第66話 裸の付き合い
「ここ、なんていう街なの?」
「ミネートよ。聞いたことないかしら?」
「うーん。ないなー。」
街にたどり着いたユリカと少女は会話をしながら通行人で賑わう大通りを歩いていた。
紆余曲折ありようやく2人で街まで来られた訳だが、ユリカにはまだまだやることがあった。そもそも彼女は目の前の少女の名前すら知らないのだ。
(まずこの子のことを聞いて今後のことを考えないと。)
「そう、無いのね。近くに住んでいるなら聞いたことくらいはありそうなものだけれど・・・そう言えばあなたの名前まだ聞いてなかったわね。私はユリカよ。」
「あ、そうだね。私はニーナ。前はね、鏡山の麓の村に住んでたんだよ。」
「鏡山?聞いたことないわね。」
「え?ラミリアで一番の山だよ。カミノザって言う方が有名かも。」
「へ?」
ニーナの口から出た予想外の言葉に思わず間抜けな声が漏れるユリカ。
ラミリア王国。それはこことは帝国をはさんで大陸の反対側に位置している小さな国だ。世間的には小国連合の一部として知られており、大戦が本格化するまえから帝国と戦争をしていた国でもある。
その国についてユリカが知っている情報はこのくらいだが、最低限位置関係だけはわかっていたため彼女は1つの違和感を覚えた。
(なんでわざわざそんなに遠いところから連れてこられたのかしら?)
「結構遠いところから来たのね。」
「え?でもまださらわれて1週間くらいしか経ってないから、そんなに離れてないと思うよ。」
「・・・へえ。」
きょとんとした顔でそう答えるニーナを見てユリカは少し奇妙なものを覚える。攫われていたというのは彼女の予想通りだ。しかし時期がおかしかった。
(1週間?大陸の反対側から?大陸横断は馬車で1ヶ月と聞いたことがあるけれど・・・まあそれは良いとして、確かめるべきはこの子を故郷に送り届けなければいけないかどうかか。)
違和感の正体について考察するのは一旦後回しにしてユリカはもっと大切なことを確認することにした。しかしそれは彼女の予想では高確率でニーナの傷口を抉る行為であり、ユリカは心の中で謝りながらその質問を口に出す。
「そうだったのね。それであなたはそこに帰りたい?帰りたいのなら私が送っていってあげるわ。」
「えっと、あの・・・その・・・」
やはりと言うべきかその質問を聞いた彼女の表情は一気に暗いものとなる。うつむいて言葉につまってしまったニーナを見てこうなることも想定していたユリカは速やかに話題を変えた。
「別に今すぐ結論を出す必要はないわ。そうね。先にご飯を食べに行きましょう。」
「あ、うん。」
ユリカの気遣いを幼心ながらに感じ取ったのだろうか。ニーナは先ほどまでと比べてすっかり静かになってしまった。
そして2人は微妙な雰囲気を残したまま、ハンター組合の扉をくぐった。
「お腹空いているでしょうから、好きなのを頼んで良いわよ。」
「あ、ええと、じゃあお肉。」
注文を終えたユリカとニーナは店の一番奥の目立たない席に腰を下ろした。
建物内は相も変わらず混み合っていて騒がしいが、それでも座席を確保できたのは幸運だっただろう。喧騒にさらされながらも席に着くとユリカが早速口を開いた。
「それで今日の予定についてだけれども、今日はとりあえずこの町に泊まるわ。」
「へ?あ、うん。」
先ほどの話の続きをされると思っていたのか、ユリカの口から出た話題に対して少し意外そうな表情を見せるニーナ。ユリカにとってはその反応も想定通りだったようで彼女はそのまま話を続ける。
「それでこの後やりたいことはあるかしら?」
「え、ええと・・思いつかないかな。」
「そう。じゃあ私の用事に付き合ってくれるかしら?」
「用事?まあいいよ。」
「ありがとう。今日の内にこれを換金してしまおうと思っていて。」
ユリカはデカヘビのコアを取り出し、それをニーナに見えるように机の上に置いた。それを見たニーナが不思議そうに尋ねる。
「なにこれ?」
「コアよ。聞いたことないかしら?」
「魔道具の元だっけ?見たのは初めてかも。でも綺麗だねー。」
そんなことを言いながらニーナはコアを持ち上げる。それは水晶によく似た見た目をしており、キラキラと輝くそれをニーナはいろいろな角度から眺めている。彼女はずいぶんとコアに興味を持ったようだ。
いつの間にか今まで2人の間を覆っていた重い空気は払拭されていた。
こうして2人がコアの話で盛り上がっていると、しばらくして2人の名前が呼ばれた。
「出来たみたいね。」
「やっとかあ。」
コアをしまって2人が席を立つ。当然ここは料理も水も自分で取りに行くセルフスタイルだ。こうして2人が料理を受け取りに行くと、出てきたものを見てニーナが驚きの声をあげる。
「ユリカずいぶん食べるんだね。」
「ええ、丸二日くらいなにも食べていないのよ。」
ユリカのプレートの上にはパンやスープ、ソーセージなどが大盛りで乗っていた。洞窟に入ってからなにも食べていないので実は彼女の空腹は限界に達していたのだ。人智を越えた肉体を持つとは言ってもどうやらエネルギーの摂取は必要なようである。
席に戻った2人は空腹だったこともあり先ほどまでとは対照的に黙々と食事を摂り始めた。会話もないまま静かに時が流れるが、しばらくしてニーナが先に食べ終わるとその沈黙は破られた。
「ねえ。」
「もぐもぐ、何かしら?」
「どうして私を助けてくれたの?」
「もぐもぐもぐ・・・そうね。」
ニーナの唐突な質問に、ユリカは食べる手を止める。彼女は少々答えに窮していた。
(なんか助けてしまったのよね。)
相手のためではなく、自分の社会的責任を果たすために助けたと言うのが正直なところだろうか。もっと言うと助けなかったときの精神的なダメージも計算に入っているかもしれない。
「相手が可哀想だから」という理由もユリカにとっては利己的なものだった。
(自分が罪の意識にさいなまれないようにする自己防衛の一種かしら。)
様々な思考が頭の中を巡った結果彼女が出したのはそんな結論であった。結果としては相手のためになっているのだから別にそんなに難しく理屈をこねるべきものでもないのだが、ユリカという人間は何故か自分の深層心理を分析しないと気が済まないのである。
「多分、私があなたを見捨てると後々苦しくなるからかしら。」
「どういうこと?」
ユリカの言葉の意味をニーナは良く理解出来ていないようであった。とは言え理解されると自身の評価が落ちることを加味するとそっちの方が彼女にとっては都合が良かったが。
しかしユリカはそれがわかっていてなお何故かもう一度わかりやすく言い直した。
「助けないと後悔すると思ったのよ。後で考えてしまうでしょう?あのとき助けていればあの人はもっと幸せになっていたのではないかとかね。」
「そうなの?」
「そうよ。」
ユリカの言葉を聞いてニーナは不思議そうな顔を浮かべた。そしてすぐにその表情を笑顔へと変えた。
「そっか。ユリカは優しいんだね。」
「優しい?」
「うん。だって他の人が幸せなら嬉しいんでしょ?」
ユリカは内心で驚いていた。確かにそもそも他人の幸せを是とする感覚がなければ彼女の思考は生まれないだろう。それは間違いないことだ。しかしそこまで分析して彼女は1つの疑問を覚えた。
(この子を助けた理由は本当にそれだけなのかしら?私はそこまで優しくない。何か私自身でも気がついていない要因がある気がするわ・・・)
「そう、なのかもしれないわね。」
一抹の疑問を抱えたまま彼女たちの会話は終わった。
こうして後は特になにもなく食事を終え、ユリカはついでにこっそり拾っておいたデカヘビのコアを換金し建物を出た。
2人がドアの外に出ると、既に日が傾き始めている。ユリカが初めてこの世界に来たときよりも日の入りはいくらか早くなっているようだ。
ユリカが足下から長く伸びた影を眺めて季節の移ろいを実感していると不意にニーナが声をあげた。
「これから何するの?」
「そうね、お風呂でも行きましょうか?」
最早今日はやることもないので、そう提案するユリカ。2人とも長いこと洞窟にいたため体中が結構汚れている。それもユリカに取っては割と我慢ならないくらいには。
「お風呂?行きたい!」
ニーナの返事も賛成だった。拒否されたらどうやって風呂に連れて行こうかを真面目に考えていたユリカに取ってはありがたい答えである。そして2人は街の中心部にある公衆浴場に向かった。
2人が公衆浴場に着くと意外にも人は少なかった。受付を済ませ更衣室に入るとそこはガラガラで用意されている棚にもほとんど衣類がおいていなかった。
(私たちの他には1人、2人くらいかしら。まあまだ早いしこんなものか。)
人の少なさが少し気になってつい手が止まるユリカ。そんな彼女の横でニーナはさっさと服を脱ぎ、たたんで棚に置いている。
「どうしたのユリカ?」
「ああ、何でもないわ。」
いつの間にか裸になっていたニーナの姿を見たユリカはそう返事をすると、自身も手早く服を脱ぐ。
そうして2人は仲良く浴場へと向かった。
ガラガラガラ
更衣室と浴場を区切っているのは木製の引き戸だ。それを開け浴場へと足を踏み入れると、しっとりとした湯気が彼女たちを出迎える。
早速ニーナが浴槽へと向かうが、それをユリカは引き留めた。
「体を洗ってから浸かるのよ。」
「えー?洗わなくてもよくなーい?」
「私に隅々まで洗われるか、自分で洗うか選ぶことね。」
「むー。」
体を洗うのが面倒だったようでなかなか首を縦に振らないニーナ。しかし結局はユリカに頭の先から隅々まで洗われることとなった。
ユリカはニーナを木製の風呂椅子に座らせると、自分もその後ろに座り持参した石鹸を手で泡立てる。
「うー、早くしてよねー。」
「はいはい。少し目をつぶっていて。」
さっさと湯船に浸かりたそうにしているニーナの台詞を聞き流しながら、ユリカは彼女の髪に触れる。そして汗や汚れで多少ベトベトしているそれに石鹸の泡をすり込むように丁寧に洗っていく。
そうして頭をこすっていると最初は嫌そうにしていたニーナの表情が次第にふやけたものへと変わっていく。
「良い匂い。」
「体を洗うのも悪いものではないでしょう?」
「うー、そこもうちょっと強くー。」
「はいはい。まだ目は開けちゃだめよ。」
ニーナはユリカに洗髪をされるのがすっかり気に入ったようだ。
生意気にも注文までつけてくるようになった彼女の髪を優しくこすりながら、ユリカは薄く笑みを浮かべる。気持ちよさそうに体を預けてくるその様子を見て、ユリカは少しだけ以前のことを思い出していたのだ。
(そう言えばあの子たちともこうしてお風呂に入ったわね。)
妹のように可愛がっていた2人の少女の顔を思い出すユリカ。彼女たちの姿がどうしても目の前の少女と重なる。そしてここでユリカは保留していた疑問に答えを得た。
(ああ、そうか。私はこの子に重ねていたのか。)
未練はそう簡単に消えることはない。ユリカは今その事を強く実感していた。
見捨てられなかったのも、愛おしく感じたのもそれが原因だったと考えると、その結論は納得できるものだった。
しかし結論を得ると同時にユリカは自身を心底嫌悪していた。
(代わりになる人間を欲しがっていただけか、私は。)
「良いかしら?」
ニーナの髪を洗い終わり、背中を流し始めていたユリカはそう声を掛ける。
振り返らずにニーナが返事をするとユリカは本題を切り出した。
「明日、あなたを行きたい場所まで送っていくわ。」
「え、でも・・・私家ないの。」
「・・・そう。」
しばらくの間2人の間を沈黙が支配する。先ほどまで気持ちよさそうにしていたニーナの表情もいつの間にか苦しそうなものへと変わってしまっていた。
そうして、しばしの時が流れた後ニーナが小さく口を開いた。
「みんないなくなっちゃった。お父さんは戦争に行って戻ってこなかったし、お母さんは私をさらった人に殺されちゃった。」
ユリカの予想よりもニーナは過酷な目に遭っていた。
彼女は元々ただの村娘だった。裕福とは言えないまでもそれなりの暮らしを送って、それなりの一生を終える。そんな人生を描くはずだった少女である。しかしおよそ半年前、そんな彼女の日常を戦争が襲った。
徴兵により村から男手は失われ、生活は徐々に苦しくなっていった。そんな中懸命に生きていたところに今度は人さらいの襲撃に遭ってしまったのである。
結果として村はろくな抵抗も出来ずに壊滅してしまったようだ。
「だからね、もう、行きたい場所なんか・・・」
そう語るニーナの表情はいつの間にか悲痛なものに変わっていた。彼女の苦しみが、途切れ途切れに紡がれる言葉の節々からユリカにもひしひしと伝わってきた。
そんな彼女の頭をユリカは優しく撫でる。
「辛かったわね。これからは私が力になるわ。」
「え?一緒にいてくれるの?」
ユリカの台詞にニーナは一瞬戸惑いを見せる。しかし次の瞬間には期待を込めたまなざしで彼女はユリカを見ていた。
「いいの?」
「ええ、でも・・・そうね。」
ニーナの真っ直ぐな視線を受けユリカは一瞬言いよどんだ。
彼女にはシャチハタとミライに対する罪の意識が少なからずあった。2人の代わりを見つけてのうのうと生きていくのがシャチハタたちにも、そしてニーナにも申し訳なかった。
しかしそれでも弱り果てた少女を前にして、彼女が首を横に振ることはなかった。
彼女は相反する2つの気持ちを抑えつけてニーナに言う。
「あなたが満足するまで私は一緒にいるわ。」




