過去がまだ近くにある街で
「えっと、子供がたくさんいるところ、だよね?」
実際に行った事はないけれど、昔に名前だけ聞いた事ならある。
「……そう。保護者の養育が難しい子供が入る場所だよ」
「そうなんだ」
なるほどと頷く。
エミルはそんな私をじっと見て、少しだけ体の力を抜いた。
小さく笑って、足をまたぷらぷらさせながら前を見る。
「────うん。僕ね、汽車の運転手になりたいんだ」
「いいね、エミルっぽい」
頬を紅潮させて運転手のかっこよさを語っていたエミルを思い出す。
目をきらきらさせて、全身で大好きだって言ってた。
「汽車の運転手、似合う」
そう言うと、エミルは嬉しそうに笑った。
「ありがと」
「ほんとの事だから」
そんなエミルに笑い返す。
エミルは笑みを深めると、朝焼けが薄くなった空を見上げて目を細めた。
少しだけ影を落としたエミルの目に、強い光が宿っているようにも見える。
「誰もいなかったんだ。周りには相談しようにも先生と年下の子供達、学校の友達はまだそこまで将来について悩んでる人はいない。僕だけなんだよね。施設から社会人になっていくのは」
「それは……」
頼れる人も、心を預ける場所もなかったって事だ。
エミルの真剣な横顔を見つめる。
「ただでさえ不利なんだ。身元を保証してくれる親はいない。ちゃんと教育を受けられているのかわからない。そもそもそれ以前にまともに育っているのか、施設にいたって段階で、その疑いがまず入る」
エミルは真っ直ぐに私を見た。
「でも、まだ夢物語だけど、僕は本気で汽車の運転手になりたい」
私はエミルに向かって真剣に頷いた。
「うん、いいと思う。そもそも夢見たらダメなんてないし、なりたいものを追いかけるのは普通だよ」
「────うん、そうだよね」
エミルはふわっと何かが広がるように、表情を緩ませた。
真剣さを帯びていた目が少し和らぐ。
そして私に向かって意思を伝えるように頷いた後、何度かうん、うん、と自分の中で考えをまとめているのか一人で頷き始めた。
「────うん。決めた。ありがとう、ティアお姉ちゃん」
爽やかにエミルは笑う。
「こちらこそ。話してくれて、ありがとね」
二人で顔を合わせてまた笑い合った。
そうして思い出す。
私を作った時の彼は、ちょうどエミルくらいだったのではと。
彼は本当に、好きなように生活していた。
「────私の知ってる人は、エミルくらいの時はひたすら自分のやりたい事に没頭してたよ」
「そうなんだ?」
「うん。ちょっと変わってる人だったから、エミルの参考になるかはわからないんだけど」
エミルのように真っ直ぐに、自分のやりたい事に向き合っていたと思う。
ひたすら真剣に人形を作りつづけた彼は、いつしか“普通”を飛び越えていた。
「自分のやりたい事を追い続けて、気がついた時には飛び抜けていたよ。誰よりも」
「……誰よりも?」
「そう。誰よりも。だから、自分の心の声を大事にしよ。自分のやりたい事は、本当に無理だとわかるその時まで、向き合ってみよ。触れてみよ」
エミルは私の言葉を真剣に聞いてくれている。
「きっとそれが、自分に嘘をつかない一番正解に近い道だと思う」
どんな道を選んでも、選ばなかった選択への後悔は付きまとう。
それでも自分の心に寄り添えば、一番後悔は少なくなるはずだ。
「うん、わかった。そうしてみる」
少年はじっと私を見て、頷きながらそう言った。
「まぁでも、無理しすぎず楽しくいくのが一番いいと思うけどね」
私はいつのまにか力を入れていた肩から力を抜く。
ベンチの背もたれにゆったりと体重を預ける。
エミルが前のめりに身を出してきて首を傾げた。
「ティアお姉ちゃん、なかなか難しい事言うね?」
「だって、やっぱりこういう事はバランスが大事だと思うし」
「確かに……」
「でしょ?」
うん、と頷いていたエミルが、ふっと私の右後ろを見る。
さっきまでの柔らい表情が、少しだけ引き締まる。
「ん?」
コツ、と石畳みを歩く音が右後ろからしたと思ったら、人影がゆっくりとエミルにかかった。
「やあ、おはよう。今日も良い風だね」
柔らかいその声に釣られるように右に視線を滑らせると、そこにはグレーヘアを綺麗に整えたふくよかな男性がにこにこと笑顔で立っていた。
上下共に紺色の動きやすそうな服を着て、左手には手帳を持っている。
(────誰?)
エミルと共に挨拶を返しながら、見覚えのない男性に私は心の中で首を捻った。
「突然話しかけて失礼。楽しそうな雰囲気だったから、つい声をかけてしまった」
男性は胸ポケットから名刺を取り出して、私とエミルに渡す。
「私はアルベルト・ベッカー。記者をやっているんだ。あとふた月もしたら慰霊祭があるだろう? その慰霊祭と今年同時に行われる百年祭についての話を、よかったら聞かせてもらいたいんだ」
「慰霊祭? 百年祭?」
初めて聞く言葉に私は首を捻った。
そんな私にエミルが補足をくれる。
「慰霊祭は百年前の事件を悼む行事だよ。百年前の事件から今年がちょうど百年になるから、ここからは悼むだけじゃなくて、自分達の手で進んでいこうって行事が百年祭だよ」
「そうなんだ……」
あれから百年、わかってはいたけどこうやってわかりやすく可視化されてしまうと被害と時間の重みを感じてしまう。
アルベルトが少し意外そうにこちらを見る。
「お嬢さんは、もしかしてこの街は初めて、なのかな?」
「あ、はい。ティアと言います。こちらはエミル。私はここにはまだ来たばかりです」
「へぇ。それはすごい」
「すごい?」
どうしてそうなったのかわからない。
疑問を込めてアルベルトを見ると、アルベルトはどこかおもしろそうに目を細め、朗らかに笑った。
「ええ。ティアさんはとても、人を惹きつける魅力があるようだ」
「え?」
突然そんな事を言われて驚いてしまう。
アルベルトはじっと黙ってアルベルトを見ているエミルを見てにこりと笑みを深めると、自然な動作で手帳からペンを抜き取り手帳を開いた。
「じゃあまずはじめに、慰霊祭についてどう感じるか教えてもらえるかな?」
「慰霊祭の……その意味はわかるんですけど、その重みはまだわからない、と思います」
「……なるほど」
アルベルトはしばらく私を見た後に、手帳に書き込み始めた。
そしてアルベルトはエミルに視線を送る。
「君はどうかな?」
エミルはアルベルトの顔を見た後、視線を逸らす。
ぽつりと、こぼすように言葉を落とした。
「……僕は、いつも不思議だなと思ってる」
「不思議とは?」
「この時期になると、学校で頻繁に喧嘩が起こるんだよね」
「喧嘩?」
エミルが話しているのについ割り込んで聞いてしまう。
エミルは気にせず私にそう、と頷いて説明してくれる。
「慰霊祭って、百年前の事件をもう起こさないようにって気持ちから来てるんでしょう? それって、過去を悼む気持ちと、それを繰り返さないよう、それでも前に進もうって事だと僕は思うんだよね?」
「うん、私もそう思う」
「そうだね。私もそういう認識でいるよ」
私とアルベルトはエミルの意見を肯定する。
「だよね? だから不思議なんだよね? 過去を冒涜してるって言う人がいるの。失くしたものをそんなに簡単に忘れてしまってもいいのかって。誰もそんな事、言ってなくない?」
「たしかに、それは不思議」
「でしょう? それで喧嘩が始まるんだよね。だからいつも不思議だなと疑問に思ってる」
「なるほど」
アルベルトは手を高速で動かしながら興味深そうにエミルを見ている。
「でもこんな意見、必要? 何かの新聞か雑誌に掲載するんでしょ? 盛り上がらないよ?」
「いやいやいやいや、そんな事はない。とても参考になった。エミル君は賢いんだね」
「そんな事、ないけど……」
アルベルトに興味を抱かれたエミルはその勢いに若干引いている。
それでも褒められた事はまんざらでもないのかどこか嬉しそうだ。
「続けて百年祭についても聞いていいかい? エミル君の話はそこから続きそうにも思えるけど」
「うーん……そうだなぁ。正直百年祭って、慰霊祭より過去を忘れて次に進もうって強烈に受け止める人もいそう。今年はもしかしたら去年以上の喧嘩になるのかな」
「たしかに慰霊祭をそう受け止めてしまう人は、百年祭の意味を悪い方にずらしてしまう人もいそうだね」
「うん。この百年祭で、何か心が変わる出来事があればいいのになって思うよ。その人達の心も、良い方向に切り替わるといいね」
「そうだね」
うんうん、と頷きながらアルベルトは手帳に書き殴り続けている。
「ティアさんはどう思うかな?」
「うーん、そうですね……」
エミルの意見は素晴らしかった。
まだ十歳前後なのに、もうそんなにたくさんの事を考えてるのかと驚いた。
もう私の意見はいらないのでは? と思うけど、一応考えてみる。
朝焼けももうほとんど気配はなくなって、鮮やかな青が広がり始めている空を見る。
真っ直ぐに並ぶ噴水、綺麗に整った道、街並み、整えられた自然、早朝なのに活動的な人々。
その全てが、前はないものだった。
────ふと、思う。
当たり前になってしまっているのではないかって。
「…………気づけると、いいですね」
「気づけるとは?」
「────この綺麗な噴水公園や、街並み。穏やかに続く日常やここにいる人達の笑顔は、きっと百年前には一番欲しかったものだと思います」
なぜか急に涙が出そうになるのをゆっくりと目を閉じて堪える。
ゆっくりと静かに深く息をして、何かを言おうとしている胸元を両手で押さえた。
「……今ここにある全てのものが、昔にはなかった。今まで懸命に生きてきたから、今がある」
正面から私を撫でていくように柔らかい風が吹く。
少しだけ冷たくて、撫でるたびに、何かが澄んでいくような気持ちになる。
「もう持ってるんですよね。もう、道ができてるんですよね。当たり前に積み上げられる未来への期待、希望が、実はとても意味のある事だと、気づけるといいなって……」
ここまで喋って、はっとする。
上から目線で偉そうではないかって心配になった。
ぽかんとこちらを見てる2人を見て慌ててしまう。
「あの……偉そうですみません」
「いや、そんな事はないよ」
「さすがティアお姉ちゃんだなって思っちゃった」
アルベルトは真面目な顔で手帳に書き込んでいる。
エミルはいつもの笑顔で受け止めてくれた。
ほっと体の力が抜ける。
「よかったぁ……」
「ティアお姉ちゃんは真面目すぎるんじゃない? 基本的にティアお姉ちゃんは優しいんだから気にしなくていいと思うよ?」
「そうかな……」
「そうだよ。初めて会った時から、ずっと優しい」
にこりと、エミルは優しく笑う。
その笑顔に元気をもらう。
自然と頬が緩んだ。
「うん、ありがとう。エミル」
「どういたしまして」
二人で笑い合う。
アルベルトは書き終わったのか手帳をぱたんと閉じる。
優しく微笑んでこちらを見つめていた。
「君達は本当に仲がいいね。そうやって笑い合ってるから、最初二人は姉弟かと思っていたよ」
「そうなんですか?」
「うん。だから声をかけたんだ。深い声を聞けると思ってね」
目を細めて満足そうにアルベルトは笑う。
私とエミルを順に見て、小さく頷いた。
「朝から良い話と良い出会いをありがとう。とても素敵な時間だった。よかったらまた、話を聞かせてもらえると嬉しい」
「こちらこそ、初めての体験で楽しかったです。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
アルベルトはじゃあと踵を返して歩き始めたのだが、ふと何かを思い出したのかこちらを振り返った。
「そうだ。この噴水公園の端にあるケーキ屋さん、おいしいよ。生クリームが最高においしいからどのケーキも抜群にうまい。甘いものが好きだったらおすすめだよ」
じゃあね、とアルベルトはまた前を向いて歩き出した。
ぽむっとお腹を叩いて。
その姿がちょっとおもしろい説得力があって笑う。
「今度行ってみようかな」
「ティアお姉ちゃん、ベッカーさんみたいになるよ?」
「え?」
エミルが良い事を思いついたという顔でこちらを見つめる。
「まぁでも、いつか一緒に行こ?」
「うん、楽しみだね」
頷きながらそう言って、また二人で笑い合った。




