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令嬢と不落の監獄 9

 身支度が済んだアルマニアが次に向かったのは、父であるロワンフレメ公爵の執務室だった。皇后に会いに行く前に一度公爵に顔を見せるように、という指示があったのだ。

 謹慎をしていた二ヶ月間、父がアルマニアを訪ねてくることはなく、アルマニアも部屋から出ることをあまり快く思われていなかったため、父に会いに行くことはなかった。食事の際も、アルマニアは自室で済ますようにと命じられ、家族で囲む食卓につくことは許されなかったため、父に会うのは二ヶ月ぶりということになる。

 果たして、久々に会う父は怒っているだろうか、悲しんでいるだろうか。それとも、ほんの少しはアルマニアを憐れんでくれているのだろうか。

 親に会いにいく子にしてはあまりに緊張の漂う面持ちで執務室の前に辿りついたアルマニアが、大きく深呼吸をしてから控えめに扉をノックする。

「……アルマニアが参りました、お父様」

「入りなさい」

 部屋の中からそう返事が聞こえ、アルマニアは覚悟を決めて扉を開いた。

「失礼いたします」

 少し重い扉を押し開いて中へと入ったアルマニアは、椅子に座って執務机に向かう父に向かい、努めてお手本のような動作で一礼した。それからゆっくりと顔を上げた彼女は、父であるロワンフレメ公爵の目を見ようとして、しかしその寸前で、公爵の首元のあたりまで視線を落とした。

 それを見た公爵が、僅かに目を細める。

「……なるほど、堕ちるところまで堕ちたか」

 そう言った低い声に、アルマニアは背筋が凍るような思いになって両の手を握り締めた。

 父は怒ってなどいない。悲しんでもいない。そして、憐れんでもいなかった。

 ロワンフレメ公爵家を統べる長は、アルマニアの父は、ただ目の前に差し出されたつまらない品を見るときのそれと同じ声で、何の含みもない感想を述べただけだ。

 たった一言で理解してしまったそれに、アルマニアの頭が真っ白になる。

 怒られた方がまだ良かった。悲しまれた方がまだ良かった。憐みも同情も気遣いも優しさもいらないから、いっそ恨まれ疎まれ呪われた方がずっとマシだった。

 アルマニアに皇后としての素質を見出し、強く優しく気高くあれと育て、その在り方の全てを示してくれた父はもう、アルマニアに対して何の期待も抱いていないのだ。

 公爵が紡いだ声からそれを悟ったアルマニアは、それでも顔を上げて父の目を見るべきだと判っていて、しかしどうしても落とした視線を上げることができなかった。

 厳しくも優しくアルマニアを導いてきてくれた父の目は、今や道端の石ころを見るようなものに成り果てているのだろう。アルマニアは、それを目の当たりにするのが怖かったのだ。

 顔をやや俯けたまま、ただ黙ってその場に佇むアルマニアに、公爵は元からなかった興味を更に失ったかのように、手元の書類へと視線を落とした。そして、そのままアルマニアを見ることなく口を開く。

「明日より、お前は皇妃として皇宮に上がる。その栄誉を深く噛み締め、皇帝陛下と皇后陛下に誠心誠意尽くすように。特に皇后陛下は、お前のことをいたく気に入られているそうではないか。皇帝陛下に疎まれているお前を庇って助けようとしてくれる者など、皇后陛下以外には存在しないだろう。ならばその真心に応えるべく、心からの忠誠を以て皇后陛下にお仕えしなさい」

「…………はい」

 ともすれば声が震えてしまいそうになるのを必死に抑えながら、アルマニアは短く返事をした。

 頭の中では、いつものアルマニアがいつもと同じ毅然とした態度で、小夜に忠誠を誓うなど無理だと叫んでいるのに、今のアルマニアにはそれを口に出すことができない。

 間違っているのは皇帝や小夜の考え方であり、民を守り導く者として常に最善の答えを出してきたアルマニアには非などないと。責められるべきはアルマニアではなく皇帝や小夜の方なのだと。そう確信しているはずなのに、その確信が揺らいでいく。

 揺らぎは罪だ。過ちを過ちと認め正すことは大切なことだが、揺らいではいけないのだ。今のアルマニアのように、何が正しいのかすら判らなくなってしまうようでは、何もできない。もしも普遍的な正しさなど存在しなかったとしても、そこに正しさを見出し、それを芯として決定を下すのが上に立つ者の役目である。ならば、その立場にある者は決して揺らいではいけない。揺らぐことなく、正を正と見出し、否を否と認め、そうして一歩ずつ進まなくてはならない。間違っても、正も否も判らなくなるような事態に陥ってはならない。

 そう、だから、アルマニアでは駄目だったのだ。

 怯え、揺らぎ、身動きのひとつすら取れなくなってしまうこんな小娘が誰かの上に立つなど、土台無理な話だった。それだけだ。

「お前は、ロワンフレメ公爵家を離れ、皇族として生きることになる。故に、もう私のことを父と思う必要はない。私も、お前のことを娘とは思わない」

 娘の方を見ることもなく告げられたそれを、アルマニアはぐちゃぐちゃになった頭の隅で聞き、思考とは別のところで動いた彼女の口が、判りましたと小さく呟いた。

 公爵の言葉におかしなところなど何もない。皇族になる娘は父よりも身分が上になり、それ故に二人の関係は、子と親から皇妃と臣下へと変わる。だから、互いに父と娘ではなくなるのだと、そう言っているだけだ。

 だが、アルマニアは判ってしまった。聡くあれと育てられ、そうあろうと努め続けた彼女は、理解してしまった。

 一切の感情が籠らない父の言葉は、皇族として旅立つ娘への餞ではなく、一切の縁を切るためのそれだ。

 アルマニアは、アルマニア・ソレフ・ロワンフレメが目指すべきものを与えてくれた父から、疑いようもなく明確に見限られたのだ。

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