『壺』のありか
というわけで、ざっくりと言い換えるならだ。
4つの屋敷が作る結界は、喩えるなら強大なリソースを有するスーパーコンピュータ。そして『壺』は、それを利用するためのインターフェース、とでもいったところだろうか。
スーパーコンピュータが駄目なら、クラウドでもネットワークコンピュータでもシンクライアントでもサーバークライント型システムでも、どれか自分が理解できるやつと置き換えて欲しい。どうせ意味は同じだ。
で、これをどう始末するかだが。
その前に――
「おまえ、ダレダ」
――俺は、訊いた。
廊下のちょっと離れた場所に突っ立って、こっちを見てる奴がいた。
「え、あ――俺は……」
男だ。年齢は30代前半といったところ。着てる衣服は、平民のレベルであれば決して粗末ではない。四角い印象の顔で、ぎょろりとした目をしばたたかせている。それが、男をいかにも実直そうに見せていた。そして実直だから故に溜め込んだ鬱屈を、打ちこわしに乗じて晴らしに来たといったところか。
「何か盗んだか?」
「い、いや。いえ……そんな、何も」
「女を犯したか?」
「いえ! そんな……してません」
「こいつが、誰だか分かるな?」
「は!……はぃ」
シンダリを指さして訊くと、男が頷いた。
俺は言った。
「とっとと行け――シンダリが、お前の顔を憶える前にな」
シンダリを知ってるからといって、シンダリが『スネイル』の配下と知ってるとは限らない。だが、金持ちの家に押し入って顔を憶えられたら、後に何が追っかけてくるかは明らかだ。
苛烈な報復である。
「ひっ!…………」
男は後ずさると、身を翻して駆け出した。
それを見送りながら、俺がこんな質問をしたのは、完全な興味本位でだった。
「探して、見せしめにするか?」
「いえ――その必要は、無いでしょう」
確かにそうだ。シンダリが手を下さずとも、既に罰せられてるのと変わらない。あの男は、これからずっと怯え続けることになるのだ。いつ訪れるか分からない処罰の日に。不安に追われる毎日は、いっそ早く罰して貰った方がマシだと思えるほどに違いない。
それよりもだ。
俺を見る、シンダリの目が変だった。
「……どうした?」
「いえ、その……ですね」
もじもじしてというか、ちょっと躊躇った様子の後、いつしか慇懃になった言葉遣いで、シンダリが言った。
「私も、こんな稼業ですから。天才、秀才、馬鹿。天使のごとく清らかな子や、あるいは物心付く前から性根を腐らせた生まれついてのド外道。はたまた一見善良そうに見えて実は外道にすらなれない単なる能無し。大人も子供もいろんな人間を見てきましたが……あなたみたいなお子さんは、見たことが無いんですよ。これは他意のない、まったくの興味本位で訊かせて頂きたいんですが……ねえ、あなた。本当は、子供じゃないんじゃないですか?」
「実は、40歳を過ぎてる」
「よ、40歳……ほお! 40歳!」
「!!」
危うく、俺は悲鳴をあげるところだった。
むくむく……ぎんぎんと。
シンダリの股間が盛り上がり、ズボンの布地をぎちぎち張り詰めさせていた。
「40歳……40歳! あぁあああ。40歳!!」
俺が『40歳』と言った途端に、そうなったのだ。
いったい、どんな性癖だよ。
無視して、話を進めることにした。
「改めて訊くが ――『壺』はここに?」
「はあ、はあ……ええ。先週運び込まれました。ボスは自らここの鍵を開けて、お籠りになられたんですよ」
改めて『鎖』で確かめたが、やはりシンダリは、嘘は吐いてない。
通信の魔道具で、俺はイゼルダに問い合わせた。
ここ以外の屋敷では――
『あー、そっちもそうなんだ。プルキデもね、『『壺』はこの屋敷にある』って言ってるの。ナンバーキもメスイキもそうみたい。みんな、そう言ってるのよ。なんていうか……予想通りよねえ』
――イゼルダの言う通り、まったく予想通りの結果となっていた。
『じゃ、始めちゃおっか』
「そうですね」
というわけで、作業に入る。
『壺』――『スネイル』の力を封じた結界を、始末する作業だ。
木剣を手に顕し、その先端で、俺は壁を擦った。
よく研がれたノミのイメージで、壁土を削り落としていく。
「……?」
背後から伝わってくる、シンダリの困惑。
それは、俺の行為に対してのものではない。
行為が現す、事実に対してだ。
いつから、ここに埋められてたのだろう?
やがて、それが露わになった。
石版だ。
大人の手のひらから、僅かにはみ出すくらい。ここが異世界であることを忘れて喩えるなら、厚みも含めて、ほぼカマボコ板と同じ大きさだった。表面には、俺には解読しようのない文字の連なりが彫り込まれている。
懐から出した呪符で、俺は石版を包んだ。
そして――
『じゃあみんな準備は出来たみたいね。行くよ――3、2、1、0!!』
「せいっ!」
――イゼルダの合図に合わせ、石版を叩き割った。
ぱりん。
するとシンダリが、驚愕した顔で俺を見た。
正確には、俺の背後を。
「扉が……消えた?」
シンダリには、見えていたのだ。
『扉』が。
もちろん、現実にはそんなものは無い。
そこにはただ、壁があるだけだ。
「見せられてたんだよ。『扉』も――『壺』も」
ここに『壺』があると言った、シンダリの言葉に嘘は無い。
だが、シンダリの知ってるその事実事態が、嘘だったとしたら?
実体としての『壺』は存在しない。
それが、俺達の推測だった。
『スネイル』の幹部たちは、存在しない『壺』を囲んで話し合い、『壺』の中にいるボスに助力を乞い、『壺』を運び、その『壺』を持ってボスが『扉』の向こうの部屋に籠もるのを見送って来た。
『壺』とは、彼らの幻惑された意識に巣食って駆動する、観念の機械だったのだ。
シンダリに、俺は訊いた。
「『壺』は、どんな形をしていた?」
シンダリの肌が粟立ち、汗が球となる。
そんな質問は、何の疑問も無く無視してきたのだろう。
無視できたのだ――これまでは。
『スネイル』という稀代の魔術師の作った、結界が機能している間は。
しかし、もう無理だ。
結界を成す石版は、既に壊されてしまった。
さて、それで何がどうなるか。
『あー、来た来た。よおし、みんな戻れ~』
廊下の窓から覗く、外の景色。
そこには、巨大な『壺』が現れていた。




