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【完結】境界を行くもの 箱庭の街  作者: Thera
Ep.01 少女たちの邂逅
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追憶の夜。そして

 

「っくしょい!」


 ここは学院都市郊外に位置する『ソームズ牧場』、その一角。家畜小屋の隅に腰掛けていたイリスは、ド派手なくしゃみを炸裂させた。


「やだ、風邪かしら」


 身震いし、石組みの窓に近付く。山裾に広がる街は橙色の街灯(あかり)を灯し、地上に星をばら撒いたかのようだった。

 よいしょと背伸びをして、イリスは窓の前に垂れたタペストリーを降ろした。

 遮断される冷気。かわりに漂い始めるのは、わら草と獣のすえた(・・・)においだ。


「こら! それは食べ物じゃないから、触っちゃだめよ」


 イリスが振り返り、慌てて駆け寄ったのは家畜ムフローの子供だ。興味津々に食まれかけていた本を取り上げると、イリスはわらの山に潜り込んだ。冷気からの絶対防衛線を築くためだ。

 わらの保温力は、満足のいく結果だったのだろう。ひょこりと顔を出したイリスは、笑みを浮かべた。


「さてと」


 独りごちて、『機巧大全』と記された表紙をめくる。それは、学院が開発した機巧たちを、精緻な画録(フォト)で紹介された目録(カタログ)だった。

 

 一般人でも使える物から、星沁干渉力──才ある者しか使いこなせない機巧まで。日常生活用機巧のページは、鼻歌まじりに読み漁り。工業用ページは食い入るように見つめ、脱線したとばかりに首を振りページをめくる。

 

 最後に開いたのは、戦闘用の機巧が掲載された章だ。といっても、他の章に比べれば圧倒的に紹介数が少なく、説明も極端に簡素になっている。


「やっぱ、日雇い傭兵に買えるようなヤツは少ない。開発支援者(スポンサー)になりそうな人間用の、軽い紹介って感じね」


 爆発を伴う斧。風の力で勢いを増す戦鎚(メイス)。追尾補正が付けられる拳銃に、それらの攻撃を防ぐ星沁防壁の発生装置。


(どれもが斬新……そして単純(・・))


 目録を閉じたイリスは、静かに嘆息した。

 視線を落とすのは、夜空色の刀身を持つ戦闘用の短刀杖だ。単純な現象しか起こせない一般的機巧とは違い、複雑な術式の入力に対応し、かつ小型という超高性能仕様。

 目録で分かるのは、イリスが手にした機巧が、子供の小遣いで手が届くはずがない品だというくらいだ。


「何なのかなぁ。こいつも、私も(・・)


 つぶやいた声は、家畜の甘えたいななきにかき消される。しきりに頭突きする家畜をいなす少女の手つきは、非常に手慣れたものだった。


「イリ坊、ばぁさんが呼んどるよ。飯の時間……おや。おや」


 小屋に入ってきたのは老人だった。家畜に甘えられる少女を見て、老人は顔を綻ばせる。


「その子はすっかり、イリ坊に懐いたなぁ。ムフローってのは、それなりに気難しい種なんだが。ところで、その本は?」


「機巧の目録。学院の図書院で借りてきたの」


 わらの中、老人に見えない角度で短刀杖を小鞄(ポーチ)に隠すと、イリスは立ち上がった。


「こりゃ驚いた。イリ坊はもう本が読めるのかい?」


「ほとんど読めてない。でも、絵が綺麗なのよ」


 老人は少しだけ黙り、目を細めた。


「そうかい。イリ坊は、難しいお話が好きなんだなぁ」


 小屋の周囲に広がる草原には、雲のような花を付けたトモガラソウが一面に広がり、淡く発光している。

 おかげでランプがなくても明るいのだが、少女の表情は夜の影に隠れていた。


「……さて。今日は何の話をしようか、イリ坊」


 老人は家のドアを開けながら言った。


「遊び歌を覚えるのもいい。お前さんはまだ子供だからな。ムフローの乳をうまく加工する方法も重要だ。わしらはこれが仕事だからな。それとも」


「これ、じいさま」


 ふいに、家の奥から聞こえた声が、老人の言葉をさえぎった。


「お喋りもいいけど、早く手を洗うんだよ。イリ坊ったら、わら(・・)だらけじゃないか」

 

 エプロンで手を拭きながら出てきた老婆は、イリスの服についたわらをつまんで落とし始めた。ところが、割れ物を扱うような手つきな物だから、いつまで経っても終わらない。


「自分で落とせるわ、大丈夫」


 イリスは苦笑しながら、老婆をそっと押しのけた。

 この家は家畜小屋と同じ、古い石造りだ。地面には熱を維持するために乾いた枯れ草と毛皮が敷かれ、灰色の壁にはくすんだタペストリーがかかっている。


 つまりは機巧ひとつ置いていない、時代錯誤の古い家だ。暖炉上に置かれた鮮やかなポストカードど、イリスが持つ機巧目録だけが、年代を知る指標になれるだろう。


「今日のご飯はシチューだよ。さぁ、手を洗ったらテーブルについて。おしゃべりは、お祈りを済ませてからだよ」


 老婆に促され、イリスは席に着いた。湯気がたつ食事を前に、淡々と手で印を作る。


「恵みの母、大地の化身たるアラディルよ」


 老婆が目を閉じうつむく。


「今日の糧、御身の恩恵に感謝と祈りを捧げます」


 老人がかすれた声で、女神への賛美を捧げる。暖炉の火が弾け、祈りの印を作る老人たちの影を壁に伸ばしていた。


「……いただきます」


 イリスが最後に言葉を紡ぐと、穏やかな晩餐(ばんさん)がはじまった。

 温かいシチューにパン。薄切りにした乾酪(チーズ)とベーコン、ボウルいっぱいの木苺が並んでいる。


「イリ坊は木苺が好きか。それは良かった。苦手なものはあるのか。乳料理が苦手なら、無理しなくて良いのだからな」


「じいさま、食事中だ。質問責めにするもんじゃないよ」


 身を乗り出す老人に、少女は笑顔で言った。


「気を遣わないで、ソームズのじいさん。ばあさんも。どれも大好物よ。嫌いなものは、今のところ思い付かない」


「そうかい。それは良かった」


 その後は沈黙と、食器がぶつかる音が続く。シチューが空になり、木苺のボウルも底が見え始めた頃。


「この街……学院都市チチェリットは、いつから『学院都市』なの?」


 イリスの問いに、老人は顎に手をやった。


「学院都市の始まりか。わしのじい様の頃には、まだ都市なんてもんはできていなかった」


 ひげを撫でながら、老人は続けた。


「この辺りの歴史に興味があるなら、博物院に行っておいで。博物院は、学院の構内にあるからね」


 老人の言葉に、イリスは目を見開いた。


「本当? ありが……」


 しかし。少女は直後に口を閉じ、玄関を見ると立ち上がった。老夫婦が顔を見合わせる中、少女は素早く食器を洗い、奥に続くドアに手をかける。


「ごめんなさい。私、先に寝るわ。おやすみなさい」


「あぁ、おやすみイリ坊」


 少女は微笑むと、扉の向こうに姿を消した。そして、待つこと数分。ドアが開くのを見て、老人は微笑んだ。


「お前が来るのだと、すぐ分かったわい。あの子は耳が良いなぁ」


 老人が話しかけたのは、まだ若い青年だった。みやげ物らしい乾酪(チーズ)を机に、機巧仕掛けのランプを壁にかけて、青年はため息をつく。


「父さん、母さん。まだあの子供を、ここに置いてるのか」


 青年は眉を寄せながら続けた。


「商会の奉公に出せば良いだろ。あそこなら住み込みで働かせて貰えるし、三、四年もすれば嫁の貰い手も付くだろう。うちでわざわざ育ててやる義理はないんだよ」


「そうは言ってもね。あんな様子の子を奉公に出すのは、かわいそうだろうよ」


「あんな様子? はっ、父さんたちは人が良すぎるんだ」


 青年は口を歪めた。


「記憶喪失なんて、嘘に決まってる。十歳やそこらの子供ガキが、記憶喪失であんなに落ち着き払ってるワケがないさ」


 食べ物をたかるための戯れ言だ。吐き捨てる青年と老夫婦の会話を、少女はドア越しに聞いていた。


「……。さっさと寝よ」


 目を伏せて、イリスはベッドに倒れ込んだ。月光が床に影を伸ばす。カーテンが子守唄を歌う様に、穏やかに揺れている。

 若草色の瞳を伏せて、少女は夢の中に意識を沈めていった。


 

◇◇◇


 

 『私』は覚えている。帝国辺境の町、アナストリア。

 それが、『私』の育った町の名前だ。


 周囲を森に囲まれた、本当に穏やかな町だった。

 暖炉の火。揺れる祖母の安楽椅子。壁を彩るタペストリー。床に敷いたわらと、窓辺に吊るしたハーブのにおい。


 遊び疲れて家に帰れば、優しい祖父母が迎えてくれる。母親は『私』を生んですぐに亡くなったそうだし、父親は知らない。

 最初から両親の事を知らなかった『私』は、特段そのことを気にかけたりもせず毎日を送っていた。


 そんな生活が壊されたのは、『私』が六歳の頃。真夜中に放たれた火によって、町は大混乱に陥った。

 混乱する私を、祖父母は食器棚に隠した。何があっても出てきてはいけない。声を出すな。

 祖母の笑顔、部屋の扉を押さえる祖父の後ろ姿。窓の外の赤い色。全部鮮明に覚えている。


「どうか、あなたは生き延びて。私たちの大切な──」


 扉が壊された。侵入者の大剣が、短槍が、炎に刃を光らせる。

 彼らは全員、赤い髪をしていた。炎と同じ、刃を濡らす血の色と同じ赤い髪。

 彼らは異教徒だった。帝国の支配から解放されるべく、自らの力を示すべく、この町を見せしめのように燃やした。

 老人二人という簡単な獲物を前にして、奴らは、笑っていた。


『───!』


 奴らは一瞬で祖父母を殺したらしい。悲鳴はあっさり途切れた。

 戸の隙間から見ていた『私』は動けなかった。声をあげられなかった。


 恐怖からじゃない。怒りで、憎しみで感情が埋め尽くされ、他の事が考えられないくらい白熱していた。

 けれど頭は冴えていた。『私』は弱者だ。女で子供、社会的弱者の典型例。真正面から突撃して行っても、何もできずに終わるだけだ。


 それならどうする。どうするべきだ。腕っぷしに頼らず、生き残る為には。

 そんな事を考えている間に、家に入ってきた三人のうちふたりが出て行き、一人が残ったという事が声から分かった。


 三人の中で一番若い男。『私』は、そいつが食器棚を空けるのをひたすら待った。

 側面に掛けられた包丁を手に取り、息を潜めた。


 やがて好機は訪れた。そいつが扉を開け、身をかがめた瞬間。『私』は──。

 

次話からは毎日更新を予定しています

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