XⅧ.悔恨-Regret-
もっと早く、気付くことができたなら。
その日、彼女は10年の想いを手放した。
今まで大切にしていたモノを──。
学祭が終わり、二日が過ぎた。
その楽しかった時の余韻を残しつつも、校内は普通の日常へ戻りつつあった。
──ただ、一人を除いて。
「そろそろ、「ストーカー」って呼んでも良いですかねぇ、ゲーゼ先輩」
弥王はげんなりした様子で目の前のオレンジ頭──ヴァイアーに問いかける。
今は昼休み。
弥王は、クリス、レイリス、璃王、レイナスと中庭で昼ご飯を食べていた。
ちなみに、レイナスは、璃王達の昼食に途中で合流した形で一緒にいる。
その中に、何故かヴァイアーも混じっていた。
「え、何で?」
キョトンとした表情で、ヴァイアーは小首をかしげる。
本当に不思議そうな顔で訊いてくる物だから、頭が痛い。
「何で……って、そうでしょう?
絶対、盗聴器とか盗撮とかしてないと、しょっちゅう顔合わせるなんてあり得るワケないじゃないですかー!
アリスの人たちと関わりがあるならまだしも、むしろ目を付けられてそうな人が!」
捲くし立てる弥王だが、ヴァイアーにはどこ吹く風の様で、全く気にしている素振りが見られない。
学祭で会ってからと言う物、やたらとヴァイアーとのエンカウント率が高く、弥王は初めの方こそは「気の所為だろ」で気にはしていなかった。
しかし、昨日からそこかしこ、休憩中に出歩く度にエンカウントするのだ。
この広い敷地の校内で。
それはもう、ストーカーでもしてないとそうはならないだろう。
弥王とヴァイアーの様子を、不思議そうに璃王は見ていた。
「何だ彼奴ら。
普通に仲が良いのかと思ってたんだが」
「はわ~、ミオンちゃん、凄いなぁ~。
あの人、高等部でアリスに不良の烙印を押された先輩ですよ~。
素行は悪いんだけど、女の子には密かに人気があるんです~」
「ヴァイアー・ゲーゼ先輩ね。
確か、ジェインブルク子爵のお孫さんだったかしら?」
レイリスの言葉に、クリスが冷静に情報を開示する。
彼奴は貴族だったのか。
璃王は、意外そうに弥王とヴァイアーに視線を向けた。
「何だあれ?」
「んー、哀れな弥音の犠牲者……かな」
弥王とヴァイアーのやり取りを見ていた璃王に、レイナスが声を掛ける。
が、璃王から返ってきたのは、レイナスには理解が及ばない言葉だった。
「犠牲者……ですか?」
レイリスも意味がよく解らなかったのか、小首を傾げている。
「昔から、弥音を気に入った奴は性格が180度変わっちまうんだよ……。
「天使が悪魔になった」みたいに。
本人は無自覚だがな」
──何、その究極の女王体質!?
それがレイナスの感想だった。
そんな体質なら、一気に国の頂点に立てるのではないだろうか。
リオンはともかく、彼女は本当に一般人か?
レイナスの中で疑問が膨らんでいく。
「流石、ミオンさんだわ……」
レイリスの隣で、クリスがウットリとした視線を弥王に向け、溜息と共に言った。
その顔は、何処か陶酔している様な表情にさえ見える。
──あぁ、ここに一人、既に弥王の犠牲者が居たな。
クリスがあまりに通常運転すぎたので、彼女が弥王のある意味犠牲者であると言う事を今まで忘れていた。
「さてと、そろそろ僕は教室に戻ろうかな」
璃王は食べていた物を片付けると、立ち上がった。
「あら?もう行くの?」
「あぁ、ちょっと眠いし、軽く散歩でもしながら目を覚ましてくる」
「そう、気を付けて」
クリスと一言だけ会話を交わすと、璃王は中庭を後にした。
弥王は未だにヴァイアーを詰問していて、璃王が中庭を出て行った事に気付いていない様子だ。
──その後、璃王の姿を見たのはこれが最後で、この時は、璃王が悲惨な目に遭うとは、誰も想像していなかった。
―― ――
―― ――
──ドサッ!
「──ッ!」
璃王は、打ち付けられるように、コンクリートの床に投げられた。
その衝撃で強打したのか、腕と腰にジンとした鈍い痛みが広がる。
璃王は、自分を拉致ってコンクリに叩き付けてくれた生徒の顔を睨み上げた。
──何故、こうなったのか……。
それは、数分前の事だった。
璃王は教室へ戻るべく、教室棟の階段を上がっていた。
すると、階段の陰から突然、目の前にいる男子生徒数人が出てきて自分を囲んだかと思うと、何も言わずに文字通り璃王は引きずられて、屋上まで連れてこられたのだ。
この時でも、携帯の録音機能を起動するくらいの余裕が自分にある事には、呆れていいのかどうなのか……。
とにかく、璃王は男子生徒たちに連れ去られてしまった。
「おいおい、随分と大人しく攫われてくれたじゃねぇか、リオンさんよ」
「もっと抵抗してくれても良かったんだぜ?
球技大会の時みたいになァ?」
下種な笑みをニヤニヤと湛えながら、二人の男子生徒が言った。
「ふん、あの場で僕が暴れてみろ。
お前ら諸共階段から真っ逆さまじゃねぇか。
生憎と僕は、心に決めた人間以外の人間と心中する気は全くないのでな」
冷静に油断なく、生徒たちを睨むように視線を逸らさない。
見たところ彼らは一般人でありそうだ。
という事は、璃王は下手に手出しできない。
「男みてぇな言葉を喋る割には、中身は女々しいんですかぁ~?」
「ぎゃはははは!」
男子生徒の内、リーダー格っぽい奴が安い挑発をしてくる。
その言葉に、残りの生徒がワザとらしく騒々しい笑い声を上げた。
殺意が芽生えてくる。
──参ったな。
こちらは女一人。しかも、一般人相手には手出しができない。
あっちは複数の男子生徒数人、しかも全員が高等部。
状況は不利なワケだが──。
璃王は立ち上がりながら、何とかこの場から逃げ出せるような策を思案する。
幸い、後ろのフェンスには誰も居ない。飛び降りるか?
──いや、下手に目立つ事はしない方が良いだろう。
一般人なら、屋上から飛び降りては無事では済まない。
なら、如何にか隙をついて逃げるか?
──この、男子生徒の壁を?
腕を掴まれたら、流石に抵抗できねぇ。
──さぁ、どうしような?
流石の璃王も万事休す、何も策が思いつかない。
「それにしても、近くで見ると中々可愛い顔してんじゃねぇか」
リーダーっぽい奴が璃王の顎を掴んで持ち上げると、まじまじと顔をガン見する。
近い距離にある男の顔に璃王は不快感を覚えて、眉根を寄せた。
奴の言葉は続く。
「寮長も人が悪いよなぁ。
気に入ってた奴を敵認定して、「潰せ」とか。
潰すには勿体無ぇ顔してるけど、命令じゃあ──」
──パシッ。
屋上に乾いた音が響く。
璃王が男子生徒の言葉を遮るように、その手を叩いたのだ。
彼を睨みつけ、璃王は低い声で不快な感情を隠さずに言った。
「汚い手で気安く僕に触んな!」
「テメェなぁ、可愛いからってあんま調子乗るなよ?
こちとら六人、お前は一人だ。
お前なんざ、どうにでもできんだよ!」
璃王の暴言と態度に苛ついた男子が、璃王の胸倉を掴んでフェンスにその体を押し付けた。
ガシャン、と、フェンスが軋む。
背中が地味に痛い。
──クッソ、この世に「アウラ条約」なんてクッソ面倒な条約がなかったら、こいつらなんて如何にでもできるのに!
璃王は、苛立って唇を噛み締める。
裏社会の秩序として、表社会の人間に危害を加えるのは禁忌だ。
それは、空手の有段者が一般人に手を上げる様なモノ。
絶対に犯してはならないルールだ。
「こいつ、どうします?」
「痛めつける事が出来れば何でもいいんだよな?」
「精神的に痛めつけて、再起不能にさせればいいって聞いたぜ?」
「その前に、こいつが動けない様に骨を何本か折った方がよくないっすか?
暴れられたら厄介っすよ?」
外野共の話し合う声が聞こえる。
如何にか逃げ切りたいが、既に力で如何にかなる状況ではなくなってしまっている。
──裏社会の「秩序」として。
──王家に仕える眷族「桜ノ一族の人間」として。
──裏警察の「死宣告者」として。
自分の身分や立場が、こんなに足枷になろうとは、誰が想像した?
「っつーワケで、大人しくしてろよ?」
思考の海に溺れている璃王は、この言葉で現実に引き戻された。
気付いた時には、自分の鳩尾に男の膝がめり込んでいて。
胃から血が逆流して、それが喉の奥へせり上がると、口の中から血の味がした。
血反吐が噴出して、璃王のシャツを赤く染める。
「──ッかは……ッ!」
──ドサリ。
璃王は、その場に頽れる。
鈍く痛む腹を抑え、顔を上げようにもそれはままならなかった。
幾ら、裏社会の人間と言えども、体に物理的な攻撃を食らって、平気な顔ができるほど、人間は辞めてない。
精々、表社会の人間よりも体が頑丈であると言うだけ。
しかし、人間の弱点を攻撃されて平気でいられるわけではないのだ。
「おいおいおい、血を吐くから、折角キレーな髪が血塗れじゃねぇかよ」
「──!」
男の言葉に璃王は、朦朧とする意識を如何にか繋ぎ止め、よろよろと立ち上がる。
──髪だけは、触らせるものか!
「おいおい、どこ行くんだよー?」
霞む視界で逃げようとしても虚しく、璃王は直ぐに捕まってしまう。
男の一人が鋏を取り出してきて、璃王に近付いた。
「な、に……する気だ、てめぇ……」
苦しい息の下で漸く出てきた言葉。
抵抗する事も忘れてはいないが、力の入らない腕で足で、如何暴れてももがいても無意味。
直ぐにコンクリートの地面に押さえつけられた。
「さぁな?
何するかは、されてからのお楽しみ~」
璃王の問いに楽し気に答える男は、鋏を開いたり閉じたりして、璃王を見下ろす。
午後の日の光を浴びて、鋏の刃がキラリ、と輝いた。
「センパぁ~イ!
流石にそれはマズくねェっすか?」
後輩らしき男が目の前の男に言う。
それは当然、咎めているようではなく、どちらかと言うと状況を楽しんでいるようだ。
それに腹が立つのは言うまでもない。
「大丈夫だよ、俺はこれでも彼女持ちだぜ?
そんな俺がこいつにするのは一つしかねぇだろうが」
そう言った男は、鋏を璃王に近付けると、璃王の束ねてある髪に手を伸ばした。
何をされるのか解った璃王は、入らない力で抵抗する。
「やめろ……ッ!
髪だけは……駄目だ……、やめ──」
──ジャキッ!
耳元で聞こえた、何かが切れる音。
風に吹かれて目の前で舞っているのは、見慣れた紫みを強く帯びた青い髪で。
目の前の男は毛束を持っている。
それは、自分の後頭部に纏めておいた、腰の辺りまである長かった筈の髪──。
「あ……う……ッ!」
璃王が何かを言おうとしたが、それは頭を蹴られたことで叶わなかった。
頭が痛い。
脳が揺さぶられて吐き気がする。
それでも、休みなしに横腹、肩、脚──体中の至る所に蹴りが入れられる。
全身が痛くて、「どうして僕がこんな目に遭わないといけないのか」とか、「何で僕なんだ」とか色々な事が頭を巡る。
──嗚呼、もう……。
──此処デ覚醒スレバ、救ワレル?
──黙れ、引っ込んでろ。
不意に頭に響いた声を、璃王は打ち消す。
「猫呪」としての黒い本能が渦巻くが、「人間」である理性がそれを抑えつける。
こんな奴らにボロボロにされたからって、「お前」を開放してみろ。
僕の首が飛ぶ──物理的に。
視界が霞んで、意識がもう保てなくなってきた──その時。
「リオンッ!」
「うわっ、こいつッ!」
バァン!と扉が開く音がして、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
その声は聞き覚えのある声だが、誰だかわからない。
不良共の狼狽した声と、人を殴打するような音が聞こえる。
暫くすると、静かになった。
「リオン──」
「レイ……ナ、ス……?」
誰かが自分の名前を呼んだのは解ったが、その後の言葉が聞き取れない。
璃王は手を伸ばして名前を呼んだ後、意識を閉ざした──。
―― ――
―― ――
時間は少し戻って、リトは保健室で「体調不良」と言う名のサボりを満喫していた。
養護教諭は「いつもの事だ」と現在はリトの説得を諦め、サボりを黙認している。
「それじゃあ、ちょっと先生は保健室空けるから、授業が終わったら教室に戻るのよ」
それだけを言うと、教師は何処かへ行ってしまった。
いつもの様に返事もせずにベッドで突っ伏していると、タイミングを計った様に携帯が鳴った。
「まったく……ゆっくり寝ようと思ってたのに」
愚痴りながらリトは電話に出る。
すると、電話の向こうから聞こえてきたのは──。
《大変だッ、リト!
リオンが危ないって言うか、リオンの貞操のピンチ!》
珍しく緊迫したセラの声。
リトは、「はぁ!?」と飛び起きて、ベッドから降りた。
「何でもっと早く──」
《仕方ないだろう!?
オレだって、常にリオンと意識を繋いでるワケじゃないんだ!》
リトの言葉を遮って、セラが半ば叫ぶように捲くし立てる。
ここまで焦っているセラも珍しい。
いつもの人をおちょくっている様な口調は何処へ行った。
そうも思うが、まずはリオンんおことが最優先。
リトは上靴を履きながら、セラに問う。
「で、何処?」
《屋上!
新しいフェンスが見えるね》
──新しいフェンスがある屋上……教室棟の方か!
セラの返事を聞くが早いか、リトは携帯を放り投げ、保健室を後にした。
──全く、何で僕が……!
心の中で、あの日、リオンが縋って背に隠れていた青年の姿を思い出して、リトは毒づいた。
彼奴、ちゃんとリオンを守れよ!と苛立ちを露わに地面を蹴る。
途中、教師が呼び止めてくるような声が聞こえた気がしたが、リトには関係ない。
「リオンッ!」
屋上へ辿り着いたリトの視界に入ったのは、数人の男子に囲まれて、ボロボロで倒れているリオンの姿だった。
蒼い髪が屋上で緩やかに吹く風に舞っている。
コンクリートに横たわっているリオンは結んだ所から髪を切られたらしく、あんなに長かった髪が今は、首筋を覆う程度になっているのが遠目からでも見えた。
──『いつか、お母さまみたいに長くして、マオのお嫁さんになるんだ』
──『リトも髪伸ばしてるの?お揃いだね』
小さい時に、リオンと交わした言葉が脳裏に過る。
『お父さまとマオが、髪伸ばした方がかわいいっていってたから、のばす』
『そうだね、長い方が似合うと思うよ』
『危なっかしいね。
稽古の時は結んだ方がいいよ』
『わっ!?あ、ありがと……』
リオンが髪を伸ばしている事は知っていた。
理由は何であれ、それがリオンにとって大切なものでもあると言う事も──。
家系の事情で強制的に髪を伸ばさせられていた自分とは違って、自分の意志で髪を伸ばしていたリオンが、どれだけそれを大事にしていたのか。
ずっと近くで見ていたリトには、完全ではないが、リオンの気持ちを推し量る事は容易だ。
血が沸騰する、と言うのは、この事かもしれない。
「うわっ、何だこいつッ!?」
気が付いたら、リオンの髪を切ったと思われる鋏を手に持っている男を殴っていた。
人間を殴った感触が拳から骨に伝って、脳が「殴った」事を認識した時には、目の前に持っていた鋏を振り翳す男の姿があった。
「やってしまった」と思う前に、リトは襲撃者の鋏を避けると、カウンターで蹴りを叩き込む。
他の奴らが狼狽している間に、急所を狙って襲撃すると、一般の生徒である彼らは成す術もなく撃沈し、2分も経たない間に立っているのは自分以外誰も居ない状態になった。
リトはリオンに歩み寄って、コンクリートの床に跪くと、リオンを抱き起した。
その僅かな振動で、切れていた髪がパラパラと床に落ちる。
ギリギリまで猫呪と戦っていたのだろう。
リオンの髪の色が黒みがかっていることに気付く。
リオンは精神的に不安定になると急激に猫呪が進行する、というのは、小さい頃からセラに聞かされていたことだった。
短くなってしまったリオンの髪を撫でる。
リオンの髪は、昔と変わらずに柔らかく、髪を梳くと、するりと指から流れ落ちてしまった。
「リオン、しっかりするんだ。
今──」
「レイ……ナ、ス……?」
リトの言葉は、リオンの口から弱弱しく呟かれた名前に遮られた。
リオンは、手を伸ばそうとしていたのだろうが、それは叶わずに名前を呟いた後、気を失ってしまった。
彼女の口から零れた名前に、憤懣やるかたない気持ちが押し寄せる。
──彼奴は何をしていたんだ!?
噂も耳に入っている筈なのに、一人にするとか──。
憤っても仕方の無い事かもしれない。
自分が傍に居てやる事ができないから、彼奴にリオンを任せた──つもりだった。
リトは怒りで震えながらも、リオンの体に異常がないかを調べる。
──まぁ、裏社会で生きる人間だから、表社会の人間よりは多少体は頑丈にできてる筈だが。
裏社会で生きているのだから当然ではあるが、一応、体の方は問題なさそうだ。
恐らく、猫呪と戦っていたのだろうから、精神的な疲れが出たのだろう。
早く医務室に連れて──。
そこまで考えていたら、屋上の扉が開けられた。
「リオン!?」
──今、一番聞きたくない声が聞こえた。
声の主は、リトに近付いてくる。
リトが振り返った後ろに居たのは、レイナスだった。
リトは、全身の血が逆流する様な感覚に襲われた。
―― ――
―― ――
それは、午後の授業中の事だった。
レイナスは、特に真面目に授業を受けている様子もなく、机に突っ伏して半分は睡魔にノックアウトされつつも、眠気と格闘していた。
不意に制服のポケットに入れていた携帯が震えて、レイナスは目を覚ます。
ポケットから携帯を取り出して画面を見てみれば、メールが1件入っていた。
特にメールのやり取りをする様な間柄の人間はそんなにいない為、レイナスは疑問を感じながらもメールを開く。
目に飛び込んできたのは、ミオンのアドレスのメール。
(そう言えば、リオンの事で何かあった時に連絡が取れるように交換したんだっけ?)
ぼんやりとそんな事を考えながら、レイナスは文面に目を走らせる。
学祭が終わった後、リオンの様子がおかしいと言ってきたミオンが、「何かあった時に連絡が取れるように」と、アドレスを交換するように言ってきた。
レイナスも、リトの言っていた事と学校で流れている噂の事で嫌な予感だけはしていたので、それを了承。
それから一度も連絡を取った事がない。
たった一言だけのメールを読むと、レイナスは驚いたように目を見開く。
『リオンを知りませんか?』
そのたった一言の文字が、何を意味するのか。
それは、授業中だというのに、リオンが教室に居ないと言う事で。
リオンの事だから、サボっていそうな気はしないでもない。
レイナスは、直ぐ様に返信した。
『知らない。
昼休み以降、会ってないからな。
リオンは、「教室に戻る」とか言ってた筈だが……いないのか?』
返信すると、すぐにまた、ミオンから返事が来た。
『僕が教室に戻った時、リオンはまだ戻っていませんでしたよ?
それから、授業が始まっても戻ってこないし……今、授業抜け出して探しています』
『その内戻ってくるんじゃねぇか?』
『ネル・サクラギとか、リト・コスモが居ないなら、そう考えてますよ。
奴らが居るから、探すんです。
特に、ネル・サクラギはリオンに酷い仕打ちをしていたので、また何されてるか解ったモンじゃない』
ミオンから届いたメールを見て、レイナスは少しだけ考える。
確かに、リトの方はともかくとして、ネルの方は少し問題だ。
彼女は、リオンを陥れようとしているようで、そんなにいい感情は持っていない。
もし、ミオンの言う事が杞憂でないなら──。
『わかった、俺も探す』
返信するや否や、レイナスは席を立つ。
教師の声とノートにシャーペンを走らせる音以外は無音の教室で、突然席を立つ音がした為、教室中の視線を集める事になってしまった。
「おい、リグレット!
睡眠学習の次は堂々とサボるつもりか!?」
席を立ったレイナスを咎める、教師。
後退した額に青筋を浮かべて怒っている様子を見ると、どうやらレイナスは彼の授業を日常的にサボっているらしい。
レイナスは面倒くさげに溜息をついた後、教師を睨んだ。
「あー……テメェの何処の宗教か解らない念仏を聞きながら潰すような時間が無くなったので、早退する」
言うや否や、レイナスは出口に向かって走る。
自分の授業を念仏呼ばわりされた教師は一瞬固まるものの、レイナスが出ていく直前に漸く我に返ると、怒鳴りつけた。
「お前はまず、脳外科逝ってこいッ!」
教師が怒鳴った後、扉からひょこっと顔を出すレイナス。
そして、真顔で言った。
「それと、気付いてるだろうが、右上のヤツと下三行、左の二行目から四行目のヤツ、スペル全部間違ってるぜ」
「物忘れ外来にでも行って来いよ」と付け加えると、レイナスは今度こそ、教室を後にした。
「リオンを探す」とは言った物の、何処から探せばいいのか皆目見当が付かない。
リオンが行きそうな場所か?
リオンはたしか、「教室へ行く」と言っていた筈だ。
時間が余っていたとしたら、屋上で時間を潰す事も考えられるだろうか……?
リオンは確か、「高い所が好き」だと言っていた気がする。
取り敢えず、屋上か……?
レイナスは、初めに屋上を当たってみる事にした。
高等部の教室棟から中等部の教室棟は地味に遠い。
レイナスは嫌な予感を無意識に感じながらも、中等部の教室棟を目指した。
── ──
―― ――
「リオン!?」
中等部の教室棟の屋上に着くなり、レイナスはリオンの名前を呼ぶ。
──きっと、リオンの事だ。
「何だよ、そんなに焦って?」とか言いながら、ひょっこりと姿を現すだろう。
いつもの様に気だるげな目で、「面倒だったからサボった」とでも言って──。
しかし、レイナスの目に飛び込んできた光景は、自分が期待したものとは程遠い光景──。
「な……ッ!?」
黒くも見える蒼い髪が、屋上に吹く風に弄ばれている。
問題はそれじゃない。
レイナスの目の前には、しゃがみこんで何かを抱えているリト。
こちらの気配に気づいたのか、彼はゆっくりと自分の方へ振り向いた。
その目を見て、レイナスはぎょっとする。
リオンと何処となく似ている藍色の目が、こちらを睨みつけていた。
それも、明らかな殺気と怒気を孕んで──。
リトがこちらを向いた時、彼が抱えている物が何かを判別できた。
それは──
「リオン……!?」
酷くボロボロで、ぐったりと倒れているリオン。
それだけでなく、彼女の腰のあたりまであった髪も短くなって風に揺られていた。
悲惨なリオンの現状を目の前に、レイナスは頭が真っ白になる。
つい数分前には、まだ元気そうにしていたリオン。
クリスやレイリスと他愛もない話をして、笑っていた彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
その数分後にこんな姿になるなんて、誰も想像しないだろう。
実際、レイナスは、無事なリオンの姿だけを期待していたのだから──。
「お前……リオンに何──」
「君がそれを言う資格があるとでも?」
「……ッ!」
レイナスの言葉はリトに遮られた。
リトの言う事は尤もで、レイナスは言葉に詰まる。
「リオンは、そこの奴らに拉致られて、こんな……。
君が傍に居れば防げたことじゃないのか?
今、校内で流れてるリオンの噂だって知ってる筈だ。
それを知って尚、何でリオンを一人にしたッ!?」
リトの視線の先には、数人の男子生徒。
その一人の手元には、鋏が転がっていた。
リトは、掴み掛からんばかりに声を荒げる。
それに対して、レイナスは何も言えない。
「僕が偶然、ここに来なかったら、リオンが如何なっていたかなんて、子供じゃないんだから予想は付く筈だろ」
そこまで言うと、リトは溜息を一つ吐いて、リオンを抱き上げたまま立ち上がる。
こちらに向かっているリトの腕の中に居るリオンは、可哀想なほどに傷だらけで、頬に二等辺三角形の黒い痣と、髪色が黒みがかっている。
その姿を見たレイナスは、驚愕して言葉を失った。
「あぁ、彼女はちょっと特殊な体質持ちでね。
落ち着けば顔も髪も元に戻るから、気にしない事だよ」
驚いて言葉もないレイナスに、リトはリオンの猫呪の事を暈して説明した。
「ほら、何ボサっとしてるの。
早くリオン受け取ってくれない?」
不機嫌丸出しで、リトがレイナスにリオンを差し出してくる。
レイナスは不思議そうな顔で「え?」と思わず言葉を零した。
「言ったろ。
僕はリオンに近付けない。
彼女は僕にトラウマを持ってるしね。
余計な目撃者に変な噂を流されても困るんだよ。
医務室までは君が連れて行ってあげなよ」
「あぁ……そうか」
リトの行動の意味が解って、レイナスはリトからリオンを受け取る。
そう言えば、リオンは彼を怖がっていた筈だ。
この前の剣術大会でも、彼は「リオンには近づけない」と言っていたか──。
リトは、レイナスにリオンを引き渡すと、屋上と室内を隔てる扉へと歩を進める。
ふと思い出したようにレイナスに振り返って、リトはレイナスの胸倉を掴んだ。
「それと、リオンには「俺が助けた」とでも言っておくんだね。
もし僕の名前を出したら、蹴り殺す」
殺気を隠す事もせずにそれを言うと、リトはレイナスの返事も聞かずに掴んでいた胸倉から手を離し、今度こそ、屋上を出て行った。
どうして彼奴は、あんなにもリオンと関わる事を嫌がっているのだろうか。
リオンに自分の存在を認識させない様にしているようにも思う。
幾ら、自分がリオンのトラウマだからって、そこまで徹底するのか──?
リオンが怖がっているから、リオンにとっては“悪い奴”なのだろう。
しかし、彼のリオンに対する態度を見ていると、どうしても“悪い奴”の様には見えない。
今回だって、本当にリオンを意図的に傷付けてトラウマを植える様な人間なら、リオンが襲われていたって我関せずでスルーするのではないのだろうか。
「……っと、考えるのは後だな」
レイナスは、リオンを医務室に連れて行く為、親切なのかそれともただ閉め忘れただけなのか解らない扉へ向かって歩く。




