Ⅺ.True Eyshah
その伝説は、後世に語り継がれる。
“伝説の英雄”と“悲劇の殺人鬼”の悠久愛歌。
そして、その物語を語り継ぐ者の名もまた、後世に知れる事となる。
今日は学祭当日。 初日の昼間に生徒会の映画が放映される。
無駄に広い体育館はたくさんの人でごった返していた。
《ジョニー、お前どういうことだッ!
お前が押し付けてきた銃が発砲と同時に四散したのだが?》
エルリック・シーズ演じるレイナスが、ジョニー・セコッティンス演じるレイリスに怒鳴り込むところから映画は始まった。
レイリスはきょとんとした顔でレイナスに向き直る。
《あちゃー、また失敗したみたいだね、ごめんごめん》
《これで何度目だ、お前ッ……》
何とも軽いノリで謝るレイリスに文句を言うレイナス。
しかし、レイリスは「うんうん」と“聞いているだけ”である。
騎士団の制服を身に纏ったレイナスは、まるで何処かの貴族のように品のある様に見えたらしく、レイナス登場から場内が静かにざわめいていた。
「あの方、何処の家の方かしら?」
「とても優美でいらっしゃるわぁ。 この後お近づきになれないかしら?」
そんな声が、一緒に映画を見ていた璃王の後ろから聞こえてくる。
後でレイナスを見た人たちは落胆しそうだな。 その本人は優美という単語とは縁遠い人種だし。
むしろ、雑紳士である。
「あら、あのジョニー役の子。 あの子も中々良い顔立ちですわね。
あの子も何処かの貴族の子かしら?」
「エルリック役の人と顔が似てますわね? 兄弟でイケメンって羨ましいわ。
どちらか娘の婿に欲しいくらい」
後ろでひそひそと聞こえる夫人の会話に璃王と弥王は顔を見合わせて吹き出しそうになる。
――ジョニー役の子、つまりイリスは女だから!
そんな言葉を二人は堪える。
弥王の隣の隣、つまりクリスの隣でレイリスは頬を膨らませた。
「私は女の子なのにー」
「まぁ、役が男の役だから仕方ないわよね。 それにしても、ジョニーがミオン様じゃないなんて本当に残念だわ」
レイリスの文句を流して、クリスは本当に残念そうに映画を見ていた。
話していたり後ろの席の人の話を聞いている間に話はどんどん進んでいく。
《切り裂きジャック? たしか、巷で騒がれているサイコパスな殺人鬼……だったか?
あの、「Go to hell」とか言って人を殺しまくる……》
《それは「ジェフリー・ザ・キラー」! っていうか、ジェフリーなら君が抹殺したじゃないの、もう忘れたの?》
《そんな昔の殺人鬼の事は忘れた》
《って去年の事じゃない、本当に馬鹿なの? ねぇ、死ぬの? 去年ジェフリー抹殺して賞金貰ったの忘れたの?》
場面は、いつの間にか騎士団の宿舎でレイナスがレイチェル演じる弥王とやり取りをする場面に切り替わっていた。
ちなみに、騎士団の宿舎は学校の寮のレイナスの部屋を代用している。
流石に貴族子女の通う名門校とはいえ、騎士団の宿舎を借りるわけにもいかなかったのだ。
きっと、璃王の名前でも出せば私騎士団団長辺りなら2つ返事でいい返事をくれただろうが……それは璃王も弥王も黙っていた。
ファブレット家と親密な関係にあると思われては、後が面倒くさいからだ。
「あの可憐な少女は誰だ?」
「とても神々しいような気もする」
「どこの貴族……いや、王族の子だろうか? 是非とも嫁に欲しい」
そんな会話が何処からか聞こえてきた。
一面だけを見るなら、弥王は気品溢れる王族の末裔にも見えるだろう。
実際、イリア王国王女なのだから、それも当然だ。
弥王を“神々しい”だのと囁かれた璃王は、内心で得意げな表情を浮かべる。
主人を褒められて嬉しくない従者などいないのだ。
どうでもいいが、先程からひそひそする声が五月蠅すぎる。
学校の素人映画だからって、ちょっとふざけ過ぎじゃない?
「あとで五月蠅くした奴らから、がっぽりもぎ取ろう」
弥王たちの席の前列から、そんなクレハの呟きが聞こえた。
《とにかく、その“切り裂きジャック”とか言う殺人鬼、さっさと殺ってきてよ。
女性を標的に、とか大事な所だけ抜き取る、とかそんな狂気じみた男なんざポリ公のまず飯すら食べさせる必要はない、殺れ》
《お前それ、女王のセリフじゃないだろ》
《うるっさいなー。 そういう君だって、女王に対する口の利き方、なってないんじゃない? お互い様だよ。
じゃあ、よろしくねー》
ひらひらと手を振って弥王が退場すると、場面はまた、切り替わった。
「まるで、何処かのじゃじゃ馬女王の様だな」と、弥王の演技を見ていたグレアは思う。
もしかして、グレイを参考にでもしているのか?
《何で僕がこんな格好……! 女装ならエルがすればいいじゃないか!》
次の場面では、ドレスを身に纏ったジョニー、つまりレイリスが現れた。
ジョニーを囮に切り裂きジャックを誘い出す、という場面だ。
レイリスのセリフの後、弥王のセリフが入る。
《エルに女装させてみなよ、一発で男ってバレるでしょ。 大丈夫、ジョニーは……違うね、今から君はジョニスだ!
ジョニスは女顔だし、いざとなったら力業で何とかできるでしょ?》
《納得できませんが!?》
これぞ名案!と言いたげに得意な表情でレイリスを指さす弥王に尚も異議を唱えるレイリスだったが、自由気ままな王女と定評のあるレイチェルを演じる弥王には馬の耳に念仏、さらりと聞き流されてしまった。
こうして、レイチェルとエルリックに女装させられたジョニーは、エルリックの任務である“切り裂きジャック捕獲作戦”に無理やり参加させられることになった。
―― ――
―― ――
物語はエルリックと切り裂きジャックが出会うシーンに移行する。
《お前が切り裂きジャックか。 噂通り、女しか狙わないんだな》
《僕は女にしか興味がありませんからねぇ。 もっと言えば、女の死体にしか興味ありません》
《とんだ死体愛好家だな。 だが、残念だったな。
お前が殺しかけたのは男だ》
《その様ですね。 本当に残念です》
エルリックとフードを被った切り裂きジャック演じる璃王が対峙する。
先に動いたのは、エルリック演じるレイナス。
少しの戦闘シーンが入ってレイナスが銃口を向けた時、璃王のフードが風に攫われた。
璃王の顔を見て、驚愕の表情を浮かべるレイナス。 切り裂きジャック――アイシャ演じる璃王の顔を見た観客はどよめいた。
「なんて綺麗な娘……!」
「誰だ? 凄く凛々しい!」
「あんな娘がこの学校に居たなんて……!」
「声も透き通っていて綺麗だ」
観客は璃王の演技に見入っていた。
《女……? 気に入った、お前の名を聞いておこうか》
《僕に名乗る程の名はありませんよ。
――そうですね、強いて名乗るなら……「切り裂きジャック」……とでも言っておきましょうか》
《“切り裂きジャック”……? 巷で言われている呼称か。
そうでなく、お前の名前が知りたい》
《名など、どうでも良いものです。 それより、ただ突っ立っているだけなら貴方もそこの女――いえ、彼は男性でしたね。
彼の様に切り裂いてしまいますよ?》
狂気の笑みを浮かべた璃王の顔は、それとは裏腹に魅力的だった、と後に観客は絶賛するのだった。
夜の暗さに璃王の肌は際立ち、その表情はあどけなさの中に艶を感じさせた。
璃王のセリフの後、また戦闘シーンが行われた。
運動神経の良いレイナスと璃王の大立ち回りは本当に戦っているようにも見え、観客に想像以上のクオリティーを見せつける事には成功したらしい。
問題は最後に観客が感動するかどうか。
彼らを感動させることができたなら、この映画は大成功である。
そして尚且つ、メインを演じた最低二人に注目が集まれば、謎の美少女若しくは青年として、彼らの情報を集めようとするだろう。
それを餌に生徒会が運営するの喫茶店に客を呼び込む。
うん、中々いい案だ。
クレハはそんなゲスい打算をしていた。
つまりは、弥王、璃王、レイナスとレイリスを餌に客を呼び込もうとしていたのだ。
《悔悛するなら俺と来い……アルジャ・ド・ハーマン》
《悔悛など……今更遅いですよ。
僕はもう、手を汚しすぎた。 今更戻れません。
さぁ、貴方がその引き金を引けば終わりです。 終わらせてください》
物語のクライマックス、エルリックがアイシャを捕らえるシーンを演じる、レイナスと璃王。
この辺りから音楽が流れ始めた。
【この手には 何も無くて
気付いたら 真紅に染まってた】
レイナスは地面に座り込んでいる璃王に向かってセリフを言った。
手に持った銃を手から滑らせるように落とし、レイナスはゆっくり璃王に近付く。
《遅くない。 今からでも悔い改めることはできる。
それをするかしないかはお前次第だ》
《僕は……》
《迷うならばこうしよう》
【罪を重ねる事で 自分と他人の違いを
比べていくだけの 日々は途方もなくて】
レイナスはしゃがむと、懐から短剣を取り出し、それを逆手に握る。
璃王はゆっくりと目を閉じた。
レイナスは璃王の頭の後ろで纏められている髪に手を伸ばして、それを撫でる様に掬うと髪を切る。
赤い髪が風に舞い、それはまるで、羽根の様でもあった。
【だけど引き返せない 場所まで来ていた】
《アルジャ・ド・ハーマンは今を以て死んだ。 今からお前はアイシャだ》
《本当に貴方と言う人は……。 女性の髪を無断で触ったばかりか、切るとはどういう事ですか。
殺されても文句言えませんよ?》
璃王は微笑んだ。 恋をする乙女の様な微笑みで。
その笑みに誰もが心を奪われたに違いない。
世界の誰もが心を奪われるだろうその微笑みは、何処か安堵したような表情にも見える。
【果てない 冷たい 希望は見えないよ
旅の 終焉 願って目を閉じた
君と 逢えた 奇跡が動き出す
君と 此処に 在る夢見てた……】
場面は切り替わって、ラストシーンの結婚式。
このシーンでは、璃王はウェディングドレスを身に纏っている。
式場は特別に学校から外出許可と近くの教会から撮影許可をもらって実際に行ったものである。
ラストシーンのキスは結局、最後にヴェールを引く形で観客にはキスをしたように見せかけ、実際には寸止めで止まった。
そこで物語は終了する。
最後にエンディングが流れた。
「重ねた 罪は重く
望んだ姿 今更なれないよ」
アカペラで聞こえる歌声に、会場内はどよめいた。
目の前の画面からではなく、客席から誰かが歌っている。
その歌を歌っているのは、アイシャを演じた璃王だった。
「君が望んだから 生まれ変わる覚悟をした
重ねた罪はずっと 消えてくれないから
だから血に染まった手で 罪を償おう」
曲が流れて、璃王は歌いながらステージの上に上がる。
その後に続いてレイナス、弥王、レイリス……映画の制作関係者がステージの上に上がってきた。
この演出は、アリスが事前に打ち合わせをして、それを璃王達に伝えたものだ。
「果敢ない 夢を ただ見ていたいだけ
僕の隣 君の温度が
失くならない様に祈る日々も
君と居る事で悪くないと思う……」
二番の歌詞が終わって間奏に入った時、ライトがステージの端からマイクを取ってきて、ステージに置くと話し始めた。
「こんにちは、本日は我が私立寄宿学校ウェストスター校の学校祭へお越しくださり、ありがとうございます。
私はウェストスター校の生徒会会長をしています、ライト・レイと申します。
先程ご覧いただいた映画は、私たち生徒会とそれが選抜した生徒による映画「真偽のアイシャ」です。
この場を持って、配役の紹介をしたいと思いますので、お付き合い願えたらと思います」
ライトは普段は女好きのちゃらんぽらんな生徒会長だが、会長としての心得はあるようで、やる時はしっかりとできる人間である。
真面目にそう言う所を見た事がなかった弥王や璃王、レイナスは内心で感服した。
“ちゃらんぽらんなだけではなかったのか”、と。
初めにメインではない登場人物から紹介していく。
順々にスポットライトが浴びせられ、璃王は内心でガチガチに緊張していた。
映画を作っている時は何ともなかったが、あの映画を上映した後でこの公開処刑みたいなものは、はっきり言ってどうしていいのか解らない。
「次に、稀代の天才発明家の息子にして初代銀星ノ騎士騎士団長となったジョニー・セコッティンスを演じた我が校期待の新星、レイリス・リグレ・群雲!」
「あっ、えっと、レイリス・リグレ・群雲ですッ! 本日はありがとうございました!」
ライトに名前を呼ばれ、テンパりながらも挨拶をするレイリス。
そのレイリスの声に、そして、その姿――本日のレイリスたち学校関係者は前夜祭も行うため、ドレス姿である――に落胆の声があちらこちらから聞こえた。
「えぇ? あの子がジョニーをしていたの? まるで別人ね」
「あぁ、でも初々しい所が可愛い子だわ」
この時、レイリスを男だと勘違いしていた夫人からは落胆の声、男性からはブラボー!との声が上がった。
「続いて、筋金入りの男嫌いで有名な第23代目英国女王を演じた、我が校始まって以来の美少女大女優、ミオン・コウナミ!」
「ミオン・コウナミです! 映画は楽しんでいただけたでしょうか?
そうであれば幸いです、ありがとうございました!」
ライトの紹介に弥王ははにかんだ笑顔を浮かべて応えた。
すると、「勿論だよー!」という黄色い声が響き渡る。
クレハは確信した。
――これは、大儲け決定だ!
ここで解ったかもしれないが、クレハは大変守銭奴な生徒会会計です。
「そして、我らが伝説の銃騎士エルリック・シーズを演じた、我が校史上の問題児だが頼れる最高の兄貴、レイナス・リグレット!」
「レイナス・リグレット」
レイナスはぶっきらぼうに言った。 名前だけである。
会場内はそれでも、大盛り上がりだった。
「レイナス先輩素敵ーッ!」
「とってもカッコ良かったですー!」
主に盛り上がっていたのは、ウェストスター校の女子だけだが。
「最後に、悔悛した悲劇の殺人鬼アイシャ・ハーケーン・シーズを演じた、我が校のクールな男装の麗人な歌姫、リオン・コウヤ!」
「リオン・コウヤです。 ありがとうございました」
あまりに気が動転した璃王は自己紹介と感謝だけになった。
淡々と言ったのが不幸中の幸いだったのか、会場は大盛り上がりだ。
「さて、もうすぐ前夜祭ですが、始まる前に最後まで彼女の歌をお楽しみください」
ライトはそう言ってマイクを切った。
スポットライトが璃王だけを照らす。
璃王は続きを歌いだした。
「まるで硝子に触れる様に 大切だと 思ったこの感情は」
ステージの端に璃王以外が戻って行く。
レイナスは璃王が歌う所を目を奪われたかのようにずっと見ていた。
「初めて愛を知った 掌に
君の名前 そっとなぞって
見えない糸を 絡め合うよりも
冷たい唇で 覚悟を見せて」
まるで、ガラスのように繊細な歌声。 レイナスはその歌声に心を締め付けられるような感覚を覚えた。
群青よりも深く、氷よりも冷たい海の底の静寂を思わせるような声。
それは、何処か孤独感や寂寥感を抱えているように聞こえる。
普段の彼女からは考えられないような、優しくも繊細な歌声にレイナスの心は奪われるばかりだった。
「果てない夢を 君と居られるなら
僕は燃え尽きても構わない
壊れるまで 抱きしめていて
遠く果敢ない夢でも良い」
この心に、まっすぐに突き刺さってくる歌を聴いて、レイナスは璃王への想いを確信した。
「君が在る夢をいつまでも見せて……
いつまでも……」
―― ――
―― ――
映画の上映が終わり、前夜祭が始まるという事で生徒や招待客たちはホールへ集まっていた。
それはまさにゴミの様――もとい、大規模なイベントの時の様な人の多さ。
流石、名門校の学際という訳か。
その中心で、前夜祭用のドレスに着替えていた弥王と璃王は見物に来ていた何処ぞのじゃじゃ馬女王に抱き着かれていた。
「ミオン、リオン~! さっすがボクの可愛い妹達! 映画すごく良かったよ~!」
「く……苦しいです、女王陛下……」
「首、キマッテマス……」
弥王と璃王は落ちる寸前だった。 しかし、何処ぞのじゃじゃ馬女王――もといグレイは興奮が止まらない様子で意に介していない。
余程、自分の妹だと思っている子たちが真偽のアイシャを演じたことが嬉しかったのだろう。
弥王と璃王は人生終了の悲報……状態だった。
自分たちの人生を諦めかけた時、救世主が現れる。
「グレイ。 そろそろ二人を離さないと、二人がシンデレラになっちゃいますよ?
……天国の階段を上る」
その静かな声を聞いたグレイは我に返ったように弥王たちを見ると、慌てて二人を離した。
二人は喉に手を当て咳き込む。
「ご、ごめん! 大丈夫、二人とも?」
「大丈夫ですよ、お気になさらず……」
グレイの問いかけに辛うじて答えたのは弥王だった。
璃王は相当きつく決められていたみたいで、呼吸をするのに精いっぱいの様だ。
激しく咳き込んでいて、とても苦しそうな様子を見せている。
「あぁ、もう。 大丈夫ですか、リオン。
ほら、落ち着いて深く息を吸って」
璃王の背中を擦っている少女は、グレーゼ・ウェル・ファブレット。
グレアと似ている白銀の髪をショートカットにし、大きなグレーの瞳に黒縁眼鏡が印象的な少女。
「あ……ありがとうございます、グレーゼ様……」
「お久し振りです」
大分落ち着いてきた璃王がグレーゼに礼を言い、弥王が挨拶をする。
弥王と璃王が畏まっている通り、グレーゼはファブレット王家の人間である。
彼女は、グレイの3番目の姉であり、グレアの3番目の妹。
つまり、ファブレット家の三女、兄妹で数えると第4子だ。
彼女は大きなグレーの目を細めて微笑み、言った。
「元気そうで何よりです、ミオン、リオン」
「グレーゼ様もお変わりない様で」
グレーゼの目を見つめ返して、璃王が言った。
ちなみにグレーゼは弥王と璃王の素性を知っている。 二人の為にグレイと――否、グレア以外の兄妹が結託して二人の素性を隠していたのだ。
つまり、弥王と璃王の素性を知らなかったのはグレアだけである。
「あっ、居た! ミオン、リオン、グレーゼにグレイ~!」
不意に柔らかい声が聞こえ、グレイと弥王、璃王、グレーゼは振り返る。 声が聞こえた先には、男性の腕を組んでこちらに向かって手を振っている、可愛らしい女性が居た。
彼女は男性の腕を離すと、ウェーブがかかった白銀の長髪を揺らして、小走りで駆け寄ってくる。
「イア姉さん! それに、ハーウェスト侯爵も!
今日は二人して来られないって聞いてたんだけど?」
飛びついてきた女性を受け止めながら、グレイは軽く混乱する。 そう、今日は彼女の2番目の姉であるグレイア・フィル・ハーウェストとその夫である男性、アーデス・ヴィクト・ハーウェストは多忙で学祭に来られない旨をグレイに話していた。
男性は紺碧の目を細めて困ったように笑う。
「お久し振りです、陛下。 本当は仕事が立て込んでいたのですが、レイアが思ったより早く仕事を片付けてくれまして。
署から直行で連れ出されましたよ」
「何やってんの、姉さん?」
「だってぇ! ミオンとリオンが真偽のアイシャするって、しかもリオンがアイシャでミオンがレイチェルなんて聞いたら絶対に観に行かなきゃって、使命感がぁ~!」
ハーウェストの話を聞いたグレイがジト目でグレイアを睨むが、グレイアは大人げなく言い訳を始めた。
その様は、どちらが姉か分からない。
その光景をグレーゼと弥王と璃王は苦笑して見守る。
「ミオンもリオンもすっかり女の子らしくなって~! 姉さん、心配してたのよ~!
映画も大反響でよかったわねぇ~」
「ありがとうございます。
それと、一昨年の婚姻の式典には出られず、申し訳ありませんでした。
改めて、ご結婚おめでとうございます、ハーウェスト侯爵夫人」
グレイアの感想に頭を下げると、弥王は去年のグレイアの結婚式に出られなかった事を詫びて祝いの言葉を言った。
そう、グレイアは一昨年の12月にアーデスと結婚している。
元々市警察で情報処理をしていたグレイアだったが、ある事件がきっかけでハーウェストに一目惚れ、グレイア自身も優秀だったので彼が出世していくとグレイアを秘書として引き抜いて、現在に至る。
ちなみに、ハーウェストは去年、29歳という若さで市警察の署長へと昇格している。
“侯爵”と言う爵位に加え、確立された地位。
そして、本人は誠実で正義感の強い好青年と来ている。
そんなハーウェスト侯爵と、正義感が強く強かな一面を持つグレイアは正にお似合いの二人だった。
二人の結婚は、貴族派と王室派、それぞれの懸け橋になるだろうことが期待され、今でも尚、世間からの注目の的である。
「あらあら……そんな畏まった様に言わなくても……」
「そういう訳にはいきません。 貴女はもう、侯爵夫人ですからね」
「そんなぁ~」
璃王の言葉にグレイアは盛大に肩を落とした。
グレイアとしては、もう王女ではなくなったのだから、可愛い妹のような弥王と璃王にそろそろグレイのように「イア姉さま」もしくは「イア姉さん」と呼んでほしかったのに。
まさかの今度は“侯爵夫人だから”と言う理由で断られるなんて!
流石璃王、礼儀に隙もない。
「あら、あの二人って、先程の映画に出てたアイシャ役の子とレイチェル役の子じゃない?」
「女王陛下と一緒に居られるわね? 彼女たちは一体、どういう立場の子なのかしら?」
グレイ達のやり取りを遠巻きに見ている女性達がひそひそと話していた。 どちらも年齢は20前半から30手前くらいの淑女たちだ。
映画を観ていた時から弥王たちの事が気になっていて遠巻きにしていた様子。
「4人が話しているのは、あの紫の子と青い子の事かな?」
「ッ!?」
「あ、貴方は!」
「ファブレット公爵じゃありませんか!」
突然背後から声を掛けられて、4人の淑女はびくぅ!と肩を跳ね上がらせた。
彼女たちの後ろに居たのは、グレア。
グレアは柔和な笑みを浮かべて彼女たちを見た。
「驚かせてしまったようで済まない。
久しぶりだね、ソフィア先輩――あぁ、今はゴルドール伯爵夫人だったかな?
元気そうで何よりだ」
「えぇ、貴方の方こそ元気そうで良かったわ。
それより、あの子たちは貴方の知り合いなの?」
柔和な態度のグレアとは対照に刺々しい態度をとる女性――ソフィア。
彼女はグレアの学生時代の先輩らしい。
ソフィアの質問に「まぁな」と答える、グレア。
「女性が苦手な癖に女の子の知り合いが居たなんてね。
で、あの子たちはどういう子たちなのかしら?」
「夫人? ちょっと怖いから睨むのやめようか?
私が一体何を――いやまぁ、うん、身に覚えはあるけれども。
そんなに睨まれると冷や汗で脱水症状になるからさ?」
「干からびて死んでしまえ」
「酷いな、おい」
学生時代に何かあったらしく、ソフィアはグレアを相当目の敵にしているようだ。
否、学生時代のグレアを知る者なら、ソフィアの態度も仕方ないと言えば仕方がないのだ。
それが分かっているため、取り巻きは何も言わない。
「それで? あの子たちは何? 女王陛下とも親し気じゃない」
「うーん、何と言われても。
詳しい所は話せないが、彼女たちは王族に近い身分の子たちだよ。
社会勉強の為にウチでホームステイ中だ」
「あらそう。 そんな身分の彼女たちがこの学校にねぇ。
知らない間にこの学校も随分とランクが上がったわね」
グレアの説明に皮肉とも取れる様な言い回しでソフィアは言った。
「他に情報は!?
例えば、今日の映画に出ていたエルリック役の人とか、ジョニー役の子とか!」
「あの二人の名前、解ります?」
ソフィアを押し退けて、取り巻きの女性がグレアに質問攻めする。
「ジョニー役の方なら。
あぁ、ちょうどそこに居るじゃないか。 二人も向こうに居る事だし、今回の主役の名前が知りたいなら、自分で名前を聞く事だな」
それだけを言うとグレアは、彼女たちから離れて弥王たちの所へ行ってしまった。
「ファブレット公爵って最近、何だか冷たいらしいらしいわよ?」
「昔は来るもの拒まずだったのにねぇ」
グレアの背中を見送る女性たちは、そんな事を囁いていた。
「公爵が冷たくなったのって、4年くらい前からじゃなかったかしら?
夜会に誘っても中々来ないとか。 特に最近は全くパーティーとかに顔を出さなくなったらしいけど……もしかして、彼女たちが原因なの?」
一人の女性が首を傾げる。
彼女の言う通り、グレアは弥王と璃王が裏警察に来てからと言うもの、本当に必要な時にしか夜会に参加していなかった。
そして、弥王と璃王の素性が解ってからは晩餐会や同窓会と言った集まりに余計に参加しなくなったのだ。
「まぁ、あの身長の高い紫の子は公爵が好みそうなタイプよね。
遂に学生にまで手を出そうだなんて、ただでさえもシスコンで女誑しなのにその上ロリコン?
ロリコン・シスコン・女誑しとか、最悪の三拍子じゃないの」
「私、結構近くで彼女の顔見ましたけど、とても綺麗なお顔をされていたわよ。
正直、「学校の女王」と呼ばれたお姉様よりもずっと高貴な印象だったわ」
「正直、レイチェルの役を任されたのも納得よね」
いつの間にか周りの淑女が集まって井戸端会議の様な状況になり、弥王と比べられてしまったソフィアは居心地が悪くなったらしく、「もう行くわよ!」と取り巻きの3人を引き摺って何処かへ行ってしまった。
「神南、神谷!」
「「公爵ッ!?」」
グレアは弥王と璃王に近寄って二人に声を掛ける。 すると二人は肩を跳ねらせて驚いたように振り返った。
振り返った二人の顔はよく似た驚いた顔をしている。
「あー、グレアやっと来た。 遅ーい!
何してたのさ?」
「すまないな。 さっきそこで、中等部の時の会長の妹に会ってな。
二人のことで質問攻めを食らっていた」
グレイの言葉から、グレアはグレイに呼ばれて学祭に見物に来ていたらしかった。
元々母校である為、学祭の季節になると必ずレイトから見学の誘いが来る。
そして、その手紙はグレイにより必ず出席として返される為、グレアは毎年学祭に出ざるを得なかった。
文句を言ってくるグレイにありのままを話すと、怪訝そうな顔でグレイが言ってきた。
「元会長の妹って、グレアが中等部の時に居たあのナルシス会長のナルシな妹?
まだ関係続いてたの?」
心底嫌そうな顔で問うてくるグレイ。 その目は軽蔑でもしているかのような汚物を見る目に近かった。
「何故そんな目をしてるんだ。 一体何を勘違いしている?」
「べっつにー? ただ、将来を約束した彼女の前でよく昔の女の話ができるなー、とかそんな事は思っても口に出してないよ?
思ってすらないから大丈夫だよ?」
「将来を約束? 何の話だ?」
グレイの言わんとしていることに心当たりがないグレアは首を傾げる。
グレイは目を見開いて、信じられないようなものを見るような目でグレアを見た。
「え、何惚けてんの?
約束したんでしょ? ミオンと」
「あぁ、あれか」
グレイの言葉に漸く思い出したかのようにグレアは言った。
璃王から話を聞いていたライトとレナは「おぉっ!」と話の続きを期待しているような目で見る。
“ミオンが将来を約束した”と言っていた貴族、それがまさか、ファブレット侯爵だったなんて!という驚きもあるが、まずは当事者から話を聞きたい好奇心の方が勝ってしまった。
グレアは言った。
「その話は子供の頃の話だ。
本人も覚えていないだろうし、そんな昔の話を持ち出すなよ。
と言うか、何でお前がこの話知ってるんだ」
「うわ、公爵冷たッ!」レナの口から思わずそんな言葉が零れた。
グレアの言葉を聞いていた弥王は苦笑して、首にかけているロケットペンダントを握り締めている。
――やはり、公爵は子供の戯言だと思っていたワケか。
内心で解っていた事を再認識させられたような気分だ。
弥王は少なくとも、子供の頃の約束を本気にしていた。
だからこそ、どんな事があっても生きていられたのだ。
“グレアと会えたら、お嫁さんになる”、その約束が弥王にとって、どれだけ大きな意味を持っていたのか。
目の前の公爵様はまるで分っていない様だ。
「何で、って子供の頃、ミオンが――」
「ちょっ、陛下! 子供の頃の話です!」
弥王はグレイの言葉を自らの手で物理的に遮った。 不敬罪とか考えている余裕がなかったのだ。
グレアからあんな事を言われた後で昔の話なんかされたら、何て返されるのかが怖い。
それでまた、「子供の頃の話だ」だの「子供の戯言だ」だの返されたら、正直立ち直れる自信はない。
それどころか、璃王との約束を反故にしてまで自滅の道を歩みそう。
「あぁ、ほら、もう直ぐで前夜祭が始まるみたいだぞ?」
弥王はレイトが壇上へ上がっていくのを見つけ、そちらを指さす。
話をすり替える様だが、延々と子供の頃の話をされて傷を抉られるよりはいい。
段々と部屋が薄暗くなってきて、壇上のみ明かりが点いたままになる。
「えー、皆さんお静かに。
本日は我がウェストスター校第6回の学祭にお越しくださり、誠にありがとうございます」
壇上には、禿げた狸の様な顔の男性がマイクを持って挨拶を述べていた。
男性――ウェストスター校の副校長、ナーサ・トライアントの言葉に弥王は素朴な疑問を抱く。
「第6回? 学祭って最近の行事なのか?」
「そう言えば、学祭は私が高2の時にできた行事だったな。 今から6年前になるか」
弥王の疑問にグレアは懐かしい、とでも言いたげに遠くを見る様な目で壇上を見ながら答えた。
そう、この学祭はグレアが高等部2年の時にできた行事である。
しかも、元々はグレアの時代のアリスがとある事をした記念で、毎年それを祝う為に行われている。
「それって、「海炎の孤闘」の話ですか!?」
「えー、集団ボイコットでしょ?」
「あたしが聞いたのは、アリス革命だったよ?」
グレアの言葉を拾った女子が目を輝かせると、他の女子が割り込んできて言い合いになった。
自分たちがした事が現在の後輩まで語り継がれていることに驚きを感じて、思わずグレアは驚きの表情を顔に浮かべる。
それは一瞬の事だった。
次の瞬間には、その薄い唇で弧を描き、薄く微笑んだ。
何だか、ただの「学生の過度な反抗」がそんな風に言われているなんて変な感じだった。
「それ、全部合ってる。
それにしても、まだそんな事を言ってる人が居るなんて思わなかった」
「何言ってるんですか、もう我が校の伝説ですよ!
あの、良かったらお話聞かせてくださいません?」
グレアの言葉に興奮した様に女子は詰め寄る。
その期待と憧憬の眼差しに、グレアは苦笑を浮かべた。
本当にただの黒歴史、何なら、若者特有の全能感に突き動かされた集団ヒステリーのようなモノなのに。
「解った、少しだけ話そう。 あれは、私が高等部2年の時だったか――」
頷いたグレアは、当時のことを思い出すかの様に昔話を始めた。
―― ――
―― ――
「あーあ、まーた校則違反だとかで連帯責任で作文だよ。
本当、あの禿げ早く召されてくんないかなぁ?」
「愚痴を言ったところで仕方ないっすよ、先輩。
ってか、愚痴を言いたいのはこっちの方なんだけど!?
なんで先輩たちの罰則が後輩である俺達に来るんですか!?」
生徒会室にて、二人の生徒が原稿用紙を前にぼやきながら言い合いをしている。
言い合い、とは言っても緑の髪の少年が主に金髪の青年に文句を垂れているだけだが。
彼らは高等部3年の生徒が先程のテストの時に問題を起こした――それは、教師側の認識であり、事実とは異なる――為に、それに激怒した教師が高等部全体に反省文を原稿用紙25枚分を書くように言われ、それを書いていた。
「そんな事言われたってなぁ。
その問題を起こした生徒って俺じゃないし。
俺は至って真面目な優等生だし。
っていうか、問題を起こしたのはある意味、教師の方なんだけどなぁ」
「女誑しが良く言うよ。
この間だって、保健の先生口説き落とそうとしていた所、見ちゃいましたよ?」
青年の言葉に少年が呆れたように言った。 その言葉に青年は肩を竦めて言う。
「この学校、やれ勉強だのやれテストだのばっかで相当つまらないじゃん。
たまにはアバンチュール的な刺激も欲しくなるワケよ。
なぁ、おチビさん?」
青年は、ソファーに寝そべって顔に本を乗せている人物に声を掛ける。
おチビさん。 この部屋に3人の生徒が居るが、一人は返事をしない。
自分の事か、と悟ったその人物は本を顔からずらし、気だるげに起き上がった。
そして、「はぁー」と深い溜息を吐く。
「俺はチビじゃない。 前は「男装の麗人」とか言ってくるし……一体、いつになったら俺の名前を覚えてくれるんだか……」
肩を竦めて青年の居るソファーに顔を向けると、寝そべっていた少年は鋭い目付きで青年を睨みつけた。
鋭い藍色の眼光、髪は雪の様な白銀。 全体的に華奢な印象で中性的な顔立ち。
しかし、声もどちらかと言えば中性的で性別は解りにくいが、一人称だけを聞けば男性の物である。
「俺はグレア。
――グレア・ファブレット、なのだが。 レイト・スタン先輩?」
少年――当時の生徒会副会長兼炎の穹寮寮長のグレア・ウォン・ファブレットは、般若が降臨したような剣呑な笑みを浮かべて言った。
@使用した歌詞
killer katharsis
作詞・俺夢ZUN