XⅣ.協力者-Supporter-
その時、私は彼のフードの下から見えた漆黒の瞳に、何とも言えない感情を感じ取って息を飲んだ──
学祭3日目。
この日は、全寮の生徒が球技にて正々堂々とお互いの力を見せつけ合う日。
なので、何処の寮も熱気で溢れています。
その中でも特に灼熱の様に燃え盛っている寮がありました。
「ついに……この日が来たぞ、皆の衆!
今日は、我が炎寮が力を出し尽くし、勝利を勝ち取る聖戦の日!」
体力馬鹿──もとい、体育会系の集まりである炎の寮寮寮長である、エイル・ギレックが特に燃えておりました。
彼は、熱気の籠ったアリーナの中で情熱的にシャウトする様に語る。
「皆の者!
正々堂々と戦い、勝利を──おうふ!」
不意に投げられたこけし。
それは、エイルの言葉を遮るようにパコーン!といい音を鳴らして、彼の後頭部にぶつかる。
「五月蝿いよ」
こけしを投げたのは、勿論クレハ。
文句を言おうと振り返る前に、いつの間にか近くに来ていたクレハが口を開く。
静かなその声からは、感情が聞き取れない。
クレハはクレームを続けた。
「何で端から端までベンチの距離が空いてるのに、僕の寮のベンチまで君の演説がはっきり聞こえるんだ。
まったく……作戦会議の邪魔だよ」
フードの下からエイルを睨んでやることも忘れてない。
そう、クレハは今回の球技大会──バスケ──の選抜メンバーと、どうやって触覚ハゲを押さえ付けようかと言う作戦会議をしていたのだ。
そこに、エイルのあの大声の演説である。
クレハでなくても怒るだろう。
「我が寮は熱気と情熱の寮なの──ぬおっ!」
「それを少しは自重しろつってんだよ、この触角ハゲ!」
振り返って尚も何かを言いかけたエイルの言葉を遮り、クレハは再びこけしを投げた。
エイルの額にこけしの角が突き刺さる。
流石、木製の置物。 刺さると痛い。
「なっ、触角ハゲとは誰の事だ!?」
ズキズキと痛む額を抑え、エイルはクレハに掴み掛らんばかりの勢いで反論する。
クレハはと言うと、エイルの反論を物ともせずにサラリと言った。
「君以外に誰が居るのさ?
カマキリみたいな触角生やして丸刈りの緑頭はエイル・ギレック、君しかいないだろ。
それとも、ミドリムシの方が良かったかい?」
「尚悪い!」
「大体、君は大人しくしている事はできないのかい?
君が静かな瞬間って、僕は一度も見た事がないんだけど」
ギャアギャアと言い合いをしている──主にエイルが五月蝿く突っかかっている──二人を遠巻きに、弥王と璃王は顔を見合わせる。
「思ったんだけど……クライン先輩って、男……だよな?」
何を思ったのか、弥王が隣に居た璃王に問いかける。
同性同士のやり取りでも、クレハはエイルに構い過ぎの様な気がしない事もない。
まるで、だらしない幼馴染を叱咤するような構図だ。
「男だろ。
まさか、僕達みたいに自分から男になろうなんて思う変わり者は居ないだろうし」
「やっぱり?」
璃王の言葉に弥王は苦笑を返す。
──まぁ、たしかにそうだよなぁ。
成り行きとは言え、自分達みたいに自分から性別を偽ろうなんて思う人間ってそう居ないだろうし。
「でもまぁ、クライン先輩が女だったら案外、ギレック先輩とはお似合いかもな」
隣でエイルに毒を吐くクレハと、それに対して屁理屈を並べるエイルを一瞥すると、璃王は肩を竦めて言った。
その言葉に、弥王はクレハがエイルと付き合っている事を想像する。
鞭を持って、罵詈雑言を浴びせながらエイルをしばき上げるボンテージ姿のクレハに、そんなクレハにドM発言を繰り出すエイル。
そんなエイルにクレハは言うのだ。
「跪いて靴を舐めろ」と。
なんだこれ、嫌すぎる。
──やめてくれ。
どんなSMカップルだ。
そんなカップルが身近にいるなんて嫌すぎる。
弥王は、すぐさまその光景を霧散させた。
「オレハ ナニモ ミテナイ」
うっかり弥王の心を読んでしまった璃王は、直ぐに意識をシャットダウンさせて、目を覆った。
──嫌な光景を見てしまったじゃないか。
そもそも、何故SMカップル? そこからしてまず、おかしいだろうが。
璃王がそんな事を考えていた時だった。
不意にバンッ!と扉を乱暴に開け放つ音が聞こえた。
その場に居たクレハとエイル、弥王と璃王はその音に、扉に注意を向けた。
扉の向こうには、5人の人影。
人影の真ん中に居た背の高いヤンキーの様な出で立ちの男が殺気立った顔で辺りを見回している。
「あ」と、弥王と璃王はその顔を見て小さい声を上げた。
その顔に見覚えがあったのだ。
「璃王、やばいオレ、彼奴にめちゃ見覚えあるんだけど」
「しっ、他人の振りだ。
大丈夫、きっと解らないさ」
弥王がうんざりした顔で璃王に耳打ちすると、璃王は弥王の肘をつつく。
しかし、その顔はやはり、自分たちの素性が割れたら面倒臭いと、警戒しているような顔だ。
──大丈夫だ、あの時のオレ達は男装をしていた。
女の格好でいる今では解らないだろう。
て言うか、何で今更こいつが来るの!?
え、アリスか誰かが何かしたの?
オレ達じゃないよな!?
内心で動揺する弥王と璃王。
自分達にお礼参り的なモノでないことを、何処に居るともしれない神とやらに祈る。
──しかし。
その祈りは神とやらには届かなかったようだ。
「コウナミって紫のヤツとコウヤって青い奴がこの学校に居る筈だ!
そいつらを出せ!」
──うわぁぁぁぁぁぁああ! オレ達だったぁぁぁぁぁあああ!
弥王と璃王は、何処に居るか解らない神を恨む。
「何だい、君たちは?
今は学祭中で、外部の人間も出入り自由にしてるけど、礼儀くらいは持ち合わせてもらいたいね。
人を呼び出すならまず、挨拶と身分証明が先だろ」
「あぁ? 何だ、このチビ。
いいから、コウナミとコウヤを出せ!
この間叩きのめされたお礼をきっちりつけてやらぁ」
ボキボキボキ、と不良は指を鳴らす。
そう、弥王と璃王はスターライン校時代から不良を知っていた。
と言うか、不良に追い回されていた。
つい先日も不良が任務の邪魔をしに来たので、フルボッコにしてしまったのだ。
そんな彼は、死宣告者をしている。
なので、弥王と璃王の情報は手に入る──と言う事なのだろう。
ここまで執拗に追いかけまわしてきたのがその証拠である。
「何だ、彼奴。
お前ら、何かしたのかよ?」
弥王と璃王のすぐ後ろに来ていたレイナスが二人に問いかける。
振り向いた璃王は困ったような顔で「まぁ、そうだな……」と言葉を濁した。
「あの人、幼少の頃からのストーカなんですよ。
この間もしつこく付け回してきたので、撃退してしまったんですよねぇ。
それを根に持っちゃってるみたいで。
本当、困った人です」
やれやれ、と肩を竦める弥王。
それを聞いたレイナスは「こいつら本当に堅気かよ!?」と思った。
そう思うほど、不良は一般人の様には見えないのだ。
「お礼参り?
悪いけど、この学校で喧嘩は――」
「ごちゃごちゃ五月蝿ぇんだよ、早くコウナミとコウヤを出せつってんだろ!」
クレハの言葉を遮り、不良はクレハの肩を小突いた。
小突いた、と言っても、その力加減は非力なクレハが倒されるくらいには強い。
クレハは踏ん張る暇もなく、その場に尻餅を突く。
「いっ――」
しかし、倒れても尚、フードの下から不良を睨み上げる。
ここで引くのは、アリスとして示しがつかない。
しかし、倒された彼の姿を見た弥王が「クライン先輩!」と前に出てきて、クレハを庇う様に立ちふさがる。
「あー、もう面倒くさいなぁ。
お前が用事あんのは、僕と璃音だろ。
クライン先輩関係ねぇよな?
手を出すなよ、ド三流」
目の前の不良を睨む、弥王。
その殺気に、目の前の少女が探していた少年だと知って、不良は狼狽する。
「なっ、コウナミって、女!?」
「だったら何だっての?」
ギロリ、と今にも殺しそうな目で少年を睨む、弥王。
「あまり、邪魔されたくないんだけど……用事なら早くしてくれる?
えぇっと、お礼参りだっけ?
また病院送りにされたいなら、相手するけど?」
「話が解ればいいんだよ」
不良は弥王を上から下から嘗め回す様に見る。
そのねっとりとした視線が気持ち悪い。
ゾゾゾ、と弥王の背筋を寒気が駆け巡った。
「弥音、ここで暴力沙汰は勘弁願いたいんだけど。
せめて、剣技とかにしてくれないかい?」
クレハは、こんな時だというのに学校の体裁を気にしているようだ。
ふむ、と弥王は考える。 剣技かぁ。
「第三者に僕が振るう剣が突き刺さっていいなら、そのように」
「……解った。 ここで起こる事全てに僕は目を瞑るよ」
弥王の言葉に少し思案した後、クレハは仕方がない、と肩を竦めて言った。
学校の体裁より、まずは自分の保身である。
そんなクレハに弥王は「冗談です」と笑みを零すと、「璃音」と璃王を呼んだ。
「剣技だったら、当然、璃音だよな。
サクッと殺ってポイっと頼む」
「な……ッ、お前、いつもいつも……!」
「ほらほら、早く」
「チッ、解ったよ」
弥王にクレームを付けようとするも、流されてしまった璃王は舌打ちした。
「えぇっと……あぁ、イリス、ちょうどいい所に。
悪いが、部屋から木刀一式取ってきてくれないか? 場所は解るよな?」
「はっ、はいです!」
璃王が視線を漂わせた先、すぐ傍にレイリスが居たので、同室の彼女に寮から木刀を取ってくるように頼む。
彼女は返事を返すと小走りでアリーナの外へ走って行った。
それを見届けて、璃王は目の前の不良を睨むように見据える。
「木刀と言わず、真剣でも良いんだぜ?」
璃王の姿を見つけた不良が卑下した笑みを浮かべて、弥王に向けた視線と同じ視線で見下ろしてくる。
その視線の気持ち悪さに顔を顰めつつ、璃王は吐き捨てる様に言った。
「お前なんか、木刀所かクナイ一つで十分だ。
しかし、ここで刃傷沙汰を起こすワケにはいかねぇからな。
良くて打撲、最悪粉砕骨折で勘弁してやる」
「随分と強気じゃねぇか。
俺が勝ったら、そうだな……ちょっと面貸してもらおうか、コウヤ」
「はぁ?
面貸せって……何だ? 顔の皮でも剥がす気か?」
――絶対そっちの意味じゃねぇ!
璃王と不良のやり取りを聞いていたアリスとレイナス、弥王はそんな言葉を心の中に仕舞った。
レイナスに至っては、何だ、こいつには天然入ってるのか?すら思ったほどだ。
「大丈夫なのかよ、アレ」
レイナスが呟いた。
璃王を一般人だと思っている彼は、璃王の強さを知らない。
その為、心配の言葉が口から零れたのだ。
弥王を見ると、にべもなく璃王と不良を見ている。
――こいつは、幼馴染が心配じゃねぇのか?
そんな事を思ったレイナスの耳に、弥王の言葉が通り抜けた。
「大丈夫ですよ、璃音なら。
彼女は幼少の頃から剣術を嗜んでいます。
ここに来てからも、騎士団にはお世話になってるみたいですしね。
璃音の強さは、銀星ノ騎士団団長のお墨付きです
むしろ、心配しなきゃいけないのは彼の方かもしれませんね。
璃音は加減知らずの鬼畜なので、粉砕骨折じゃ済まないかもしれません、南無」
弥王は、勝負の前から既に結果が見えている、とでも言いたげに不良に向かって手を合わせた。
幼少の頃からの幼馴染である弥王がそういうのであれば、心配はないのか……?と思いつつも、やはり、璃王のことが心配である。
(銀星ノ騎士団にも知り合いがいるのか……ファブレット家にも縁があるようだし、本当に何者なんだ、こいつら?)
以前、璃王は「懇意にしてもらってる貴族が居る」と言う話をしていたが、その貴族がファブレットだとして、彼女達の立場が気になる所だ。
ファブレットと言えば、知らないものなどいない王家の名前。
その兄であるグレア・ファブレットといえば、女王陛下であるグレイ・ゼル・ファブレットの兄でありながら、公爵の地位を得てこの国に君臨している大貴族の一つなのだ。
そのような立場の人間に、璃王曰く“一般人A”である彼女たちが懇意にされている理由とは?
銀星ノ騎士団にしても、それは王家を守る騎士団だった筈だ。
つまり、彼女たちは王家に近い人間――?
「おっ、お待たせしましたです!」
暫く経って、レイリスが息を切らせてアリーナに入ってきた。
璃王に小走りで駆け寄り、彼女は両腕に抱えていた一つの筒状の入れ物を璃王に渡す。
「さんきゅ、重かったろ。
怪我するから、下がってな」
璃王はレイリスを労うと、入れ物から二振りの木刀を取り出す。
一つは普通の長さの木刀、もう一つは短剣の長さくらいしかない木刀だ。
それを、長い方を右手、短剣を左手に逆手に持って構える。
「アリーナだと、床とか壊しそうだからな……表に出ろ。
相手はそれからだ」
璃王は、外へ行くように促す様に目の前の扉を顎でしゃくって外へと出て行く。
璃王に促された不良は不満そうだ。
「命令してんじぇねぇ」と騒ぐ不良だが、それは既に外に出ていた璃王には聞こえていない。
「さーて、ヤジ飛ばしにでも行きますかね」
そう言った弥王の口調は何とも軽い様子で、本当に彼女は璃王の事を一切心配していない様だった。
それほど、璃王の事を信頼しているのか、それとも何とも思っていないのか。
その真意は定かではないが、少なくとも後者ではないことは、弥王に迫られた事のあるレイナスには解った。
一応、心配なのでレイナスも外に出る事にする。
「え……と、とりあえず、このまま待機で!
状況如何によっては、今日の球技大会は中止にする!」
それだけを言うと、クレハは出て行ってしまった。
最早、球技大会どころではないことは解っているが、かといって野次馬が揃いに揃ってしまうのも鬱陶しい。
なので、クレハは待機命令を出したのだ。
待機命令を出された生徒たちは、異例の事態に騒然とざわめいていて、それを教師が宥めていた。
―― ――
―― ――
グラウンドには、璃王と不良が対峙していた。
璃王は二振りの木刀を両手に構え、不良はレイピアを構えている。
「おいおい、二刀流は流石に汚ねぇんじゃねぇの?」
挑発するような不良の言葉。
――いや、お前の方が明らかに汚ねぇだろ!
誰もがそんな言葉を思い浮かべるが、それを口に出す者はいない。
璃王はというと、不良の挑発を鼻で笑う。
その顔は、嘲笑しているようにも見えた。
「安心しろ、うっかり左手に持ち替えない様にする為に持ってるだけだ」
「ハンデのつもりか?」
「さぁ……なっ!」
璃王が言い終わらない内に、不良が不意を突いて斬りかかってきた。
寸での所で璃王はレイピアを左手の短刀で受ける。
ニヤリ、と不良はニヒルな笑みを浮かべた。
「左手、出てるじゃねぇか」
「そりゃ失礼。
まだまだ、左の手は矯正が必要なようで、ねッ!」
璃王は不良を押し返す。
「チッ」と、璃王の口から小さな舌打ちが零れた。
刹那、右手に持った木刀を薙いだ。
それは、身一つで躱される。
――右はどうも昔から慣れないな。
璃王は距離を取った不良を睨みつける様に見据える。
普段は好戦的な璃王だが、それは自分より強い者か同等の力量を持つ人間に対してであり、彼みたいな猫の様に毛を逆立てて自分を大きく見せてくる弱者には興味を持たない。
本気で掛かれば秒殺だろうが、何でこんな興味もそそられないザコに誰が本気なんか出すか。
とりあえずは――様子見だ。
璃王は、木刀を持っている手をだらりとぶら下げた。
それを見て、弥王は内心で苦笑する。
「彼奴、どうしたんだ?
まさか、今ので何処か怪我したんじゃ……」
隣で心配そうに声を掛けてくるレイナスが、ちょっとウザい。
レイナスの言葉には、肯定でもなく否定でもない言葉が返される。
「心配性ですか。
まぁ、黙って見てる事です。
ウチの仔猫は――」
話している間にも、璃王と不良の攻防戦は続いている。
斬りかかる不良に、守勢一択の璃王。
攻撃を避けては受け流し、のらりくらりと、それはそれはまるで人間とは思えぬ――否、俊敏且つまるで、ダンスでも踊るかの様な軽やかな足取りで躱す。
軈て――。
刹那、キィン、と言う、金属が折れる音が響いた。
不良の手には折れたレイピア、そして、その喉には、璃王の木刀。
璃王は、不良を睨み上げている。
「――猫よりも気紛れで、飽き症に定評がありますから」
「おい」
弥王の言葉と、璃王の言葉が被る。
璃王の言葉は、不良に向けられたものだ。
喉元に木刀の切っ先を突き立てられている不良は、璃王を見下ろしながら冷や汗を額に流している。
璃王は言葉を続けた。
「まさか、今ので対等にやり合ってるとか、「俺優勢すげー」とか思ってんじゃねぇだろうな?
何だ、今の。 子供のお遊戯にもならねぇ」
璃王の低い声がグラウンドに消える。
璃王を圧していると自分では思っていた。
その油断に付け込まれた。
目の前の少女は、明らかな殺気を不良へと向けて、藍色の隻眼で睨み上げてきた。
「僕は、自分より弱い奴は嫌いだ。
毛を逆立てて自分を強く見せようとしている詐欺師は論外。
相手する価値もねぇ。
このまま続けても良いけど、このままじゃ僕が弱い者苛めになっちまうし……何より、あまり問題起こすと、怖ーいお兄さんとお姉さんが来て、えぐい罰を与えられるからな。
お前も、僕達に執着しすぎると、怖い人に首を落とされるぞ?」
「ぐ……ッ」
言葉に詰まる不良。
「弥王」と「璃王」がどういう立場で何をしている人間なのかを知っている彼は、璃王の言葉の意味を察する。
“これ以上公務執行妨害をするなら、裏警察でしょっ引いて、しかるべき処分を受けさせるぞ”と璃王は言っているのだ。
その言葉が隠れていることを読み取れないほど、馬鹿な頭はしていない。
「怪我したい奴は掛かってきな、全治3か月で勘弁してやる。
それと、入院患者に“栄養食”と称した殺人的食料兵器を与えようとしてくる腕の立つ医者も付けてやらぁ」
璃王は、不良に宛がっていた木刀を引き、左手の短刀と入れ替えて構える。
その様子を見たレイナスが「左……?」と意外そうな声で呟くのが弥王の耳に聞こえた。
「彼奴、左利きだったのか?」
「いえ?
璃音は普通に右利きですよ」
レイナスの問いに答える、弥王。
その回答を聞いて、レイナスは尚更驚いたような声を上げる。
普通なら、自分の利き腕で剣を振るうモノじゃないだろうか。
利き腕の方が力が入りやすいし、扱いやすい筈だ。
何らかの制限プレイか?とすら思う。
「まぁ、璃音は左は力の制限ができないから、今度こそ彼らはお釈迦でしょうけど」
思考するレイナスを置き去りに、弥王はポツリと呟いた。
「舐めんなよ、てめぇぇぇぇぇええ!」
璃王の言葉に神経を逆なでされたらしい、不良が連れていた取り巻きの一人が息を巻いて突っ込んでくる。
冷静さを欠いた人間の攻撃は、直線的になりやすい。
璃王は、直ぐに殴り掛かろうと走ってきた重鈍そうな男を横目で捉えると、彼の足を引っかけ、ひらり、とその攻撃を避ける。
「死体が1匹」
「うぐっ!」
左手に持っていた木刀で、男の鳩尾を渾身の力で突く事も忘れてない。
更に蹴り飛ばして一瞥をくれ、動かない所を確認すると、他の不良の取り巻きに目を移す、璃王。
璃王の冷ややかな声に、その場に居たアリスとレイナス、レイリスはゾッとした。
弥王は慣れているのか、現状をただ無表情に見守っている。
「よくもテメェ、兄貴をぉぉぉぉぉおおお!」
璃王の背後から、死相が出てそうな死人の様な風貌の男がナイフを持って切りかかってきた。
その気配を察した璃王は、振り向きざまに右手の短剣で彼のナイフを受け止め、ガラ空きの脇腹に膝を叩きこんだ。
「げほ……ッ!」
彼が咳き込んだその瞬間に、追い打ちをかける様に後頭部に木刀を叩きつけた。
死人の様な男はその場に頽れる。
「2匹目」
璃王の視線は、無情に不良を見据えている。
璃王の周りで気絶している仲間を見て、不良は青ざめた。
――馬鹿な!? 俺が知る限りで強い死宣告者を雇ったのに!?
そんな彼の心の声が璃王の意識に流れ込んできた。
「全く、怖いじゃねぇか。
パンピーの女二人に「マ」の付く自由業の大人を雇うとかさぁ、もう信じられない。
やっぱ、騎士団のお姉様の厚意は受け取っておくモンだな、じゃなきゃ今頃、先祖とお茶会してたところだ」
――いやいや、まず普通に暮らしてたら、「マ」の付く自由業の人間なんかに狙われないから!
璃王の独り言を聞いたレナは、そんな言葉を心に仕舞った。
それは突っ込んではいけない事だと思ったのだ。
レナでも、その辺の空気が読めないわけではない。
(ファブレット家に懇意にされてるし、特にファブレット公爵や女王陛下と親し気な印象があった……更に銀星ノ騎士団とも親密な様子……彼女たちは?)
レナがハラハラと勝負の行く末を気にしている間、クレハは弥王と璃王の事について考察していた。
「――で、次に死体になりたい奴は、誰だ?」
「ヒィィッ!?」
璃王が獰猛な笑みを浮かべて殺気立つと、残りの二人はがくがくと震える身を寄せ合って、喉から引き攣った声を上げる。
――こいつ、絶対カタギじゃねぇ!!
「すみませんでしたぁぁぁぁぁぁああ!
もうこの依頼、パスするので、命だけはァァァアア!」
恐怖に慄いた声で叫びながら、残りの二人は気絶している二人を抱えてその場を去ろうとする。
そんな二人を咎める様に、不良が声を荒げた。
「お、おい! お前ら何処に行く――」
「馬鹿か!テメェは馬鹿か!
彼奴、絶対悪魔の猫だろ!?
そんなのに睨まれたら、命なんか幾つあっても足らんわ、この田舎ヤンキー!」
怒鳴ってくる不良の言葉を遮り、怒鳴り返す殺し屋。
「あ゛ぁん、てめぇ、誰が田舎ヤンキーだ!?
俺はこれでも、上流階級の貴族だぞ!?」
「うっせぇよ、お貴族様だろうが関係ねぇ!
お前、何て奴と俺らを戦わせようとしてたんだよ、お前をいてまうぞ、ゴラァ!」
「あぁ~! これ絶対、毎晩悪夢見る羽目になる!
もう俺達はお終いだぁぁぁぁぁぁぁああ!!
後は死ぬしかねぇ、天国の姉ちゃんごめんよぉぉぉぉおおお!」
そして、三人は言い合いをしながら尻尾を巻いて脱兎の如く逃げ去って行った。
ポツン、と取り残される璃王。
「はぁ」と呆れたような溜め息が出てくる。
それは、どう報復しても懲りない不良に対するモノなのか、それとも、殺し屋の言った言葉になのか。
とにかく、璃王はため息とともに乱雑に腕を振り払った。
「誰と勘違いしてんだか。
俺は一般人Aだっての……」
――しかも、悪夢を見せてくる奴は俺じゃねぇし。
璃王は、そんな言葉を飲み込んだ。
振り返ると、静まり返っているグラウンドには、弥王とレイナスとレイリス以外に、アリスのメンバーがいる。
弥王以外は、絶句しているような様子だ。
目の前の光景が信じられない。 そう言いたい顔だ。
それもそうだろう、今までの物騒な会話を全て聞いていたのだ。
言葉一つ出なくて当然である。
「……この後は球技大会か?」
「あぁ、うん、そうだね。
まだ、時間的にも何とかなるだろうし……流石に個人のお礼参りで中止はできないから」
璃王の問いに答えたのは、クレハだった。
「そうか」と抑揚のない声で璃王は頷く。
その声は、弥王以外には疲れているように感じた。
「リオン……」
璃王に声を掛けてみたはいいが、それ以降の言葉はレイナスの口からは出てこなかった。
先程の死宣告者と思われる彼らが言った単語がレイナスの頭に残っている。
――お前が?まさか、 そんな筈はない……と思う。
しかし、もし、彼女が死宣告者――裏警察の悪魔の猫なら。
ファブレットに懇意にされている事も、銀星ノ騎士団にコネがある事も、そして、その強さにも説明が付く。
むしろ、裏社会の人間でないというには、不自然すぎる強さだった。
――しかし、どうする。
ここでそんな質問をすれば、「実は俺、死宣告者なんだ」とカミングアウトすることになってしまう。
そうすれば、もし、彼女が悪魔の猫だった場合、彼女は俺を警戒してくるだろう。
若しくは、彼女が一般人の場合、禁忌に触れる事になる。
どちらにしても、問う事は憚られた。
死宣告者――否、裏社会の人間が表社会の人間にその存在を公にするのは、禁忌とされている。
それは、裏社会の人間の大多数が持っている能力に起因するものだ。
表社会でその力は、脅威になる。
それを管理しているのが裏警察であった。
名前を呼んで、いつまで経っても反応がないレイナスに璃王は、ふっ、と笑みを零した。
「何だ、レイナス?
あんな奴らが言った事気にしてんのか?」
からかうような璃王の笑み。
それは、先程の獰猛な光を宿した目で笑っていた人物が浮かべているモノだとは思えない程、屈託のない表情だった。
先程の表情は見間違いだとすら思えてくるほどに。
「いや、そうじゃねぇけど……」
それ以上の言葉が詰まる。
正直、先程の光景が信じられないのだ。
「ただ、あまりにもお前が強くて、少し驚いただけだ」
「ふはっ、当然!」
素直にレイナスの言葉を受け取る璃王は、いつもの空笑いを見せた。
それに安堵すら感じる。
「そこのバカップル、早く来ないと、グラウンドを裸でランニングさせるよ。
……レイナスだけ」
いつの間にか、アリーナに向かっていたクレハの死の宣告が聞こえた。
―― ――
―― ――
球技大会は、遅れながらも恙無く行われた。
先程の問題は「当事者である弥音と璃音が校長に報告しなよ」と言うクレハの言葉で、弥王と璃王が校長室に来て、レイトに報告していた。
「まぁ、何と言うか……有名な死宣告者は大変だね。
ともかく、君たちに怪我がなくて良かった。
預かっている君たちに万一の事があったら、グレアも黙ってないだろうからね」
それは、報告を聞いたレイトの言葉である。
(特に、ミオンちゃんを怪我させたとあっては、グレアから殺されかねないしなぁ。
何を言っても、ミオンちゃんの事は気に入ってるっぽいし)
それは、レイトが心に仕舞った独り言だ。
――何を躍起になっているのかは知らないが、いつか痛い目に遭う事は確実だろうな。
「中々思う様に調査の方も進まないだろうけど、宜しく頼むよ。
何か必要な事があれば、協力は惜しまないからさ」
柔和な笑みを浮かべ、レイトは言った。
レイトの言葉に、璃王は微量の違和感を覚える。
レイトに調査報告はしていない。
まぁ、確かに編入から今まで、約3週間で何も音沙汰がないなら、難航していると思われても仕方ないのだろう。
しかし、レイトの言い分だと「難航していて当然」とでも言いたげなニュアンスがある。
弥王はその違和感に気付いているのかどうかは知らないが、思案する璃王の隣で「はい、ありがとうございます」と営業スマイルを浮かべている。
――気は進まないが、少しズルをさせてもらうか。
璃王は、口を開いた。
「では、お言葉に甘えて。
この学校で失踪した生徒の名簿をお借りしても?」
「失踪した生徒の名簿……? 別に構わないけど」
璃王の要請に、レイトは二つ返事で頷くと、デスクの引き出しから一つの名簿を取り出して璃王に手渡した。
それを受け取り、璃王は「どうも」と会釈をする。
「少し、名簿を借りていくぞ。
明日には持ってくる」
「では、失礼した」そう言って、璃王は足早に校長室を出て行った。
「あっ、璃王!
――失礼しました」
弥王も慌てて璃王に続き、校長室を後にする。
パタン、と閉じられた校長室には、レイトのみが残された。
「――確かに、優秀な子達だ」
一人になった校長室で、レイトは彼女たちが出て行った扉を見つめて、肩を竦めた。
―― ――
―― ――
「お待たせしました」
校長への報告の後、弥王と璃王は蜃気楼の穹寮の屋上へと赴いていた。
そこには既に先客がおり、哀愁さえ漂っていると感じられるその背中に弥王が声を掛ける。
すると、その声に反応した先客――クレハは振り返り、弥王と璃王の姿を認めると歩み寄ってきた。
「やぁ、遅かったね。
待ってたよ、二人とも」
「はは、すみません……」
クレハのにべもない言葉に弥王は苦笑せざるを得ない。
まさか、璃王への伝達ミスで遅くなった、とは言えないだろう。
そう、璃王がクレハから呼び出されている、という話を弥王から聞いたのは、校長室を出てアリーナへ向かっている道中だった。
伝達が遅れた弥王のことは璃王がきっちりと締め上げ、今に至る。
その隣で、璃王は小さく溜息を落とした。
「まぁ、いいや。
僕も呼びだしたのは急だったしね。
校長にはちゃんと報告できたかい?」
「はい、それはもう、しっかりと報告しておきました。
彼らに関しては、彼らの通っている学校の情報もちゃんと報告したので、あとは校長がどうにかしてくれるようです」
「そう、それならいいね。 お疲れ様」
クレハの問いに答えたのは弥王。
その報告を聞くと、クレハは弥王に労いの言葉を掛けた。
「僕は回りくどい事が嫌いでね。
単刀直入に言うよ。
君達は――裏警察の死宣告者だろう?」
「……ッ!」
クレハからの唐突な問いに、その場の空気が、時間が止まったような感覚が押し寄せた。
何故、彼がそれを知っているのか。
いや、それじゃない。
彼の質問の意図は?
オレ達が死宣告者だったとして、彼は一体、何が言いたいのだろうか。
グルグルとそんな事を考えながら、2人の目はただただ、クレハの表情の読めない顔を凝視している。
璃王に至っては、クレハの言葉に警戒心すら見せていた。
そんな二人を気にもせず、クレハは続ける。
「弥音と璃音のずば抜けた運動神経は言うまでもなく、弥音がさっきの田舎ヤンキーに向けた殺気、あれはどう考えてもカタギのそれじゃないよね。
璃音の強さも、一般のそれより飛び抜けてる様に見えた。
何より、ファブレット王家の人間と深い交流があるように見受けられるのに、君たちは「一般人」で通してる。
聞くところによると、銀星ノ騎士団にも懇意にされてるとか。
これで死宣告者――それも、ファブレット公爵が懇意にしている事を踏まえると、裏警察の死宣告者だと思わない方がおかしいよ」
ここまで言われたら、弥王と璃王は閉口せざるを得ない。
しかし、何も言わないのは、肯定している事と同義だ。
沈黙の中に、真冬の冷たい風が通り抜ける。
軈て、弥王が口を開いた。
「あの……言ってる意味が解りません。
僕らは少しだけ強いだけの、ただの中学生です。
ファブレット王家と縁があるのも、過去に彼らに助けていただいて、それから良くして貰っているだけですよ」
「いつまで、しらばっくれるつもり?」
その言葉と共にクレハの姿が一瞬、弥王と璃王の視界から消えた。
そして、その刹那、クレハが弥王の目前に迫る。
気が付いた時には、弥王はクレハによって壁に追い込まれ、両手の手首を壁に押し付けられていた。
それと同時に、璃王がクレハにクナイを向ける。
「璃音ッ!」
殺気立った目でクレハを睨み、クレハの喉元にクナイを突きつける璃王に、弥王は制止の声を上げる。
流石に、一般人と思しき彼に対して傷害は許されない。
しかし、その璃王の反応にクレハは確証を得たように口角を上げた。
「やっぱり。
弥音が危険に晒されれば、璃音は黙っていられない。
璃音にとって弥音は余程、大事な人物だと言う事だ。
今の璃音の反応速度は、一般人なら有り得ないだろうね」
言いながら、クレハは弥王から手を離す。
その声は、何処か満足げに聞こえた。
「悪いことをしたね」と謝るクレハに、弥王は「いえ……」としか返せなかった。
苦虫を噛み潰したかのような苦い表情を浮かべながら、クナイを仕舞う璃王の顔の輪郭をそっと指で撫でて、クレハは言った。
「折角綺麗な顔をしているのにそんな顔をすると、嫌われるよ」
意外過ぎるクレハの言葉に璃王は思わず、目を丸くする。
クレハは何処か掴めない。 彼が何を考えているのか、璃王でさえも読めないのだ。
「話を戻すけど……」と、そう言いながら、マイペースにクレハは話を進める。
話の主導権は完全に彼の物になったらしい。
「君達は、女子失踪事件を調べに来たんだよね?」
クレハは何処からともなく、紙パックの抹茶を取り出してストローを刺すと、弥王と璃王にそれを手渡した。
二人は、それを受け取る。
「君達が裏警察の死宣告者だというなら、僕の知る情報を君たちに提供するよ」
クレハの言葉に、弥王と璃王は彼を凝視した。
どうして彼がそれを知っているのか。
そもそも、彼は一体、何者なのか。
“クレハ・エル・クライン”と言う人間は謎に満ちていた。
2人の視線を物ともせず、フードの下から見つめ返してくる、クレハ。
「君達は女子失踪事件について、何か情報を手に入れてるかい?」
「一応……失踪した女子は皆、虐めを受けていた、と言う事だけは」
「おい、弥音!」
クレハの問いに、収集した情報を開示する弥王を璃王は咎めた。
「まぁまぁ」と、弥王は璃王を諫める。
「どの道、もうオレ達が何者かで、オレ達の目的まで解ってて、その上で情報を提供してくれるってんだから、言っても問題ないだろ」
「だが……」
「大丈夫だって、クライン先輩も、そう人にホイホイ喋る人じゃないでしょう、ねぇ?」
尚も渋る璃王に、弥王は言い聞かせるように言った。
璃音も大変そうだなぁ、と二人のやり取りを見て、クレハはそんな事を思う。
二人の関係性は良くは解らないが、幼馴染以上に特別な関係があるのだと言う事は、普段の彼女たちを見ていても明白だ。
「えっ、あぁ……君たちの事は誰にも口外はしないよ。
これは約束する」
突然話を振られたクレハは反応が遅れたが、弥王と璃王に関しては口外しないことを約束する。
「えぇっと、話を進めても良いかい?」
「あぁ、はい、すみません」
クレハの言葉に、弥王と璃王は居住まいを正して、クレハの言葉を待った。
「失踪した女子は皆、虐めを受けていた。
これ以外にも、共通点があるんだ。」
「共通点……ですか?」
弥王がクレハの言葉を反芻する。
クレハは頷いた。
「そう。
その共通点は――」
言葉を途中で切り、クレハは弥王を見る。
そのフードの下から向けられた視線に気づいた弥王は首を傾げながらも、クレハの言葉を待つ。
そして、ゆっくりと静かな声で言った。
「――失踪した女子は皆、校長に気に入られていた」
静かにクレハの口から出てきた言葉に、璃王が弥王へと視線を向ける。
そう、“失踪したいじめの被害者女子は、校長に気に入られていた”のだ。
クレハと璃王、両方の視線を浴びている弥王本人は、驚いたように目を見開く。
「最近、君の周りで可笑しな事は起きてないかい、弥音?」
無表情に見える表情とは裏腹に、クレハは弥王へと気遣わし気に問いかける。
弥王と璃王がレイトのお気に入りであるという事は周知の事実ではあるが、その中で特に弥王を気に入っているという事は璃王以外ではクレハしか知らない。
それ故に出た問いかけであった。
クレハの問いかけに弥王は首を傾げながら、うーんと唸る。
ここ最近の記憶を手繰り寄せても、全く覚えがない。
「いやぁ……そんな事は全然、全く何もなかったと思うけどなぁ」
「そう、それなら良いんだ」
弥王の言葉に、クレハは安堵の息を吐く。
そっと璃王も胸を撫で下ろした。
「とにかく、校長に気に入られた女子は虐めを受け、失踪していった……一通の退学届けと共にね」
そう語ったクレハは知ってか知らずなのか、拳をあらんばかりの力で握りしめているようで、白い手が仄かに赤くなっていた。
クレハの話を聞いた弥王と璃王は互いの顔を見合わせる。
クレハの声から弥王は、ただならぬ思いを感じ取ってしまったのだ。
静寂が午後の曇り空を支配した。
誰も何も言えない。
暫く黙っていると、クレハは深呼吸をして口を開いた。
「頼む……弥音、璃音……。
来たばかりの後輩である君たちに頼むべきではないのは重々承知しているけど、君たちが本当に裏警察の死宣告者なら、君たちしか頼める人間は居ないんだ……」
クレハは顔を俯けたまま、弥王の肩を掴む。
それと同時に、クレハが持っていた抹茶が屋上のコンクリートに落ちて、そこに染みを作った。
それはまるで、クレハの苦しい心の内側に渦巻いている物を象徴しているかのようで――。
「この女子失踪事件を、解決してほしい――」
クレハは、絞り出すように声を零した。
顔を上げたクレハの目に、弥王の翡翠の目が映る。
――今は、彼女たちに賭けるしかない。
それが――。
「――犠牲になった、彼女たちの為にも……!」
クレハの言葉は重々しく、そして浸透するように弥王と璃王にじわりと突き刺さってきた。
噂に聞いている、クレハが失踪事件で失くした大切な人。
だからこそクレハは、一日でも早く事件を解決したいのだろう。
午後の風が、静寂の屋上を撫でる様に通り過ぎる。
風に煽られたフードの奥、そこに、漆黒の瞳が見えた気がした。
その張り詰めた様な瞳には、後悔と哀惜の念が垣間見えた気がして、弥王は言葉を失った――。
@現在分かっていることー女子失踪事件ー
・失踪した生徒には共通点がある
・失踪した女子はいずれもいじめを受けて半年経っていた。
・失踪した女子は校長であるレイト・スタンに気に入られていた。
・失踪する時には1通の退学届けを提出している。
・現在のいじめ被害者
・レイリス・リグレ・群雲
・クリス・サーフィス
・現時点でレイトに甚く気に入られている弥王には何の被害もない