XⅦ.噂-Rumor-
分かってはいたけれど、“君が信じてくれている”。
それだけで、僕は何事にも耐えられる。
「……で。
何で僕がここに居るんですかねぇ?」
弥王は、顔に笑み──それでも抑えきれない怒りが口角を引き攣らせている──を湛えながら、目の前の少年に問う。
少年は先ほどから、弥王の態度を気にしていないのか何なのか、特に焦る素振りも困っている素振りもなく、弥王に視線を向ける。
「──ゲーゼ先輩?」
弥王は今、中等部一年のカフェエリアに居る。
目の前には、昨日自分にメモリーチップを渡してきたオレンジ頭の少年──ヴァイアー・ゲーゼが居た。
彼は、弥王の目の前でアップルパイを頬張っている。
──何故、こうなったのか。
弥王は記憶の糸を手繰り寄せる。
そう、あれは──
今から、20分ほど前の出来事だ。
── ──
──20分前。
剣技大会が終わり、弥王は璃王とレイリス、クリス、アリスのメンバーとアリスの喫茶店を切り盛りしていた。
アリスに映画のメンバーとして参加していたレイリスはともかく、何故クリスまで一緒にいるのか。
それは、最近、クリスが弥王にべったりになってしまったからである。
「アリス喫茶」は、映画──それも主に、主役を演じた4人──の影響で連日人で賑わっていた。
更に、弥王と璃王、レイナスとレイリスに記念撮影や握手、サインまで求める人様な人までいる始末だ。
「グッズに加えてビデオとCD出したら、どれ位の値で売れるかな?」
「売る気ですか!?」
クレハはノートに何やらメモを取りながら、呟いた。
その呟きを聞いてしまった弥王は、思わず突っ込んでしまったのだが、それに対してクレハはさも当然の様にしれっと言い放った。
「生徒会の活動資金になるなら、何だってするよ。
例えば、スラム街のホームレスから金品身包み剥ぐ事から、王室に忍び込む事までね」
クレハの言葉に弥王は「とんでもない先輩が管理する寮に入っちまったなぁ」としみじみ思ってしまった。
その時に、不意に弥王の肩に手が置かれた。
突然の事に驚いた弥王が振り返る。
その先には──
「よぉ」
「げッ、ゲーゼ先輩……!?」
ヴァイアー・ゲーゼが居た。
「ちょっとこいつ、拉致らせて貰うぞ」
ヴァイアーは誰に言うでもなくそう告げると、弥王を半ば強引に生徒会室から引っ張り出して行ってしまった。
──そして、現在に至る。
ヴァイアーは未だにアップルパイを頬張っていた。
これで5皿目だ。一体、どういう胃袋しているのか?
食欲の旺盛さだけを見ると、何処ぞの女王陛下に似ている、と弥王は思ってしまった。
こんな事を言えば、彼女の事だ。
「似てないからやめて、頗る不愉快」と睨まれそうだが。
ふと弥王は、ある事を思い出すと、スカートのポケットを漁った。
「ゲーゼ先輩、これ」
弥王はポケットから小さな包み紙──若干、皺が寄っている──を取り出すと、ヴァイアーに差し出す。
彼は、アップルパイを食べる手を止め、弥王からそれを受け取った。
「何だ、ラブレターか?」
皺が少し寄っている包み紙を眺めながら訊いてくるヴァイアーに、弥王は「違います」と即答する。
ヴァイアーは秒で項垂れた。
「先輩が昨日、無理くり押し付けてきたメモリーチップです。
“先輩の”」
「先輩の」を強調され、ヴァイアーは撃沈寸前だった。
彼女が鉄壁であることは、泣いていいのか喜んでいいのか……。
しかも、彼女が連絡先をインストールしてくれたとは限らない。泣ける。
撃沈していたら、弥王から声を掛けられた。
「それにしても、バカなんですか、先輩は?」
突然の弥王の暴言に、ヴァイアーはポカン、と口を開け、茫然と弥王を見る。
「いや、そんな「え、何言ってんの?」みたいな目で見られても困るんですが。
先輩が僕にメモリーを渡して、僕がそれを受け取ったとして、僕がそれをその辺に投げ捨てるとか考えなかったんですか?」
ヴァイアーは弥王の言葉を聞いた後、アップルパイを口に頬張ったまま、包み紙を弥王に突き付けて言った。
「だが、お前は 捨てなかった」
食べながら喋るから、何とも間抜けに聞こえる。
弥王は呆れる他ない。
(あぁ、これなら、リオンに献上してアリゲータの餌にでもして貰うんだった)
弥王は肩をすくめた。
アリゲータとは、リオンが飼っている使い魔の様なモノで、掌サイズの雑食鰐。
「魂を呼び出す呪幻術」の練習中に術式を間違えてしまい、召喚してしまったという経緯がある。
あの鰐なら、メモリーチップなんかは丸飲みだろう。
「捨てるつもりでしたが、まぁ、先輩の端末情報を抜き取って悪用するのも悪くないかな、と思っただけです。
チェンメを送りまくります」
「嫌がらせ目的かよ!?」
弥王の言葉にヴァイアーは肩を落とす。
まぁ、どういうつもりであれ、彼女はアドレスをインストールしてくれたようなので、そこは良しとしよう。
「まぁ、いいや。
実は、神南を誘ったのも、ちょっと理由があってさ」
「なんです?」
ヴァイアーは居住まいを正して、弥王を真っ直ぐに見る。
首をコテン、と傾げる弥王に、ヴァイアーは真剣な表情で問うた。
「神谷の事なんだけど」
「璃音の?
まさか、璃音まで狙ってるワケじゃないですよね?」
ヴァイアーが璃王の話題を出すと、弥王は直ぐにヴァイアーを冷めた目で睨む。
その目は、「ウチの子に手を出したらぶっ殺す」とでも言いたげで、ヴァイアーは苦笑した。
「いやいや、流石に神谷は……まぁ、可愛いとは思うけど。
俺は気になってる子が居るから、流石に狙わない」
「気になってる子?
僕なんて誘ったりして、誤解されても知りませんよ?」
ヴァイアーの弁明を聞いた弥王は、また首を傾げる。
こういう仕草も可愛いなー。
ていうか、こいつ鈍感だなー、そんな所も可愛いなーと、ヴァイアーは思った所で、意識を戻す。
違う、俺が話そうとしたのは、そんな事じゃねぇ。
「それは大丈夫だ。
それより、神谷は大丈夫か?」
「璃音は……」
ヴァイアーの問いに、弥王は考える仕草をした後で視線を落とす。
どうやら、大丈夫とは言い難い状況のようだ。
「多分、お前のクラスでも噂になってるとは思うけど……その、神谷がサクラギを──」
「あり得ません!」
弥王は、強い口調でヴァイアーの言葉の続きを遮る。
その剣幕に、ヴァイアーは特に慌てるでもなく、弥王を見据えた。
「璃音は、自分から他人に積極的に関わるほどアグレッシブな性格はしていません。
それも、あのネル・サクラギとか!
璃音は、確かに難のある性格はしていますよ?
メランコリックだし不愛想だし、人間嫌いで物凄く取っ付き難くて気難しくて警戒心が強いです。
でも、それ以上に、自分に対して害を成さない様な人間には無関心なので、今回の噂になるような事は絶ッッッ対にしないと思います。
「璃音がネル・サクラギを襲った」?
誰が言い出したのか解りませんが、それが本当だとしたら、璃音に全く非はない筈です。
ネル・サクラギが璃音に何かしたとしか思えません」
弥王は、ここまで一気に捲くし立てると、落ち着く為にココアの入ったカップをソーサーから取り上げ、一口口に含んだ。
はぁ、と小さく息を吐く。
胸糞悪い噂だ。弥王は、知らず知らずの内に憤りを感じていた。
「僕は、生まれた時から璃音と一緒にいると豪語してもいい程、ずっと一緒に居ます。
勉強する時も、遊ぶ時も、寝る時もずっと。
だから、璃音の性格は誰よりも理解していると自負しています。
そして、ネル・サクラギは璃音の従姉に当たります。
彼女はにはいい思い出がありません。
璃音関係では特に。
だから、「璃音には非がない」と僕は信じる事が出来ます。
絶対に、璃音は悪くない……」
弥王は、それを言ったきり、黙り込んでしまう。
膝の上には、きつく結んだ拳が置かれており、その手は少し震えていた。
ヴァイアーは思う。
彼女は、本当に幼馴染が大事なのだろう──。
それでも、璃王の問題に手を出さないのは、何か考えがあるのだろうか。
「それなら、お前が──」
弥王は首を振る。
「いつまでも僕が介入しては、璃音の為になりません。
彼女自身も、それは解ってる筈。
僕に泣き付いてこないのがその証拠です。
璃音が僕に何も言わないのは、「お前は手を出すな」と言う事です。
過去の事も、今回の事も、自分で清算するつもりでしょう。
そこに僕が入り込むのは、野暮ってものですよ。
僕も彼女ももう、子供じゃないので」
弥王の言葉には、説得力があった。
“自分のことは自分で解決する”
それは、現在のグラン帝国人が成人するまでに教えられる一つの美徳だ。
彼女達は今年で15歳。
来年には成人だ。
自分の幼馴染の事をよく知る彼女だから、その言葉が出たのだろうと思った。
「でも、璃音が本当に危なくなる前に何とかしたいところではありますね……」
そう言った弥王の瞳には、剣呑な色が見え隠れしていた。
―― ――
── ──
「では、これにて、リヴァイア・サンの聖火台に火を着けて、学祭を終了とします。
生徒会兼寮長はそれぞれ、所定の聖火台へ火を灯してください」
全ての行事が終わり、学祭は閉会式を迎えた。
レイトの言葉で締めた後、アリスのメンバーはそれぞれが、4つの聖火台に火を灯していく。
照明の消えた広いホールに、4つの赤い灯りが揺ら揺らと揺れ、暗闇を照らしていた。
「以上を持ちまして、すべての行事を終わります。
この後の後夜祭は時間が許す限り、ご自由にお楽しみください」
レイトの宣言の後で、ホールに灯りが付けられた。
── ──
閉会式が終わると、ホール会場は話し声でざわついていた。
例の如く大勢の人の声や香水の入り混じった様な匂いで酔ってしまった璃王は、会場の外に出て、校庭の芝生に置いてあるベンチに座っていた。
冷たい風が気持ちが良い。
ふと璃王は、空を見上げた。
星が明に瞬いており、そのやや頭上には、やや欠けている月が浮かんでいた。
──朔の日にはまだ、時間があるな。
できれば、朔の日には終わらせたい。
「やっぱり、ここにいたか」
璃王が物思いに耽っていると、突然、声がかけられた。
その声が誰の物なのかは、振り返らなくても解る。
長年、ずっと一緒にいる聞き慣れた幼馴染の物だ。
「──ミオン」
振り返ればやはり、自分の背後にいたのは弥王。
彼女は、璃王の隣に座ると、手に持っていたミルクティーを手渡してきた。
「ほら、風邪ひくぞ」
「あ、あぁ、どうも」
手渡されたミルクティーを受け取ると、璃王はその缶を開けて、開け口に口を付ける。
ほんのり暖かくて甘い液体が口内に広がった。
「なぁ、リオン。
お前はこの失踪事件、どう思う?」
弥王は不意に、そんな事を聞いてきた。
璃王は静かに、弥王の話の続きを聞く。
「レナ・スタンの虐めの現場は目撃されていたりする。
だが、クリスは、「虐めの首謀者はレナ・スタンでない可能性がある」と言っている。
お前はこれをどう思う?」
「俺は……」
璃王は考える。
今、璃王が一番疑っているのは、ネルだ。
彼女なら、「レナ・スタン」に成り済ますなど、朝飯前であろう。
しかし、どうだ。
このお人よしに、「ネルが犯人なんじゃね?」と言うのは。
恐らく、「幾らトラウマ級の嫌悪感を持っていても、彼女も呪幻術師の端くれなんだろ?一般人には手出ししないだろ」とか言いそうだ。
確実な証拠が欲しい。
確実な「証拠」を得た後で、報告するのも遅くはない筈だ。
「──まだ、俺も考えが纏まってねぇんだ。
ただ、クリスの言った、「レナ・スタンが別人」って言うのは、再現できない事はない。
この場合、「裏社会の人間の表社会への干渉」になる」
「──って事はつまり、「呪幻術師」か。
この学校に居る呪幻術師つったら、リト・コスモかネル・サクラギのどちらかになるのか?」
弥王は、考えながら璃王に問う。
弥王が知る中で、璃王以外の呪幻術師と言えばこの二人だ。
クリスは虐められていた方の人間なので、今回の話には除外である。
「そうだ。
俺が見た感じ、クリスとその二人以外には呪幻術師はいないと思う」
「なるほどな。
もし、この二人の何れかが首謀者だとするなら、リオン、本当にお前は気を付けろよ?」
「解ってる」
弥王の脳裏には、未だに璃王がネルやリトに酷い目に遭わされた記憶が抜けずにある。
なので、弥王が璃王を心配するのは道理で。
それでも、任務を放棄はできない。
それは、プロフェッショナルとしてはナンセンスだ。
「……?
ミオン、確認するが、本当に嫌がらせとか、危害とかはないんだよな?
あれば、正直に言って欲しい。
首謀者の判断材料になる」
しばらくの沈黙の後、璃王はふと気になった事を弥王に問う。
璃王からの問いに、弥王は頷いた。
「あぁ、本当に嫌がらせとかの類は全くないぞ。
まぁ、最近困った先輩には、別の意味で目を付けられているらしいがな」
弥王は肩を竦める。
その「困った先輩」と言うのは、昨日の夜、弥王と一緒に居たオレンジ頭の奴だろうか。
そいつなら問題なしだな。
「確か、虐めで失踪したのは、校長に気に入られた女子生徒だろ?
で、彼に気に入られてるっぽいミオンが被害を受けてない……?
何でだ?
会う毎に口説かれまくってるミオンに被害がないって、まるで標的を選んでるみたい……」
璃王は、ぶつぶつと呟きを零す。
もし、失踪した女子がレイトに気に入られているとの理由で虐められていたのなら。
弥王も何かしらの被害に遭って然るべきだ。
──弥王に被害がなくて、俺が何か狙われてる……?
「ミオン。
俺がネルを襲った、という噂が流れているらしい。
お前は、この噂を──」
「そんなワケないだろ!」
璃王の問いを全部聞く前に、弥王はピシャリと言った。
弥王の言葉は続く。
「リオンがネル・サクラギを襲った?
誰だよ、そんな面白くない冗談言った奴?
大方、ネルの方が「あたし、リオンに襲われたんですぅ~ヨヨヨ」とか言って、触れ回ったんだろうがよー!
ガチふざけんな、悪夢見ながら死ねー!」
怒り爆発、と言いたげに捲くし立てる、弥王。
今まで、他の生徒から何か言われてきたのだろうか、相当鬱憤を溜めていたようだ。
それよりも、解ってはいた事だが、実際に弥王は噂に憤慨する程、自分を信じてくれていたのか、と璃王はその方が嬉しかった。
璃王が迫害を受けても尚、弥王はずっと璃王と居た。
だから、弥王が噂を信じているわけがないとは思っていたが、ここまでとは。
「ふはっ、はははっ!」
弥王の言葉を聞いた璃王は、突然噴き出した。
弥王の言葉がおかしくて、笑いが止まらない。
璃王が突然笑うモノだから、弥王はキョトン、と璃王を見た。
その顔は、目が零れ落ちんばかりに見開かれた、驚愕の表情を浮かべている。
「普段悪夢見せてる奴が何を言うかと思えば……っ、ふふっ、そんなの、お前が見せた方が早いじゃねぇかよ、はははははっ!」
「お前なー、笑いのツボおかしいんだよ、何処で笑ってんだよ」
「普通の人間の何倍も、お前の方が感性おかしいから言われたくないんだが!」
笑いがツボに入った璃王は、暫く使い物にならなかった。




