窓の外の人影
雨が振り、火事も止んで。
街を歩いて気付いたのは、火災のピンポイントさだ。燃え落ちたのは、一軒単位。つまり火事となった家から、隣近所への延焼が一切見られなかった。ここらへんが、王都での襲撃とはちょっと違った。
『お昼に、あそこに集合ね』
イゼルダの言った通り、お昼にはみんなで集合した。集合場所の宿は、火事の影響も無くすす汚れすら見られない。中に入ると、ロビー兼食堂にたむろする客は、商人や金を持ってそうな冒険者がほとんどだった。何故かみんな、ほくほく顔である。
「分かってるのでしょう。何が起こったかがね。誰が勝ったかは先ず置いて、彼らには、金の動く機会が生まれたこと自体が好ましく感じられるのですよ」
耳打ちするウィルバーに、俺は答えた。
「分かります――景気とはそういうものですものね」
テーブルについて料理を頼むと、椅子のクッションにお尻が沈み込むのはともかく、体中の重みがそこに向かって吸い込まれるような感覚になるのに驚いた。認めがたいが、俺は自分で思うより疲れていたらしい。そして突然思いがけず落ち着いてしまったらしかった。いかんいかんと思いながらも、まぶたが重くなっていく。ええと、こういう場合は……
「ちょちょちょ、クサリちゃん!」
……イゼルダが慌ててるので椅子の上に飛び上がると、みんなが驚いた顔で俺を見てた。俺の手のフォークを。さて、俺は何をやっていたのだろう? 眠くなって、それで……ああ、そうか。眠気覚ましに、太ももをフォークで刺そうとしていたのだ。もちろん、自分の太ももを。
「そんなに眠いなら、ここ。ここに来て」
「ふええ……」
何だか眠気に逆らえずポヤんとした状態の俺は、椅子から降りると、促されるままミルカの膝へと横座りになった。そのまま「はい。あーん」と口に運ばれるシチューや肉団子をひな鳥のごとく咀嚼する体たらくである。生きてきた年齢でいうなら、俺は40代のおっさんである。しかし、幼女としての眠気が、分別やら羞恥心を霧散させ、ミルカに甘えるままとなってしまっていた「あーん。もぐもぐ」。ついでに性欲とか助平心まで消し飛ばされてしまってるのが、唯一の救いといえば救いか。
王都でもそうだが、襲撃の間、ミルカが何をやっていたかといえば、上手く言い辛い。王都では馬車で移動していたし、ここではウィルバーと街を歩き回っていたらしい。こういう場合、往々にして答えはそのまんまだ。
ミルカの『黒い代行者』は、いったん発動してしまえば、命令を完遂するまで彼女の制御を離れ、途中で止めることすら不可能。おそらくその間、ミルカに求められるのはただ一つ――生きて、在り続けることなのだろう。だから馬車に乗ったり、歩き回ること自体が彼女のやるべきことなのだ。
「ほーら。かぼちゃの惣菜パイですよー」
「ほんむほむほむ」
宿の料理は、美味だった。冒険者ギルドの料理は、言ったら悪いが熱くて味が濃ければ何でも良いという思想に基いた、脂肪とアルコールを胃の腑に効率よく運ぶためのカロリー摂取ツールに過ぎなかった。洞窟で爺さんと食ってたものについては、何もかもが麻痺して味なんて感じてなかったし、王都に来てから出された食事も、不味くはなかったが、会社の創立記念日に配られる仕出し弁当みたいな味気無さだった。まあ、あれはあれで嫌いではないが。
最後はワインで眠りこかされ、俺はどろどろに熟睡した状態でベッドに運ばれた。どれくらい眠っていたかは、体内時計に頼るしかない。しかし目覚めは、はっきりしていた。ララアが死んだ時のアムロみたく頭の中に白い泡がシュワーッとなったような混濁から、一瞬で覚醒。ばちりと目を開くと、隣には下着姿のミルカ。俺も、下着姿だった。
「うんぐうぐうぐ……」
ベッドサイドにあった水差しの中身を、一気に飲み干す。
「アタマ、いたぁい。痛い……痛いよぉ………」
ずきずき痛む頭を抑えながら、窓辺へ。
窓を開け。
そして、吐いた。
「おんげげぇえええっ!!」
「!!」
「うぉしゃ! 穫ったど!」
窓の外で身をかわしたそいつを、俺は掴んで部屋に引きずり込む。隠蔽系の術式で姿を隠し、窓から中を覗いてやがった。床に叩きつけて、バウンドしてる途中から、腹に膝を落とす。
「ふっ、ふぐっ、ぐっ……」
隠蔽の術式が解け、そいつの姿が顕になった。黒ずくめで顔を隠した、まるっきり忍者だ。膝で腹を踏んづけられた状態から、身を捩らせて逃げようとしてる。でも逃げられない。
「無駄だよ」
ゲロと共に痛みの去った頭で、俺は告げる。いま俺の膝は『吸着』のイメージで床と繋がっている。間に襲撃者の腹を挟んで。つまりいま襲撃者は、磁石で冷蔵庫に貼られたママからの伝言メモみたいな状態になってるというわけだ。
「ま、待っ……て。敵、じゃない。『スネイル』の敵。あたしらは……『スネイル』の敵だから。だから『スネイル』を襲ったアンタ達が誰なのか……知りたくて」
ふうん、と声がした。
「あんたは『スネイル』の敵。こっちも『スネイル』の敵。だったら、一緒に戦いましょうって?」
いつの間にか俺の背後に立ってた、イゼルダが言った。
それが、今夜の戦いの始まりだった。




