第54話 取りあえず壊してみた
「お、追いかけてこない。作戦成功だぞ。」
シャチハタ、ミライ、フレデリカの3人は合流してくねくねとした細い路地を走っていた。あのときわざとらしく4方向に散って見せたのはただのブラフ、不可解な行動で相手の考えることを増やしただけにすぎない。とは言え魔法の存在するこの世界においては相手からすると何を企んでいるかはわかったものではないので結構いやらしい一手である。
もちろん通常こんなことをすれば相手の動きも読みにくくなるが、今回は相手の狙いがはっきりとわかっていた。
「あいつの狙いはあたしだからねえ。まあ、追いつかれなかったらそれで良し。追いつかれても一応切り札はあると。」
手に握る三角錐を横目でチラリと見るフレデリカ。それは別れるときにクレアから渡された魔道具であった。
「結界を作れるんだよね?」
「ドーム型のやつを作るタイプって言ってたわね。」
結界、それは言ってしまえば特定のモノを通さない壁のことである。フレデリカが託された魔道具はそんな結界を創り出すものだった。
「でも魔法は素通りさせちゃうんだよね?」
「人は入ってこれないけど、ドラゴンのブレスとかは無理って言ってたわね。高級品のくせしていまいち頼りになんないわ。」
借り物に対していささか失礼なことを言うフレデリカ。しかし魔法だけを通す利点も十分にあるので彼女の批判はお門違いだが。
ちなみに一口に結界を創る魔道具と言っても魔法を通さないものや光を通さないものなど様々な種類があり、その性質は使用される魔物のコアの種類によって決定されている。
そして作成に使用される魔物のコアは希少なものばかりであるため、結界用の魔道具の値段はフレデリカ達庶民が目をむくほどの高額となっていた。
「にしても騎士団ってのは金持ちねえ。」
「それだけフレデリカが大事ってことだぞ。」
「クレアちゃんが預けられた訳だもんね。あれ?それとも私物?」
「だとしたらユリカには騎士団への就職を勧めるべきね。」
細い路地を数分走ってだんだんと普段の調子を取り戻してきた3人。
彼女たちは決して大きい道には出ず、細くいくつにも分岐した路地を敢えてくねくねと曲がりながら進んできた。そのため後ろから追ってきていたとしてもそう簡単には見つからないだろうという安心感が3人にはあったのだ。
もちろん慣れない土地でそんなことをすれば自分たちの位置もわからなくなりそうなものだが、今回の場合はその心配もなかった。
「あ、本部が見えたよ。」
そう言ったシャチハタの目線の先には未だ距離があるにも関わらず圧倒的な存在感を放つ巨大な建物があった。
この王都で最も高い建物は白亜の宮殿であるが、最も容積的に大きいのは騎士団本部である。
軍隊と警察機構を兼ね、有事には市民を避難させつつ最終防衛ラインとなる役目を持つ巨大建築物こそが騎士団本部であり、その様相は最早要塞と言っても差し支えない。見失うことなどあり得なかった。
「後5分くらいかかりそうね。遠回りしすぎたわ。」
「でも、おかげで追ってこないんだし。」
「まあ逃げ切れたら勝ちだし間違ってはなかったわね。」
そう結論づけて、フレデリカたちはなおも路地を走り続ける。
ゴールをその目で確認して彼女たちの気は完全に緩んでいた。もちろん魔物との遭遇には未だ気を遣ってはいたが、ほぼ彼女たちの勝ちであることを疑うことはなかった。
しかし悲しいかな、現実はそんなに甘くないのである。
「あ、やっと見つけたよ。」
「なっ!」
突然声が聞こえた方に3人が目をやると、そこにいたのは件の少女であった。
「どうやって・・・」
どうやってアックを振り切ったのか。それとも倒したのか。こちらの場所を補足した方法は何か。いくつもの疑問が3人の頭をよぎるが、いち早く反応したのはやはりフレデリカであった。
「おらあっ!」
瞬時に魔道具を起動させるフレデリカ。そして次の瞬間ガラスのような見た目のドームがフレデリカたち3人を取り囲んだ。
ちなみに威勢のいいかけ声とは裏腹にフレデリカがしたのはボタンを押しただけである。
「わっ!結界かあ。魔道具を中心に展開されるタイプで物質を通さないやつかな?」
突然現れた半透明のドームを見て、瞬時に正体を言い当てる少女。
そして無造作に近づくとドアをノックするかのようにコンコンとそれを叩く。それでもって彼女は自分の予想を確信に変えたようだが、その不用心さをフレデリカは見逃さなかった。
「間抜けがっ!勝ったあ!」
「んん?」
次の瞬間、フレデリカは叫びながらもう一つの魔道具を起動させる。
今度の魔道具も先ほどのものと同種のものであったが、その狙いは全く違った。
「あっ!」
少女がフレデリカの狙いに気がつくと同時に彼女の回りを透明なドームが覆い尽くす。結界は外から内へと通さないものは内から外へも決して通さない。
結果から言うと彼女はフレデリカ達の結界の外側で、別の結界にとらわれていた。
「ああー、考えたねー。自分たちの安全を確保しながら私を捕まえたって訳だ。」
「ふふん。そしてあんたが魔法で攻撃できないのはわかってるわ。肉体をいくら強化しようが脳筋には突破出来ないのよ!」
これ見よがしに相手を煽るフレデリカ。結界には耐久限界があり絶対安心などということはないが、彼女はこの結界にかなりの安心感を抱いていた。
それは彼女がかつて見た魔道具の発表会で、この結界が破城槌による一撃を見事跳ね返したのを覚えているからである。
しかし、とらわれたはずの少女の方はのんきな様子である。
「うん。そうっぽいね。じゃあ準備はオーケーだよ。31と45ね。」
「?」
こちらに話しかける訳でもなくかといって独り言とは少し違うその言葉を聞いて、疑問を抱いたのは観察眼に優れるシャチハタであった。
そしてその時彼女の目は少女のすぐ側に浮かぶ異質な真っ黒い点を発見した。
(あれ?なんだろ?黒い点?誰かと話してる?じゃあ黒いのはどこかに繋がって・・・)
「あっ!」
思考を回転させ少女の余裕の原因に他の2人よりもほんの少しだけ早く気がついたシャチハタ。時間にしてほんの0.5秒ほどだろうか、しかしその1秒にも満たない時間が3人の運命を大きく変える。
次の瞬間シャチハタはフレデリカに向かって跳んでいた。
「時空侵犯」
「お、おらー!」
フレデリカの背後に黒い楕円が浮かび上がった瞬間、シャチハタがフレデリカを突き飛ばす。そしてそれに一瞬遅れて黒い楕円から少女が飛び出した。
「うわっ!なにす・・」
「捕まえっ、えええ?」
「逃げてえっ!」
黒い楕円から飛び込んできた少女に抱きつきながら、必死に叫ぶシャチハタ。そして少女の方はというとフレデリカの代わりにシャチハタを抱き上げてしまい目を白黒させている。
相手が詠唱を始めてからでさえ後出しで対応できるスピードを持つ少女。そんな彼女が今まで隠してきた切り札を使い奇襲すれば対応できる人間などいるはずがなかった。
しかし実際にはワープを読まれ、あまつさえ自分よりもずっと小柄な女の子にタックルをくらうなどというのは少女にとって完全に予想の外であった。
そしてこのような混沌とした状況にめっぽう強いのはフレデリカである。
(狙いはあたしだしあいつが2人に暴力を振るうことはないでしょ。)
「悪いわねっ!」
これまでの少女の行動を振り返り、瞬時にリスク計算を終えるフレデリカ。このあたりのしたたかさはさすがとしか言えないだろう。
しかし傍目から見れば敵のいるところに子供を置いて逃げるというのはなかなかに鬼畜の所業であった。
「こ、子供をおいてっ・・・」
「おらー!」
そしてそんな薄情な行動に驚いて少女の動きが一瞬止まり、それにたたみかけるようにミライがタックルをかます。
少女の身体能力は確かに人間離れしていたが、思考が一瞬固まったところに飛んできた全く予期していなかったタックルには対応が追いつかなかった。
いくら膂力があろうとも力を入れていなければ意味がないのである。ここにきて少女の対応は完全に後手に回っていた。
「ふわっ!」
「お先っ!」
少女がバランスを崩しよろめき、その隙にフレデリカが結界を消して飛び出した。
「ちょっ!まっ!へぷっ!」
そしてその様子を見て急いで追いすがろうとするも、怒濤の予想外に冷静さを欠いていたようで前にいたミライのことを忘れてそれに躓く。アックとの戦闘でも汗をひとつかかなかった少女がついに地面に倒れこんだ。
「やっ!まず、ヴォイドさん、タァイム!」
虚空に制止の声を叫ぶ少女。完全に焦っていた。
この少女は元来頭が回る人間である。アックと戦っていた時も斧の攻撃を避けながら冷静に状況を分析していたし、フレデリカの逃げる道もワープで先回りして到着地点から探ることで逃走経路を半ば無視することに成功していた。
しかしそんな彼女であっても今回の場合に至っては余裕がなかった。予想外の連続、そしてそれに加えて彼女が点火した時限爆弾がある。
「ふえっ?」
「わあああっ!」
ほんの一瞬、3人の目に宙を舞う町並みの残骸が映り込む。砕け散ったレンガ、ポッキリと折れた街路樹、空に無造作にちりばめられたそれは禍の前触れであった。
ゴオッ!
次の瞬間、7色の閃光が殺到した。
「じゃあ準備はオーケーだよ。」
「アックとガキの座標は?」
「31と45ね。」
男は1人荒れ果てた通りを歩いていた。もっとも彼の隣には声を発する黒い点が浮かんでいたわけだが、それを頭数に入れるというのは無理な話だ。
そしてその点から聞こえてきた言葉を合図に男は詠唱を始める。彼の手には1枚のやけに画数の少ない魔法陣が握りしめられていた。
「強制開放」
魔法陣が淡い光を放ち、彼の魔法が構築されていく。いつもより長いこの詠唱は彼の全力での魔法行使を表していた。
しかしここで焦ったような声が黒点から届く。
「ちょっ、まっ!」
(あー、気づいたかあ。)
制止の声を聞いたにもかかわらず男は詠唱をやめることはない。
虚空穿孔による不意打ちでアックを殺害した後、国を離脱するというのが今回少女から提案された作戦であった。これは男の方でも最優先事項である。
しかし彼としてはそのほかにもやらなくてはいけないことがあった。それも少女には口が裂けても言えないような。
(捕虜になった役立たずは殺しておかねえとな。ん?役には立ってたか。まあ奪還のリスクに見合うほどじゃねえな。まあ言い訳はめんどくさいが。)
「最大出力」
「ヴォイドさん、タァイム!」
「禁止領域撤廃」
魔法陣が3度点滅し、それを確認した男は前方を見据えて大雑把に狙いを定める。
彼の狙いは2つ、1つはアックの抹殺、そしてもう一つはその直線上にいる自らの部下の口封じである。
距離が離れた2点を同時に攻撃するのには彼の魔法はいささか精度が悪い。ブレが大きいとも言えるのだがこれの解決方法はこの上なくシンプルであった。
とにかく攻撃の範囲を広くすればいいのだ。
(座標は31と45。最高火力ならまあ届くだろ。ついでにあのクソガキも死なねえかなあ。)
自分のことを殺しかけた少女の顔を思い浮かべながら男が最後の詠唱を口に出す。
「虚空穿孔」
「わあああっ!」
こうしていささかの勘違いを残したまま、破壊の魔法は放たれる。
それは闘技場で放たれたものとは比べものにならない、まさに戦略級の名にふさわしい威力であった。
極彩色の閃光が家々をなぎ倒し、石畳をめくり上げ、整った町並みを廃墟へと変えていき、その線上にいたありとあらゆる生命もまた一瞬のうちに失われていく。
そしてそんな風に崩壊していく町並みを眺めながら男はとある言葉を思い出していた。
『魔法の本質が変化をもたらすものであるとしたら破壊もまた魔法の持つ普遍的な性質と言えよう。』
(魔道教本の序文だったっけか?)
それは彼の持つ魔法陣と共に世界で最も普及している魔道書の最初の1ページに記されていたものである。変革には破壊が不可欠であるというこの一文はその著者の性格を良く表していると言えるが、この男の性格はそれ以上に苛烈であった。
(変化の本質こそが破壊だ。世界を木っ端みじんに破壊して初めて人間は新天地に至るんだよ。)
今はもうこの世にいないであろう本の著者に向けてそんなことを思う男。王国の破壊も彼にとってはほんの一計画にすぎなかった。
今しがたできた壮絶な破壊痕を眺めながら彼は思考を切り替える。
(まあいい、仕事は片付いた。後は帰るだけだな。)
「おい。終わったぞクソガキ・・・ん?さっさと返事を、ああ?」
黒い点に向けて話しかけていた男が怪訝そうな表情を浮かべる。その理由は返事がなかったからだけではない。
「誰だあ?」
ゆっくりと後ろを振り向く男。彼は背後にいる人間の気配を敏感に感じ取っていた。
そして彼の予想通りそこには剣を携えた少女がいた。
「八紘をおおいて宇となす」
「あー、そういや、てめえもいたなあ。」