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【完結】境界を行くもの 箱庭の街  作者: Thera
Ep.01 少女たちの邂逅
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少女たちの語らい

 

 ──めっちゃ変な子に関わってしまった。

 それが、湖から紫苑を引っ張り上げた『少年』もとい、少年と間違えられた少女イリスが抱いた感想だった。


「わ、ありがとう。そろそろ泳がなきゃ行けないなって、思ってたんだ。沈むから!」


「泳ごうとするまでの判断遅くない?」


 辛辣ぎみに突っ込むが、少女は満面の笑みを返してきた。夜明けのような蒼紫の髪には、水草が絡まっている。

 腰丈までしか濡れていないイリスと違い、彼女は全身ずぶ濡れで、小刻みに震えていた。


「……取り敢えず、上がるわよ」


 少女の腕を掴んで立ち上がらせると、そのまま浅瀬へ。乾いた上着を頭から被せてこすると、少女は猫のようにもがき始めた。


「ふぁう、だ、だいじょぶだから、その」


「うっさいわね、乾くまでは黙ってなさい」


 衝動的に投げ込んでしまった気まずさも相まって、イリスは、目をそらしたまま言葉を紡いだ。


「っていうか、ここじゃ風が当たるわよね。取り敢えず学舎の中に」


「だからっ、大丈夫なんだよー!」


 少女の言葉と同時に、風が止まった。代わりに、動きを止めたイリスの……いや。少女の足元に、光の方陣が展開された。


「これは」


『深き処に住まう者、あわいの世に生きる民よ』


 奇妙な反響を伴った声が、隣から響く。同時に、周囲の空気が暖かさを帯びたかと思うと、蛍のような光が舞い上がった。


『風となりて水源(みなもと)より至り、我が祈りの言の葉を聞け』


 少女を見ると、胸元の鈴を抱くように手を合わせている。その姿はまるで、祈りを捧げる巫女のようだった。


(祈祷の星沁術式……)


 〈機巧〉の代わりに〈祭具〉を。物理現象をねじ伏せ定義する〈術式〉の代わりに、〈神への祈り〉を用いて、世界に介入する。

 使う手段は違っても、少女がやろうとしている事はイリスと同じ。意思の力で物理現象に介入し、加速させる奇跡の行為だった。


「わたし、風の術式なら少し使えるから。え、えいーっ!」


 あまり迫力のない気合の声に、ぽふんっと暖気が弾けた。さっきまでびしょ濡れだったイリスの足も、少女の身体も、術式のおかげですっかり乾いている。

 ただ、術の勢いが良すぎたのだろう。少女のスカートは、乾いた事が嬉しくて仕方ないとでも言うように、元気に舞い上がった。ちなみにイリスは、ズボン着用だった。


「はわぁーーーーっ⁈」


 どや顔から一転、赤面してスカートを押さえにかかった少女。その姿があまりに滑稽で、イリスは思わず吹き出してしまった。


「あはは!」


「笑わないでよぅ」


「だってあんた、どや顔しといてそれは……面白すぎ!」


「むっ。元を言えばあなたが」


 何か反論を言いかけた少女に向かって、「水色だったわね」とひと言。それだけで百面相を繰り広げてくれた少女は、鈴の音を乱発させながら絶叫した。


「言わなくていいよぅ! ……それで、あの。さっきは本当に」


「構いやしないわ。私もあんたを投げ込んだから、お互い様って事で」


 笑いながら手を振り、イリスは草地に腰掛けた。さっきの事──差し出したこちらの手を拒絶してしまった事を引きずっているのか、少女は未だにしょげている。

 ふわふわの髪が肩に垂れ下がる様は、飼い主にそっぽを向かれた仔犬のようだ。ため息を苦笑に換え、イリスは自分の隣を指差した。

 

「もう怒ってないって。座りたいなら座んなさい」


「……うん」


 少女は、少し遠慮がちに草地に腰かける。すっかり乾いたワンピースの裾は、湖岸の風に揺れていた。


「あの。わたし、紫苑(シオン)・アスタリスって言います。えっと」


「イリスよ。イリス・デューラー」


「イリス……って事は、やっぱり女の子だよね。男の子かと思っちゃったよ。帽子で顔が見えなかったからっていうのもあるんだけど、喧嘩も、すごく強そうなんだもん」


「目立つのよ、私の髪。だから帽子に入れてるの」


 イリスが帽子を取ると、短く切り揃えられた黄金色の髪が露わになった。帝国西方のイウロ人であれば珍しくない髪色だが、こめかみのひと房だけが雪のような銀色をしている。


「なるほどー。確かに珍しいけど、わたしの髪ほど派手じゃないよ! 位置的にちょうど良いし、グレて染めたみたいに見えるから大丈夫じゃないかな」


「喧嘩売る気ナシで言ったなら、大した天然ね」


 イリスは苦笑した。紫苑は極めて珍しい蒼紫の髪を揺らしながら、能天気に笑っている。名前や外見からして、東の隣国、朔弥皇国の血を引いているのだろう。


(学院は混血でも受け入れると聞くけど、学徒の貴族割合は未だ高い。異国人寄りの容姿をしていたら、肩身の狭い思いをしそうだけど)


 紫苑の容姿を観察していたイリスは、少女の襟に輝くバッジを指差した。


「あんた、学徒候補生よね。学院都市(ここ)には、御両親と来たの?」


「違うよ」


 単なる世間話のつもりだった。しかし、紫苑は寂しそうに首を振った。


「私の両親、少し前に死んじゃったの。私を引き取ってくれたの、ここの先生だったんだ。だから試験を受けて」


「それは……嫌な事聞いちゃったわね」


「ううん。イリスちゃんの疑問、当然の事だもん。私は帝国籍だから、学院にいても問題はないみたいなんだけど……ちょっと、不安かな」


 さっきはイリスちゃんが助けてくれたけど、と紫苑は膝を抱える。伏せた目が宿す感情は暗く、脳天気な笑顔はなりを潜めていた。その様子に、イリスはため息をつく。


「あんた気弱そうだから、言っとくけど。変な理屈付けて絡んでくるクソ連中なんて、気にしなくて良いんだからね」


 言葉は痛烈に。だが、口調は穏やかに緩めながら、イリスは続けた。


「あぁいうのはね、常に下になるモノを見てないと、自分の存在意義が保てないのよ。高みを目指す努力ができないから、相手を引きずり降ろそうとしてるだけ。あんたが、連中を満足させてやる必要なんてない」


「う、うん」


「あと、原因が自分の生まれにあるって考えるのはやめなさいよ? 実際の原因がそれだとしても、変えられない差にうじうじ悩んで、嘆く時間は無意味だわ。そんな事をしたって、結果は何も変わらない」


 そう。変えられない差を嘆いたところで、何も変わらない。口の中で自分の言葉を反響させながら、イリスは空を仰いだ。

 高地特有の透明感を持つ空に、一羽の鷹が飛んでいる。空を舞う鷹は誇り高く、堂々としていて──けれど広すぎる空の下では、孤独な存在であるかのように映った。

 

「あぁ、そうだ」


 鷹が視界から消えた頃。イリスはややわざとらしい間を置きつつ、振り向いた。


「私、学徒ではないけど。調べ物をしたくて、図書室に来ていたの」


「そうなの? わたしで分かることなら、調べるの手伝うよ。何を調べたいの?」


「本を教えて欲しいの。学院が開発した機巧について、情報が載ってるヤツ。街に来て日が浅いから」


 紫苑は、少し考えてから答えた。


「そういう本なら、図書館の三階じゃないかなぁ。技術書のエリアがあるから、たぶんそこに」


「了解。じゃ、さっそく調べてみるわ」


「あ、私も……」


「それだけ本抱えてるんだから、行ってきた直後なんでしょ。二度手間になるだろうし、場所さえ教えてもらえれば平気よ」


 紫苑の肩を軽くたたいて、イリスは立ち上がった。


「じゃあね。次はいじめられるんじゃないわよ」


「う、うん! 善処……は、するね」


 少しだけ目を泳がせ、紫苑は破顔した。


「ありがとう、本当にっ! ありがとうーっ!」

 

 いつまでも手を振る少女に、手を振り返しつつ丘を登る。学舎を抜け、芝生を通り。図書館棟の入り口に来たあたりで、イリスはふと立ち止まった。


(変わった子だったなぁ)


 そんな事を考えながら、少しだけ振り返る。

 校門内の広場に設置された噴水の輝きが、紫苑のあげた盛大な水しぶきと同期し、つい笑みがこみ上げてしまう。ひとしきり笑い、踵を返そうとした時。


「むっ……」


 イリスは思い出した。自分の唇が柔らかいものに密着し、心臓が張り裂けそうに脈打った、あの瞬間を。


「──いや事故だから。接触事故だから。つーか、私にそういう系の趣味ないしっていうか向こうが原因の事故だし」


 誰も聞いていない言い訳を吐き出し、彼女は図書館の戸を開けた。

 

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