XVI.疑惑-Distrust-
誰なら信じられる?
何なら信じられる?
閉鎖された世界で
僕が信じるモノはたった一握り。
許されるなら
貴方の深層心理を覗けたなら。
まだ、他人を信じるのは──怖い。
本日の学校の体育館は、学祭最後の催しとあって、大いに盛り上がっている。
何故、こんなにも学校が盛り上がっているのか。
本日は、ウェストスター校の伝統行事、「剣術大会」が催されていた。
中等部・高等部、それぞれの学年の代表同士が剣術の流派関係なく試合をする日。
優勝した学年は一年間、様々な特典を得る事が出来る。
中でも、「2週間特別休暇」と言う特典は特に人気である。
それを狙って、生徒たちは死ぬ気で試合に臨むのだ。
「さぁ、残るは高等部1年対高等部3年!
高等部1年は、急遽、選手が変わって1年Dクラスのジョゼフ・モルディアに替わり、1年Aクラスのリト・コスモが選手として出場します!」
レナが選手の変更を告げると、場内の高等部1年のスペースから、絶叫ともとれる黄色い悲鳴が上がった。
主に女子から発せられている声の所為か、物凄く甲高く、体育館に響いて軽く公害である。
そんな中、璃王と弥王が驚いたような声を小さく上げた。
「彼奴、そんな代表とかする様な熱血な奴だっけ?」
「うーん、覚えてない……が、彼奴の事だし、「メンドイ、何で僕がそんな事しないといけないの、蹴り殺すよ」とか言って、絶対に参加しなさそうだとは思うのだが……」
弥王の呟きに頭を捻りながら璃王が答える。
どういう風の吹き回しだ?少し不気味である。
そんなやり取りの間に、ライトが話を進める。
「そして、3年Bクラスの選手は、レイナス・リグレット!
是が非でも勝って、我が学年に特典を持ち帰ってもらいたい!」
リトとレイナスが、体育館の真ん中で相対する。
面倒くさげなレイナスに対し、リトはレイナスに襲い掛からんばかりの獰猛な目で、赤い目を射抜く様に睨み上げていた。
「はじめ!」
レイトの号令で、試合は始まった。
勝利を手にするのは、一体どちらか──。
リトは、大刀を左手に正眼に構え、右手には短刀を逆手に構えた。
いずれも、試合用の刃の部分がない仕様になっている。
その構えに見覚えがある──否、つい最近見たものだ。
「その構え──ッ!」
レイナスが言い終わらない内に、リトはレイナスの眼前に迫り、低姿勢で大刀を薙ぐ。
それを寸での所で避けるが、更に追い打ちを掛けるように次は、短刀が目前に迫っていた。
レイナスはそれをサーベルで受け止めると、暫しの間、鍔迫り合いになる。
「意外かい?
リオンからは、僕が親戚である事は聞いてる物だと思ったけど。
まぁ、そんな事はどうでも良い。
それよりも──」
リトは、レイナスにだけ聞こえる様な声で囁くと、チラリ、と横目にリオンの姿を探した。
彼女は、最前列でミオンと共にリトとレイナスの試合を見ていた為、直ぐにその姿を捉える事が出来た。
リトの目に映ったリオンの姿は、痛々しい物で。
猫呪が進行しているようで、毛先が殆ど黒に近い色をしていた。
顔色も何処となく悪い。
それを呪幻術で隠している様子ではあったが、彼女では有り得ない程に術式が杜撰で、術が制御できていない状態が解る。
恐らく、本人以外はそれでも誤魔化せるのだろうが、彼女の術式の癖を知っているリトには誤魔化しが利かなかった。
リオンの姿を確認したリトは直ぐに視線を戻し、力任せにダガーを押し付ける。
レイナスはそれを押し返した。
その反動を利用し、リトはレイナスと距離を取る為に後方へバックステップする。
レイナスは、リトの着地と共に踏み込んで、サーベルを薙いだ。
寸での所で低姿勢で躱すと、そのまま懐に踏み込んで、短刀を持った右手の拳をレイナスの腹部に容赦なく沈める。
ドスッ、と鈍い音が聞こえた。
「ぐ……ッ!」
胃の奥から喉へ血反吐の様な物が迫り上がってくるが、それをグッと耐える。
「──リオンを守れないなら、彼女の目の前から消え失せて。
目障りだ」
殴ったままの体勢で、リトは囁いた。
その声は、静かながらも強い怒りと憎悪が満ちているようで、レイナスは戸惑う。
彼は、リオンを虐めていたんじゃなかったのか?
どうなっているんだ──?
「何の──」
「見えてないとは言わせない。
より近くに居て、彼女の変化が解らないとか巫山戯た事は言わないだろ」
レイナスの言葉を遮って、リトは言った。
その間にも、金属と金属が打ち合う音を響かせながら、攻防戦を繰り広げている。
今のところ、怒濤の様に攻撃を繰り出しているリトに、レイナスは防戦一方だった。
「昨日、リオンが目に涙を溜めて寮に戻っていくのを見かけたけど、何故リオンは泣いていたんだろうね?」
「え……?」
リトの言葉に、レイナスは動揺した。
──リオンが、泣いていた?
その刹那、レイナスの動きが止まる。
その一瞬の隙を逃さず、リトは渾身の力を込めて長い脚を振り上げ、レイナスの腹部にそれを叩き込んだ。
「がは……ッ!」
レイナスは境界線ギリギリの所で踏みとどまったが、あまりの鈍痛にその場に頽れて、咳き込む。
そのレイナスの眼前に、リトの大刀の切先が突き付けられる。
冷徹に自分を見下ろしてくる、リオンによく似た瑠璃色と日長石の目。
絶対零度の声が頭上から降ってきた。
「その境界線に君を追い出したら、僕の勝ちだね。
所詮はその程度、って事かい。
──それが何で、"ペルセウス"なんて呼ばれてるんだか」
後半はよくは聞き取れなかったが、今までの態度から、彼が自分に明らかな敵意を向けている事は明白だった。
リトが大刀を振り上げた、その時。
《レイナスッ!》
リオンの声が聞こえた──様な気がした。
刹那、レイナスは体の奥底から力が漲る様な、例えるなら、リミッターが外れたと言っていいだろう。
その様な感覚を覚えて、レイナスは顔を上げる。
眼前には、振り下ろされて迫りくる、大刀。
レイナスは、右へローリングして間一髪でそれを避け、直ぐ様起き上がり、サーベルを構えた。
―― ――
―― ――
「レイナス……」
レイナスとリトの試合を目の前で見ていた璃王は、驚いた。
正直、レイナスには剣技の嗜みはないと思っていたのだ。
確かに、よく不良共の仲裁をしている所を見たことはあるが、「喧嘩」はできても、「試合」ができるとは思っていなかった。
しかし、目の前の彼は、リトに圧倒されていながらも立ち上がって、今はむしろ、リトを圧倒している。
もう、昔の記憶は朧気だが、リトは璃王の父親に剣術を習っていた。
その腕は幼いながらに「紅蓮の七騎士のお墨付き」と言われるほど優れていた記憶がある。
そんな彼を圧倒するほど、レイナスは強かったのか──。
璃王は、リトとレイナスの試合を夢中になって見ていた。
「……」
その隣で、弥王は璃王を横目に見ながら考え込む。
弥王は別に、リトとレイナスの試合はどうでも良い。
それよりも気になるのは、璃王の姿だった。
──外見補正してる割に、何か違和感あるなぁ。
特に呪幻術に心得があるワケではないが、璃王の変化が解らない程鈍感でもない。
弥王は違和感の正体が解らず、試合そっちのけで、じっと璃王を見つめていた。
── ──
──不思議だ。
さっきよりも体が軽く感じられて、レイナスは驚きを隠せない。
先ほどの防戦一方が嘘のように、リトを圧している。
「く……ッ!」
レイナスが袈裟懸けに切りかかると、リトはそれを力任せに払う。
直ぐにレイナスはその反動を利用して、そのままリトに回し蹴りをお見舞いした。
「──ッ!」
思い切り叩き込まれた膝に吹っ飛ばされる、リト。
彼は立ち上がろうと腕に力を入れたが、そこで、試合は終了した。
「そこまで!」
「!」
レイトの声に我に返ったように辺りを見回すと、リトは自分の腕が境界線から出ていることに気付く。
──負けた? この僕が……?
こいつなんかに……?
リトは驚愕して目を見開く。
しかし、それは一瞬の事で、リトは直ぐ様レイナスを睨みつけた。
「リトが境界線を越した為、レイナスの勝ちとする!」
レイトの宣言に、場内一杯に歓喜の声が上げられた。
中には、リトが負けた事に対する落胆の声も見受けられる。
そんな歓声の中、レイナスは作法通りにリトに手を差し出した。
それを睨みつけると、リトはレイナスの手を取り、立ち上がる。
そして、その手を引いて、レイナスにしか聞こえない声で言った。
「……そんなに強いなら、リオンを守れるだろ。
僕は彼女の傍には寄れない。
こんな事、君なんかに頼みたくないけど、リオンをちゃんと守りなよ」
それだけを言うと、レイナスの手を振りほどいてリトは、フィールドから立ち去って行った。
その背中をレイナスは、不思議そうな顔で見送る。
そんなレイナスにライトが近付いてきた。
「いやー、良かったよ、君が勝ってくれて。
じゃないと俺は、毎晩、ウシノコクマイリをしないといけない所だったよ」
「うしの・・・・・・?」
「ホント、神は貴方かー!と思ったよ、神ィィィィィィイイイイ!」
ライト含め、同級生に揉みくちゃにされる、レイナス。
何気に物騒な事を言われたレイナスだったが、言われたことの意味が解らずに首を傾げた。
── ──
―― ――
試合終了後、璃王は生徒会室のキッチンにレナと居た。
「──は?
僕が誰を襲ったって?」
客に出すデザートを作りながら、璃王は訊き返す。
その顔は、不快気な表情を浮かべていた。
「えっと、リオンちゃんがサクラギさんを虐めてるって噂があってね。
ちょっと心配になって。
リオンちゃんは、サクラギさんに何もしてないんだよね?」
璃王の不快気な表情に、レナは困ったような表情で問う。
きっと、そんな噂があるからレナは生徒会として放っておけないのだという事は、璃王にもわかっている。
しかし――。
「心外だな。
僕が彼奴に近付く理由も、ましてや虐めなんて暇人の様な事をする理由もない。
何で嫌な奴に近付いてまで何かをしようと思わないといけないのか。
そんな事をするくらいなら、剣術の稽古をする方が余程健全だよな」
「そっか……そうだよね」
璃王の話を聞いたレナは、「変な事聞いてごめんね」と言って、キッチンを出て行った。
レナが半信半疑で取り敢えず納得したのは、何となく読み取れた。
レナの表情は、それでも璃王への疑いを払拭しきれていないようなものだったから――。
璃王は、作業の手を止めて考え込む。
聞けば、ネルはよく生徒会室に出入りして、レナのサポートをしているのだとか。
レナの寮弟がネルであると言う事も、最近知った。
寮弟に選ぶほど信頼している後輩と、ただ単に「気に入った」と言うだけの後輩。
しかも、前者は付き合いが長いと来ている。
そうなれば、どちらを信用するかなんて、馬鹿でも分かるだろう。
癪だが、噂の信憑性はあちらサイドでは高い筈だ。
《生徒会兼寮長の寮弟が編入生に虐められている。》
これほど信憑性の高い噂はないだろう。
「僕が何言っても、やっぱ信憑性はないだろうなぁ……」
璃王は溜め息を吐く。
──この虐めの問題も、失踪事件も、いっその事ネルが犯人だったら楽なのになぁ。
「──あ?」
璃王は、自分が導き出した考えを止めた。
ネルが犯人?
その可能性はあるのだろうか?
璃王は、その可能性を考える事にした。
ネルは、とても利己的で自己中な性格をしていると記憶している。
そんなネルが、生徒会の寮弟を自らするだろうか……?
若しくは、寮弟になる事で得られる何かしらかの特典が目的……?
この辺は、イリスに訊けば何か分かりそうだな。
例えば、ネルが犯人だとしたら。
時折見られた、「スタン先輩の虐め現場」。
これは、ネルなら可能かもしれない。
彼女は水か何かの呪幻術師だった筈だ。
上位の呪幻術師ともなれば、相手に幻覚を見せる事なんて造作もない。
むしろ、桜ノ一族の術師ならば、扱えて当然だ。
もし、ネルが犯人ならば。
その場合は、死ぬほど面倒くさい事になる。
まず、裏社会の国際問題になるだろう。
基本的に裏社会では、自分の国で起きた揉め事は自分の国で対処する。
そして、自分の国の人間がよその国で問題を起こした場合、自分の国で「アウラ裁判」に掛ける事になる。
つまり、基本的には「治外法権」が認められていない。
アウラ裁判と言うのは、死宣告者や暗殺者などの所謂、「裏社会の人間」を裁く裁判。
裏社会の人間には、「表社会の人間に武力による干渉をしない」などの「アウラ条約」なる国際条約を守る義務が課せられているのだ。
その「アウラ条約」を破ると、「アウラ裁判」なるものに掛けられる。
ネルはイリア人なので、もしこの騒動がネルによって引き起こされたものだとしたら、まず間違いなくネルはイリアに強制送還になるだろう。
まぁ、それはこちらの知った事じゃない。
何より問題なのは、その内容だ。
”桜ノ一族の人間が表社会の人間に危害を加えた”。
これほどまでに不名誉な事はあるだろうか?
本来なら、女王と共に表社会に平穏を、裏社会に秩序を齎さなければならない人間が、秩序を破り、表社会の人間を脅かした。
下手したら、桜ノ一族の信用問題にも発展するだろう。
──本当に、クッソ面倒くさい事をしやがって!
憶測の域ではあるが、グレーっぽいネルに僅かな殺気が芽生える、璃王。
ネルが犯人だった場合、一番危惧するべき事がある。
それは──
「問題は、どう対処するかだよなぁ。
彼奴は二枚舌だし、僕を陥れて泣き付くなんか日常茶飯事だったし、今回も信用してもらえるかどうか──」
璃王は頭を抱える。
写真なんか撮っても、ネルが犯人であった場合は呪幻術で誤魔化されて無意味だし、現場を押さえると、やっぱりレナが犯人って事になるだろうし……。
何と言っても、「誤解です!」で押し切るばかりか証拠すら隠滅しそうだしなぁ、と璃王は考える。
やっぱり、ネルが犯人説の方が余程面倒くせぇ……。
「……やっぱり、昨日は逃げないでちゃんと話すべきだったかな……」
「何を話すって?」
璃王の呟きを誰かが拾った。
璃王は突然の声に吃驚して、肩を跳ね上がらせる勢いで振り返る。
──いつの間に?気配すら気付かなかっただと……?
それほどまでに考え込んでいたのだろうか。
振り返った先に居たのは──
「──レイナス……」
レイナスだった。
彼は、肩を竦めて「オーブン、鳴ったぞ」と璃王の背後にあるオーブンを指さす。
「あ……あぁ、ドウモ」
昨日の事があってどう接したらいいのか解らず、璃王は素っ気なく対応する。
レイナスの言った通り、既にオーブンの中のクッキーは、こんがりと美味しそうなきつね色に焼けていた。
「何でここに?
レイナスは客引きだった筈だろ」
「ん?
あぁ、大体回ってきたから切り上げたんだよ。
どの道、あと2時間くらいで閉店だからな」
璃王の問いに答える、レイナス。
言われて初めて時計を見れば、時刻はもう直ぐで午後3時。
閉店の午後5時まであと2時間だ。
「なるほど」と璃王は、オーブンからクッキーを取り出しながら頷いた。
「それで?
何をそんなに悩んでんだ?」
「え……?」
レイナスに問われて、璃王の口からは素っ頓狂な声が零れた。
咄嗟に言い訳を考える。
もしかして、さっきの独り言でも聞かれていたのだろうか。
「さっき、「昨日は逃げないでちゃんと話すべきだった」とか言ってただろ。
昨日、ってのは昨夜の──えーっと、サクラギとのヤツか?」
名前が出てこなかったらしく、一瞬だけ悩んだ後で、ネルの名前を出す、レイナス。
やはり、先ほどの独り言は聞かれていたようだ。
璃王は考える。
──どうする?
話をはぐらかすか、正直に答えるか。
あの後、レイナスがネルから何て言われたのかは、想像に難くない。
どうせ、「ずっと前から、リオンに虐められていたんです~」とか言ってそうだ。
レイナスを信用できない訳ではない。
だけど、もし、レイナスがネルの言い分を全て信じていたら。
それを考えるとどうしても、話す事が出来なかった。
リトの時は、自分が怯えていたから信じて貰えたのだろうが、昨日の出来事ではネルが泣いていた。
しかも、「リオンに殴られた」と言って。
その現場を見て、殆どの人ならネルの言い分を信じるだろう。
つまりは、彼を信じる事が怖いのかもしれない。
璃王の迫害が酷くなったのも、殆どはネルの所為だったのだから。
人を信じるのは、まだ怖い。
何も言わない璃王。
レイナスは彼女の顔を覗き込む様に視線を合わせると、後ろの壁に手を突いた。
近い距離にレイナスの顔がある。
「なぁ、リオン。
そんなに俺が信用できねぇか?」
「……」
レイナスの言葉に目を伏せる、璃王。
璃王は、小さく首を横に振った。
「じゃあ、どうして──」
「逃げたのか」。そう訊こうとした口を途中で噤んだ。
レイナスは息を飲む。
その瑠璃色の瞳は、玻璃色の膜が張ってある様に潤んで見えた。
「──って……れも……い」
「え?」
璃王の声が小さく掠れて、よく聞こえない。
レイナスは聞き返した。
璃王は、息を吐くと、消え入りそうな声で、しかしはっきりと言葉を紡いだ。
「だって、こんな事言っても、多分、誰も信じない」
「!」
璃王の言葉にレイナスは、言葉を失くした。
泣きそうにも見える璃王の顔は、過去にも同じ事があったのだろう事が窺える。
それも、もしかしたら、彼女の言葉は誰にも信じて貰えなかったのだろう。
確かに昨日は、リオンの話を聞いて、サクラギの話も聞いて。
それでも、サクラギは泣きながら訴えてきていたので、100パーセントでないにしろ、サクラギの言い分を信じそうになっていた。
──昼の剣術大会までは。
情けないが、リトに「リオンが泣いていた」と言われるまで、心底では無自覚にリオンの言い分が半信半疑だったと思っていた。
「リオンがサクラギに何かしたのではないのか」──と。
実際、サクラギが泣いていて、リオンは淡々としていた。
それで「リオンは何もしていない」と、100パーセント言い切れるのだろうか。
「あの状況なら、レイナスはどっちを信じた?
「何もしていない」と言った僕か?
それとも、泣いて縋って、「リオンに殴られた」と言ったネルか?」
インディゴの目が、レイナスの目を射抜く。
しかし、その目は、強く睨むような物ではなかった。
何処か弱々しく、諦めているような目。
レイナスは、言葉に詰まった。
リオンの言葉は、まだ続く。
「僕は「どちらを信じるかはレイナス次第だ」と言った。
僕には、していない事を「していない」と証明できる証拠はない。
それでも──」
リオンは一旦言葉を切ると、手に持っていたトレーを近くの作業台に置いて、レイナスの胸にコツン、と額をくっ付けた。
懐に入ってきたリオンに、レイナスの心臓が早鐘を打つ。
「──僕を信じて、くれますか……?」
蚊の鳴くような小さな声で、囁くようにリオンは問う。
リオンの手は、彼女の胸で固く結ばれており、その小さく薄い肩は、小さく震えていた。
「──リオン……」
まるで、心臓を鷲掴みされた様な苦しさを感じる。
レイナスは、震えているリオンの肩にそっと触れると、その肩を優しく抱き寄せた。
「リオンから見たら俺は、お前を信じていない様に見えたんだな。
実際、少し疑った所はあったかもしれねぇ。
それは、本当に悪かった。
でも、俺はお前が完全に信用できない訳じゃねぇ。
俺は、リオンを信じたいと思ってる」
レイナスは、ゆっくりと諭す様な口調で語る。
腕の中に居るリオンは、いつもより小さく感じて、「もしかして、これが等身大の彼女なのかも知れない」と、レイナスは思う。
気高くて、凛として見えるリオン。
しかし実際は、こんなに小さくてか弱い少女なのだと思い知る。
この時、初めて「守りたい」と思ったのは真実。
そう思った時には、口が勝手に動いていた。
「──リオンが、好きだ」
「──!」
レイナスの突然の言葉に、リオンは顔を上げた。
その顔は、みるみる内に仄かな赤味が差した頬を真っ赤に染め上げ、大きく目を見開いている。
その顔を見て、レイナスも目を見開く。
言う筈ではなかった言葉が、口を突いて出てきたのだ。
言った本人が1番動揺している。
──言う筈じゃなかったのに、何言ってんだ俺は!?
リオンは動揺しているのか、目を見開いた状態から固まって動かない。
フリーズしている、と言った方が早いか。
「あ……えーと、あのだな、リオン。
その……」
必死に言葉を探す。
取り繕うでも何でも良いから、何か良い言葉はないのか!?
レイナスは、動揺と焦りで、リオンから離れる。
「変な事言って悪かった、そろそろホールに戻る。
じゃあな」
早口で捲し立てると、レイナスはキッチンを急ぎ足で後にした。
今すぐに消えて無くなりたい衝動に駆られているので、自爆スイッチがあれば連打したい。
―― ――
―― ――
「──僕を信じて、くれますか・・・・・・?」
蚊の鳴くような小さな声で、囁くように璃王は問う。
璃王の手は、胸で固く結ばれており、その小さく薄い肩は小さく震えていた。
心臓が早鐘を打ち、息が苦しくなる。
レイナスは何て答えるだろう?
──怖い。
「──リオン……」
名前を呼ばれ、璃王は目をギュッと閉じる。
すると、自分の肩にそっと、撫でる様にレイナスの手が触れた。
そのまま、肩を抱き寄せられる。
レイナスの匂いが璃王を包みこむ。
そんなレイナスの行動に驚きながらも、璃王はされるがままになる。
「リオンから見たら俺は、お前を信じていない様に見えたんだな。
実際、少し疑った所はあったかもしれねぇ。
それは、本当に悪かった。
でも、俺はお前が完全に信用できない訳じゃねぇ。
俺は、リオンを信じたいと思ってる」
レイナスは、ゆっくりと諭す様な口調で語る。
レイナスの言葉に璃王は、唇をキュッと結んだ。
目頭が熱く、ツンとして痛い。
「信じたい」──その言葉を望んでいたのかも知れない。
彼の言葉に、張り続けていた物が解けるような、そんな感覚を覚える。
「──リオンが、好きだ」
「──!」
レイナスの突然の言葉に、璃王は顔を上げ、驚愕に目を見開く。
すると、驚いた様な紅い目と目が合った。
──好き……?レイナスが、僕、を……?
ドキドキと鼓動が速くなって、顔が熱くなる。
この距離で、レイナスに心音が伝わったりしないだろうか?
なんだか、体が熱い気がする。
──恥ずかしい。
「あ……えーと、あのだな、リオン。
その……」
レイナスも動揺している様で、必死に言葉を探している。
璃王もかなり動揺して、その無防備になった意識にレイナスの感情が流れ込んできた。
その感情は、璃王の鼓動を甘ったるく震わせる。
先程の言葉に嘘はない。
それを璃王は、嬉しく感じた。
レイナスは、動揺と焦りで、璃王から離れる。
「変な事言って悪かった、そろそろホールに戻る。
じゃあな」
早口で捲し立てると、レイナスはキッチンを急ぎ足で後にしてしまった。
取り残された璃王は、その場にへたり込む。
まだ、体が震えている。
ドクン、ドクンと脈打つ心臓が、少し苦しい。
「えッ……えぇ……ッ?」
未だに動揺は収まらず、璃王は火照って紅くなった頬に手を当て、体を丸める。
──嘘……夢じゃない?
自分の頬を抓る。
思ったより強く抓ってしまった様で、滅茶苦茶痛くなった。
「──うそぉ……」
まるで、フワフワとして体の感覚がない。
「好き」なんて、聞き慣れた言葉。
小さい頃によく、マオが言ってくれていた。
マオの言った「好き」は、嬉しくて、それでも反発していた様に思う。
単純に嬉しかった筈なのに。
レイナスから言われた「好き」は──。
嬉しくて、それでも少し恥ずかしくて、胸が締め付けられる様な感覚。
初めて感じる感覚に戸惑う。
これが、「恋」だとしたら。
レイナスに対する感情と、マオに対する感情。
この二つが別物だと、璃王は思い知る。
──ミオンの言った事は、本当だったのか。
僕は、レイナスが──
「好き……なのか……」
璃王は両手で顔を覆うと、暫くそこから動けなくなる。
──困ったな。これでは、彼の顔を直視できない。
この後、暫く作業に戻れず、気付いたら後夜祭まで時間がなくて、急ピッチで菓子作りをする羽目になる事を、璃王はまだ知らない。
―― ――
―― ――
「いつまで笑ってるの?」
リトは、屋上で不機嫌な声を電話にぶつける。
先程、セラから着信があり、電話に出ればいきなり笑い出してからの現状だ。
セラに殺意が芽生える。
《くくく……ッ、くふっ、はは……っ!
負けた腹癒せに……ッ!
呪うとかッ、鬼畜すぎて……ッ、やる事小さ過ぎて……!
いやぁ、本当に滑稽だねぇ。
まさか、璃蓮様に剣術の手解きを受けていながら負けるなんて、彼が聞いたら、憤死するだろうねぇ》
セラは、先の剣術大会をリオンを通して見ていたらしく、先程からその事についてリトに言っていた。
どうやら、レイナスに呪いをかけた事が余程可笑しかったらしい。
何がそんなにこいつを笑わせるのかは謎だが、確かに少し、姑根性丸出しと言うか、これなんて性悪姑?
そんな事を思ったのは、既に呪った後で。
時すでに遅し、とは正にこの事。
ちなみに、呪ったのは試合終了の握手をした時だ。
《でもまぁ、結果的にはその呪いを掛ける事によって、またリオンがハッピーエンドに近付いたワケだけどねぇ。
君としては納得できないだろうけど、どういうルートを辿っても、リオンの行き着く先は彼以外には有り得ないし、その先に幸があろうとなかろうとリオンの寿命は決まっているから──》
「解ってるよ。
だからこそ、少しでもリオンがマシな運命を辿る様に、僕が協力してるんでしょ。
君が見えているモノなんて知らないし、興味もないけど、その先には必ず、彼女にとっての“ハッピーエンド”はあるんだろ」
セラの言葉を遮り、リトは溜息交じりに言った。
何万回と聞かされたその言葉には、正直うんざりしている。
「耳に胼胝ができる」とはよく言ったものだ。
「解せないけど、運命に抗う鍵を覚ます為には、運命を閉ざす錠が必要だ、と言ったのは君だからね。
メンドイけど、彼女の為だと思って君の幻想物語に付き合ってあげるよ」
それだけを言うと、リトは電話を切った。
──まぁ、精々リオンに思いも寄らぬ事をぶちまけて、ドン引きされればいいさ。
リトの企みとは裏腹に、リオンとレイナスの関係が好転する事を、彼はまだ、知らない。
@璃王から見たレイナス
好き……なのかぁ……(他人事)




