異教徒の聖女
「お目覚めでございますか?」
不意に声がして驚く。女の人の声だ。
「は、はい。」
返事はしてみたものの頭の中が大混乱していた。
貴女は誰?
いつからいたの?
ずっとそこにいたの?
さらって来た私に、どうして丁寧な口調なの?
私を着替えさせたのは貴女?
カーテン越しにこちらに近づいて来るのが見えた。
「失礼いたします。」
言葉と共にサッとカーテンが開いた。
そこには黒い修道服を着た年配の女性が立っていた。髪を覆うベールで見えないが、暗い茶色の髪を後ろでひっつめているようだ。
「貴女様をつつがなくお迎えできましてこの上もなき喜びにございます。我らが神オニキス様もお喜びになるでしょう。」
焦点の定まらない目で、うっとりとした顔に得体の知れない薄気味悪さを感じてゾクリとした。
「私めが心を込めてお世話をさせていただきます。私は、ラムダと申します。聖女様、よろしくお願いいたします。」
えっ?
この女の人……ラムダさんは今何と言った?
とんでもない言葉を聞いた。
聖女様?
なにそれ? 突拍子も無い! それも、私に向かって言った。
どうして聖女がでてくるの? 聖女って……詳しくは知らないけれど、光魔法の素質のある女の子が女神セレネ様の神託で見いだされて神殿に入れられて修行をしてなるのよね。しかも、現在本物の聖女は存在していなくて、仮の聖女ばかりだと聞いている。なぜなら、聖女は女神さまを身体に降ろすことができる特別な存在だからだ。ある時期を起点にして1000年後に現れると伝承に残っていると……お妃教育の折にアスラン様と一緒の授業で学んだ気がする。アスラン様と一緒の授業とは王家の機密事項の授業だ。
私はそんな大それた者じゃないよ?
何の力もないし、生まれてから16年そんなことを言われたこともない。
勘違いしているんじゃないかな? それか、誰か別の人と間違えているとか。
私は、普通の公爵令嬢よ。あれ? 普通の公爵令嬢って何? 自分で自分に突っ込んでしまう。それ程、私と聖女は無縁だ。
「あの、私は聖女では無いです。お間違いでは? 」
首を傾げて聞いてみる。すると、
ラムダさんは恍惚とした表情を浮かべた。
「ああ!そのように聖女様はお思いになられるだろうと我らの神オニキス様は仰いました。間違いございません。貴女さまこそ聖女様でございます。」
狂信的なものを感じる。取りつく島もない。
我らの神オニキスって何? メイヴェ王国は女神セレネ様を信仰している。私はオニキスなんて神は聞いたことがなかった。確かヴィオラス王国も女神セレネ信仰だったはず。異教徒なの? オニキス神が仰った……と言っていたけれどその神はそんなに良く話すの? 神託で? まさか直接ではないよね。そんな神なんて知らない。でもそれだと、神が私をさらうことを指示したということにならない? それはあまりに荒唐無稽だ。そもそも何故ここで神が出てくるの?
「でも、本当に聖女では無いのです。私には何の力もありませんし。私を屋敷に返してください。」
「これから司教様のところへお連れいたします。」
話しが噛み合わない。ラムダさんは一方的に話す人なの?
私はさらわれてきて無理矢理ここにいるのに、そういう認識が全く無さそうなラムダさんは気味が悪い。
司教様がいるということは、ここはどこかの神殿か教会なの?
「さあ、お召替えいたしましょう。」
私に手を差し出してくる。
すごく嫌な感じがしてしまう。目を細めて笑っているけれど、ねっとりとした纏わり付くような視線を向けてくる。
気持ち悪い。
手を取るのを躊躇していると、掴まれてしまった。
それだけでも嫌悪の気持ちが高まる。
これまで他者に対してこんな風になったことなどなかったのに。
掴まれた手を引っ張られベッドから降ろされた。
そして、あっという間もなく着ていた服を脱がされた。
本当に纏わり付く視線が気持ち悪い。
どうしてそんな目で私を見るの? 見るというより、値踏みされている気がする。
必死に耐えていると、いかにも高価そうな肌触りの純白の修道女の服を着せられた。髪を櫛で綺麗にとかし頭にベールを着けられる。
「おおお、良くお似合いでございます。聖女さま。
我が神オニキス様のもとへ捧げられるのです。清らかで美しくなくてはなりません。」
ラムダさんは陶酔したように頬を薔薇色に染めた。
怖い。
言っていることも意味不明だし、頬を染める理由もわからない。……本当に怖い。
捧げるって何?
生け贄か何かなのだろうか?
察するに、ここは狂信的な異教徒の溜まり場なの?
私は、何故か、そういった者たちに聖女扱いされてさらわれたと。
もう、勘弁して欲しい。
私が何をしたというのだろう?
この短い期間に一生分のトラブルにあっている気がする。
こんなこと言っちゃ駄目なんだけど……
アスラン様を幸せにする前に……
このままだと、私、死んじゃいそうだよ。
宙を仰いで肩を落としている私に、ラムダさんは恭しく頭を下げた。
「参りましょう。聖女様。」
ドクン!
その瞬間、何かが変わった。ラムダさんの何かが変化した気配がした。
心臓がバクバクしてくる。
足元から恐怖が湧いてくる。
黒いドロドロした不浄のものがユラユラと空間を裂いて漏れだしてくるような……。
ラムダさんの身体がぶれた。縦へ横へと歪んで人の形の境界が揺らぐ。
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