Ⅳ.手紙-Letter-
――君がいるから、どんな世界だって愛せる。
君がいない世界に意味はない、何を置いても君だけが真実なのだ。
母が、君の母を”運命”だと呼んだように。
私もまた、君を何よりも愛しい“セカイ”だと思っているんだ。
だから、君が傷付くことは絶対に、赦せない。
「この一連の事件の首謀者は、ネル・サクラギだと、僕は考えている」
ゆっくりと、璃王の言葉が静かに部屋に落ちる。
弥王は「まだ仮説の話」だと言っていたが、璃王の声やその瞳は、まるで確信しているかのような響きがあった。
言い切った璃王に、弥王以外のメンバー――クレハ、レナ、エイル、ライト、クリスはそれぞれ、戸惑いを隠せないという様にお互いの顔を見合わせる。
戸惑い、困惑、懐疑――、様々な想いを抱いた瞳が交錯する。
“一連の事件の首謀者は、ネル・サクラギ”。
その考察に疑いを持つ人間がいるのは、璃王も想定済みだった。
ネル・サクラギと言えば、ウェストスター校で誰もが憧れる生徒会メンバーの寮弟であり、その素行は品行方正、教師からの信頼も厚く、成績は常にトップクラスという優等生。
彼女に憧れる生徒もいる程だと聞いた時には、弥王も璃王も人違いを疑ったモノである。
しかし、寮弟としてのネルの働きは、レナや他の生徒会メンバーも認める程だというのは、見ていれば嫌でも分かってしまうのだ。
特に、レナからの信頼は厚いものだから――。
水を打ったかのような静寂の中、口を開いたのはレナだった。
「それは……、何か確信があるんだよね?
サクラギさんが、首謀者だって」
その声はやはり、信じられないと言いたげな、むしろ璃王がネルを陥れようとしているのでは――?とすら疑っていそうなものだった。
それもそうだろう、この話の前、剣術大会の時には既に「神谷璃音がネル・サクラギをいじめている」なんて噂すら立っていたのだ、むしろ、璃王の言葉で逆にその噂に信憑性が生まれてしまったのかもしれない。
無情にレナを見つめる瑠璃色の瞳、それはどこか、諦念を孕んでいた。
ややあって、璃王は力なく首を振る。
「言っただろう、“仮説の話”だと。
今のところ、状況証拠だけだ」
「それなら……!」
「この“状況証拠だからこそ”、むしろ、彼奴しかいなくなるんだよ……犯人が」
璃王の言葉に、尚も縋るように言葉を吐き出そうとしたレナに、強く言葉を重ねる璃王。
そう、璃王が感じている呪力は小さいものも含めて五つ。
つまり、この学校には少なくとも五人の呪幻術師がいるという事だ。
その中でも、幻術を扱えるのは、ごく少数。
力の弱い一人、レイナス、クリスは非該当であることから、自然とリトとネルしかいないという事になる。
そのどちらかがいじめの首謀者だとしたら、校長に気に入られている弥王よりも璃王を狙った時点でネルの可能性の方が高い――ほぼ確定と言って良いだろう。
(しかし、状況証拠しかないのは痛いな……)
ネルがこの事件の首謀者だという事は、既に状況が物語っている。
あとは、レナ達をどう納得させればいいのか。
尚も納得のいかない様な表情で璃王を見るレナに、璃王は押し黙ってしまう。
「まぁ、いきなり“首謀者はネル・サクラギだ!”なんて言われても、ネルを寮弟にしているスタン先輩には――、いや、この場合は生徒会全員かな?
信じられませんよね。
ですが、実際、校長に気に入られている筈の僕が無傷で、リオンが標的になっている。
これだけでも、ネルを疑う余地はあるんですよ」
黙り込んでしまった璃王へ助け船を出す為、弥王が口を開く。
「他にも、リオンが見かけたクリスとスタン先輩が揉めている現場。
リオンの携帯の録音にあった“寮長”。
クライン先輩も、“レナの目撃情報が多かった”と言っている。
それなのに、何も知らないスタン先輩。
これで“ネルを疑うな”は無理ですねぇ。
何故なら、ネルであれば、スタン先輩に扮することは可能なので」
「えっ!?」
「おい、ミオン!
何を喋る気だ?」
弥王の含みのある言い方に璃王以外が首を傾げ、璃王は彼女が言わんとしていることを瞬時に察すると、弥王へと鋭い視線を投げつけた。
そんな璃王を制し、弥王は続きを喋り始める。
「スタン先輩の寮弟であれば当然、先輩の癖や話し方、喋り方のトーンなども把握していることでしょう。
となれば、ですよ。
背丈も似たような二人ですので、ネルがウィッグを被ればスタン先輩に扮することは可能という事です。
顔もメイクでどうにでもできるでしょう。
とにかく、この辺りは憶測の域なので、そうですね……」
ふむ、とこれからの作戦を頭の中で考え始める弥王。
どうにかしてバッタモンスタン先輩を呼び出すことができればいいが――と考えながら視線を巡らせる。
すると、ちょうど璃王と目が合った。
目が合った彼女は、訝し気に首を傾げて弥王を見ている。
どうにか璃王を囮にせずに呼び出せる方法があればいいのだが。
璃王をこれ以上傷付けることは、できれば弥王も避けたい。
否、できれば、ではない。
弥王としては何としてでも避けたいことだった。
「なんか、呼び出せるいい方法があればいいのだけどな……」
ぼそりと口から零れ出た弥王の呟きに、璃王は目を伏せる。
きっと、ここで自分が囮になるとでも言えば、弥王は暴走しかねない。
それでも――と思った璃王だったが、ふと、理科の前に謎の手紙を貰った事を思い出す。
璃王はパーカーから、貰った手紙を慎重に取り出した。
「リオン、なんだいそれ……手紙?」
璃王がパーカーから手紙を取り出した瞬間を目撃したクレハが声を掛けてくる。
その声に一同、璃王へと注目した。
璃王の手には、濡れて乾いたようなくしゃくしゃになった紙があり、本人もその紙の状態に溜息を吐いている。
「あぁ……これ、理科の前に何でか渡されたんだ。
今思い出した。
何だっけ、高等部1年の先輩が渡してきて……、自分の部屋に間違えて送られて来たみたいだから、渡すとか言われたな。
しかも、宛名だけで差出人の名前も分からないし……」
「差出人が分らない……」
「え、そんなものがレター係の所に行ったの?」
ふむ、と手紙を覗き込んで考え込むクレハの隣で、レナが驚いたような声を零す。
その言葉に、璃王は「みたいだ」と頷いた。
「普通、差出人が不明な手紙は破棄する決まりがあったはずだけどな」
「え?」
璃王の手紙を覗き込むライトが顎に手を当て、考えるような仕草をしながら言葉を零す。
その言葉に反応したのは璃王。
それでは、そんな手紙が何故、その先輩の所へ配達され、そして自分の手元に来たのか……。
「一昔前に、匿名で複数の生徒に手紙を出してその手紙を読んだ人がまた、匿名で複数名の生徒に手紙を出す……所謂、チェーンメールみたいなことが横行してね。
内容はおまじないみたいなものだったんだけど、それが元で問題になって、それ以来匿名で手紙を出す事は禁止されたんだ。
差出人が匿名の手紙を見つけたら処分するように、レター監督の先生からお達しも出てる。
だから、そんな手紙が誰かの所に届く筈がない」
「あー、あったね、そんなこと」
ライトの説明にクレハが頷く。
それは、ライトたち生徒会メンバーが中等部の時の話だった。
当時、教育実習生としてウェストスター校に来たレイトの人気も相まって、占いやおまじないが女子を中心に流行った。
その中に「匿名で手紙を出して好きな人の下へ届いたら、その二人は結ばれる」なんてジンクスまで出てきて、実際にそれを実行した生徒も多かったのだ。
中には、勘違いした男子生徒から女子がストーカーされるなんて事件まで起こってしまった為、それを当時の校長が問題にし、手紙に関するルールまでできてしまった、という事情がある。
それ以来、匿名で手紙を出す事を禁じ、レター係には匿名の手紙は焼却処分するように言いつけてあるとの事。
「――って、クレハは知らないでしょ。
その頃まだ、居なかったんだから」
頷いたクレハに、レナは驚いたような表情を向ける。
クレハがウェストスター校に来たのは去年の春だった。
その為、クレハがその事件を知っている筈がないのだ。
レナから訝しむ様な視線を浴びたクレハは、フードを更に目深に被るようにフードの端を下げる。
「……そんな話を、友人から聞いただけだよ」
「友人?
私はってっきり、クレハはボッチなのかと……、お昼、大体ここにいるじゃない?」
クレハが呟いた言葉に、更にレナが突っ込んでいく。
クレハの1日の生活と言えば、授業中の時間と校内の見回りの時以外は基本的に生徒会室に篭ってこけしを作っている。
そんなだから、レナの中ではクレハはボッチ認識だったのだ。
何でもかんでも質問してくるレナに鬱陶しさを感じたのか、溜め息の後クレハは投げやりな口調で答えた。
「もういないからね。
編入して暫くはいたんだよ」
「へぇ~、クレハに友達ねぇ……」
「……五月蠅いよ」
それ以上話を広げたくないのか、クレハは冷たさを通り越して無機質にも思える声で呟いた。
「そんな事よりもリオン、その手紙は読めるのかい?
見たところ、読めるような状態じゃなさそうだけど?」
「そうだな……」
クレハの問いかけに、璃王は手紙が破れないように慎重に封筒から便箋を取り出す。
便箋を広げれば思った通り、水に濡れてしまった手紙は所々文字が滲んで判読不能な部分が多かったが、辛うじて読める部分もあり、そこをどうにか読んでみる。
「“待つ”……って、何処だ?
文字が滲んで読み取れないな……」
璃王が困ったような顔を上げると、クレハが目の前にいた。
「どれ、見せて。
……、確かに、読み取りにくいけど……」
璃王から便箋を受け取ると、クレハは便箋の文字に注目する。
「……多分これ、“屋上で待つ”じゃない?
ほら、ここの文字、"屋上”って書いてあったんじゃないかな、文字数的に」
「なるほど」
クレハの指した所は、確かに“roo”の部分が読み取れる。
それを確認した璃王も頷いた。
それなら、この手紙を送ってきた人間は屋上で待っていることになるが……。
「これを貰ったのはいつだったっけ?」
「6限の前だ。
教室移動中に渡されて……」
クレハの問いに璃王が答える。
するとクレハは「ふむ」と頷いた。
「じゃあ、この手紙の主は6限が終わってすぐに屋上に行ったとして……20分は放置されてるってことだね」
「いや、流石にもう帰ってるでしょ」
クレハの冗談なのか本気なのか分からない言葉にレナが呆れた様に言った。
流石にこの寒い中、屋上で20分以上も待っている筈が無いでしょ、と。
「分からないよ?
もし、リオンの説が正しいとするなら、ネル・サクラギはリオンを追い詰めるのに並々ならぬ執念を持っていると推測できる。
それなら、たった20分なんか取るに足らない時間だろうさ。
僕が仮に誰かを執拗に恨んでいるなら、その相手が来るまで待ち伏せしてるね。
まぁ、この仮の話はそもそも、そんな暇人じゃない僕には当てはまらない説だけど。
――けど、特定の事に執念を燃やす人間は、常人が思う以上の事をするものさ」
クレハの言葉には何処か説得力のようなモノがあった。
それは、自身の経験からなのか、それとも、クレハが“芸術家”であるが故の人間観察から来た言葉なのか……。
どちらしろ、その言葉を否定する者はこの場にはいなかった。
むしろ、その言葉に一同は硬い表情でクレハを見つめるしかできなかったのだ。
「でも、リオンを囮に屋上へ行くのは……ミオンは反対っぽいけどね」
弥王の方へと視線を向けたクレハは、不服そうな弥王の表情を見て肩を竦める。
クレハとしては、首謀者が屋上にいるなら璃王を囮に首謀者を釣りたいところなのだが、今の弥王の様子を見るにそれは叶わないらしい。
それは、仄昏ささえ感じる弥王の剣呑な翡翠の瞳が物語っていた。
「当たり前です。
ただでさえも、リオンは不条理に傷付けられたのですから。
これ以上彼女が傷付くのであれば、僕はそれを容認できません」
それは、弥王も璃王の寿命の事を知っているから。
璃王の呪いが寿命を蝕むように進行していること。
そして、その呪いはストレスで進行して行くのだ。
これ以上、璃王に負荷をかけてしまえば、本当に彼女は呪いに負けてしまう。
そうなれば、もう取り返しが付かないのだ。
別に、この世界の人間がどうなろうと知ったことじゃない。
ただ、その過程でリオンが消失してしまう事、それを弥王は最も恐れているのだ。
自分の近衛侍女はリオンしかいない――本気でそう思っているのだから。
自身の母が璃王の母を運命だと選んだように。
弥王もまた、璃王を運命の半身だと認識している。
「ミオン……」
困ったように璃王が呟く。
現状、璃王が囮になった方が話はスムーズである。
だが、弥王はそれを良しとしない。
“リオンは既に傷付いたのだから”と。
しかも、“こう”と決めたら何が何でも人の話を聞かない彼女だ、今回も璃王を囮にすることには頷かないだろう。
話が停滞してしまった生徒会室に、重苦しい沈黙が訪れる。
誰もがこの沈黙に事件の解決の糸口を探して、虚空を見つめた――その時。
「失礼するよ」
ノックもなく扉が開いて、1人の男子生徒がツカツカと生徒会室へ入ってくる。
三つ編みにした群青色の髪を靡かせ歩いてくる彼の姿を認めた璃王は、驚きに目を瞠る。
その口から、小さくその名前が零れた。
「リト・コスモ……!?」
生徒会室に乱入してきたのは、リト・コスモだった。
今まで1から10弥王の話を聞いていたレナ達は、その人物の登場に息を呑む。
彼も璃王と同じ一族の人間という事は彼もイリアの貴族であるという事だ。
他国の貴族と王族の子女が揃っている状況は、流石のライトやエイルも緊張して身動きが取れない。
固唾を飲むことさえ憚られた。
彼は臆することなく弥王たちの前まで歩いてくると、引きずっていた何かを無造作に弥王たちの前に投げ捨てる。
「きゃっ!」と少女の高い叫び声が小さく聞こえた。
その姿を確認した弥王たちの顔には、驚愕の表情が走っていた。
「痛ったいわねぇ!
何なのよ、いきな……り……」
少女はいきなり自分を投げつけてきた不届き者を睨み上げ、語気も強く文句を口から零す。
しかし、すぐに目に入った見慣れた部屋の内装に少女の声は勢いを失っていく。
きょろきょろと辺りを見回した少女の風貌に、一同が目を瞠った。
長く流れる桜色の髪に、瞳は蒼天を思わせるブルー・ペクトライト。
そう、その風貌は、何処からどう見ても今、この場にいるレナ・スタンと瓜二つだった――。
「レナが……二人……」
ぽつりと、クレハが呟く。
その声は、何かを確信しているかのようだった。
「……表社会の人間もいるけど……、そうも言ってられないね」
「待て、何を――」
目の前の“レナ”の状況から、リトの言葉の意味を察した璃王が真っ先に彼を制そうと声を掛けるが、それは一足遅かった。
次の瞬間には、彼は“レナ”へと手を伸ばし、術式を発動させてしまった。
「――風化」
「きゃっ!」
彼の静かな声が生徒会室に落ちた時、一陣の風が吹き抜けた。
その風は“レナ”だけに吹き付け、他の人間やその場にある物質には影響を及ぼさなかった。
その風が吹き去ったその場所には、先ほどまで居た“レナ”の姿はなく――。
「これは一体……!」
「君は……」
その姿に一同は瞠若し、固まってしまう。
その場には水を打ったような静寂に困惑が広がる。
「えっ、サクラギさん……?」
目の前にいたのは、腰まで伸ばしたアクアマリンの髪に銀灰色とラピスラズリーという、色の違う双眸を持つ少女――、今まで話題の中心にいた、ネル・サクラギだった。
静かな生徒会室にレナの愕然としたような声が零れ落ちる。
全ては璃王の推理通りだったのだ。
”バッタモンスタン先輩”が存在し、そしてその正体は“ネル・サクラギ”だった。
レナの声の後に「やはりか……」と璃王の声が落ちる。
璃王と弥王、そしてこの状況を作り出した張本人たるリト以外は皆、この状況に頭が追いついていない――というか、この状況を理解できていないようだった。
「うむ、良く分からんな。
何がどうなっているのか、説明を求む!」
一番に声を上げたのはエイル。
彼の黄金の瞳はリトを見ていた。
エイルの言葉に「はぁ~」と面倒くさげに深く息を吐きながら後頭部を掻くと、リトはエイルに一瞥をくれることもなく言った。
「僕はただ、何処ぞの性根の悪い幼馴染に脅されて協力させられただけだよ。
説明なら、そこにいる君たちの“お気に入り”とやらにさせればいい」
一瞬だけ璃王へ視線を向けたリトは、彼女の表情が強張っているのを確認した瞬間に目を逸らした。
これ以上は彼女のストレスになるだろう。
それはリトにとって、望むところではない。
「まぁ、その子は父親に似て頭が固いからね。
喋ってくれるかは分からないけど……、僕の用事はこれだけ。
君たちの問題にこれ以上、首を突っ込むつもりはないよ」
それだけを言ったリトは、璃王たちに背を向けて生徒会室から出て行ってしまった。
彼がいなくなった生徒会室で頭を抱えるのは、璃王一人だけ。
「ったく、彼奴……、どうするんだよ、この状況。
何をどうやっても誤魔化せる状況……じゃないな……」
周りを見回した璃王は、懐疑的な表情を向けてくる生徒会メンバーに、自身に逃げ道はないのだと悟る。
あれだけ、自身の父からアウラ条約について口酸っぱく教えられていただろうに。
幼い頃、リトを指導する自身の父から、リトと共にアウラ条約について口酸っぱく教えられていたことを思い出す。
“表社会の人間の前でその力を使うべからず、表社会の人間にその力を見せつけるべからず”――と。
璃王はリトが自身の行動の尻拭いもせずにすべてを璃王に丸投げしたことに憤りを感じながら、深く息を吐いた。
「はぁー。
これも、とんでもない幼馴染を持った人間の宿命か……」
諦めたような瞳を弥王へと向ける。
彼女は、携帯を取り出して何かを操作していた。
きっと、校長にでもメールを送っているのだろうか?
「もし、何らかの拍子でこのことがボスにバレた場合……介錯は君が頼む」
「その時は僕も同罪だから、気にすんな」
「はっ、何の慰めにもならねぇ……」
自身の肩を叩いてサムズアップをする弥王に璃王は肩を落とすしかなかった。
リトが目の前で使った能力の説明をすることは、下手したらそれだけで死罪に等しいのだ。
それだけ、人目に触れさせてはいけない能力の筈だった。
「この話は……、ここだけの話で頼む。
もう、どうにでもなれ……」
頭が痛い、という様に額を抑える璃王にクレハとクリスが同情的な目線を向ける。
幼馴染がとんでもないと、その余波を食らうのはいつだって、巻き込まれる方の幼馴染なのだ。
特にクレハはそれをよく知っている。
「と、話の前に……まずは、この虐め事件の元凶から話を聞こうじゃないか」
璃王は、ネルの方へ一歩歩み寄る。
彼女はリトに縛り上げられたのか、腕を後ろに回しており、逃げられないようにされていた。
「ん?げっ、彼奴マジか……」
「どうした?」
ネルに近付いた璃王は、彼女の周りに漂う術式の痕跡に眉を顰める。
そんな璃王に弥王が問いかけた。
「彼奴、ネルの周りだけ重力を倍にしてる……」
弥王の言葉に答える璃王。
彼女の言う様にネルの周りには、風属性の呪幻術の術式が漂っており、それが彼女を床へ押し付けていた。
なるほど、だから先ほどからネルは床に這い蹲ったまま動かなかったわけか。
これではむしろ、動けないのが当然である。
「え、風の呪幻術師ってそんなこともできるのか?」
「そうそう、対象物の周りの風を操って、浮かせたり逆に地面に押さえつけたり……母が良くやってた術式だ。
“風操り”っていう……」
「んんっ!」
好奇心のままに璃王へ問いかける弥王に答えていた璃王だったが、その説明は途中で聞こえたクレハの咳払いの音にかき消される。
「その呪幻術の講習は後にしてくれるかい?」
無機質な声が弥王と璃王へ向けられる。
彼女たちは、クレハの言葉に「すみません……」と呟きを落とした。
「さて……気を取り直して。
一連の事件――、虐めに関しては、お前が全ての元凶だな?」
ネルと目を合わせるように璃王がしゃがみこんで問い質せば、彼女は璃王をすべての恨みでも籠ったかのような激しい形相で睨み上げる。
それを冷ややかに見下ろす“璃王”は、学校で人気の“神谷璃音”から、死宣告者の“神谷璃王”の仮面を被っていた。
そうでもしなければ、足元から絡め取ってくるように纏わりつくトラウマを抑えきれないのだ。
未だに彼女たちから受けた迫害の傷は癒えない。
それが、可憐に笑う紫陽花を人間嫌いの花へと変えた要因だったのだから。
璃王の言葉に、そして、この状況に、何を取り繕おうと無駄だと悟ったネルは、吐き捨てるように言った。
「だったら何よ。
アンタさえいなければ、全て上手く行く予定だったのに……あんたのせいで!!」
怒りに任せ、璃王に飛び掛かろうとするネルだが、彼女はリトの術式の餌食となっているため、動けば動くほど体を床に押し付けられる。
どう藻掻こうとも、ネルに璃王を襲える手段はないのだ。
「お前も風の呪幻術師なら分かるだろ……、その術式は、動けば動くほどお前を押さえつけるぞ。
まぁ、彼奴の恩情に感謝するんだな。
術式を見る限りだと、そこまで鬼畜な仕様にはなってないみたいだ。
精々、お前が動いた時に地面に押さえつける程度の手加減はしてくれてるな、これ」
ネルも風属性の呪幻術師であると記憶しているが、リトと力の差があるのだろう、その術式はネルでは解くことができないようだった。
リトもリトで璃王の母に師事していたため、術式の組み方が独特なのだ。
となれば、璃王でもその術式は解けないことはないが、面倒くさいので放置一択である。
今暴れられても面倒くさいだけだしな。
しかし、忠告する璃王に更に腹を立てたのか、ネルの怒りは収まらないようで尚も喚く。
「うるっさいわね!
何で彼奴に感謝しなきゃいけないのよ!
てか、偉っそうに見下ろしてんじゃないわよ、忌み子のくせに!!」
怒りに任せて喚き散らす様は、到底学校内で人気の“品行方正なレナの寮弟”とは程遠い。
執念と怨嗟の表情は、端正な顔を醜く歪ませていた。
「……っ。
僕を罵倒するのは好きにするといい。
だがな、その結果、お前は自身の首を絞めていることにどうして気付かない?」
璃王の表情は何処か、ネルを憐れんでいるようにさえ見えた。
幾ら、彼女の母親が璃王を「忌み子」と呼んで遠ざけていたとはいえ、自分の信じる主人の事を何一つ見ようとせず、その主人が大事にしている存在を忌み嫌っているのだ。
そんな彼女が、どうして“主人”に気に入られると思うのか。
璃王を消したところで、それは無意味だというのに。
「うるさい!うるさい!うるさい!!
邪魔なのよ、あんたも、レナ・スタンも!
虐めの元凶が私かって?
そうよ、全ては私が生徒会メンバーになる為、レナ・スタンが邪魔だから陥れようとしたのに……アンタらときたら、いつまでもレナ・スタンを信じているんだもの、何なのよ!」
「……つまり、なんだい。
君はその稚拙な理由でレナを陥れようとし、それにまんまとハマったのが僕ってことかい」
はぁー、と深くため息をついて、珍しく嫌悪感も露わにクレハが呟く。
その呟きを拾ったライトが気遣わし気に「クレハ……?」と声を掛けるが、クレハは意に介せず一歩前へ出る。
「そんな事の為に……、僕らはとんだ道化を演じさせられていた、と。
本当にバカみたいだ」
ネルの前に出てきたクレハはフードをゆっくりと剥いだ。
肩までの紫の髪が揺れて、次の瞬間、それは色が落ちるように漆黒の髪へと色を変える。
「なっ……、呪幻術……?」
璃王は驚いたように目を瞠る。
クレハは確かに璃王がよく使う術式――姿映しの術式を解いたのだ。
驚く璃王――否、驚いているのは、みな同じだった――を前に、クレハはゆっくりと瞼を開けた。
その下から出てきたのは、綺麗な黒曜石の瞳。
その瞳は何処か影を感じさせながらも、優美な光を湛えていた。
「黒羽……?」
ぽつりと、ライトがその名前を呟いた。
レナは信じられないと言いたげな瞳を目一杯開いて、口を手で覆っている。
生徒会のメンバー皆が間違える筈がない、彼――否、“彼女”は。
「如月黒羽……!?」
正真正銘、2年前に飛び降り自殺をした筈の虐めの最初の被害者――如月黒羽だった。
生徒会室に驚愕と困惑が交差して、静寂が訪れるのだった。




