大事な日です
『ふ、あ………。』
チュッ。チュッ。チュッ……………。
鼻先に頬に瞼に音を立てながら柔らかいものが触れていく。
トクン、トクン、トクン。
自分の心臓の鼓動がどんどん早くなってきて……苦しい。痛いくらいに胸がキュンとして……身体が火照る。
『貴女は迂闊にも雄の匂いをつけすぎだ。』
何でえ?
涙で潤んだ瞳の先にはディーン様の顔があった。
首筋に唇が触れる。
ドクン!
ひときわ大きく心臓が跳ねる。
どういうわけか、ディーン様にベッドドンされていた。
『熊と豹とユリウスの匂いを書き換えてあげる。』
ディーン様は耳許でそう囁くとギュッと私を抱き締めた。
あああ。
途端にディーン様の匂いが濃くなる。
アスラン様と同じ匂いだ。頭の中がふわふわしてくる。
ああ……この匂い好き。好きっ。もっといっぱい欲しい。
にへらと微笑んで、ディーン様の胸に顔を埋めた。
と、いう……ハレンチな夢を見て、
朝っぱらから私は、ベッドの上で頭を抱えてのたうち回っていた。
うわ! 何これ! 恥ずかしい!
コロンコロンとシーツの上を右に左に転がる。
あー! どうしちゃったの? 私っ! 恥ずかしすぎ! 何で? 何で? 何でこんな……。
更に転がりながら真っ赤に湯だった顔を両手で隠して呻く。
嫌ああっ! こんなエロい夢……何で見ちゃったのぉ?
「ティアーナお嬢様。お医者様をお呼びしましょうか? 奇行が酷すぎます。」
うえええん! サリナこそ酷いよ。
そんな白い目で見ないで!
「お嬢様、今日は大事な日でございます。そろそろお支度を。」
うん。
そうだった。
昨日……
有無をいわさずディーン様に抱っこされて部屋まで運ばれた後、お父様とホワイトナイト様、クラウスが訪れた。
そして、私とディーン様を含めた五人以外は部屋から閉め出された。
「ティア、疲れているだろうが早急に情報のすり合わせをしておきたい。」
部屋の中央にあるアンティークなテーブルを囲んで、皆が椅子に座ったのを確認したお父様が口を開いた。
私がさらわれた当日のことからだ。
あの日、公爵家に張り巡らされていた結界が破られると同時に空気中に強い催眠作用のある夢見香の薫りが散布された。それは魔法ではないので魔導師に感知されない。つまり、侵入されたのは感知できたが屋敷の人々が全員眠ってしまい護衛までもが眠りにより排除されるのは予見できなかったということだ。
だが、それは建前で、ホワイトナイト様は、
「折角、さらわれたのですから、背後に誰がいるのか探りたいですね。」
と、鬼畜にも私がさらわれるのを敢えて見逃したのだ。
私、一応……護衛対象なのにあんまりだ。泣きたくなった。しかも、もうちょっとで死にそうな目にあうところだったんだよ。オネエ司教とかマジでヤバい奴だったんだからね。ホワイトナイト様に恨みがましい目を向けてしまったのは仕方がない。
「それで、ティアを見失うとはどういう事だ。アレク! 詰めが甘かったんじゃないのか? そうか、お前にティアの護衛は荷が重すぎたようだな。降りるか? 」
お父様が鬼の形相でホワイトナイト様を睨み付けた。
「たまたま、ディーンが東の砦に出向いていたときだったので少し守りが薄かったみたいです。ふふふ。ティアにはちゃんと目印をつけてありますし、すぐ見つけましたよ。ああ、ティアが『猫ちゃん』と呼ぶあれは流石でしたね。夢見香に抵抗して眠らずティアを追いかけて行きましたから。あれの機敏な対応で見つける時間が格段はやくなりましたね。」
ホワイトナイト様はすっと目を細めた。
猫ちゃんは私を助けてくれようとしてくれたものね。並大抵の護衛よりよほど頼りになる。
ホワイトナイト様が『私を餌にした』ってお父様が言っていたのはこの事だったのね。
それにしても、目印って何?
GPSとか体内に埋め込まれていたりしたら怖いんですけど?
「なにしろ、あの時点で、氷の鬼総長も八方塞がりだったでしょう? 」
お父様に向かって、ホワイトナイト様。
……煽っている?
「ティアに頑張っていただいたので、漸く……ティアを狙う者たちが見えてきました。」
ホワイトナイト様は背筋が凍りつくような冷たくも美しい笑みを浮かべた。
いいえ、これは……私を狙った者たちに対してとてつもなく怒っているんだ。
「おい、アレク。 部屋の温度を下げるな! ティアが風邪をひくだろう! 」
「氷の鬼総長、貴方に言われたくないですね。」
「いちいち氷の鬼総長呼ぶな! 鬱陶しい! 」
お父様? これは本当にお父様? お父様だろうけれど、この口調……全然慣れないよ。
お姉様はこんなお父様を知っているのかな?
そんなことを考えていたから、「ティア! 」と呼ばれているのに気がつくのが遅れてしまった。
いけない。いけない。
気持ちを引き締めないと。
「では、ティア。さらわれている間にあった事を一つ残らず話しなさい。」
お父様に促され、私は白一くんの事と前世の記憶を思い出した事以外は全てを話した。
さらったのが異教徒たちらしいこと。
何故か自分を聖女だと思い込んでいること。
オニキスという名前の神を信仰しているらしいこと。
悪魔らしきものがいたこと。
どうやら自分はその神の生け贄っぽいこと。
オネエ司教がその盲信教団の幹部っぽかったこと。
逃げださなければ、穢れの中に入れられそうだったこと。
……などだ。
上手く伝えられたかな?
皆は真剣な面持ちで耳を傾けていた。
多分ちゃんと伝わったはず。
それと、後もうひとつ……。
心に重くのしかかる。
ユランさんのことを言わないといけない。
眠り続ける病のことを……。
お父様が私みたいにお母様のことを思い出して悲しい思いをするのは嫌だ。
どう話せばいいの?
逡巡する。
お父様を見つめる私の顔が、緊張で強ばっているのがわかる。
かなり思い詰めた表情をしていたのか、お父様は顔色を変えた。
「ティア、どうした? 」
……どんな風に伝えても結果は同じだ。お姉様と話し合って、お父様の前でお母様のことを話すのをやめてから五年。お母様が亡くなったときのお父様の生気を失ったような姿。思い出すだけで、本当に辛くなる。お姉様、ごめんなさい。お父様をまた苦しませてしまうかもしれない。
私は腹をくくる。
「お父様、私が脱出するために雇ったユランさんのことです。ユランさんの村では、女性が次々と倒れて眠り続けてしまう奇病が流行っているそうです。」
お父様の赤い瞳が揺れる。
「わかった。」
お父様は感情を殺した声で短くこたえただけだった。
会話が途切れる。
「では、次は、こちらの話です。」
唐突に、今まで黙って話しを聞いていたクラウスが口を開いた。
「ティアーナのヴィオラス王立ミカエリス学園の特例試験ですが、明日、面接だけになりました。ユリウス陛下が推薦してくださいましたので。」
えええええええっ?
という訳で、これから面接なのだ。
読んでくださりありがとうございます(*´▽`)
いいね、ブックマーク、評価をありがとうございます。
執筆が遅めではありますが皆さまが楽しんでくださるよう頑張ります。




