令嬢と攻略作戦 1
アトルッセを救出した次の日、一晩ゆっくり休んだアルマニアとヴィレクセストは、幻夢の賢人ノイゼと既知関係にあるのならさっさと会わせろ、というアトルッセの要望を飲む形で、レジスタンスの隠れ家までやってきた。
前回と同じようにして三人が隠れ家へ足を踏み入れると、事前に隠れ家の入口を守る人間から連絡を受けていたのか、ノイゼが駆け寄ってきた。
「アトルッセ!」
元魔法師団団長の名を叫んで駆けて来た彼の表情に、アルマニアが少しだけ意外そうな顔をする。
八賢人だったノイゼにとって、アトルッセは配下である魔法師団の長、というだけの存在かと思っていたのだが、心配と安堵と怒りとが滲む彼の複雑な表情を見るに、それだけの関係ではなさそうだ。
アルマニアがそんなことを思っていると、アトルッセの前までやってきたノイゼは、自分より背の高い美丈夫の顔を見上げて、流れるような動作で片手を上げ、そして――、
バチーン、と大きな音を立てて、アトルッセの頬を張り飛ばした。
予想だにしていなかった光景にぽかんとした顔を晒すアルマニアの前で、ノイゼがアトルッセの腹に追撃の蹴りをかます。どうやら見た目通り容赦がなかったらしい蹴りを受けたアトルッセは、身体を折りこそしなかったものの、ぐぅと低い呻き声を洩らした。
「ちょ、ちょっとノイゼ、一体、」
何事なの、と続きを言うはずだったアルマニアの口が、後ろから伸びてきたヴィレクセストの手によって塞がれる。それにアルマニアが気を取られている間に、ノイゼが拳による更なる一撃を繰り出そうとしたところで、その拳はアトルッセに受け止められる形で制された。
「モンテナルハ様、どうかその辺りでご勘弁を」
怒りもなければ謝罪の念もない声で言ったアトルッセに、ノイゼが美しい顔に血を上らせて相手を睨みつける。
「いいえ、勘弁できません! 一発くらい殴らせなさい!」
「……既に貴方から二発貰っている訳ですが」
「私が納得するまでは数に数えません! その上なんですかその呼び方にその敬語は! 私は賢人の座を追われ、貴方は魔法師団の団長どころか一員ですらなくなったというのに、喧嘩を売っているんですか!」
滅茶苦茶なことを言って尚も暴行に出ようとするノイゼに、アトルッセが僅かに困った顔をする。
「……判った、俺が悪かったから、少し落ち着いてくれ、ノイゼ」
「そうやって理由も判らずに謝るあたり、やはり喧嘩を売っているのですね! そういう態度でくるなら良いでしょう買ってあげますとも!」
叫びつつ放たれたノイゼの鋭い蹴りをなんとか躱しつつ、アトルッセは少しだけ躊躇ったあとで、ノイゼに向かって口を開いた。
「お前が何に怒っているのかくらい、理解している。勝手に先走り、己の力量もわきまえずに賢人に喧嘩を売ってすまなかった。お前に何の相談もせず、一人で行動してしまってすまなかった。……俺が全面的に悪かったし、お前が望むならお前が求めるだけの贖罪をするから、これ以上は勘弁してくれないか。その顔と肩書きに似合わず暴力沙汰が得意なお前の拳やら蹴りやらは、まともに受けると結構堪える」
そう言って頭を下げたアトルッセに、ノイゼが動きを止める。自分に向かって腰を折ったアトルッセの姿を見つめ、ぎりっと唇を噛んだノイゼは、己を落ち着けるように小さく息を吐き出してから、心からの誠意を以って垂れられた頭を平手で思いっきり叩いた。
「いっ……!」
思わずといった風に声が出てしまったアトルッセが、がばっと顔を上げてノイゼを睨む。だが、臆することなく彼の視線を真正面から受け止めたノイゼは、腕を組んでふんと鼻を鳴らした。
「私は優しいですからね、これで勘弁してあげましょう。この寛大な心に深く感謝してください。…………そして、もう二度と私を置いていくような真似はしないでください」
小さく続けられた言葉に、アトルッセはぱちりと瞬きをしたあとで、もう一度だけすまなかったと言った。
ノイゼはそれに対して言葉を返すことはせず、代わりにアルマニアへと向き直ると、深々と頭を下げた。
「アトルッセを救ってくださったこと、心より感謝申し上げます、アルマニア嬢」
彼の言葉を受け、ヴィレクセストがアルマニアの口を覆っていた両手をぱっと離した。
ようやく解放されたアルマニアは、間髪入れずにヴィレクセストの足の甲をヒールの踵で思いっきり踏み躙ったあとで、背後で上がった情けない悲鳴を無視してノイゼを見た。
「礼はいらないわ。約束した通り、私は私に示せるものを示しただけよ。これで私は、晴れてレジスタンスの一員になれる訳ね?」
そう言ったアルマニアに、ノイゼが顔を上げて彼女を見た。
「一員、などという言葉で済ませる訳にはいかないでしょう。……どうか、私たちレジスタンスを導く者として迎えさせてください」
その言葉にアトルッセが目を剥き、アルマニアもまた僅かに目を瞠ってから眉根を寄せた。
「それはいけないわ、ノイゼ」
「何がいけないというのでしょう。これは、レジスタンスの皆と話し合った上で決めたことなのです。貴女がアトルッセを救出してくださったなら、レジスタンスは貴女に従おうと」
「いいえ、それでも駄目よ。レジスタンスの人々は、私ではなく貴方の志に対して集まったのだもの。貴方を差し置いて私がトップに立つなんて、おかしな話だわ」
「しかし、」
「貴方の独断ではなく、レジスタンスの総意であることは理解してる。それを無下にするのは、私がレジスタンスの長になるくらい失礼な話だということもね。……だから、私一人ではなく、貴方と私とでレジスタンスを率いる、ということでどうかしら?」
この辺りが現実的な落としどころでしょう、という顔で言ったアルマニアに、ノイゼは数度瞬きをしたあとで、困ったような、それでいて感謝の籠った微笑みを浮かべた。
「……そうですね。それでは、ご配慮に甘えさせていただきましょう」
「別に配慮でもなんでもないわ。ただ私が、民の想いを無視するようなことはしたくないだけよ」
そう言ったアルマニアが、ちらりとアトルッセに視線を向ける。彼は先ほどから何か言いたげな顔をしていたが、どうやら表立って反対する気はないようだ。
(とは言え、私がノイゼと同じ立ち位置に並ぶことに対する文句はあるのでしょうね)
個人的に嫌だという感情は勿論のこと、そもそもアルマニアにそんな資格があるのかという疑問もあるのだろう。だが彼がそれでも何も言わないのは、実際に是非を判断すべきノイゼとレジスタンスの面々が納得しているからだ。たった今レジスタンスに合流したばかりの自分に口を挟む資格はないと、そう考えているのだろう。
当然と言えば当然の判断だが、その当然ができない者が多いことを考えると、きちんと己を律することができるアトルッセに対し、アルマニアは素直に好意を抱いた。




