胸の奥の小さな灯
「えっ!? 汽車が止まってる!!」
「うそ、なんで!? 見に行こ!?」
汽車をじっと見つめている私の横を、声を上げて五、六人の子供達が過ぎていく。
なんとなく目を引かれて子供達の行方を見守る。
子供達は男女白いブラウスや白いシャツ、下は黒や紺のスカートやズボンを履いた統一感のある格好をしている。
「初等部の子達ね」
「初等部?」
「この街の中央南東部にある初等部、学校よ。十歳くらいの子が通ってる場所ね」
「ああ、なるほど」
私を作ってくれた人も、私を作った時はまだ学校に通っていた。
たしか私が作られた時は中等部、だっただろうか。
(この子達が大きくなったら、その学校に行くのかな?)
そんな事を考えたら自分がすごくお姉さんになった気がした。
汽車に群がっている子供達の目が興味にきらきら輝いていて微笑ましい。
(可愛い)
汽車の事を話しているのだろうか?
近くにいる大人達も混じって、神妙に話し合っている。
にこにこしながらその様子を眺めていると、後ろから声がかかった。
「お姉ちゃんも汽車が好きなの?」
「え?」
後ろを振り向くと、私の胸くらいの身長の少年がこっちを真っ直ぐ見ていた。
さっき横を走って行った子達と似たような白いシャツに紺のズボン、右手には黒い鞄を持っている。
明るく透けるような琥珀色の髪に、それを淡く艶やかにした目がきらりと私に興味を向けていた。
「お姉ちゃんも汽車が好き?」
そう言って、少年は少しだけ首を傾げている。
「えっと、初めて見たから、まだよくわからないかな?」
「え、初めて?」
少年は驚きに顔を染める。
私は少年に向かって頷いた。
「そう。私、汽車って初めて見たよ。というか、この街の景色は初めてのものばかりかな?」
「そうなの?」
「うん、そうだよ」
「熱心に見つめてたから、お姉ちゃんも好きなのかと思った」
「好きかどうかは、まだ何も知らないからわからないかなぁ」
目を閉じると目の前に、今とは違うもっとのどかな、でも確かにこの街だった映像が浮かぶ。
(一緒にお出かけした事も、あった、けど……)
私を作ったばかりの頃は、私を作ってくれた人と一緒に外に出た事もあった。
それでも家で人形を作る事が好きな人だったから、数えるほど。
そのあと私が自分の足で出た時はもうあちこちが壊されて、私が見た事ある景色はもう無かった。
――――壊したくなかった。
あの人が大事にしていた景色が壊れた姿なんて、見たくなかった。
胸の前で両手を握りしめて、汽車に集めっている人達を見つめる。子供達の興味でいっぱいの輝いてる顔を見つめる。
百年前は、苦しかった。
それでも今は。
「――――こうやって、人は進むんだね」
あの時見た景色は一変していて、新しく作り上げて積み上げてきた物は、どこまでも前に進もうとしている。
もう知っているものがない事に、少しだけ痛みを覚える私もいる。
それでもあの痛みを乗り越えてきた人達に、尊敬の念を覚えた。
「――――すごいね」
少年は私を少し不思議そうに眺めて、ゆっくりと私が見ている方を見る。
「……あの汽車は、この街で一番新しい型なんだよ」
少年は汽車の方を見ながらゆっくりと話し出す。
「あの汽車、ここから見ると一部しか見えなくて黒い四角い物体に見えるけど、ほんとはもっと滑らかな曲線でかっこいいんだよ。あの汽車が出来上がった時、僕達初等部の生徒みんな、乗せてもらったんだ」
「ああ、あったわねぇ。最新型で今までの汽車とは作りが段違いらしくて、みんな盛り上がってそれを見に行ったのよね」
ユイリが思い出したようにそう言った。
少年がユイリの言葉を肯定するように頷いた。
「そう。走りももちろん静かで速いし、揺れないし。これで今までと桁違いの燃費の良さなんだ。内装もすごくオシャレで」
あの時を思い出したのか、少年は私を見て嬉しそうに目を細める。
「あの日、みんなが線路に沿って並んでさ? すごかったんだよ」
「そうなんだ?」
「そう。見渡す限り人ばっかり。たくさんの人が手を振り合って、そのままハイタッチして、楽しんでこいよ! って声かけてくれてさ。全然知らない人なのに、みんなにこにこして笑い合うんだ」
「それはすごく素敵」
「でしょ!?」
少年は前のめりで話してくる。
「しかもさ?」
「うん」
「運転士さんが、めちゃくちゃかっこよくて」
「うん」
興奮してきたのか、少年の目が徐々にきらきらして、頬も紅潮してくる。
「街の人の声に応えるように、白い手袋をはめた手を振るんだ。もうそれが、最高にかっこ良過ぎて……!!」
「めちゃくちゃ刺さったんだね?」
「そう!! こんなかっこいい人がいるんだって思った……!!」
少年は目を輝かせ、手を握りしめる。
本当に大好きなのが伝わってくる。
微笑ましくて、つい顔が緩んでしまう。
ユイリを見ると、ユイリも少年の事を微笑ましそうに見守っている。
「安全に乗り心地よく運転してるのもすごいのに、みんなの期待に応えてるのも、余裕があってかっこいいね」
「そう!! お姉ちゃん、よくわかってる!!」
少年は食いつくように満面の笑みでそう言ってくる。
(可愛い)
少年が可愛くて思わず笑ってしまう。
「でしょぉ?」
「うん、やっぱりお姉ちゃんは、絶対汽車が好きになるよ。今度乗ってみて。本当、最高だから」
「そうだね、乗ってみる」
休みでお給料をもらったら、一度乗ってみよう。
少年がこれだけ夢中になる理由がわかるかもしれない。
「うん、乗ってみて乗ってみて」
「うん、そうするね」
にこにこしながらおすすめしてくれる少年が可愛くて、思わず髪でふわふわしてる頭を撫でてしまう。
「えっ!?」
「あっ」
少年が驚きに目を見開いて私を見る。
やってしまった。
「ごめんね。可愛くて思わず」
ぱっと手を引くと、少年は撫でられた頭を手で押さえた。
さっきまでの興奮が一気になくなって、無表情になって下を向いて沈黙してしまう。
どうしよう。悪い事をしてしまっただろうか。
「あの……ごめんね」
私がそう言うと、少年は顔を上げて何かを言おうとした。
数秒、口が言葉にならない言葉を紡いだけれど、それは言葉にならずに少年の中に飲み込まれた。
少しだけ泳がせている目を、私に向ける。
「いいよ、大丈夫。……でも、そろそろ行かないと遅刻するから、行くね」
「うん。汽車の事、教えてくれてありがとう。いってらっしゃい。気をつけてね」
少年はまた何かを言おうとして、でもそれもすぐに霧散させてしまった。
そして小さく寂しそうに笑った。
「こちらこそ、ありがとう。……いってきます」
少年はバイバイと手を振って、汽車の所に走って行った仲間の所に真っ直ぐに歩いて行った。
少年の背中を、少しの罪悪感で見送る。
楽しそうだった顔を最後に消させてしまった事が、胸にのしかかる。
「多分だけど、そんなに気にしなくてもいいと思うわ」
「……そうでしょうか?」
ええ、とユイリは頷いた。
優しく微笑んで私を見る。
「本当に嫌だったら怒ると思うから、悪い方向じゃないと思う」
「…………たしかに」
少年は笑顔を消してしまったけれど、大丈夫と言ってくれた。
ふっと、ユイリは笑った。
「あなたも十分、可愛いわ」
「え?」
「さて、そろそろ働きましょうか。ティアさん、もし花が必要なら、うちをよろしくね?」
「え? あ、はい! それはもちろん!」
「ふふ、期待してるわね。じゃあ、またね」
「はい、また!」
にこやかに手を振って、ユイリはジョイの隣にある花屋に消えて行った。
ユイリが来ているエプロンと同じ淡い桃色と白を基調にした店舗だ。
優しい雰囲気のユイリにとても似合っている。
ユイリに合わせて作っているのだろうと思って、心がほくほくした。
◇◇◇◇◇
「ティア、おつかれ。もうここはいいから準備しておいで」
「うん、ありがと。ジョイもお疲れ様」
私が店内最後のお客さんの会計を済ませた時に、作業場から顔を出したジョイから、そう声がかかる。
ああ、一日終わったんだなって思うと、ほっとして自然と力が抜けた。
(ふわぁぁ……)
気づかないうちに張り詰めさせていた体も緩む。
やばい。今は少し動けない。
壁に寄りかかりながら少し休む。
ジョイはそんな私を見て笑った。
「初めての事は緊張するよな。でもめちゃくちゃ助かった。ありがと、ティア」
「それなら嬉しい……!」
私はちゃんと仕事ができたのだろうかって、正直不安しかなかった。
できない事がたくさんあり過ぎて、何度も何度もジョイを呼んだ。
これ、ジョイは自分の仕事できてる? 私にばかり時間を取ってしまって、逆に仕事が滞るのでは? って焦りと不安でいっぱいになった。
私にこの仕事ができるのだろうかって、やってみようなんて思わない方がよかったんじゃないかって、そんな事も思った。
「全部自分でやらないといけなかったから、本当に助かるよ。ティアは人当たりも柔らかいし優しいし、計算もしっかりしてたから、安心して見てられたし」
「うわぁぁぁジョイぃぃ」
優しい言葉すぎて、ジョイが輝いてみえる。泣きそうだ。
これからも私はがんばります。精一杯がんばります。
「ははっ、ティアがここでの仕事が大丈夫そうで、俺も嬉しい。これからもよろしくな?」
「うん、こちらこそよろしくお願いします」
寄りかかっていた壁から体を起こして、ぺこりとお辞儀をする。
「うん。ありがと、ティア。じゃあ、俺はもう少し作業するから準備しておいで。もう少ししたらクリスも来ると思うから」
「うん、わかった。じゃあ行ってくるね」
「ああ、いってらっしゃい」
そう言ってジョイは作業に集中し始めた。
ジョイを見ながら、作業場のドアを開けて家に向かう。
(…………全部一人でやってた?)
たしかにジョイはそう言った、よね?
一日働いて、こんなに緊張して疲れるのに?
家のドアを開けて入る。
(生活があるから、私がどうこう言える事じゃないけど……)
階段を登りながら、ジョイの部屋に続くドアを見つめる。
きちんと休みは取れてる? がんばりすぎになってない?
ジョイの傾向から、がんばりすぎる様子は容易に想像できる。
(うーん……私が頼りになるかわからないけど、仕事はがんばるとして)
ジョイが無理してると思ったら止めに入ろう。
(うん、そうしよう)
自分の部屋に戻り、クリスが用意してくれた日用品から必要そうな物をまとめて鞄に詰める。
それを持って、店に戻った。
「ティアちゃん、お疲れ様! 今日はどうだった?」
店に戻ると、クリスが爽やかな笑顔でそう声をかけてくる。
ちょうど入れ違いになったみたいだ。
クリスの笑顔で空気が一気に華やいだ気がする。
ジョイは店の外に出て閉店の準備をしているようだった。
「クリスさん、お疲れ様です! 今日は初めて仕事をしました」
「あら、働く事にしたのね。初めての仕事はどうだった?」
「わからない事、だらけでした……!!」
自分の想像に反していかに私が動けなかったかを思い出して、肩を落とす。
クリスがそんな私を見て笑った。
「大丈夫大丈夫。みんな最初は同じだから」
「そうですか? 私、何度もジョイを呼んで、何度も仕事を中断させてしまいました」
「ふふ、良い事良い事。ジョイは本職で店長で、もう長い事この仕事やってるからね? 新人に仕事を教える事なんて当たり前だから、気にしたらダメ」
「でも、私覚えが悪くて……! よく考えたら、そんな事聞かなくてもわかるのに……!」
自分の不出来さに、過去の自分を消したい気持ちがわいてくる。
うわぁぁと止めきれなかった心の叫びを、そのまま口に出しながら顔を手で覆った。
クリスはおもしろそうに笑った。
「ティアちゃんいい。見込みあるわ」
「だろ?」
カラン、と呼び鈴を鳴らしながらジョイが店内に戻ってきて、クリスの隣に並ぶ。
「ええ、そしておもしろい」
「接客もうまいぞ。お客ではないけど、もうユイリさんと仲良くなってたし」
「ふふ、そうなんだ。ティアちゃん、優しいものね」
どうしよう。
褒められてるのが恥ずかしくて、顔を上げるタイミングがわからなくなった。
固まってる私にまたクリスは笑ったような気がした。
頭にぽんと、優しい感触がした。
「ジョイはもう行けるの?」
「ああ」
「ティアちゃんは行ける?」
「行けます!」
ぱっと顔を上げてクリスに答える。
クリスは微笑みながら頷いた。
「オッケー。じゃあ行きましょうか」




