてる。静かに、でもたしかに、ティアさんは“そこ”にいるわ」
どういう意味かよくわからなくて、私は首を傾げる。
「私は、あなたがどんなふうに歩いて行くのか────見てみたい」
そう言うエレナは柔らかく微笑んではいるけれど、その目は真剣だった。
どう言ったらいいのかわからない。
困惑気味にエレナを見ていると、エレナは空気を和らげた。
「────ああ、ごめんなさいね。人を見るのが趣味みたいなものだから。……ティアさん。よかったら私の服を着てみてもらえない?」
「え?」
「私の服を、あなたに着てもらえると嬉しい」
「……でも」
「もちろん、強制はしない。もし着たいと思ってくれたらで構わないわ。そもそも服ってそういう物だから。どうかしら?」
「えっと…………エレナさんが、それでいいなら……」
でも本当にいいのだろうか。
出会ったばかりだし、そもそもなんで私なんだろうか。
この服をエレナが作ったからだったとしても、理由としては弱いように思う。
正直疑問しかないが、そう返されたエレナは嬉しそうに見えた。
「よかった。既存の物であなたに似合いそうな物を数点、持ってくるわね」
「……はい。ありがとう、ございます」
「こちらこそありがとう。ティアさんに気に入ってもらえると嬉しい」
さぁっとエレナとの間に風が通り抜ける。
今日はよく風が吹く日だなと、どこかでぼんやりと思った。
エレナはまた髪を手で押さえながら、私をじっと見つめている。
「────じゃあまた。大切な時間をありがとう」
「はい、こちらこそありがとうございます」
少しだけ目を離すのが躊躇われたけど、ぺこりと頭を下げた。
頭の上でまたエレナが笑った気配がした。
「今日は良い日になりそう。ティアさんも、良い一日を。それじゃあ」
「はい、エレナさんも良い一日を。お気をつけて」
ありがとう、と優雅に手を振ってエレナは去って行った。
不思議な人だった。
その後ろ姿がしばらく、頭から離れなかった。




