Ⅶ.生還‐Alive Return‐
別に、戦いたいと思った訳じゃない。
ただ、あなたの為に何かをしたかっただけなの。
守りたいと思った時にはもう、あなたの事しか見えてなかったみたい──。
君を守る。 それが、僕の役目だった。
守りたいから、君の傍に居た。ずっと一緒だった。
君が偽るなら、僕だって同じ様に。
だから、あの日に──。
璃王とリトは、対峙していた。
正確には、璃王がその場から逃げ出したくても、蛇に睨まれた蛙のように脚が竦み、一歩も動けないでいたのだ。
(動けよ、早く……。
動けよ、俺の脚……!)
恐怖にただ、足が竦む。 背中を嫌な汗が伝う感覚があった。
背骨が凍りついたかのように身を捩る事さえ出来ない。
視線を外せば、何をされるのか分からないような緊張感。
次第に早くなっていく鼓動が胸を圧迫してくるから、胸が苦しい。
『元々、始祖から呪われてるんだから、どれだけ呪われたって同じだよね』
昔言われた言葉が蘇ってきて、右目に痛みが走る。
呪幻術師であるリトは、幼い頃に璃王を呪幻術の練習台にしていたのだ。
その所為で、璃王の右目は視力が殆ど失われている。
璃王が動けないでいると、リトが不意に手を伸ばしてきた。
それは、自分に向かって伸びてきている。
脳裏には、目を傷付けられた時の場面が鮮明に映し出され、璃王は思い切り目を瞑った。
「忌み子」
その暗闇の中で、リトの声がした後、パシッ、と、乾いた音が聞こえた気がした。
―― ――
―― ――
「さわるな……っ!」
璃王は突然立ち上がって、自分に触れた人間を威嚇するように爪を突き付ける。
ガタン、と、床の上に椅子が倒れる音が響いた。
「璃王ー。 ヒーイズファブレット公爵」
立ち上がった璃王の隣で、弥王は欠伸をしながらグレアを指して言った。
その言葉に我に返ると、璃王は「えっ!?」と小さく声を上げる。
どうやら寝惚けていた様で、そっと前を見ると、豆鉄砲を食った鳩の様に驚いた顔をして、自分の手首を掴んでいるグレアの姿があった。
もう少しで自分は、自らのボスの命を頂戴するところだったらしい。
「あ……」
「吃驚した……。
いや、神谷が好戦的なのは知っていたが……起こしただけで攻撃してくるとは思わなかったぞ……」
心底驚いた様に言うグレアの手の感触に、璃王は夢じゃないのだと認識する。
一体、自分はいつから寝ていたのだ?
やべぇ、全く記憶がねぇ。
「ファブレット……公爵……」
先程見ていた夢の所為か、心臓がバクバクと激しく脈打って苦しい。
その所為か、体中の血液が全身を巡り、体温が上昇して嫌な汗が流れるのを背中に感じた。
肩で息をして呼吸を整えると、璃王はグレアに謝る。
「すまない……」
寝惚けていたとは言え、上司――それも、この組織の上に君臨するボスに向かって凶器を突き付けたのだ。 謝って済む筈がないのは承知している。
もし、これをイリアの私騎士団でしようものなら、即刻首を物理的に飛ばされていただろう。
幼い頃に、私騎士団の団長をしていた自身の父親に対して反抗的な態度を取っていた団員が一人、いつの間にか消えていた事を思い出して、身震いする。
璃王は、恐る恐るグレアを見上げた。
「いや、気にするな。
それよりも、酷く魘されていた様だが……」
「あぁ、それは大丈……、公爵!」
どうやら、首を飛ばされる事はない様だ。
安堵すると同時に、心配そうな顔で自分を見ているグレアを見て、自分が相当魘されていたのだと思った。
頷きながら、璃王は視界に入ったグレアの頬を見て、言葉を切る。
不意に呼ばれたグレアは、首を傾げた。
「血が……!」
「ん?」
狼狽したかの様に言う璃王に、グレアはキョトンとした表情で頬に触れる。
すると、指先にヌルリ、と何かが付着した。
見てみるとそれは、璃王の言った通り、血だった。
グレアは何てことないとでも言う様に「あぁ……」と呟く。
「どうりでちょっと痛いな、と思えば……切っていたのか」
切ったのだとしたら、先程璃王に爪を向けられた時だろうか。
璃王は、グレアの薄い反応に唖然とする。
「き……気付かなかったの……か?」
「あぁ、全く」
璃王の問い掛けに、グレアは頷いた。
傷口が深いのか、赤黒い液体はグレアの頬を伝って、真っ白なシャツの襟もとに赤いシミを作っていく。
「まだ、血が出てる」
璃王は、ポケットからハンカチを取り出してグレアに近付くと、背伸びをしてグレアの頬にハンカチを押し当てた。
「こ……神……谷?」
流れている血を拭き取る璃王に違和感を覚える、グレア。
自分の知る彼は、ここまで世話焼きだったか?
突然の璃王の態度の変化に、グレアはたじろぐ。
絆創膏を取り出して自分の頬に貼ろうとしてくる璃王が少しだけ、璃王ではない様に見えた。
神谷はこんな、女みたいだったか……?
スペックが高いが故に、女子力もその辺の女子に比べて高い事は知っている。
しかし、今、目の前に居る璃王がグレアの目には、女みたいに見えてしまったのだ。
これは一度、ハーストに診て貰った方がいいのだろうか?
自分の脳を本気で心配する。
(んー? こいつ、リオンの方が出てないか……?)
グレアが璃王の態度に戸惑っている間、二人の様子を見た弥王はそんな事を思った。
明らかに今の璃王は“璃王”ではない。
そろそろ、ボロが出始めているのかもしれない、と、璃王とグレアを見て考えた。
それなら、こいつだけでも──。
「さーて、話も済んだし、明日歌の訓練に戻らせてもらうぞ」
「あ、あぁ」
弥王は、グレアに声を掛けると、席を立った。
考え事をしていたグレアは、弥王の声掛けに一拍遅れて応じる。
グレアが頷いた事を確認した弥王は、会議室を出ながら璃王に言った。
「それと、【リオン】は後で、オレの部屋に来い」
「え? あ、あぁ……」
突然話を振られた璃王は、何も考えずに頷く。
――ん……? 《リオン》……?
二人のやり取りを聞いていたグレアは、璃王に対する弥王の呼び方に違和感を覚えた。
璃王、だよな……こいつの名前。
グレアは、考え込む。
聞き間違いではなさそうだ。
《リオ》と《リオン》では、全く違う。 聞き間違える筈がない。
(愛称? でもなさそうだ。
神南が他人をニックネームで呼んでいる所を見た事がないし、そもそも、そういう性格ではないな……)
弥王の性格からして、幾ら親しい関係にあっても、他人の名前を愛称で呼ぶ事がないのは、この5年間でよく解っている。
グレイやグレイア――グレアの二番目の妹――にすら、会う度に名前呼びを許されているというのに、敬称で呼ぶのだ。
それほどまでに頑なで、生真面目な彼が、璃王をニックネームで呼ぶことがあるだろうか?
そもそも、幼馴染と聞いていた璃王を彼がニックネームで呼んでいる所を見た事がない。
(仮に、その《リオン》が神谷の本名だとして……男とも女とも取れる名前だからな。
ただ、もし神谷が女で、あの《リオン》だとしたら……。
とんでもない奴を引き入れたことになるな──)
璃王が出て行って一人になった会議室で、グレアは悶々とそんな事を考えていた。
―― ――
―― ――
裏警察本部の東棟は、建物全体が訓練場になっており、外壁はアスレチックの様な凹凸のある造りになっている。
他にも、建物の中には多彩なギミックが仕込まれており、新人のトレーニングに使われたりしている。
その地下に射撃訓練場があり、何発かの銃弾を発砲する音が絶え間なく響いていた。
聞くに耐えない程の発砲音に顔を顰め、片手で耳を塞ぎながら、弥王は的に向かって幾つか銃弾を撃っていたのだが、軈て弾がなくなると、銃をカウンターの上に投げた。
「……さっすが、伝説の銃騎士、エルリック・シーズも嫌悪すると言われている、ジョニー・セコッティンスの処女作にして失敗作……。
「喧しい」に尽きる代物だな。
こんなモン、支給品として使わせんなよ、あんの女誑し……」
未だ、耳鳴りで痛む耳を押さえながら、険しい顔で弥王は毒づく。
半世紀前、世界を震撼させた殺人鬼「ジャック・ザ・リッパー」を始末した事で一躍有名になった銃騎士、エルリック・シーズ。
彼は剣の腕は最悪だが、一度銃をその手に納めればどんな獲物も逃さなかったと言われている、弥王の様な銃マニアのみならず誰もが憧れている伝説の英雄。
そんな彼が使う事を厭う程に嫌悪していたとされる銃が、彼の幼馴染が発明した、JNY000。
今まで、弥王が試射していた銃である。
少しでも整備を怠るとすぐに暴発するわ、すぐに弾詰めを起こすわ、気まぐれで暴発するわ、発砲音は殺人レベルだわ、いつ暴発するか分からないわ、そればかりか照準は合わないというポンコツぶりで、銃の使い手の間では、飾りはするが武器としては使いたくない銃ワースト1に入っている代物だ。
何故、そんな代物が支給品として配備されているのか。
それは、ただ単にグレアが銃に興味がなさすぎる為の無知からである。
「使えれば何でも一緒だろうが」と言うのが、グレアの意見だ。
そもそも、グレアのみならず、基本的にファブレット家は剣術の家系でもある。
だから、グレイにしろグレアにしろ、その他の姉弟・従姉まで、剣を扱う人間しかいない。
それ故、銃に興味を持つことがなかったのだろうと思う。
自分の家とはまるで正反対だ。
弥王の父親はそれこそ、重度のガンコレクターで、父親の執務室や自室に行くと壁一面・部屋中に銃が飾られていた事を思い出す。
なんにせよ、今度、公爵を絞めておこう。
こんな無知の所為で、自分だけでなくただでさえも少ない裏警察の隊員が、先祖と茶会をする羽目になるのは防ぎたいものだ。
弥王は、自前の銃をカウンターに置いて、支給品のポンコツを棚に仕舞った。
「弥王様」
ポンコツを仕舞ったタイミングで明日歌に声を掛けられ、弥王は振り返る。
「早かったな、明日歌……、おぉ……!」
振り返った弥王は、明日歌の姿を見て、感嘆の声を漏らす。
明日歌は、黒を基調としたワンポイントに紫のラインが入っている耳当てと、プラスチック製のゴーグルを着けていた。
弥王が感嘆の声を上げたのは、そのゴーグルと耳当てに見覚えがあったからである。
「オレのお古じゃないか。 失くしたと思ってたんだが……何処にあったんだ?
つか、こんな古いモン、よく見つけたな?」
「ファブレット公爵に今日の訓練の事を話したら『なら、良い物をやろう』って、執務室の整理棚から引っ張り出してくれたんです」
少しだけ驚いた様な弥王の声は、何処か懐かしむ様な響きがあって、明日歌は「余程大事にしてたんだな」と思う。
「そうか。 じゃあ、耳当てとゴーグルがお古のついでに、今日の所はオレが昔使っていた銃を使ってもらおうか」
微笑んで弥王は、カウンターに用意していた少し古い銃を明日歌に渡す。
「支給品は、殺人レベルに喧しすぎるからな。 それで明日歌の鼓膜が破れでもしたら大変だ。
今はオレと明日歌だけだし、こっそりな。
他の奴らにはナイショだぞ?」
明日歌の目線に合う様に少し屈むと、口元に人差し指を添え「しーっ」と言うジェスチャーをしながら微笑む、弥王。
明日歌は「はいっ!」と返事をしながら、彼から銃を受け取ると、紅く染めた頬を隠す様に俯く。
ゴーグルで顔が隠れてて良かった。 と、明日歌は思った。
「まずこの銃だが、これはJNY077と言って、大体10年前くらいに開発された銃だ。
開発者は、天才発明家・ジョニー・セコッティンスの息子であり弟子である、ジョニソン・セコッティンスで……」
隣で銃の説明をしている弥王の顔をチラリと見ながら、明日歌は、弥王がいつもの訓練よりも楽しそうな事に気が付く。 余程、銃が好きな様子だ。
弥王が銃を試しに撃つ姿、構える時の姿勢のレクチャー、上手く的に銃弾を当てる事が出来れば、頭を撫でてくれた。
明日歌は、いつもよりも弥王を近くに感じて、焼ける様な顔の火照りを感じていた。
――これが、俗にいう、“恋”と言うモノなのだろうか。
憧れる気持ちは勿論あるが、それと同じくらい、弥王に対して焦がれる感情が確かにある。
それはきっと、なんとも面妖な状況で出逢い、この特異な環境に居る所為で芽生えてしまった物なのだろう。
弥王に裏警察に連れて来られて1週間。 ずっと、明日歌は考えていた事があった。
―― ――
―― ――
「弥王様、私……私も、任務に参加したいです」
訓練が終わった後、明日歌は、弥王にそんな話を切り出した。
明日歌の話に特別驚いた素振りも見せず、弥王は「やっぱりか」と、細く息を吐く。
最近、明日歌が何かを考えているらしい事は既に解っていた。
それが、任務への参加であろう事も、何となく想像が付いていた。
弥王は考える。
明日歌はまだ、8歳だ。 何も、今すぐにでも任務に参加しなくたって良い。
そもそも、明日歌を裏警察に置いたのは、明日歌のO.C.波の訓練の為が主なのだ。
裏警察に置くからには危険も伴う為、護身術程度に剣術・体術・射撃訓練――と色々とさせてはいるが……。
隊員として働くにしろ、初めは医務室で女医であるロラン・ハーストの補助をさせようと思っていた。
それをロランは薦めていたし、グレアも、明日歌の任務参加には積極的な態度ではなかったのだ。
「任務へ参加すると言う事は、命令や依頼があれば、沢山の人を殺さなければいけないという事だ。
死宣告者になるにしろ、殺し屋になるにしろ、その背中に屍を負う事になる。
それでも、任務へ参加したいと?」
弥王は、自分を見上げてくる青い目を真っ直ぐに見つめ返して、問う。
明日歌の目には、揺らがない決意の色が見えた。
いつか、自分と璃王が、グレイとグレアに向けた様な目と同じ目だ。
明日歌は徐に頷く。
「私、もっと強くなりたい。
強くなって、弥王様を守れる様になりたくて……。
弥王様は強いし、璃王様という素晴らしいパートナーが居るから、私に守られなくても大丈夫だろうけど……」
舌を縺れさせながら、たどたどしく明日歌は思いの丈を弥王に話す。
ここ1週間、ずっと考えてた事がある。 それは、強くなりたいと思った事。
弥王のように強くなって、弥王と一緒に前線に出たい そして、弥王を守りたい。
手っ取り早く強くなるには、実戦経験を積む方がいいと、璃王から聞いていたのだ。
弥王様が、見つけてくれたから。
弥王様が、気付いてくれたから。
弥王様が、居てくれたから。
ここ1週間で、弥王様から沢山の事を教えてもらった。
護身術、料理、お菓子作り。
時間を見つけては、連れ出してくれたりもした。
だから、自分も強くなって、弥王様を守りたいと思った。
その時にはもう、既に弥王様が好きだったのだと思う。
明日歌は、スカートの裾を握り締めて、話す。
「でも、何かして貰うばかりじゃ、嫌なんです。
だから、精一杯考えて、それで……」
明日歌の話を聞いて、弥王は 少しだけ思案する。 そして、頷いた。
「んー、本当は、医務室でロランの補助をするか、公爵の補佐をするか……なるべく、前線から離す前提で話を進めたかったけど……、まぁ、オレと璃王がここに入ったのも、丁度、明日歌と同じくらいの時だったしな。 止めた所で説得力はないか。
解った。 公爵にはオレから話しておこう。
丁度今夜、任務があるし……同行してから、考えてみると良い」
弥王の言葉に、明日歌は顔を明るくして「はい!」と頷く。
「じゃあ、今日の夜8時に、オレの執務室に来てくれ。
その時に話そう」
弥王と璃王には、自室以外にもう一つ、専用の部屋が宛がわれている。
裏警察に入ってきて少しした後、弥王と隊員がシャレにならない大喧嘩をして、訓練場ごと本部の一部が壊れてしまい、ついでに本部をリフォームする事になったのだ。
その際、弥王がグレアに「部屋が書類で散らかるのが嫌だから、専用の部屋が欲しい」と言って、弥王だけに部屋を宛てがうのは不公平という事で、自室の他に一部屋ずつ増やしたのだ。
ちなみに、その時の隊員は、ロランにフラれたショックで裏警察を辞めてしまって、もう居ないのだがその辺の話は、番外編にでも書きたいと思う。
ともかく、弥王と明日歌は訓練場を出て、その後はそれぞれ、思い思いの時間を過ごす事になった。
── ──
―― ――
「そうか、神月がそんな事を……」
明日歌と別れた後、弥王は明日歌の事をグレアに報告するべく、執務室に居た。
弥王の報告を聞いて、グレアは眉根を寄せる。 予想通りのグレアの反応を見て、弥王は言った。
「オレは、明日歌の意思を尊重したいと考えている。
実戦投入するにはまだ早いと思うが、一応、護身術の基礎はできている。
対人であれば、自分を守る事くらいは余裕の筈だ」
「……そうか。
まぁ、お前がそこまで言うのだったら、殆ど心配は要らないみたいだな?
──良いだろう、今回の任務に同行させる事を許可する。 ただし、ちゃんと守ってやれよ。
それが、神月を入隊させる時にお前が提示した条件だからな」
少し考えた後、グレアは、明日歌を任務に同行させる事を許可した。
割とあっさりとグレアが許可を出すもんだから、弥王は拍子抜けする。
もっと渋られるもんだと思っていたのだ。
「あぁ、その顔は拍子抜けしているな?」
「な……っ!」
グレアは、弥王が拍子抜けしている事を見抜く。
揶揄う様に藍色の目が細められた。
吃驚する弥王に、グレアは微笑んで言う。
「お前の考えそうな事は、大体解っているからな。
神月が最近、任務に参加したがっていた事も、それを聞いたお前が、私に交渉するだろうと言う事も何となく察していた。
お前が今ここに来て、確信したがな」
「あぁ、すべてお見通しだったワケだ」
弥王は、苦笑する。 昔から、自分が考えている事の大半が見透かされている。
自分が考えている事が大抵、グレアに先回りされているのだ。
公爵には隠し事が通じない。 昔から、裏警察の隊員の中で言われている事だ。
それは裏を返せば、隊員の事をちゃんと見ているという事で、悪い事ではない。
少なくとも、そのお陰で自分達は、両親が居ないなりに成長できたのだから。
「まぁ、な」
こういう事はすぐに解るのに、肝心な所がまだ、少しも解らない。
内心で自嘲しつつ、グレアは平然を装って、弥王に答える。
「流石、公爵ともなれば人身掌握が超一流だな。 あぁ、皮肉ではなくて。
それじゃあ、オレは失礼させてもらうぞ」
肩を竦めて言うと、弥王は執務室を出て行った。
一人取り残されたグレアは、考える。
神南の素顔にまだ、確信が持てない。 グレアはずっと、弥王と璃王の事について考えていた。
時折、二人の事を考えて、もし、二人が、あの二人だとしたら?という事を考えているのだ。
今まで通り、接していいものだろうか。
恐らくは、どう接したらいいのか解らなくなるだろう。
今までグレアは、弥王と璃王の事は弟の様に接してきた。 それが覆った場合、自分は二人とどう接すればいいのだろうか。
もし、ミオン・セレス・ルーンとリオン・ヴェルベーラなら。
このまま、ここに置いておいても良いものだろうか。
他国の王女とその眷属を?
幾ら、あの家系が裏社会系の家系だったとしても、リオンの方はともかく、ミオンの方はかなり問題になるのではないだろうか。
そんな事を、もうずっと考えていた。
「お前は誰なんだ……神南」
考えても、堂々巡りの考察ばかりだけが頭を巡って、そこから抜け出せない。
グレアはまだ、頭を抱え込む。
この疑問が解けるまで、あと、5時間。
―― ――
―― ――
「――は? 今、何つった?」
紙パックの蜂蜜入りミルクティーを飲み干して、璃王は弥王を睨む様に言った。
璃王は、弥王に呼ばれた通り、弥王の執務室に来ていた。
璃王が訊き返せば、弥王から返ってきたのは、こんな言葉だった。
「聞こえなかったか?
お前、もう、アクターをやめろ、と言ったんだ」
「いきなり、どうしたんだよ?
大体オレは、役者になったつもりなんかねぇぞ?」
飲み終えた紙パックを潰しながら、璃王は弥王に言う。
璃王が執務室に呼ばれて行けば、弥王に「アクターをやめろ」と、突然言われたのだ。
言われている事の意味がよく解らず、璃王は反論する。
そんな璃王に、弥王は言った。
「あぁ、解りにくかったか? なら、解りやすく言ってやる」
何を言われるのかと、璃王は身構える。
弥王から言われた言葉は、これだ。
「“神谷璃王”を捨てて、“リオン・ヴェルベーラ・ヴァルフォア”に戻れ、と言ってんだ」
「な……っ!」
弥王の言葉に、璃王は衝撃を受ける。
今更、何言ってんだ。 リオン・V・ヴァルフォアに戻る?
そんな事をして、今更何になるというんだ。
直ぐさま、璃王は弥王に反論しようと口を開いた。
「意味がわ――」
「公爵が“リオン”に気付きかけている」
「!?」
反論しようとする璃王の言葉を遮って、弥王は言った。
弥王の言葉に璃王は、凍り付く。
そんな璃王に、弥王は説明した。
「さっき、チラッとお前の頬に猫呪の痣が見えた。
寝惚けていたんだとは思うが……その後のお前は、無意識だろうが怪我をした公爵に、こう言った。
『気が付かなかったの?』」
そこまで聞いた璃王は、言葉を詰まらせる。
殆ど無意識だった所為か、先ほどのグレアとのやり取りを断片的にしか覚えていない。
確か、公爵が怪我をして……そうだ、手当てをした。
ハンカチを、公爵の頬に押し当てて、絆創膏を貼って……!!
そこまで思い出すと、璃王は、愕然とする。
確かに、「神谷璃王」としての自分なら、有り得ない行動をした。
今の自分ならそこは「これでも貼っておけ」と、絆創膏を投げるだろう。
しかも、弥王の証言から、何気に昔の口調になっていた様だ。
璃王は、それを思い出すと額を抑えた。
完璧にやっちまったヤツじゃねぇかよ……。
「流石にもう、隠しきれないんじゃないのか?
お前の声だって、無理に声を低くしている様な不自然な声だしな。
お前の事、話した方が良いんじゃないか?」
弥王の言葉に、璃王は言う。
「お前の事を話す事にもなるぞ」
「オレは如何にでも誤魔化せるさ。
お前が「実はこいつ――」って指ささない限りな」
璃王の言葉に、弥王は言った。
どうせ、今の自分や璃王が何を言ったって、公爵は自分の事は信じないだろう。
この外見にこの声では、幾ら説明したって――。
弥王が少しだけ、思考を別の方に向けていると、木製のドアをノックする軽い音が聞こえた。
弥王はその音に、意識を戻す。
「明日歌も来た事だし、この話はまた後でだ。 ……考えとけよ」
璃王に言うと、弥王は「明日歌だろ? 入ってこいよ!」と、扉に声を掛ける。
そんな弥王の背後で、璃王は考えた。
──僕の為に言ってんのは、解ってる。
解ってるけど……。
弥王の言葉は、いつだって的を得ている。
今回も、そろそろ潮時な事を弥王は見越して言ったのだろう。
だけど……。
――君はそれで良いのか? ミオン……。
自分だけが皮を剥いで、その真実を晒す事に抵抗がある。
自分だけが自分らしく生きる隣で、君は偽ったままでいるつもりなのか。
“君が偽るなら、僕だって同じように。”
そう決めて、今まで過ごしていた。
それを今更、崩せと言うのだろうか。
君だけが偽ったまま?
璃王は、仲睦まじく話している弥王と明日歌を遠巻きに見て、そんな事を考えていた。
握り締めた掌から零れる紅い血に気付く事もなく。
噛み締めた唇の痛みに気付く事もなく。
彼らの素顔が明かされるまで、あと、4時間50分。
彼らの物語が始まるまで、あと、4時間55分。
物語の終焉まであと、8万7千6百時間。
―― ――
―― ――
「今回の任務についての説明をするぞ。
まず、今夜の標的は、エデンカンパニーだ」
明日歌が来た事で、弥王から任務についての説明をされる。
弥王と璃王、二人だけだった時は任務の確認だけで、大したミーティングもしていなかったのだが、明日歌が入ってくるとなると、任務の目的や規模、標的の情報を説明する必要が出てくる。
その為のミーティングだ。
「エデン? 確か……スラム街の近くにそんな名前の薬屋さんがありましたよね?」
「詳しいな。
そう、表向きは、な」
明日歌が聞き覚えのある名前を確かめると、弥王は頷いた。
そして、弥王の説明は続く。
「裏じゃ、人身売買に人体実験、被験体などの密売、敵国への武器・麻薬等の流出……と、言い出したらキリがない程に色々と悪どい事を平気でしてきた連中だ。
昔はそこまで目立たず、誰も相手にはしなかったが、最近になってそれがエスカレートして、目に余る様になった」
弥王の説明を明日歌は一生懸命に聞く。
見学とはいえ一応、初任務だ。 失敗はしたくない。
然りげ無く、明日歌がメモを取るスピードに合わせて、弥王は説明していく。
「その頃になって、少年の失踪事件が多発する様になった。
こちらは、切り裂きジャック2世が現れて3ヶ月くらいあとに便乗する様に起こっている。
政府の駄犬共はこの事件を反抗期の家出だと判断したが……まさか、13歳以下の少年が反抗期の家出で2日以上も帰らないとか、有り得るか! 公爵じゃあるまいし!」
「ふはっ」
弥王の最後の言葉に明日歌は驚いた様な表情を浮かべ、璃王は、乾いた笑い声を漏らす。
弥王と璃王は、グレアの黒歴史とも言える学生時代の事は全て、グレイから聞いていた。
「――と、言うワケで、政府の駄犬共が使えないと判断した女王陛下は、この調査を公爵に委託。
公爵の下した判断は、誘拐失踪事件との事。
で、そのエデン、怪しくね? 調査ついでに、エデンが目障りだから潰してこい、と」
そこまで説明した弥王は、資料に目を向けて、苦虫を噛み潰した様な渋い顔をする。
どうやら、変な事でも書かれていた様だ。
弥王は、うんざりした調子で言った。
「面倒臭いぞ、この任務。 殺るのはあくまでカンパニーの人間だけで、誘拐された少年たちは保護しろ、だって」
「は? 不可能だろそれ?
アスみたいな子供でも裏稼業してる奴だって居るぞ?
そもそも、裏社会の人間か表社会の人間かなんて、見分けが付かねぇだろ……俺も、そこまで闇の方はレベルが高い訳じゃねぇし」
弥王の言葉を璃王は聞き咎める。
死宣告者や殺し屋などの、俗に“裏稼業”と呼ばれる自由業に就く年齢層は、年々低くなっていっている。 最年少で7歳なんて、ザラにあるくらいだ。
だから、弥王が読み上げた任務内容は、不可能なのだ。
ただ、レベルの高い闇の呪幻術師か若しくは、人の本質を視る事ができる幻奏者ならば、見分けが付くのだが……どちらにしろ、璃王や弥王でさえも、人間を裏社会の人間か表社会の人間かを見分けることはできない。
呪幻術師であるなら、璃王でも見分けがつくが。
弥王は、肩を竦めて言う。
「何とか、肉眼で見分けろ……って、事じゃないか?」
「何だよ、その任務。 頭、大丈夫か?」
弥王の言葉に、璃王は呆れた様に溜息交じりに零す。
璃王がそう言いたくなるのも解るので、弥王はその事に関しては黙った。
「説明はここまでで……今夜の任務に、明日歌を連れて行く事になったワケだが……明日歌」
弥王は、デスクの上に用意していた白い仮面とマントを取り上げて、明日歌に声を掛ける。
明日歌は、直ぐに「はい」と返事をした。
「これは、顔を隠す為の仮面と、防寒と返り血を防ぐ為のマントだ。
マントは強制じゃないから、邪魔なら羽織らなくていい。
仮面は、プライバシー保護の為に一応、付けとくように。
まぁ「私は死宣告者として顔を売りたいんです!」ってんなら、止めはしないけどな……実際、そういう死宣告者は割といるんだよなぁ。
コールサインは「子爵」だ」
「はい」
弥王は、仮面とマントを明日歌に渡して、任務に就く際の必要事項を説明する。
それを受け取りながら、明日歌は頷いた。
「それと、オレ達の何を置いても厳守すべき任務は“生還”だ」
「アライヴ・リターン……」
メモを取りながら、明日歌は、弥王の言葉を反芻する。
弥王は頷いて、説明した。
「実際に行けば解るが、任務は常に“生か死か”……殺るか殺られるか、だ。
オレや璃王の様にパートナーが居る場合、互いを守りながら戦えるという、利点がある。
だから、生存確率は単独よりも高くなる」
「一方で、欠点も存在するがな」
弥王の説明に、璃王が割って入る。
欠点? と、明日歌が呟くと、璃王は続けた。
「自分の命を半分は他人に預けるワケだから、パートナーを信頼して相手の行動パターンを分析しつつ、考えてフォローに回ったり、突撃したりしないといけない。
まぁ、解りやすく言えば、互いの呼吸を合わせないといけない、っつー事だ。
例えば、俺がしくじればこいつの首は飛ぶし、こいつがしくじれば、俺は先祖とお茶会を楽しむ羽目になる。
だから、相手との相性と信頼が不可欠だ」
「解ったか?」と、璃王が問えば、明日歌は「はい」と頷く。
弥王が時計を見れば、時刻は午後9時に差し掛かっていた。
弥王は「さて、そろそろ時間だ」と言いながらマントを翻して、仮面を着けた。
「必ず、“生還”する……ここにな」
キャラの関係性が何となく分かったような気になるような気がする相関表(現時点)
*神南弥王
神谷璃王→幼馴染且つ相棒。
璃王に正体を明かす様に進言する。
グレア・ファブレット→女誑しだが、一応は尊敬しているボス。
璃王の素性だけでも話した方がいいのでは……。
神月明日歌→可愛い妹ゲット!
グレイ・ファブレット→6年前から世話になっている。
自分を弟のように接してくれるのは嬉しいけれども、身分が違います故……
*神谷璃王
神南弥王→幼馴染且つ相棒。
弥王に「お前だけでも素性を明かせ」と言われているが、自分だけ素性を明かすことに罪悪感を覚える。
グレア・ファブレット→素性がバレたかもしれないので警戒Max
神月明日歌→弥王が拾ってきた子。 「強くなりたい」との相談を受けた事があるので、「実戦経験を積め、それが手っ取り早い」と吹き込む。
グレイ・ファブレット→6年前から世話になっている恩人。
「弟のように接してくれるのは有り難いが、俺はあくまで近衛家令ですから」
リト・コスモ・ヴァルフォア→トラウマその物。
二度と会いたくなかったのに……。
セラ・A・ヴァルフォア→意識を一方的に共有されている為、こちらが何処で何をしているのか筒抜け。 当然、夜会でのひと時も筒抜けである。 解せぬ。
ラル・プリム・ヴァルフォア→母親の又従兄の娘に当たる。
何故か昔から、世話を焼きたがるんだよな……。
*グレア・ファブレット
神南弥王→信頼している部下。 弥王の素性が気になって仕方ない。
“ミオン”だった場合、どう接すれば……。
神谷璃王→信頼している部下。 なんか、こいつ女っぽくないか?
弥王が呼んだ“リオン”と言う名前に引っ掛かりを覚える。
もし、“あのリオン”なら、どうしよう……。
神月明日歌→弥王が拾ってきた少女。
絶対こいつ、神南の妹か親戚だろ……。
と言うか、何か僅かに殺気を向けられている……?
グレイ・ファブレット→末妹にして女王陛下。
いい加減、器物破損をやめてもらえませんかね。 反抗期か?
*神月明日歌
神南弥王→弥王様大好き、守りたい、弥王様ガチ勢。
弥王様なしじゃ生きていけないので、責任取ってください←
神谷璃王→弥王様が絶大な信頼を置いているので、信頼してる上司。
弥王に関する相談は璃王様に乗ってもらう。
璃王様はお兄ちゃんみたいな感じになりつつある。
グレア・ファブレット→なんか、弥王様と距離近くない? 処す? 処す?
グレイ・ファブレット→女王陛下。 可愛がってくれるので好き。
*グレイ・ファブレット
神南弥王→可愛い兄弟みたいな。 名前呼びOKしてるのに、笑顔でめっちゃ振ってくるじゃん?
神谷璃王→可愛い兄弟みたいな。 名前呼びOKしてるのに、涼しげな顔でめっちゃ振ってくるじゃん?
グレア・ファブレット→ロリコン・シスコン・女誑し兄貴。
でも、嫌いではないよ! ちょっと反抗期なだけで!
神月明日歌→弥王が拾ってきた子。
弥王の攻略は難しいぞー、がんばれー。