第35話 運命のいたずら
「町外れに塔ですか?いえそんなものはありませんよ。確かに何かの建物の跡みたいなものはあった気がしますが。」
「そんなことないぞ。あたしは登ったんだから間違いない。」
「そう言ってもそんなおっきなものが見つからないなんてあるのかなあ?」
午後6時、ユリカたちはきっちり待ち合わせ場所にて再開を果たしていた。
再会の喜びを分かち合うのも束の間、ミライの口から出たのは町外れの塔についての質問であった。
結局あの後町外れを探し回ったユリカとミライであったが、そこには少女の姿はなかった。そればかりかミライが登った塔ですら忽然とその姿を消してしまっていたのである。
「そうですねえ。やっぱり見間違いなんじゃあ・・・」
見知らぬ土地で1人になってしまったことにより精神が不安定になり幻覚を見ていた。
クレアの判断は正常な思考である。しかし同じ結論を出すように思われたユリカがここで異を唱えた。
「いえ。私も似たような経験をしたことがあります。」
彼女のトラウマ。題するなら消えた扉の謎といったところだろうか。この世界に放り出された直後の出来事も今の状況に似ていると言えた。
あるはずのものがない。当時の彼女はその光景に戸惑うことしか出来なかったが今は違った。
魔法。観測者によってありようが変わる世界。奇跡が日常と化したこの世界では今起こっていることなど大したことではないと彼女は考えていた。
「でも、実際あるんでしょうか?特定の人にしか見えない人なんて。」
「あり得る話です。環世界というものをご存じですか?」
「環世界?」
「かいつまんで話せば人によって認識している世界は違うという考え方です。例えば目の見えない人と見える人ではものの知覚に差がありますよね。個々人の能力の差や過ごしてきた環境などの違いから、誰しもが自分にしか理解できないものの見方を持っているのですよ。」
「ええと、要するにミライちゃんには私たちに見えていないものが見えると言うことですか?」
とてもざっくりとしたユリカの説明に何となく納得するクレア。しかしシャチハタは納得していないようであった。
「でも、そんなこと言ったら精神病は存在しないよ。」
「ええ、だから考え方の1つよ。でも魔法について考えてみると意外としっくりくるのよ。魔法は発動するまでは術者にしか認識されていないでしょう?これって魔法が当人にしか認識されない環世界であると考えることが出来ないかしら?」
ユリカにしては珍しくこの推論は彼女の勘によるものが大きかった。彼女は魔法が今までに科学で解明された単純な物理現象に収まっているとはどうにも考えられなかったのだ。むしろ自分が今まで認識していなかった未知の法則を他人が認識して利用しているように感じられたのだ。
「よくわからないけど、エリサちゃんは魔法だったってこと?そんなのおかしいぞ。」
「確かに論理が飛躍しすぎているのはわかるわ。でも私は前に似たような存在に出会ったことがあるの。元は人間で今は魔法になった存在、温泉で話した森の異形よ。」
「あっ・・・」
ユリカの言葉を聞いてミライの表情が固まる。どうやら忘れていたことを思い出したようだ。
そしてそんなミライの様子に心配になったシャチハタが彼女に声を掛けた。
「どうしたの?」
「ユリカちゃんに話さないといけないことがあったのを忘れてたぞ。シャチハタちゃんとクレアさんはちょっと向こうに行っててくれないか?」
「えっ、あ、うん。」
いつになく真剣な表情をしたミライを見てたじろぐシャチハタ。物わかりのいいクレアがシャチハタを連れて離れた後、ミライはユリカの目を見つめて語り出した。
「エリサちゃんは大切な人を捜しているんだ。」
「ええ、それがどうかしたのかしら?」
ユリカにはミライの言葉の意図がつかめていないようであった。しかしミライはかまわずに続ける。
「大切な人は4人。でも悪い魔法使いに化け物に変えられちゃったんだぞ。4人がくっついて1つの化け物になったんだ。残ったのは剣の魔法だけだって。」
「っ・・・!」
ユリカの目が大きく見開かれる。この少ない言葉で彼女はミライの言わんとしていることを理解したようであった。
「もちろん。違うかもしれないんだぞ。でも、でも・・・」
ミライの目には涙がたまっていた。ああはいったものの彼女には確信があったようだ。そしてそれはユリカにも。
「・・・私が殺したというわけね。」
「そうだとしてもユリカちゃんは悪くないぞ。でもエリサちゃんは待ってるんだ。あたしはどうしたらいいんだ・・・」
今までにないほど苦しそうに言葉を紡ぐミライ。状況は詰んでしまっていた。誰が悪いというわけでもなく最早どうあがいてもエリサの望みは叶わないのである。
しかしここでユリカが顔を上げてミライに話しかける。
「そうね。私も何が正解なのかはわからないわ。ただ1つだけわかるのはこれはあなたが決めるべきことだということね。エリサの友達であるあなたにしか決められないことなの。」
「・・・うん。ちょっと考えるぞ。」
日が傾き市場から活気が消えていく。
その光景はさながらミライの心が映し出されているかのようであった。
夜の帳が下りる頃、ミライは1人部屋の片隅で物思いにふけっていた。
正解のない問題、神に祈っても良いことなどはないと語ったエリサの気持ちが少しわかるような気がしたミライであった。
「言わなくちゃエリサちゃんはずっとあのまま、でも言ったらエリサちゃんの希望はなくなる・・・どうすればいいんだ?」
なかなか決心がつかず彼女が唸っていると、コンコンと扉を叩く音が響いた。
「わっ、誰だ?こんな夜中に?」
「私だよ。」
ミライの質問に返ってきたのは生まれたときからの親友の声であった。
「シャチハタちゃんかあ、今開けるぞ。」
ドアを開けてシャチハタを部屋に入れるミライ。
今日はミライも1人でゆっくりと考えたいだろうと考えたユリカの案によって彼女は1人部屋に泊まっていた。
「でもどうしたんだ?今日はユリカちゃんと一緒に寝るんじゃ?」
「ミライちゃんのことだし悩んで眠れなくなってると思ったんだ。」
ミライの現在の状況を寸分違わず言い当てるシャチハタ。さすがに生まれたときから一緒にいるだけのことはあった。
「そうだな。困ってるんだぞ。考えれば考えるほどどうしようもないんだ。」
「うーん。そういうときは適当でいいんじゃないかな。」
真剣な面持ちで相談するミライに対して返ってきたのは軽い返事であった。シャチハタのこの態度にはさすがに思うものがあったようで珍しくミライが声を荒げる。
「適当って何だぞ。あたしは真剣に悩んでるんだ。」
しかしながらその言葉を聞いてなおシャチハタは飄々としていた。
「そこだよ。真剣に悩んでるのに答えが出ないんでしょ。じゃあきっと正解なんてないんだよ。もしいい方法があったらユリカちゃんがとっくに教えてくれてると思うよ。」
「じゃあ、どうしたらいいんだ?」
「うーん。詳しい話はわからないけれど、秘密を教えるかで悩んでるんでしょ?だったら教えちゃえばいいんだよ。」
「でも教えたらエリサちゃんは悲しむんだぞ。」
「でも私たちが教えなくてもいつかは知っちゃうんじゃないかな。それだったら今のうちに教えておいた方が良いんじゃない?今なら友達のミライちゃんがいるわけだし。」
「友達か・・・そっか、そうだよな。」
悲しみを肩代わりすることは出来ない、喪失を補填することも。ただ、側で寄り添うくらいであればただの友達にも出来ることであった。そしてエリサの友達であるのはミライだけ。彼女は自分のやるべきことをしっかりと見定めたようである。
「決めたぞ。明日エリサちゃんに会いに行くぞ。シャチハタちゃんも一緒に来てくれるよな?」
まるで憑き物が落ちたかのような表情でシャチハタに話しかけるミライ。そんな彼女の様子を見てシャチハタも笑顔で答える。
「もちろんだよ。」
「はあ・・・」
「元気ないですね、ユリカさん。」
「まあ、そうですね。」
ミライたちが話し合っていた頃、クレアは当然のようにユリカの部屋へと上がり込んでいた。
「私が教えてしまえと言ってあげられればそれで良かったのですが、今まで変に保護者面してきたせいで言えませんでした。なんだか私がそう言ってしまったらあの子がもし反対のことを考えていた場合、強制することになってしまうと思って・・・」
げんなりした表情で愚痴をこぼすユリカ。この世界に来てから一落ち込んでいると言っても過言ではなかった。
「まあ、誰でも悩むところではあると思います。でも意外でしたよ。」
「ん?何がですか?」
クレアの口から出た言葉に怪訝な顔をするユリカ。しかしその言葉の意味はすぐにわかった。
「いえ、あの魔法の話をされたユリカさんだったら死者をよみがえらせる魔法とかを真っ先に考えると思ったんですがね。」
「ああ、確かにあの考えが正しければあってもおかしくはないですよね。そうですね。何でそのことに思い至らなかったのだろう?」
自分の思考を振り返ってみて不思議な気持ちになるユリカ。ミライの魔法によって魔法は時間律にすら干渉できることをユリカは理解していた。であれば時を遡る魔法もあり得ない話ではないと考えるのも彼女であれば何らおかしな話ではないだろう。
そしてここまで考えて彼女はあることに気がつく。
(違う。おかしいのはその前だ。何で私は魔法の正体が他人の環世界であると信じて疑わなかったの?言ってしまえばこれはただの勘であって根拠なんて消極的な消去法くらいのものなのに・・・何となくそんな気がするなんてものじゃない、私は確かに確信を持っていた。一体なぜ・・・)
彼女の魔法についての推測をもし彼女自身が評価した場合、彼女はそれを論じる必要性の無い妄想と断じるであろう。哲学的なアプローチに基づいた根拠のない仮設。極めて確率的に効率でもって物事を判断する彼女にとってそれは最も忌避すべきものであったはずだ。
しかし彼女はそのことに思い至っていなかった。
いや
(思い至っていなかったというよりは疑う余地がなかった。これは知識だ。思考の元となる知識に魔法のことが含まれていたのね。)
ものは下に向かって落ちる。雨に当たると体が濡れる。そんな当たり前の論ずる必要すらない知識のフォルダに魔法に関しての知識も入っていた。
(そうよね。ようやくすっきりしたわ。考えてみれば何であれ見ただけで真似できるなんてある程度の前提知識が無いとあり得ないわ。まあ、ますます記憶を失う前の私が何者だったのかはわからなくなったわけだけれど・・・)
「あのー、ユリカさん?」
「あ、すいません。えっと・・・」
すっかり考え事をしてクレアの話を聞き流していたユリカ。自分をのぞき込むクレアの顔を見てようやく現実に戻ってきたようである。
「さっきも話していたのですがユリカさんはそんなに悩む必要はないと思いますよ。ユリカさんは保護者と言うよりも友達なのですから。気楽に思ったことを助言してあげればいいんですよ。」
「そんなものでしょうか?」
クレアの助言を聞き首をかしげるユリカ。彼女は人付き合いの経験というものが他人に比べて圧倒的に少なかった。何せ彼女はこの世界に来てからの2週間程度しか人生の経験が無いのだ。
「他人との関わり方というか、どう接するべきなのかがよくわからないのです。」
「うーん。まあ相手との接し方なんてそれこそ人の数だけあるんですから、ユリカさんが思ったようにすればいいんじゃないですかね。」
「でも何が正しいのかがよくわからないのです。人の心はよくわかりませんし。」
ユリカにとって他人の心というのは未知のブラックボックスに等しかった。知識だけではどうにもならない、まさにままならないと言った様相である。しかしながらそんな彼女の悩みは次の一言によってバッサリと切って落とされた。
「それはそうですよ。他人の心がわかる人間なんていません。だからみんな悩むしみんな間違えるんです。そうした積み重ねが自分の他人への接し方に繋がっていくんだと思いますよ。これも環世界というやつなのかもしれませんね。」
「そうか・・・そうですよね。」
(道理で考えてもわからなかった訳ね。結局、私には私なりの人付き合いの仕方しか出来ないのよね。)
クレアの当たり前の言葉に素直に感心するユリカ。
悩むまでもなく彼女は彼女なりにシャチハタやミライに向き合っていたのだ。最初はただの知り合いで今は苦楽をともにする仲間である。そしてその関係はこれからも変化していくかもしれない。
何せ彼女の長い旅はまだ始まったばかりなのだから。




