Ⅱ.夜会
いつも互いの呼吸は合っていた。
だけど、この日から君と、足並みが合わなくなったんだ。
それは、君が、初めての“ホンモノの恋”をした時だった──。
「――は? 今、何と?」
「スミマセン、公爵。
どうやら俺の耳は今日、日曜日の様デス」
裏警察本部の執務室に、神南弥王と神谷璃王は居た。
朝になって目が覚めたらまず、2人は執務室に行き、ボスであるグレア・ウォン・ファブレットに会って、本日の任務についての話を聞く。 2人の一日は、そこから始まる。
今日も同じように、デスク越しに向かい合った白銀の髪にインディゴの瞳の男性――グレア・ウォン・ファブレットに本日の任務の内容を聞きに来たのだが、グレアから放たれた任務の内容に、璃王と弥王は目を点にするのであった。
「――聞こえなかったのか?
今夜の任務は、ウルド・グランツの暗殺だ」
グレアは、話を聞き返した2人の少年に眉根を少し寄せて、先に言った任務の内容を伝える。
しかし、2人が聞き返したのは、そこじゃない。 その後の内容だ。
「いや、内容は解っている。
問題はその後だ。 何と言った?」
「? 「その際、神南と神谷には女装で夜会に潜入してもらう」と言ったが?」
デスクに身を乗り出し、問い詰めるかの様にグレアに詰め寄った璃王に、グレアは眉一つ動かさない涼しげな顔で、しれっととんでもない発言をした。
グレアの言葉を聞いた、弥王と璃王の顔面が見る見るうちに蒼白になる。
それもそうだ。 何だって、自分たちが女装なんてして夜会に潜り込まなきゃならないんだ。 「夜会」と言うだけでもイヤなのに。
「嫌だっ!」
弥王と璃王は、タイミングを合わせたかの様な綺麗な動作でバァンッ!と机を叩き、声を揃えた。
任務を拒否された事よりも、その揃っていた言葉と行動にグレアは感心する。 お前らは一卵性の双子なのか、と。
一卵性の双子は、無意識の内に行動がシンクロする事があるらしい。 当然、弥王と璃王は双子所か、兄弟ですらないのだが。
「女装任務なら、公爵がして逝け」
璃王は、嫌悪感剥き出しの表情を浮かべて、グレアに言った。
普段から仏頂面でいる事が多い彼だが、嫌悪感を剥き出しにしている顔は、より一層「表情がイケメンを殺している」様に見える。
璃王の言った事も無理はない事で、中性的で童顔なグレアは、「女です」と言われても全く違和感はない。
自分よりも、公爵が女装すれば良いじゃないか、と璃王は思う。
だが、璃王の反論など聞いていないかの様に、グレアは悠然とティーカップに口を付けた。
「神谷」
「何だよ?」
「お前……」
不意に名前を呼ばれ、狼狽しながらも璃王は返事をする。
声の低さから、グレアを怒らせただろうか。 グレアを怒らせれば面倒くさい事になる事は、璃王と弥王は把握済みだ。
特に、性別の事で揶揄えば死亡フラグが立つ――。 そのジンクスが囁かれ始めたのは、いつの事だったか。
随分前に、グレアの性別を揶揄った隊員が何人か殉職したり、行方不明になっている。
以降、「他人の性別を揶揄った者は殉職する」というジンクスができた。
狼狽えて現実逃避を始める璃王を尻目にグレアは立ち上がって璃王に歩み寄ると、手を伸ばす。
璃王は一歩、後退った。
俺の人生終了――。
享年13年、短い人生だった……。
璃王は特に表情を浮かべずに伸びてくるグレアの手を見て、最期を悟った。
「丁度良いぐらいにチビだな。 しかも、よく見たら女顔だ」
「あ゛ぁ?」
グレアの手が最期を悟った璃王の頭にポン、と乗せられた。 「チビ」と言われ我に返った璃王は、不快な顔を露わにする。
自分の頭を撫でるグレアからすれば、確かに璃王はチビだろう。
璃王の目線は、少し顔を上げないとグレアの顔が見えないのだから。
――だからって、「チビ」とか言う必要なくね?
それでも一応、この年代の平均身長くらいはある筈なのだが。
グレアと璃王のやり取りを横目に弥王は顔を背けて、ククク、と声を押し殺して笑いを堪えている。
そんな弥王の肩を掴んで、グレアは弥王を振り向かせると、弥王の頬に手を添えた。
「神南は……」
「へ?」
突然のグレアの行動に弥王は呆気に取られて、グレアを見上げながらポカン、と呆然とした表情を浮かべる。
何気に顔が近い気がするが、この際は黙っておこう。
「本当に女みたいだからな。
髪上げて、ドレス着て笑っていれば、完璧だな」
近くで見る弥王の顔は、確かに女顔だ。 むしろ、これで男だと言われると、性同一性障害でも疑ってしまう。
それ程までに、弥王は女に近い顔をしていた。
グレアの言葉を聞いた弥王はたっぷり5秒は固まった。
ピシッ、と何かに亀裂が入る音が聞こえた気がする。
「絶っっっっ対に嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああっ!」
亀裂が入った次の瞬間には、弥王の口からはけたたましい絶叫が迸って、裏警察本部全体に響き渡っていた。
―― ――
―― ――
あれから、8時間が経過した。
結局、弥王と璃王は説き伏せられて……と言うか、報酬を値上げしてもらう事で渋々、承諾した。
流石に、14歳になる少年達に「何か好きなモノを買ってやろう」と言うのは効かず、報酬で釣るしかなかったというのは、自分でも呆れてしまいそうになった。
そんな訳でグレアは今、弥王と璃王の準備が終わるのを待っていた。
扉が開けられるのを背後に感じて、その後で「公爵」と、短く呼ばれた。
「準備出来たのか、神な――……っ!?」
掛けてきた声が誰のモノなのか、もう随分と聞きなれてしまった為、振り向かなくても解る。
グレアは振り向き様に言葉を投げかけて息を呑んだ。
目の前に居る人物にグレアは目を見開く。
目の前に居るのは、確かに弥王の筈だ。 声を聞き間違える筈がない。
一瞬でも覚えた既視感に、グレアは瞠目する。
体のラインにピッタリと密着している淡い紫色のマーメイドドレスを着ている弥王は、何処から見ても女だった。
それ自体は全く問題はないのだが、問題は、その弥王が「あの少女」に似ている、という事だ。
これで、髪がブルーマロウであれば完璧に――。
一瞬でも弥王が「あの時の少女」に見えてしまって、グレアは目を閉じた。
いや、そんな筈はない。 ただの他人の空似だろう。
グレアは自分に言い聞かせると、弥王に歩み寄った。
「お前、その格好……」
女装しているのだから、何処からどう見ても女に見えるのは当然だが、それにしても違和感がなさ過ぎる。
グレアは、弥王に問うた。
「あぁ、女体?
初めは、メロンパンでも詰めようと思ったんだけどな」
不思議そうに自分を見てくるグレアに苦笑しながら、弥王は「呪幻術だよ」と肩を竦めた。
弥王曰く、「ダメダメ! 体の曲線美を晒さないと、グランツ誘惑できなくってよ!?」と仕立屋であるレイナ・バートンに捲し立てられ、外見操作の術式を璃王から掛けて貰ったらしい。
その説明に、グレアは納得した。
「待たせたな」
弥王とグレアが話している所に、やっと準備が終わったらしい璃王が執務室に入ってきた。
執務室に入ってきた璃王は、白いモスリンを沢山あしらった青いプリンセスドレスを着用していて、髪は右側で結われ、巻き上げられている。
「クソ……っ! バートン姉妹、俺をルカちゃん人形にしやがって……ッ!」
余程遊ばれたらしく、ご立腹の璃王はそんな事を毒づきながら、弥王の隣に立った。
ルカちゃん人形とは、昔から小さい子供に親しまれている着せ替え人形である。
少し前までは風化の一途を辿っていたが、最近ではカラーバリエーションや機能が増え、またその人気を急上昇させつつある商品だ。
ルカちゃんはともかく、璃王は屈辱的な姿を強制された羞恥から、顔を真っ赤にしてグレアを睨み上げた。
「――で? 俺達にこんな格好させたの、ちゃんと理由はあるんだろうな?」
「大した理由もないなら、殺すからな」グレアを睨み上げている璃王の目が、そう呟いていた。
「理由? そんなの……」と言いかけて、グレアは停止する。
――あれ、そう言えば何で女装させたんだっけ?
今思えば、夜会に潜入させるんじゃなくても、屋敷に侵入させて暗殺させても良いワケで。 それでは、弥王と璃王に女装させる意味が無くなってしまう。
まさか今更、「やっぱ変装しなくて良いや」などと言えば、二人から殺されてしまいそうだ。
弥王の方はともかく、問題は璃王の方。 今にでも殺しにかかってきそうなほど、殺気立った目でグレアを見上げている。
そんな事を考えているグレアを余所に、弥王と璃王が「そんなの?」と声を揃える。
璃王の方は、いつもよりも1オクターブくらい声が低い気がする。
グレアは口を閉ざして、口実を探した。
「そんなの、アレだ。 グランツは守備範囲バリ広の女好きだからな。 お前らが女装して奴に近付けば警戒しないだろうし、寧ろ、奴の懐に容易く入り込めるだろうから、殺るには打って付けじゃないだろうか。 寝室に忍び込むよりはリスクも少なくて済むし、何より、無防備の所を奇襲できるだろ、だから……」
一瞬黙った後で、言い訳の様にマシンガンの如くつらつらと口実を並べ始めるグレアに、弥王と璃王は「今考えたな、コイツ……」と同じ事を思った。
今すぐにコイツを世界で最も標高の高い山――グレート・オリュンポスで命綱無しのバンジージャンプさせたい。 と言うか、こんなボスで大丈夫か?
弥王と璃王は、顔を見合わせて肩を竦め、嘆息した。
先が思いやられる。
―― ――
―― ――
そして、時間は過ぎていき、今、弥王と璃王、ついでにグレアは、今回の標的、ウルド・グランツの屋敷に来ていた。
華やかな雰囲気の中、一部だけうんざりした空気が漂っている。 弥王と璃王だ。
履き馴れないヒールの靴に、纏められて頭上に上げられて重たい髪、璃王に至っては服まで重たく、足に痛みを感じてきていた。
「早く帰りたい」。 2人の雰囲気がそう言っている様だ。
「……おい、神な……、ミオン、リオン。
もう少し楽しそうにできないか?」
あまりの露骨な雰囲気に見兼ねて、グレアが弥王と璃王にレモネードを渡しながら、小声で言った。
潜入している事を悟られない様に、上手くやってくれ。
それは、本部を出る時に2人にしつこく言い聞かせていた事だ。 だが、今の2人を見れば、無理矢理連れてこられた子供の様だ。
それは任務の関係上、あまり宜しくない。
目立つのはご法度だ。
ちなみに、弥王と璃王は潜入に当たって偽名を名乗っている。 名前に「ん」を付けた単純な偽名だが、十分だろう。
「楽しそうに? できるワケ無いだろ」
「逆によく、こんな白粉やら香水臭い所で楽しもうと思えるな?」
レモネードを受け取りながら、弥王と璃王は言った。
弥王と璃王は、会場に充満している人間の匂いにやられて顔色が悪くなっている。 特に璃王は、普通の人間よりも嗅覚などの五感が鋭い為か、乗り物酔いでもしたかのように顔を真っ青にして、今にも吐き出しそうである。
夜会等の社交場に馴れているグレアからすれば特に気になる程のモノではないが、不慣れな弥王や璃王には会場に漂う匂いがキツく感じた。
「あら、ファブレット公爵!」
グレアが弥王と璃王をバルコニーへ連れて行こうとした時、不意に一つの明るい声が聞こえてきた。
その声に反応する様に、次から次にへと淑女が群がってくる。
「夜会に来られていたなら、お声を掛けて下されば良かったのに」
「今夜は私をエスコートして下さらない?」
「私をエスコートして下さいな!」
群がってくる淑女達にグレアが丁寧に対応している間に、璃王は隙を見てさっさとバルコニーへ姿を消した。
弥王はと言うと逃げ遅れてしまった為、未だにグレアの隣にいた。
淑女達から発せられる甘ったるい香水やスパイシーな香水、フローラルな香水などの匂いが混ざって、弥王は噎せ返りそうな衝動を抑える。
ただでさえも香水の匂いにやられて鼻が曲がりそうなのに、近くにその匂いを感じると吐き気さえも催してきた。
耐えろ、耐えるんだ、神南弥王! こんなの、腐敗した死体の臭いより、まだマシ……と思ったが、これなら、腐乱死体の臭いの方がまだマシかも知れない。
弥王は、そんな事を思った。
「まぁ、グレアお義兄様!」
群がっている淑女の中から、一際柔らかく、明るい声が聞こえた。
声のする方を振り返れば、まだ、20かそこそこくらいの茶色の巻き髪を後ろで団子にしている、褐色の瞳に淡い青色がベースのマーメイドドレスに身を包んだ可愛らしい女性が立っている。
その陶器の様な白い肌を紅潮させ、嬉しそうな笑みを湛えている顔はグレアに向けられていた。
「ナタリア……ッ!?」
グレアの顔が若干引き攣る。 彼女の名前を口にした声も何処か上擦っていたように思える。
こんな所でとんでもない奴に会ってしまった。 グレアの目がそう言っているのを弥王は見逃さなかった。
彼女は、ナタリア・ヴィ・ハーウェスト。 ファブレット家の次女であり、グレアの妹であるグレイア・フィル・ファブレットが嫁いだ、ハーウェスト侯爵家長男であり、市警察の署長である、アーデス・ヴィクト・ハーウェスト侯爵の妹だ。
彼女は、両家顔合わせの時からグレアを甚く気に入っており、事ある毎に近寄って来ている。
その為、グレアの中では最も苦手な女性の部類に入っていた。
勿論、それを弥王は知っている。
「あぁ、嬉しい! こんな所で会えるなんて、感激ですわ……!
夜会に来るなら誘って下されば宜しかったのに。 今夜は私をエスコートして下さらない?」
感激のあまりにグレアに飛び付いてきたナタリアを受け止め、グレアは困った表情を浮かべる。
感極まっている彼女は、こちらの話を聞こうとはしないだろう。
グレアにエスコートしてもらう気満々のナタリアは、グレアの手を繋いでいて離さない。
――冗談じゃない!
グレアの口から、渾身の拒絶の言葉が出ていきそうになった。
それをどうにか、理性で抑えつける。
こっちは遊びに来ている訳じゃない。 どうにかこの場を切り抜けないと、任務に支障が出てきそうだ。
グレアはふと、視界に入った弥王に目が止まった。 気持ち悪さか、それともナタリアに顔が見えない様にしているのか、俯いている。
幾ら他人といえど、一度は顔を合わせたことがある為、顔を見れば正体がバレるだろう。 それは良くない。
ナタリアが弥王の事を覚えていれば、だが。
少し危険だが、ナタリアが弥王を覚えていないと読んでグレアは咄嗟に弥王の手を引き寄せて、その肩を抱いた。
思ったよりも薄い肩だった。
「ナタリア、すまないが……今夜はこの子をエスコートする事になっているんだ」
「な……っ!?」
そんな事聞いてないぞ!?と、 弥王は絶句する。
何が悲しくて、今は女装していると言っても男同士で体寄せ合って踊らにゃならんのか。
他人に性的嗜好をどうの言う気はないが、こちらはそういう趣味はない。
(何なんだ、コイツにはゲイの気でもあるのか? 女誑しに飽きたらず!?)
弥王は会場に漂う匂いからの気持ち悪さに相俟って、グレアの行動に吐き気さえも感じた。
――今、コイツを殺ったとして、オレが裏警察のボスになる事は難しいだろうか。
そんな思考がひょこっと顔を出しては消えていく。
今なら殺れそうだ、と。
弥王の殺意はひっそりと積もり始めていく。
――それとも、気付いているのか? いや、違う筈。
思考の海に放り出された弥王の耳に、ナタリアとグレアの会話が流れる。
「あら、この方は? お義兄さまのお知り合いですの?」
「あぁ、彼女は私の恋人だよ」
「はっ!? えっ、ちょ!?」
――今、何て言った、公爵!?
ナタリアとグレアの会話を殆ど聞き流していた弥王は、ナタリアに答えたグレアの言葉に耳を疑う。
グレアを豆鉄砲を喰らった鳩の様に目を丸くして見上げていると、グレアの嘘を聞いたナタリアを含む淑女達がざわめいた。
――「あの子が……?」「随分若いわね?」
好奇の目が一気に弥王へと注がれる。
突然好奇の目に晒された弥王は、居た堪れなさやらグレアへの殺意やらで頭が沸騰しそうだった。
今すぐ、グレアを含むグレアの嘘を聞いた連中を根絶やしに――
(……はっ!? ダメだダメだ、彼女たちは公爵の知り合いと言えど、表社会の人間だ!
彼女たちに手を出せば、オレの首が飛ぶ!!)
すぐに殺意を霧散させるようにスカートを握りしめた。
こんな格好に加え、グレアのあの言葉。
あまりの屈辱に目撃者は全て消してしまいたいと考えてしまったではないか。
「あぁ、まだ誰にも言っていないから、ここだけの話で頼む」
涼しげな顔で言うと、グレアは弥王の肩を抱いて会場の端に移動した。
―― ――
―― ――
「公爵ッ! 何なんだ、今の言い訳はッ!?
ホモなのッ!? ホモの気でもあるのか、女誑しに飽き足らず!?
最悪だぞ、ロリコン・シスコンで女誑しの上にホモなんてッ!」
「落ち着けよ、私にそんな趣味はないし……ロリコンも誤解だ……と言うか、誰から聞いたんだ、それ。
グレイか? グレイだな? 彼奴、変な事を吹き込んで……今度会ったら、ただじゃおかないからな……。
それに、仕方ないだろ?
ああでも言わないと、彼女は引き下がってくれそうになかったしな」
会場の隅の方、バルコニー付近へと移動した弥王は、捲し立てるようにグレアに先程の行動について問い詰める。
さも気にしている様子がない上に、現女王陛下である自分の妹へ恨み節を呟くグレアの返答に、当然ながら弥王は納得できなかった。
「だからって、あんな……ッ!
女の口なんて、壊れた財布のファスナーより緩いんだぞ!?
変な噂が流れる方が困る!」
憤慨して言い募る弥王。
弥王が憤っているのも当然で、恋人だなんてバレバレの言い訳をするグレアの心理が理解できないのだ。
恋人なんていずれバレる様な嘘を吐かなくても、他に言い訳は幾らでもある。 例えば、知り合いの娘、だとか、友人の親戚、だとか。
それをぶっ飛んで「恋人」だと誤魔化したことに納得がいかないのだ。
それに、弥王が懸念しているのは、「ファブレット公爵に恋人が出来たんですってー」と言う噂から、背びれだの尾ヒレだのが付いて「ファブレット公爵に奥さんが~」という話に改変されて噂が流れる事だ。
そんな大層な噂が流れては、色々と問題になりかねない。
一般庶民や下級貴族の話であるなら特に気にするような事はないが、グレアは上流階級の貴族、それも女王の身内だ。
そういう噂は背びれ尾ヒレが付いて、伝言ゲームの様に改変されて流れるだろう。
人の認識とは面白い物で、考察が混ざりに混ざって変な方向へと話が変化する事がある。
そうなった時に巻き添えを食らうのは弥王の方である。
「そう言えば、ファブレット公爵にいつも付いてる紫の男性、あの時の子に似てないかしら?」となるのは、弥王の方が非常に困るのだ。 いろいろな意味で。
「まぁ、落ち着けよ」
しかし、弥王の小言はグレアには効かないらしい。 とても涼しげな顔で弥王を宥め始めた。
「誰のせいだと……!」とヒートアップしそうになるのをどうにか抑えると、弥王は盛大に溜息を吐いて、呆れた様に言った。
「大体、他の言い訳もあったんじゃないのか?
こ……っ、恋人だなんて、そんなすぐ怪しまれるような嘘を吐かなくてもさ」
「その事は何とかなるさ。 何だっけ……人の噂も45日……とかって便利な言葉があってだな」
「知ってるよ。 陛下の好きな大和の言葉だろ?
オレの父親も元は大和人だし。
でも、実際にスキャンダル系の噂、特に上流階級レベルになるとそれは、至らない話が付いてくる訳でだな……」
「そうなれば、別れたとでも言えばいい話だ。
私が何て言われているか、お前達がよく解っているだろう?」
「そうじゃなく……、っあぁ! もう、好きにしろ!!
どんな噂が流れても、オレは知らぬ存ぜぬを通すからな!!」
グレアの言葉に弥王は投げやりに吐き捨てて、その場を後にした。
(あぁ、知ってますとも。 公爵が「女誑し」で有名な事は!
その上で更に、「ファブレット公爵男色疑惑!?」でも囁かれると良い! オレに飛び火したら、全力で否定するけどな!!)
そう、グレアは「女誑し」で有名だったりするのだ。
今まで流れた噂は数知れず、定番の「女を取っ替え引っ替え」から「何処かの国の王女をも誑かして国際指名手配中」まで、本当か嘘か解らない様な噂が幾つも流れている。
なので、グレアはスキャンダル系の噂が流れても痛くも痒くもない。 むしろ、通常運転だ。
それに「ホモなのでは?」という噂が追加されるだけで。
「はぁ」
「おやおや。 美しいレディに溜息は似合わないよ? お嬢さん」
ホールから出ようとした扉の前で立ち止まって溜息を吐くと、背中からグレア以外の男性の柔和な声が舞い降りてきた。
歯の浮くようなキザったらしい言葉に振り返ってみれば、弥王の背後に金髪碧眼の優男が柔和な笑みを浮かべて立っている。
男の顔を見た瞬間、弥王は気を張り詰めた。
肩までの流れるような波を打つ金髪に、少しだけ細められた紺碧の瞳。
間違いない。 彼が今回の標的、ウルド・グランツだ。
直ぐ様、弥王はその顔に微笑みを張り付けた。
「美しいだなんて、そんな事はないですわ、グランツ男爵。
話に聞いていたよりも、貴方の方がずっと素敵でしてよ?」
裏声を駆使して、精一杯に淑女を演じる、弥王。
王宮には上流階級の淑女がよく来ていた為、弥王は記憶の中の彼女達の言動を思い出しながら演じる。
我ながら上出来だ、うん。
「随分口がお上手だね、レディ。
謙遜する所もまた、魅力的だ」
弥王の手を取ると、グランツは弥王の手の甲に軽く口付ける。
――うがあああぁぁぁぁぁ……ッ!!
ジョワ……ッと、弥王の全身の身の毛が弥立ち、虫酸が皮膚という皮膚を駆け巡った。
こんな格好させられて恋人の振りまでさせられ、更にその挙げ句にこんな仕打ち……! もう、お婿に行けない……ッ!
弥王は内心で泣きたくなった。 そして、それは殺意へと変換される。
(必ず殺してやる、このキザ男……!
公爵の分の殺意も全て上乗せして、メッキョメッキョにしてやる、ハチの巣にしてやる……ッ!!
いや、むしろ、今殺したい! メッタメタに鉛玉ぶち込んでやる!! 悪夢を見せながら!!)
「ところで、さっき一緒に居たのは、ファブレット公爵ではなかったかな?」
「えぇ、私、グレア様とは幼い頃からの知り合いで。
久し振りにお会いして、連れてきて貰いましたの。 でも……」
殺意に流されそうになって一瞬、グランツから意識を外していた弥王は、グランツの質問を少しだけ聞き流してしまう。 が、それも直ぐに頭を切り替えた。
殺意を押し殺しつつ弥王が俯けば、グランツは弥王の顔を覗き込んできた。
「どうしたんだい?」
「グレア様ったら、私が居るというのに他の女性ばかり見ているから……私、つい、彼に文句を言ってしまって。
そしたら口論になったので、気分も乗らないし、これから1人で帰ろうかと思っていた所なんですの」
グランツの同情を引くように、弥王はさめざめと泣いて見せる。
男は女の涙に弱い。 弥王はそれを熟知している。
ホモかサイコパスでない限りは、女に目の前で泣かれれば男は放っておけなくなる。
その心理を利用する為の演技だ。
顔を手で覆い、その指の隙間からグランツの表情を盗み見る。
彼の目には同情の色が見えてきた。
よしよし。 掛かってくれてるな。 て言うかオレ、演技上手すぎだろ。 俳優になれるんじゃないか、これ?
弥王は、心の中でガッツポーズをした。
「可哀相に……なんて無責任な男だろう。
嗚呼、泣かないで、レディ。君に涙は似合わないよ?」
弥王の話を聞いたグランツが、弥王の肩を抱いて耳元に囁く。
息の掛かる距離で耳元に囁かれれば、弥王は寒気とそれに比例して、腹の底から沸き上がる殺意を感じた。
――うがあああああぁぁぁぁあああああ!
もう無理、この場で殺したい! I kill youしたい! Ti ammazzoしたいぃぃいいい!!
弥王は殺意でご乱心だ。 心の中では既に、白目を剥いて額に青筋を立て、中指を立てている。
しかし、と思いとどまる。
ここは落ち着くべきだ。 冷静になれ、オレ。
少年よ、冷静になれ。
今ここで殺るのはリスクが大きい。
暗殺は人目のない所でひっそりと、確実に。
それが、裏警察の暗殺でもっとも厳守すべきルールだ。
弥王は、冷静さをどうにか取り戻し、初めて裏警察に来た時に受けた説明を思い出す。
ルールを守ろうとするなら、必然的にグランツを人目の付かない所へ誘導する必要がある。
自然的に相手を人目の付かない所へ。
あぁ、これならできそうだ。
いつだったか、姉貴が誰かに習っていた事だ。 いや、自分が王宮でいつもやっている事と逆の事を――。
「なら、貴方が慰めて涙を止めて下さらないかしら?」
グランツを涙ぐんだ瞳で上目遣いで見上げて、弥王は頭をグランツの肩に傾ける。
その時、グランツの頬に仄かに紅が差したのを弥王は見逃さなかった。
「優しい貴方に一目惚れ……シルクの様な金紗の髪と言い、蒼穹のように澄んだ碧眼と言い、私のドストライクですわ。
多くのグランの人を見てきたけれど、貴方の様な素敵な人は初めてお会いしました。
ねぇ、2人きりでお話ししたいわ。 何処か、人の居ない所で……」
グランツの頬に手を添えて、頬から顎に輪郭をなぞるように指を滑らせ、弥王は微笑んだ。
妖艶なその微笑みにグランツはノックアウトされたらしく、弥王の薄い肩に手を回す。
おいおいおい、マジかよ。
こう言う言葉がスラスラ出てくるオレも大概だが、こんなあからさまなハニートラップに引っ掛かるこいつはどうなんだい?
案外簡単にハニートラップに引っ掛かったグランツに、弥王は内心で苦笑した。
「あぁ、良いとも。
2人きりでゆっくり話をしよう……夜が明けるまで」
肩から腰へと手を滑らせて、グランツは弥王を会場の外へ連れ出す。
耐えろ、耐えるんだ、オレ……ッ!
大丈夫、貞操の危機は感じるが、いざとなれば急所を撃ち抜けばいい。
その為のJNY75小型も太腿に装備している。
何なら歌えばいい! 死の歌声なら最悪、証拠は残らない!
確実に殺れる時を待つんだ、オレ……ッ!
今のオレはそう、エルリック・シーズの任務に協力している時に女装させられた、ジョニー・セコッティンス……ジョニスだ!
女装の神・ジョニス、オレにその演技力を……!
段々と現実逃避を始めていく弥王。 その傍らで、弥王は別の事も考えていた。
これだけ単純な奴が、変死事件に関与しているとは思えないのだ。
変死事件に関与するなら、それだけの頭が要りそうなモノだが……。
弥王は、そんな事を考えながら、グランツが誘導するままに白い通路を歩いて行った。
―― ――
―― ――
一方、バルコニーには璃王が居た。
彼は、バルコニーの手摺りに腰を掛けて、下弦の月の浮かぶ夜空を眺めている。
思った以上にホール内の匂いがきつい為、これ以上は任務続行は不可能だと考えたのだ。
これ以上の続行は、自分の体調に関わる。
これなら、弥王と公爵に丸投げして、弥王が終わらせてくれるのをここで大人しく待っていた方が良い。
きっと、弥王の事だ。 グランツに見初められでもして、盛大にぶち切れているだろう。
そうすれば、弥王は屋敷ごと焼いてくれる筈だ。
その混乱に便乗して自分はここから逃げればいい。 なんて名案。
そんな事を考えていたら、ゆっくりと風が流れてきて、璃王の長い髪を掠っていく。
ストレートロングの蒼い髪を巻き上げて右側で結い上げられている為、右側に重量を感じる。
風に弄ばれる髪を耳に掛けていると、ふと、フリルが幾重にも重なっている袖の間から、腕に巻いてある包帯が歪んでいるのが見えた。
その包帯の下には、黒い痣がチラリ、と垣間見える。
璃王は包帯を無造作に引っ張って解くと、現れた痣を見て溜息を吐いた。
「あと、どのくらいだ……」
ふと、呟きが漏れた。 それは、弥王がグランツを殺り終える時間ではない。
年々、痣は広がって行っている。 まるで、璃王の寿命をカウントしているかのように。
璃王の寿命は、そこまで長くはないのだ。
彼自身が生まれた時からその身に宿している呪い【猫呪】によって、年々縮んでいっている寿命。
痣の広がりは、璃王の残りの寿命をカウントしているのだ。
随分と広がったもんだ、と、璃王は包帯を巻き直しながら思う。
幼い頃に罹った「猫呪病」から見えた寿命。 もしかしたら、今から見ると長くはないかも知れない。
年々縮んでいく寿命とそれに比例するように人間離れしていく身体能力。
璃王の一族は皆、呪いを宿して生まれて来る。
その中で璃王は、異質な存在として忌み嫌われていた。
その事は本人と弥王、そして、グレアを除く一部のファブレットの人間と裏警察の女医しか知らない。
縮んでいく寿命も身体変化も、全ては呪いによるモノだ。
包帯を巻き終わると、璃王は懐から銀時計を取り出し、蓋を開いた。
蓋の裏側には、“vivere insieme fino alla morte.”と言う文字が彫られている。
その時計は、弥王と璃王が裏警察に来たばかりの頃、裏警察である事の証としてグレアから渡されたモノだ。
文字は、弥王と璃王がその日に“目的を達成するまでは、死んでも死にきれない”と言い聞かせる為に互いの銀時計の蓋の裏に彫ったもの。
(守れそうにないな……)
感傷的な色を孕んだ海色の目を手元に落として、暫く時計を見つめてそれを仕舞った。
幼い頃から一緒に居た。
ふと、初めて出会った日の事を思い出す。
あの時には既に、集落の大人からは邪険にされ、ないものとされ、子供達から迫害を受けていた。
人と関わるのが怖くて、弥王と初めて会った時は冷たく接する事で弥王が関わってこないようにしようとしていたけれど、それを壊してくれたのが弥王だったのだ。
初めて会った時に弥王が言った言葉も、笑顔も未だに覚えている。
それだけ衝撃的だったのだ。
その日から、弥王とは常に一緒に行動していた。
何をするのもずっと一緒で、何があっても離れる事はなかった。
その為、互いに共依存のような状態で今までやってきた。 常に2人で1つの存在として生きているという感覚さえある。
だが――。
そこまで考えていた時だった。
璃王は、一つの声に思考の海から強制的に引き上げられた。
「そんな所でどうしたんだ?」
ふと、声が聞こえ、璃王は顔を上げた。
目の前には、自分よりも年上であろう男性が璃王を真っ直ぐに紅い目で射貫くように見ていた。
――これが、長い長い旅の始まり。
悠遠の時へと続く航海の入り口だった。
神南弥王
年齢:13歳(現時点)
誕生日:12月24日
星座:山羊座
血液型:O型
身長:175cm
体重:57kg
出身国:イリア王国
趣味:歌う、バイオリン、読書、射撃、銃の手入れ・コレクション
特技:中・遠距離戦
好きなモノ:野菜、甘味、ココア、銃、子供、可愛い子
嫌いなモノ:肉、脂っこいモノ、雷
異名:悪夢の伯爵、(璃王と2人で)風神
武器:メイン→バイオリン(滅多に使わない)
サブ→銃
グラン帝国女王直属特殊警察「裏警察」に身を置く少年。
最強の死宣告者で、その実力は百戦錬磨の将軍10人分に匹敵する程、らしい。
彼の姿を見た者は99%の確率で死に、運良く生き残ったとしても、魅せられる悪夢に苛まれる為、死んだ方がマシだとか。
神谷璃王とは幼馴染みで、2人で「風神」と呼ばれる事も。
自他共に認める肉嫌いで、野菜と果物と穀類と菓子類以外は人間の食べ物じゃない、と豪語している。
「女子にゲロ甘い女尊野郎」とは、彼の事だ。
女誑しの度合いは、自分の上司であるグレア・ファブレットと匹敵するかも知れない。
剣技は最悪の腕前だが、銃を持てば最強。
O.C.波と呼ばれる、歌っている時にのみ放出される特異な声質を持っており、今の所彼が扱えるのは「死の歌」と呼ばれる歌声のみ。
―― ――
神谷璃王
年齢:13歳(現時点)
誕生日:1938年12月24日
星座:山羊座
血液型:A型
身長:170cm
体重:56kg
出身国:イリア王国
趣味:呪幻術、情報収集、菓子作り
特技:近距離戦、呪幻術
好き:甘味、精霊、妖精、猫、使い魔、一握りの人間
嫌い:敵と見なした人間、辛い物、ウンディーネ(顔を合わせると喧嘩を売ってくる為)
異名:悪魔の猫または悪魔の猫
武器:爪、クナイ
グラン帝国女王直属武装警察「裏警察」に身を置く少年。
ユリアの呪幻術師で、闇と地の属性の呪幻術の才能を持つが、大地の精霊であるノームとだけ契約を交わしている。
水属性の精霊、ウンディーネとは相性が物凄く悪いらしく、水と油。
猫のように気紛れな性格をしていて、気分の浮き沈みが激しい。
戦闘面では弥王を凌駕するも、精神面が脆い。
何事も弥王を優先に考える傾向があり、言わば弥王のお目付役のような役割をしている。
それを人は「召使いスキル」と呼ぶ。
食べた事のある物はレシピを見なくても勘で作れてしまう。
色々とハイスペックな少年ではあるが、こだわりが強すぎるあまり、少しでもイメージと違うと作り直したりする事も。
尚、人付き合いは苦手の様である。
弥王と2人で風神とも呼ばれる。