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【完結】境界を行くもの 箱庭の街  作者: Thera
Ep.01 少女たちの邂逅
3/54

機巧と祈祷

 

(変わった子だったなぁ)


 時同じくして、チチェリット学院の研究棟。本を抱えた紫苑は、研究室棟の方面に足を進めていた。

 目的地に近付くにつれ、磨き上げられた廊下に怪しげな置物や砂埃が増え始める。壁に立て掛けられた棚には、手入れの怪しい植物鉢が並ぶ。ちなみに、棚の形は緩やかな人型。古い時代の棺を改造して作ったのだと、制作者が自慢げに話していたのを紫苑は聞いていた。


(ここの皆さんも、十分変わっているとは思うけど……)


 見上げた扉には、『術式文化学研究室』との看板が下がっている。ためらいがちに扉を開けると──


「締め切りが俺を! 翻弄するーッ!」


 寄声と共に、羊皮紙の束が宙を舞っていた。


「あ、あのう」


「今だそこだ……覚醒せよ僕の頭脳……ヒラメキ・キラメキ・シメキリ……ひひひ締め切りが追いかけてくるよオ……」


「ただいま戻りました」


 奇声を上げながら机にかじりつくのは、紫苑より三つ四つ年長の学徒達だ。奇行を繰り返す彼らを避けて、研究室の奥へ。最奥部にはもう一つの部屋があり、中にいる男性の声が聞こえてくる。


「──であるから、施薬院用機巧の供給数を最大にするべきだ。教会の圧力がかかる前に、関係都市に配置を進めてくれたまえ」


 伸びた茶髪を束ねた後ろ姿。遠隔通話を可能とする機巧に話しかける間も、ペンの動きは止まらない。

 彼こそがこの〈術式文化学研究室〉の主人(あるじ)にして、紫苑を引き取ったエリック・オードラン教授だ。


「──というのは、異教徒弾圧と内戦の影響だろう。移民の増加と共に、住民からの苦情も増えている。雇用政策については、来月の自治都市合同会議で……」


 次々とかかってくる遠話(フォン)を捌きながら、一枚、また一枚と羊皮紙を仕上げていく。とても話しかけることができず、紫苑は教授室に一番近い椅子にちょこんと腰掛けた。

 年長者たちの喧噪に混じれない寂しさを紛らわすように、抱えていた本の一冊と、ノートを開く。ちっとも頭に入ってこない文字列を追いながら、時間を潰すのに専念していると。


「あらぁ、戻ってたのねぇ」


 大人びた女学徒が、紫苑に歩み寄ってきた。

 研究室にいる学徒の中では年長の方で、年の頃は十代後半。品の良いブラウスとスカートからは、ほんのりと柑橘のような香りが漂っていた。


「ジェシカさん」


「勉強を見て貰いに来たんでしょう? 私で良ければ、教えてあげるわよぉ」


 椅子を引っ張ってきて、紫苑の隣に腰掛ける。にこにこと微笑む女学徒に「ありがとうございます」と頭を下げて、紫苑はためらいがちにノートを差し出した。


「この記述なんですけど、ちょっと意味が分からなくて」


「ああ、これは特殊な術式だからねぇ。解き方は……」


 言葉を交わし、ペンを走らせる。先達(ジェシカ)の解説が分かりやすいとはいえ、『術式』と呼ばれる概念は十一歳の紫苑(こども)にとって非常に難解なものだ。

 すぐに集中力の限界が訪れて、紫苑は机に突っ伏してしまう。そんな紫苑を微笑ましそうに眺めながら、ジェシカはマグカップとクッキー缶を取り出した。一時休止という事らしい。


学院都市(チチェリット)での生活には慣れたかしらぁ? よその都市から来る学徒補はまだ寮に入ってないから、同い年の子は少ないと思うけど」


 小皿に空けられるクッキーは可愛らしく。ティーポットから注がれる紅茶からは、爽やかな柑橘のにおいがする。

 クッキーに伸ばしかけた手を止めて、紫苑はジェシカの方を見上げた。


「そういえば、さっき、面白い子に会ったんです」


「面白い子?」


「わたしと同い年くらいの女の子だったんですけど、戦闘用の機巧付き杖(テクノワンド)を使いこなしてたんです。動きながら術式を組み立てるなんて、すごいなあって」


「……その子、その場で術式を組み立てていたのぉ? 事前に組まれた術式を機巧に読ませるとか、登録された式を選んでたんじゃなくて?」


「はい! わたしも、あんな風に術式を立てられるようになればなぁ」


 何気ない言葉のつもりだった。それこそ、未来に希望を抱く少女らしい純粋な言葉に、先達(ジェシカ)は。


「ダメよぉ、危なすぎるから」


 冷静に。しかし、わずかに声を震わせながら、紫苑を遮った。


「えっ?」


「私たちが扱う『星沁機巧』はね。紫苑ちゃんがお母さんから習った『祈祷(きとう)術式』とは、事象発現の手法が全然違うのよぉ」


 言いながら、ジェシカは椅子に座り直した。真正面から紫苑を見据え、マグカップを横に置く。


「紫苑ちゃんが覚えている術式は、資格(・・)のある人間が、神への『祝詞』を完璧に歌い上げる事で発現する。そういう物よねぇ?」


「は、はい。朔弥で信仰されている神様への祈りなので、帝国(イウロ)の人が同じ方法でお祈りをしても、発現しない……と、思います」


 ジェシカの発言に、紫苑は首をかしげる。その反応も想定済みだったのか、ジェシカは辛抱強く言葉を続けた。


「紫苑ちゃんの使う術式──『祈祷術式』と呼ぶわねぇ? この術式を、私や他の学徒は使えない。それはね、私たちが帝国人で、信仰する神が違うからってだけじゃない。『こうあって欲しい』という自分の想像を、祈りを、世界に忠実に反映するだけの才能(・・)が無いのよぉ」


 己の意思で、世界を構成する最小単位──『星沁』に干渉する力。星沁干渉力と呼ばれる才能の有無が、『朔弥式』の成功率を決めている。

 

「イウロ人は、周辺諸国に比べると、星沁干渉力が低い民族なのよねぇ。だから、道具に頼らざるを得なかった。欲しかったのは、生まれつきの才能に左右されない技術。誰でも、分け隔て無く恩恵を授かれる、奇跡の絡繰り。その願いから生まれ、進歩してきたのが『星沁機巧』なのよぉ」


 星沁機巧は、『祈祷術式』で言うところの『人の意思』を、精密な機巧の動きで代用している。

 だからこそ詳細な術式を立てられるが、不完全な入力は許されない。扱う術式によっては、自身の身に危険が及んでしまう。


「教授でさえ、口頭入力は滅多にやらないのよぉ」


 ジェシカは、冷静に言葉を続けた。


「やるとしても、機巧に事前に登録した術式の基盤(ベース)を選んで、少しだけ式を加えて発動するって方法が多いの。一から十まで術式を練り上げるなんて……正直、紫苑ちゃんくらいの年の子にできるとは」


 ──到底思えない。きっと、紫苑は機巧の扱いに長けていないから、勘違いをしてしまったのだろう。ジェシカが結論付けようとした時だった。


「その話は本当かね?」


 頭上からの声。同時に、皿に盛られたクッキーがつままれ、消える。

 視線を向けると、眼鏡の男性──エリック・オードラン教授が、クッキーを頬張っている最中だった。


「エリック先生。でも、今の話を聞いちゃうと勘違いかもしれないなって」


 エリックは紫苑の言葉に、緑眼を細めた。


「そもそも、機巧に組み込む術式を自力構築する技術が生まれたのも、最近の話だ。機巧の方が、多様な術式に対応できていなかったからね。経験の浅い紫苑くんが迷うのは、当然の話だ」


 ジャム入りクッキーを飲み込み、ハーブ入りクッキーへ。目を閉じ満足げに味わいながら、エリックは続けた。


「どのような姿の機巧だったかね。その子が持っていた機巧付き杖(テクノワンド)は」


「ええと、杖は杖だったんですけど、短刀の形をしていて」


 紫苑は、宙を仰ぎながら続けた。


「蒼い刀身に、金色で装飾したナイフ型です。刃の根元にスイッチとか、計測器(メーター)がたくさん付いていました」


「──何だと?」


 エリックは困惑したように眉をあげた。


「確かなのかね? ……いや、君が嘘をつく理由などありはしないな。ありがとう」


 エリックはやや低い声で礼を言うと、上着(ジャケット)に袖を通した。


「また話を聞かせてくれたまえ。数刻で戻る」


 それでは、とだけ言って、エリックはするりと廊下に出ていった。その後ろ姿を見送ると、紫苑はジェシカを仰ぎ見た。


「どうしたんでしょう、エリック先生?」


「さぁ……?」


 顔を見合わせても、答えは出ない。何でもない日常、穏やかな昼下がりの刻。紅茶から上がる湯気は、ゆっくりと冷めかけていた。


 

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