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イライラする。単調なビート、単調な進行、ベースの音にも華がない。リードも、入りたての軽音楽部生が1日で弾けてしまいそうな。
「ああ、すごい人を見つけてしまった!」
「一生ついていきます」
Youtubeのおすすめに流れてきたそのコメント欄のユーザーたちはボーカルの端正な顔に反応しているのか、その歌詞に反応しているのか。
机の横のキーボードの電源をつけ、メロディをなぞってみる。この曲で唯一褒めるところがあるとすればこのキャッチーなメロディとマスタリングエンジニアの技量だろう。同じメロディでavoid note を入れた進行を考える。同じメロディでノれるビートと、凡夫が思いつきもしないだろうフィルインを考える。ベースも、もっとやりようがありそうじゃないか。
そのボーカルの名前をYoutubeで検索し、ヒットしたインタビュー動画を覗く。
Q:制作時、どうやって「これでいいな」と判断されるんですか?
A「私は、もうイイッて思ったらOK出しちゃいます。感性で決めちゃってますね」
Q:MVにも力を入れて全てに携わってるそうですけど、どうしてなんですか?
「歌詞やメロディや、それが乗っかるMusic videoも含めて一つのアートだと思っちゃってるんで、おこがましい限りですけど。こう関わってないところで物ができていくのが不安なんです」
そうか。彼女からしたらこの極所最適も全体最適もされていない進行も、独自性のかけらもないリードギターも、初心者に毛が生えたような16Beetも全て込みでアートなのだ。
「チッ」
後ろ足とくちばしを使って器用に本を読んでいたカラスはが面を上げた。
「どうしたッ」
僕は、適当に返事をし、カバンを持って家を出る。
「どこいくんだッ」
「ついてくればわかりますよ」
とにかく苛立っていた。
「機嫌が悪いなッ、珍しいじゃないカッ」
「そうですか?」
そういえば、舌打ちなんてしたのはいつぶりだろうか。
「頭が冷えてきたカッ」
カラスはいつものニヤけづらでこちらに話しかけてくる。
「夜風にあたったので」
空には朧に月が浮かんでいた。
この街は日本地図からしたら辺境の田舎ではあるが、中心には駅があり、駅の周りには夜の暇を潰すための飲み屋が自然と集まり、一定の経済資本が定期的にそこに流れる。そうして、数十年前の高度経済成長の香りだけを残し、動的平衡的に続いているこの街はサビと苔にまみれ、白髪混じり、関節をきしませて今なお活動を続けている。国という生き物が、あるいは社会という動物が、老化し、皺を寄せている。その衰退した細胞にも少なからず血液はめぐり、ミトコンドリアはATPを合成し、酒が見せる幻想によって細胞小器官たちは今夜も赤い顔を笑顔で満たしている。
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通知を告げてバイブするスマホの画面を覗いた少しあと、ピカソのカラフルなキュービズム(題名は知らない)が全面に押し出された建物に到着する。絵画は足元から頭上40cmほどまでの大きさがある。
「ここカッ」
「ええ」
僕はその絵に書かれた女性の目線の先、地下に繋がる階段を降りる。この付近数ブロックは比較的新しい店、小洒落たバーなどが軒を連ねているが、ここは、暇を持て余した人間たちが集まるただのライブハウスで、僕は定期的に、だいたい一ヶ月に一回程度のペースで通っていた。
階段を降り、扉を開ける。中には受付があり、いつもはそこからでも音が漏れているのだが、今日はかなり静かだった。それどころか、人の気配もない。明かりもついていない。
「だれもいないなッ」
肩にかけた鞄の紐を少し引っ張り、靴を床にとんとんと打ち付けてから、恐る恐るホールの扉を開ける。
ステージには薄明かり上がりが灯っていた。少し中に入っていくと暗くてわからなかったが、ホールの中央には一つだけ椅子がおいてある。イスを目指して歩いていると目端に異様な光景を捉えた視神経が首をステージに釘付けにする。
そこには巨大なりんごが置かれていた。よくよくみると何か文字が彫ってある。
「Au revoir」