第43話 あなたの手札は?
「やれやれ、改めて見ても恐ろしい破壊力ですね。対魔法使いはこれがあるから気が抜けない。」
地面へと突き立てられた無数の剣を横目で見つつ黒髪の少女はそう呟く。彼女の目の前の地面には彼女と瓜二つの見た目をした少女が倒れ伏していた。
「本当に戦闘経験が少なくて良かったですよ。来世では駆け引きを覚えてからダンジョンにくることですね。」
ユリカが引っかかったのは単純な手であった。最初から敵は3体、シャチハタ、ミライ、ケンジの3人に化けておりユリカが最も油断する時までその事実を伏せていただけである。
魔物側からすると、ユリカの手札は未知数。魔法の詠唱速度、効果、本人の運動性能などどれだけ追い込んでも戦況をひっくり返しうる要因はいくらでもあった。
故に最初はケンジを擬似的な盾にして大火力を警戒しつつ遠距離戦で立ち回りユリカの手札を探った。しかし斬撃と炎という一見共通性のない攻撃を受けたことでユリカの手札がどれほどあるかを確認することは困難と判断し、即座に作戦を奇襲へと切り替えたのだ。
自分の手札は最後まで伏せ紙一重の攻防を制する。ひとえに豊富な戦闘経験のなせる技であると言えよう。
「まあ、来世があるかは知りませんが。それよりもこの話し方ではすぐにばれてしまうわね。これでいいか。」
独り言を呟く少女の雰囲気が一気に変わる。話し方が変わるだけでも人の雰囲気は大きく変わるものである。魔物は姿を変え、口調を変えることで自らのキャラクターを形成していく。
今や先ほどまでの見るものを威圧する不気味な雰囲気は最早見る影もなくなっていた。
「この子は後で回収するとして、先に残りの3人か。動かれるのも厄介だし。」
ユリカを一旦放っておいて、シャチハタたちの方へと歩き出す魔物。霧が晴れて彼女たちが下手に動けば魔物にとってもどこに行ったかわかったものではないので、もう2度と動くことのないユリカを後回しにするというのは合理的な判断であった。
「後の3人の能力は未知数だけれど、まあ後ろから奇襲すれば関係ないか。っておっと、あの子はこんな顔はしないわね。」
後のことを考えて少し邪悪な笑みを浮かべるも、すぐに気を取り直す魔物。
自らの優位性を信じて疑わないにも関わらず、魔物が油断することはない。
「これで128人。あの人の言った神へと至る門まで後何人かしら?」
神へと至る門、先の果てない道の果て、それこそが魔物の生きる意味であった。
「うあー!霧が晴れないぞー!」
「くそっ、いつの間にはぐれちまったんだ?そんなわかりにくいところあったか?」
「ユリカちゃん意外と抜けてるところあるよね。」
ユリカとはぐれたシャチハタたち一行は魔物の予想通り、霧の中で立ち往生していた。最初はうっすらと霞がかる程度だった霧も、いつの間にやら数メートル先さえ見通すことの出来ない濃霧へと変貌していた。
まさに五里霧中、シャチハタたち一行も最早遭難したと言って良かった。
「とにかくユリカちゃんと合流しないと。」
「いや、この霧じゃ無理だろ。ていうか俺たちの現在地もだいたいしかわからん。霧が晴れないうちに動いたら迷うぞ。」
「うーん、ユリカちゃんもそうは言ってたけど・・・晴れるのかな?」
ケンジの言葉に不安そうな表情を浮かべたのは、ユリカから聞いた山に入る前の心得をしっかりと覚えていたシャチハタである。
視界が悪いときはじっと動かない、もし迷ったら尾根に登る、沢を下ってはいけない。ユリカが教えたことと言えばその程度の簡単なことであったが、仲間とはぐれ自分たちさえ遭難しかけているというこの極限状態において冷静な判断を下すというのは存外難しいものである。
しかし浮き足立つシャチハタとミライとは対照的にケンジはいたって冷静であった。
「まあ、落ち着け。この霧だったら魔物もこっちを発見できない。つまり動かないでいる内は基本安全なんだよ。ここより奥まで行ったときに霧に見舞われたが、冷静な判断力を駆使して戻ってきたこともある俺が言うんだから間違いない。」
「まあ確かにこの霧の中じゃユリカちゃんは動かないぞ。」
「そうだね。私たちを信じてじっとしているはずだよ。」
ケンジの話を聞いていくらか落ち着きを取り戻した2人。焦りの表情は消えてはいないが今すべき行動については納得出来たようである。
「じゃあ、しばらく休憩な。」
「「はーい。」」
ケンジの言葉にそろって返事をして仲良く道ばたの岩に腰掛けるシャチハタとミライ。霧が晴れるまでしばしの休憩となったわけであるが、その時間が長く続くことはなかった。
2人が岩に腰掛けケンジも同様に座ってから間もなく、3人の中で最も目の良いミライが突然声を上げた。
「あれ?なんかこっちに来てるぞ。」
「何?魔物か?」
ミライの言葉に素早く反応し剣を構えるケンジ。しかしそれを見たミライが待ったを掛ける。
「待って!あの大きさはもしかしたら・・・」
何らかの確信のこもった声でシャチハタが叫ぶ。
霧の中に揺れるそのシルエットは小さな髪の長い少女のものであった。そう、彼女たちが待ち焦がれていた大切な友達の・・・
「「ユリカちゃん!」」
霧の中から姿を現したそれに対して歓喜の声を上げる少女たち。そして相手もにっこりと笑ってそれに答える。
「ミライ、シャチハタ、それにケンジさんも無事で良かったわ。」
「おう、お前こそよくここまでこれたな。」
「「?」」
気前良く返事をするケンジ。しかしミライとシャチハタの2人は自分たちでも認識できないほどの小さな違和感を感じ取っていた。言語化することは不可能、しかしまるで指先に極小の棘が刺さっているかのようななんとも言えない不快感。何がおかしいというわけでもない、ただ何となくいつもと違うような気がする。
疑念と言うにはあまりにも小さな棘であったが、次の瞬間彼女たちはもう一つ今度ははっきりと言語化できる違和感を受け取ることとなる。
「適当に歩いていただけなので運が良かったのですよ。」
「適当に、か・・・」
苦笑いしながらそう話す彼女の言葉に表情を硬くするシャチハタとミライ。当然である。彼女たちの知るユリカという人物は適当という言葉から最もかけ離れた人物であるのだから。そしてケンジもまたこの場に流れる妙な空気を感じ取っていた。
最早そこには先ほどまで再会の喜びを分かち合っていたはずの空間はなかった。残っているのはただただ得体の知れない不気味さである。
「なあ、なんか空気重くないか?」
わざと明るい調子でそんな言葉を口に出すケンジ。しかしそんな口調とは裏腹にその手はさりげなく剣の柄へと添えられている。その体勢の変化は微々たるものであり、それが臨戦態勢を示していることは戦い慣れた人間でなければ気がつくことはなかったであろう。
現にシャチハタとミライの2人は気がついていない。当然剣士相手の戦闘経験がほとんどないユリカにとっても気がつくことのないはずのものである。
しかし
(マジかよ、一瞬こっち見たな・・・これに気がつくってどれだけ・・・)
もちろんケンジはユリカの戦績を知らない。しかし彼にとって目の前の相手の目線の動きが幼い少女のものであるとは到底考えられないものであった。
(ユリカが実は歴戦の剣士だったとか・・・ないよなあ。)
半分諦めたかのような顔になりつつ目の前の少女を見つめるケンジ。そしてそんな2人の高度なやりとりなど毛ほども気がついていないミライとシャチハタが口を開く。
「あの、今から変なこと言うんだけど・・・」
「ユリカちゃんじゃないよね?」
「・・・」
別に2人にも確信があったわけではなかった。そしてそのことは相手にも伝わっていた。故にここで種明かしする必要はない。何せまだ確たる証拠はないのだから。
しかしそれでもなお、彼の魔物はその姿を現した。その胸中に宿る一抹の疑問を語りながら。
「なぜ、わかったのですか?なぜ、私は他人になれない?」
ユリカの形が崩れその中から現れた黒腕が語る決して理解しえぬ言葉。もちろん3人の中にその答えを持ち合わせているものはいなかったが、その質問に律儀に答えたものがいた。
「何となく違う気がしたからだぞ。他人になれない理由は知らないぞ。でも人は別の人に成り代わることは出来ないと思うぞ?」
かなり大雑把な答えを返したのはミライであった。しかしその最後の一言を言い終えた瞬間、場の空気が一変する。
「はあ?」
今までの落ち着いた口調から一変、表情のない魔物はその全身でもってあふれ出す怒りを表していた。
「うっ・・」
その怒気に触れ思わず一歩下がるシャチハタたち。ミライは知らず知らずのうちに神を目指すその魔物の逆鱗に触れていた。
「そもそも私は他人にはなれない?故にわかったと?笑わせる!いや笑えない。あなたは私を否定する?この私のあり方を?意味を?神へと至る第四の門を?」
黒い腕を地面にたたきつけ、意味のわからないことを叫ぶ魔物。しかしそれもほんの数秒の間だけであった。
ひとしきり言葉を吐き出すと魔物の動きがピタリと止まる。それはまるで嵐の前の静けさであった。
しかし、その重苦しい雰囲気の中でもシャチハタとミライにはどうしても確かめなければいけないことがあった。
押しつぶされそうな圧迫感の中シャチハタとミライが一歩踏み出し、魔物に問う。
「「ユリカちゃんはどこ?」」
「・・・あなたたちもすぐ同じところに送ってあげますよ。」
「・・・」
その答えを聞いて今までにないほどの怒りの表情で相手をにらみつける2人。最早これ以上の会話は不要であった。
三者三様、恨みの言葉を相手にぶつける。
「許さない。地獄に送ってやるぞ。」
「ミンチにして豚小屋に撒くね。」
「バラバラにして殺してしまおう。今日という日をなかったことにするために。」
ドス黒い感情をまき散らし、そして激闘が幕を開ける。
かのように思われた次の瞬間。
「そんなに怒ってくれるなんて嬉しいわ。まあでも汚い言葉遣いは感心しないわね。」
それは不意に聞こえる澄んだ声であった。
最後のカードが今、切られる。