第58話 何か不思議なことがあったというのがわかった
「ユリカちゃん起きてー!」
「朝だぞー。」
「うう、後5分・・・」
「「起きろー!」」
「はっ・・・朝か。」
安っぽいベッドの上でユリカは目を覚ました。時刻は午前6時、かつては元気な2人組が彼女から布団を剥いでいた時間である。
(夢か、そうよね。あの子達も家族と別れるときこんな気持ちだったのかしら?)
「ふう。」
先ほどまで見ていた夢に少し名残惜しい気持ちを覚えながらユリカはベッドから降りる。そのまま彼女が窓の外に目をやると、そこにはまるで彼女の心境を表したかのような灰色の空模様が広がっていた。
「雨は、降っていないか。ならいいわ。」
独り言を呟きながら部屋を出るユリカ。この宿は安い代わりに残念ながら朝食は付いていなかったので、特にここにとどまっている理由はない。
それに今日の彼女の予定は昨日フレデリカと別れた後にもう決まっていた。
「おはようございます。この近くに花屋はありますか?」
朝早くから受付に立っていた宿屋の店主に、挨拶がてらそんなことを聞くユリカ。店主は何かを察したようで優しい口調でユリカに説明する。
「ああ、嬢ちゃんも大変だったねえ。それだったら宿を出て右にずっと行って三つ目の曲がり角を曲がればあるよ。でもまだやってないかな。」
「そうですか。ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げてから宿を出るユリカ。なんとなく焼香はここにはない気がしたのでせめて献花をと思った訳だ。もっともユリカはどちらのやり方も今までに経験したことはないのだが。
(焼香、献花、形は違えどどんな国でも葬式の文化はある。生者と同じように慈しむのは、故人をずっと忘れたくないから?それとも逆に彼らが別のところに行ったのだと自分を納得させるため?私は、どうなの?これもただの執着なのかしら・・・)
今朝見た夢をぼんやりと思い出しながらそんなことを考えるユリカ。フレデリカと話をして2人の死については納得したつもりだったが、それはそれとして執着を引きずるなと言うのはどだい無理な話である。
おそらくこれからもこの思いから解放されることはないのだろうというのが今の彼女の結論であった。
そうしていささか陰鬱な気持ちになったまま彼女がしばらく歩いて行くと、不意に花屋の看板が現れた。
(やることないからダメ元出来てみたけれどやっぱりやってないわよね。)
「ふう、どこで時間潰そうかしら?」
きっちりとしまっている花屋の扉を発見してそんなことを呟くユリカ。完全に手持ち無沙汰である。しかし幸運にも彼女が立ち止まっていくらも経たない内に扉が内側から開かれた。
「あれ?お嬢さん、花を買いに来たの?」
「え?あ、はい。もうやっているのですか?」
背後からいきなり聞こえた女性の声に少し驚きながらも振り返って返事をするユリカ。そこに立っていたのは若い女性であった。
「いや、まだ店開きには早いわね。」
「そうですか。」
「でもまあ、せっかくきたんだから良いわよ。どの花が欲しいの?」
店先に並んだカラフルな花を指しながら女性が問いかける。
そこにはユリカの知っているものから知らないものまで様々な花が置いてあった。
「お供えするのに良い花とかありますか?」
「お供えね。あなたが良いと思ったやつがきっと一番良い花よ。」
「そうですか、では・・・」
店先に並ぶ花にぐるっと目を通すユリカ。無難に菊でも供えようかとか色々考えを巡らせていると、不意に隅にあった小さな青い花に目がとまった。
彼女は別に花に詳しいというわけではなかったが、花言葉の意味が何だったのかくらいは知っている有名な花であった。
「これをいただけますか?」
「ワスレナグサ、素敵な花を選んだわね。」
「これでいいか。」
未だに瓦礫の山が残る通りの一角に青い花を添えたユリカ。広い場所にぽつんと置かれた小さな花は少し寂しい雰囲気を醸し出していた。
しかし幸いにもと言うべきか、この場に花を手向けに来たのは彼女だけではなかったようだ。
「あ、ユリカ君ではないか。」
「シトリーさん、お久しぶりです。」
「久しぶり、一ヶ月ぶりくらいかな、よっと。」
ユリカの言葉に返事をしたのはシトリーであった。そう言いながら彼女が供えたのは白い花束だ。
「ユリカ君も今日献花に来ていたとは。なかなかこれなくて遅くなってしまったと思っていたのだが、偶然とは奇妙なものだね。」
「そうですね。まさかシトリーさんも来てくれるとは思っていませんでした。」
「ユリカ君のご友人だ。花くらいは手向けさせてもらうさ。」
「そうですか。ありがとうございます。」
「「・・・」」
最初の話題を話し終えて2人の間に沈黙が訪れる。お互いに気まずい空気が流れるが、幸いにもシトリーが何かを思いついて口を開いた。
「あ、そう言えばユリカ君との約束をまだ果たしていなかったね。」
「約束?ああ・・・」
シトリーの話を聞いて闘技場での約束を思い出したユリカ。彼女は今の今まですっかり忘れていたが、シトリーの魔法で自らの過去を調べてもらおうと思っていたのだ。
「さあ、なんでも言ってくれたまえ。」
「そう言えばしていましたね。ではお願いして良いですか?」
そう言うとユリカは自分の記憶について簡単に説明した。あるときから記憶がないこと、そして知識だけは残っていることなどである。
その話を聞くシトリーの顔はとても興味深そうなものだった。
「それで私の過去を調べて欲しいのです。」
「なるほど、お安い御用さ。ボクの魔法であれば10年や20年たどることなど造作もない。」
ユリカの願いに二つ返事で応えるシトリー。そして彼女はユリカを見つめながら魔法を発動させる。
「温故知新」
シトリーが持つ魔法陣が妖しく光り、彼女の目がその光と同じ色に染まる。
目を覆った光の膜はプロジェクターで投影した内容を映すスクリーンのようなものだろうか。温故知新を解析していたユリカがそんなことを考えていると、不意にシトリーが声を上げた。
「おや?これは・・・」
「何かわかりましたか?」
「むむむ・・・ふう。」
ここでシトリーの目の色が元に戻った。どうやら魔法はこれで終わりのようであるが、彼女の顔色には困惑の色が浮かんでいた。
「まあ結論から言うと、見られたのは今から3ヶ月ほど前までだった。」
「3ヶ月?」
「ああ、最後に見えたのはユリカ君が白い部屋で男と話していた場面だ。ボクの魔法は対象がこの世に発生した瞬間までは遡れるはずなのだが・・・」
「なるほど・・・」
(考え得る説はいくつかある。例えばはシトリーさんの魔法が対象の記憶に依存するものだということ。ただし無生物にも使えるらしいからそこだけはつじつまが合わない。他にはそもそも本当に私がこの世にいなかったというものとか。いや、人間である以上そんなわけないわね。ということは・・・)
「中途半端な結果にはなってしまったのだが何か思い当たることはあったりするかね?」
「ないですね。でも記憶喪失のせいで過去が見えなかったというよりも、過去が見えなくなるような何かがあったのに伴って記憶喪失になったのだというのはわかりました。」
色々考えたあげくユリカが思いついたのは、そんな毒にも薬にもならないような結論であった。彼女の過去に迫るのはどうやら一筋縄ではいかないようである。
とはいえユリカにとっても今回の話は元々ほとんど忘れていたようなものなので、わからなかったからといってそこまで気落ちすることではなかったが。
(まあ、わからなくて困るものではないし、それになんか今は何にも興味も湧かなくなってしまったわね。)
彼女の目線の先で仲良く風に揺れる白と青の花を眺めながらそんなことを思うユリカ。花を供えたことでユリカがこれからやろうと決めていた事は全て終わってしまっていた。
元々やりたいことも特になかった彼女であったが、今はそれに拍車を掛けて無気力になってしまっているのだ。
「まあでもヒントがあっただけで儲けものでした。」
全くそんなことは思っていないが取りあえずお礼の言葉を述べておくユリカ。その気持ちはシトリーにも何となく伝わったようで彼女も社交辞令的な言葉を返す。
「そうか。多少なりと役に立てたのならよかった。またなにかあったら頼ってくれたまえ。」
「ええ、それでは・・・うん?」
そうして話が自然と解散の流れに向かっていったその時、ユリカの目に意外なものが映り込んだ。
瓦礫の山に挟まる1枚の便箋。普通なら見えても捨て置いていたかもしれないその紙切れにユリカの目は不思議と引きつけられていた。
「これは・・・・」
思わず瓦礫の山に近寄ってそれを確認したユリカが声を上げる。
「どうしたのだい、ユリカ君?」
「リリィ・・・」
突然様子の変わったユリカを見て、不思議そうにシトリーが声を掛ける。しかしユリカの耳にはその声は入らず、彼女はただ呆然とその便箋を眺めていた。
(なぜ・・・1ヶ月も経っているのに・・・私に託すとでもいうの?)
かつて友が託された手紙を見つめながら、ガラにもなくそんなことを考えるユリカ。彼女はどちらかというと死後の世界に否定的であり、何でもかんでも論理的な正当性を求めるタイプだ。
そんな彼女でも今回はそんなスピリチュアルな事を考えてしまった。多分彼女がナーバスになっていることも影響しているだろう。
そしてそんな呆然とする彼女に追い打ちを掛けるようにシトリーがさらっととんでもない発言をする。
「宛名はリリィか。我々の団長と同じ名前だね。もしかしたら彼女宛かな?」
「へっ?」
シトリーのその一言を聞いてユリカがすごい勢いで彼女の方を振り向く。その勢いときたらシトリーがたじろぐほどであった。
「ど、どうしたのだい?ユリカ君。」
「実を言うと・・・」
ぐううー
真剣な表情で話し出したユリカの話を遮ったのは空気の読めないお腹の音だった。朝食を摂っていなかったことがここに来て災いしたようだ。
「あ・・・」
一拍遅れてユリカがそれが自分の体から出た音だと察して、彼女の顔が真っ赤に染まる。そしてそんな彼女を見て一番焦ったのはシトリーだ。
「あ、さ、さしあたり話は朝食を摂りながら聞こうじゃないか。」
「・・・はい。」
未だ顔から赤みが引かないユリカの返事はとてもか細いものであった。
「今回はボクがおごろうではないか。」
「いえ、こんなに高そうなところ悪いです。」
「ボクの行きつけだからね。お金の方は気にしないでくれたまえ。」
2人がやって来たのは目抜き通りに店を構えるいかにも高級そうな飲食店であった。
間違ってもユリカのような低所得層が来るべき店ではないのは明らかだし、なんなら自分のドレスコードで本当に入れるのかと不安になるユリカであったが、その心配は杞憂に終わった。
「いらっしゃいませシトリー様。2名様ですね。」
「うむ。」
上品な服に身を包んだ従業員が現れ、あっさりと2人を中に通す。その事にユリカが拍子抜けしていると、シトリーがその様子を察知して小声で囁いた。
「ああ、確かに1人であったら入れなかっただろうね。まあボクもユリカ君が人並みに身だしなみに無頓着であったら着替えさせるしかなかっただろうが。」
やはりシトリーのおかげだったようだ。
(それはそうよね。明らかに店内の雰囲気と合わないし・・・)
席に案内されたユリカが真っ白なテーブルクロスを掛けられたテーブルを見ながらそんなことを考えていると、シトリーが本題を切り出した。
「取りあえず朝食を頼んで、それから話を聞こうじゃないか。」
「あ、はい。」
とりあえずシトリーが頼んでいたものと同じものを注文し、それが来るまでの時間でベネトでの一件を説明したユリカ。
そして丁度出来上がった料理がテーブルに置かれたとき、シトリーが何かを思い出して声を出した。
「あ、そういえば会長は黄金の夜明けが結成されて以来200年間代替わりしたことがないという噂があったな。あくまでも組織内で細々と噂されているだけだが、もしかすると・・・」
「なるほど・・・あれ?でも団長に会ったことはないのですか?」
「1国に比肩する軍事力を持つとさえ言われる巨大組織だからね、会員数も本部だけで1000人、支部も全て合わせると5000人を超える。ボクは末端だからトップとは面識がないのだよ。」
「ああ・・・」
その後のシトリーの話によれば今黄金の夜明けは隣国であるパスクールに本部を置いているということであった。そしてその事を知ったユリカのやるべき事が明確に定まる。先ほどまでの無気力も今やどこかへと飛んで行ってしまった。
「行くのなら急ぐと良い。帝国との戦争が近づいているからね。」
(戦争か・・・あのテロは事実上の宣戦布告だったって訳ね。)
「・・・そうですね。シトリーさんも気をつけてください。」
「まあ、危なくなったら逃げさせてもらうさ。君子は危うきには近寄らないのだよ。」
「・・・私も、そうありたいものです。」
今までの冒険を思い出し心の底からそう思うユリカ。
新しい冒険はすぐそこまで迫っていた。




