私が私であるために
「ティアちゃん、ごめん!!」
「毎日がんばって疲れてるんだから、そんなに気にしないで大丈夫ですよ」
エミルと別れクリスの家に帰ってきた。
そしてしばらくして起きたクリスからこうやってもう何度も謝られている。
まだ昼になっていない。
ゆっくり起きた朝ってくらいだ。
ベッドの上に正座して、クリスは自己反省を繰り返す。
「でも、夜通し話そうと言った途端に寝落ちだなんて……」
自分の所業が許せないのか、クリスは自分の顔を手で覆ってギリギリと指で顔を押さえ始めた。
「ちょっと!? 落ち着きましょう! クリスさん!」
慌てて止めると、クリスは弱々しく泣きそうな目で私を見上げてくる。
それでも自分の顔を締める手を緩ませないクリスにちょっとした怖さを覚える。
ゆっくり一本ずつ緩ませながら、クリスに向かってゆっくり大きく頷いた。
「大丈夫。私はこうやって自分のそばで寛がれたり、安心してくれたり、楽しんでくれるのが好きなんです。そのままの自分でいてもらえる事が好きなんですよ。寝る事って、その最たるものじゃないですか?」
ね? っとクリスに向かって優しく微笑みながら、すごい力が入っている指を緩める。
「……ほんとに?」
弱々しく言うクリスに頷く。
なんとなく感じるその裏にある気持ちに、安心してという気持ちを込めて微笑んだ。
「大丈夫。ほんとですよ。またお泊まりした時に、今度は一緒に散歩に行きましょう」
「……今度、一緒に?」
「はい。空気は澄んでて気分転換になるし、少し起きるには早いかもしれないけど、朝焼けと夜空が混じる空はすごく綺麗でしたよ」
クリスの顔に押し付けられていた両手をはがす事に成功する。
早起きして散歩しなくても、アルベルトにおすすめしてもらったケーキ屋に行くのもありだ。
そう言ってみたものの、まだどこか自分が許せないのかクリスの表情は晴れない。
うーん、と首を捻る。
「そんなに気になりますか?」
「……気になるよ。初めてお泊まりに呼んだティアちゃんをほっといて、寝てしまうなんて……!」
「あっ! ダメですよ!」
また両手で顔をギリギリしそうになるクリスを慌てて止める。
ギリギリしないようにクリスの両手を優しく握りしめる。
「そもそも私は寝る必要がないので、私を置いて寝てしまう事は本当に気にしなくて大丈夫ですよ?」
「え?」
「これが普通なので」
「え?」
「……え? どこか変でしたか?」
クリスは愕然とした表情で私を見つめてくる。
何かおかしな事を言っただろうか?
「ティアちゃん、夜、ずっと起きてるの?」
「はい。限界がきて意識を落とす事もあるけど、何もしなければずっと起きてます」
もともと人形だから人間みたいに睡眠が必要なわけではない。
寝るというか、人形に戻る事もできるけれど。
やってもやらなくても変わらないから、今はやってないだけだ。
クリスは視線を泳がせて、何か言いたげに私を見る。
それに応えるように私が首を傾げると、クリスが恐る恐る問いかけてきた。
「ティアちゃん…………聞いてもいい?」
「はい。いいですよ?」
握りしめているクリスの両手が、私の手を握り返してきた。
「…………さみしくない?」
私の心の奥で発する声を聞き逃さないとするように、クリスはじっと私を見つめる。
知ろうとしてくれている。理解しようとしてくれている。
心配、してくれている。
思わず、頬が緩んでしまう。
「──大丈夫ですよ。ちょっと暇ですけど」
じっと私を見つめた後、クリスはほっと息をついた。
「……大丈夫なら、よかった」
「はい。心配してくれて、ありがとうございます」
握り返してくれた両手にぎゅぅっと気持ちを込める。
がんばって普通を保とうとするけど緩んだ頬はもっと緩むし、口元もにまにましてしまう。
きっとだらしない顔になってる。
こんな心配は初めてで、だけどとても、心が震えた。
「ティアちゃん、夜が暇なら日記書いてみるのはどう?」
「日記、ですか?」
「うん。そのままその日あった事を記録したりしてもいいし、気持ちの整理ややりたい事を書いてもいい。絵を描いてもいい。ノートを可愛くデザインしてもいい。色々遊べると思うのよね」
「なるほど。それはちょっと楽しそうです」
そわっと心が弾む。
私の返事に、クリスの顔がほっとしたように少し明るくなった。
「よかったら朝食の後ちょっと買い物行かない? どう?」
「え、でも」
「お金は私が出すから大丈夫。お詫びはちょっと響きが微妙だから、私からのプレゼントって事で」
ね? と笑いかけてくれるクリス。
「……クリスさんがいいなら」
「じゃあ決まりね」
「……はい」
もう一度ぎゅぅっと手を握り返して、クリスが着替えるためにその手を離す。
柔らかくて温かい何かが湧き出している胸を、そっと押さえる。
嬉しいのになぜかほんのちょっとだけ泣きそうになる顔の歪みは、もう自分ではどうしようもなかった。
「……ありがとうございます、クリスさん」
「全く構わないわよぉ。せっかくだから可愛いノート見つけたいね」
着替えながらクリスは言う。
「……はい、すごく楽しみです」
声は、震えなかっただろうか。
白いシンプルな服が逆に綺麗さを際立たせてるクリスの背中が、少しだけ優しく滲んだ。
「というわけで、お泊まり会の報告と戦利品の自慢をしにきたわ」
晴々とした顔でクリスは店の奥から現れたジョイに言った。
ジョイは笑いながらクリスに応える。
「楽しめたみたいだな」
「最高に楽しかった!」
ジョイは笑いながらクリスに頷いた後、こちらを見る。
「おかえり、ティア。楽しめた?」
「うん! すごく楽しかった!」
「それならよかった」
ふっと、空気を緩ませるようにジョイは目を細めて笑う。
そんなジョイに自然と笑い返す。
「クリスさんに、ノートとペンを買ってもらったよ」
「ノートとペン?」
私は手に持っていた雑貨屋のロゴが入った小さな紙袋から、いそいそと鈴蘭の描かれた薄桃色ノートと小さなパールが揺れる上品に輝く桜色のペンを取り出す。
「クリスさんに日記をおすすめされたから、書いてみることにしたよ。日記を書いたり、可愛く装飾したり、色々楽しめるからって」
「なるほど。たしかに丁寧に一日を過ごしていく感じがしていいかもな」
「だよね?」
にこにこと鈴蘭のノートとペンを抱きしめる。
クリスは満足そうに私達を見つめながら、ジョイに言う。
「今度はティアちゃんの部屋にも泊まりにくるからよろしくね」
「ははっ、二人がいいなら問題ないよ」
「ティアちゃん、やったね!」
「はい、やりました!」
クリスと顔を合わせて笑い合う。
これは早く部屋にクリスを招待できるようにしないといけない。
「あと一応確認なんだけど、私の学生時代の服をティアちゃんに渡したんだけど、仕事中使える?」
クリスはそう言いながら服を入れていた紙袋をカウンターに置いた。
ジョイは紙袋をのぞいて頷いた。
「ああ。過度な露出と華美すぎない物なら特に問題ないよ。この制服だって俺が考えるのがめんどくさいから決めてるだけだし」
ジョイは流れるような動きで紙袋を工房の方に持っていく。
慌ててジョイを追って、私が持っていた服の入った紙袋もその紙袋と同じ場所に置いた。
「そんな理由だったの……」
クリスは制服を決めた理由に呆れた目を向けている。
「そう。俺、店長だから」
胸を張って言うジョイがおもしろくて笑ってしまう。
「じゃあ早速明日から着させてもらいますね」
明日が来るのが楽しみだ。
そうクリスに言うと、クリスは嬉しそうに笑った。
「うん、オシャレも楽しんでね」
「はい!」
「じゃあ、名残惜しいけどまたね。都合があったらまた遊ぼう」
「はい、また遊んでください! クリスさん、気をつけて帰ってくださいね」
「うん、ありがとう。ジョイも。またね」
「おう。またな」
クリスはカランと扉を開けて出ていく。
ひらひらと手を振って、夕陽がかかりだした通りに溶けていった。
(うっ…………さみしい)
今朝クリスに聞かれた時は気にならなかったのに。
今になって、さみしさが込み上げる。
ぎゅぅっと、ノート達を胸に抱きしめる。
クリスが去っても通りから目を離せずにいた私の頭にぽんぽんと、頭を撫でる感触がした。
後ろを振り返ると、ジョイがこちらを見て微笑んでいた。
「それだけ良い時間を過ごせたって事だよ。よかったな」
え、とジョイを見つめる。
ジョイは柔らかく目を細めた。
「きっとクリスも同じ気持ちだよ。また、遊んでやってくれな?」
そんなに顔に出ていたのだろうか。
どうして、クリスの気持ちがわかるのだろうか。
ジョイが人の気持ちを察するのが上手いから?
それとも見ていてくれるから?
────わからない。
でも、それがとても、心地いいと思えた。
「────うん、もちろん」
優しく微笑むジョイに頷きながら、ぎゅっとノート達を抱きしめた。
初めての日記を書く。
そう決意して自分の部屋のテーブルの上に鈴蘭が可愛いノートを広げ、白いパールが綺麗な桜色のペンをくるりと回して目の前にかざす。
(くぅ……可愛い……)
見てるだけで幸せになれる。
このペンで、今からこのノートに日記を書く。
あった事。感じた事。気づいた事。嬉しかった事。楽しかった事。
なるべくたくさんの事を記録していきたい。
もうすでにたくさんの事が起こった。もうすでに、たくさんの事を忘れたくない。
ノートにペンをつけようとして────ふと、私を作ってくれた彼の笑顔を思い出す。
優しく私を見て笑う、その笑顔が好きだった。
その笑顔が、今までの私の、何よりも大事なものだった。
私の、全てだった。
でも今は、そうじゃない。
それだけじゃない。
その想いと同じくらい、大事なものがたくさん増えた。
私の世界に、失いたくないものが増えた。
失いたくない笑顔が、増えた。
ペンをゆっくりと回せば、上品に光るパールがくるりと揺れる。
なんて贅沢なんだろう。
なんて幸せなんだろう。
それってなんて贅沢で、素敵な事なのだろうか。
「──────ありがとう」
言葉にならない気持ちが、ぽろりと溢れた。




