Ⅵ.情報‐Dato‐
――君の感情の変化を感じ取った時、嬉しかった。
「君が本当の恋」をした事。
だけど、その反面でどうしようもないモヤモヤとした感情が心底で蠢きだしたんだ――
――貴方と出逢ってから蠢きだした感情は、その後も心の何処かで燻っていた。
再び会えた時、その感情は大きく変わっていって、自分でもついていけない感情の変化に僕は戸惑ったんだ――
生徒会室を飛び出した後で璃王は、特に何処に行くでもなく歩いていた。
未だに思い返しても、あんなことを言ったのが悔やまれる。
この任務を受ける前の自分なら、絶対に言わなかった事だろう。
それもこれも全部、元の姿で居るからだ。
璃王は深く息を吐いた。
「あっ、リオン君!」
考え事をしていたら、後ろから今朝ぶりに聞いた声が聞こえて、璃王は振り返る。
少し離れた場所に同室の女子が居て、彼女はゆるふわなミディアムの茶髪をふわふわとゆらしながら小走りでこちらに向かってくる。
「えぇーと……たしか、イリス……だっけ?」
曖昧な記憶を辿って、璃王は問うように彼女の名前を確認する。
人の名前と顔を覚えるのが苦手だ。 特に、宜しくする気もない人間の顔と名前は自然と頭から転び落ちる。
本当に他人に興味がないのだ。 ――一部の人間を除いて。
自分に関係する人間の名前や顔は直ぐに覚えられるのに。
彼女は嬉しそうな顔をパァッと咲かせて頷いた。
「うん! 覚えてくれてたんだ!
昨日自己紹介した、中等部2年Dクラスのレイリス・リグレ・群雲です!」
彼女は、レイリス・リグレ・群雲。
ふわりとしたストレートミディアムの髪はセピア色で、目は深海を思わせる様な深い藍色、仄かな桜色が掛かった白い肌が特徴的な天然そうな少女だ。
それも、弥王が見たらナンパしそうな感じの幼さの残る美少女。
先生や仲の良い友達からは「イリス」と言う愛称で呼ばれているそうで、昨日自己紹介した時に「イリスって呼んでね!」と言われた。
彼女もハーフらしく、それで親近感を持たれたらしい。
「今、帰りなんです?」
「あぁ……そう言えば寮ってこっちなんだっけ?」
「ですよー」
レイリスの問いに璃王は、そう言われればこっちは寮の方向だっけ、と自分がいつの間にか寮へ足を運んでいる事に気付く。
レイリスは笑いながら頷いた。
「じゃあ、帰りだな。
イリスも今帰りなのか?」
「……、そうです」
レイリスは何か考え事をしていたのか、璃王の問いに数拍遅れて答えた。 その時のレイリスの様子に璃王は違和感を覚える。
声のトーンが若干低くなった様な気がしたのだ。
本当に解りにくい違いだが、今までの声色より半音低かった気がした。
人よりも耳が――と言うよりは、五感が――良い璃王は、些細な人の変化に良く気付く。
普段はそれを気にはしない。 自分には関係のない事だから。
璃王は、隣を歩くレイリスにチラリと視線を向けた。
他愛ない話を楽しげに話している彼女だが、璃王の目線では、髪に触れる彼女の服のカフスの間から、無造作に手首に巻かれた白い包帯が巻かれているのがチラチラと先程から見え隠れしている。
まだ真新しい包帯だ。
「フェンシング部に入っている」と言ってたから、その時にでも捻ったか何かしたのだろう、と璃王が気にしないことにしたその時。
「──でね、その時その──」
話に夢中になっていたレイリスは足下の段差に気が付かない。
璃王が声を掛けようとした時には既に遅く、レイリスはその段差に蹴躓いた。
「あ、おい!」
目の前で躓いて転びかけたレイリスの腕を璃王は思わず掴む。
その瞬間、レイリスの口からは驚いた様な声が飛び出した。
「っうぁっ!」
璃王はレイリスに腕を振り払われる。 しかし、その力は弱く、その腕をしっかりと掴んでいた璃王はレイリスと一緒に階下に真っ逆さまに落ちてしまった。
幸いなのは、その階段が数段しかない事。
怪我をするほどの高さではなかった事だ。
それでも、煉瓦の上に落ちて倒れてしまったのだから、それなりに痛い。
起き上がりながらレイリスに声を掛ける。
「っ痛つ……。 おい、大丈夫か……」
倒れる時に押し倒してしまったレイリスを視界に入れた璃王は、倒れた拍子に捲れた服やスカートの間から覗く痣を見付けてそれを凝視した。
それは、一つや二つと言った程度ではなく、恐らく服の下は痣だらけなのだろうと予想が付く。
レイリスは先程掴まれた右腕に上手く力が入らないらしく、未だに起き上がれていない。
すぐに立ち上がった璃王は、レイリスの身体をいとも簡単に抱え上げる。
「きゃっ!?」
突然のことで目を白黒させるレイリスに構わず、璃王は足早に歩を進める。
「え、ちょ、リオン君? 自分で歩けるよ?」
レイリスの抗議の声は、璃王には聞こえていなかった。
―― ――
部屋に着いた璃王は、後ろ手に鍵をかけて、部屋の中に進んで行く。
璃王が向かっていたのはベッド。 その上にレイリスを降ろすと、今度は無言で鞄や冷凍庫を漁った。
目当ての物を集めると再びレイリスの居るベッドに戻ってきて、開口一番にこう言った。
「服を脱げ」
「えっ!?」
混乱して固まっている様子のレイリス。 リオンはそんなレイリスの表情を見て失言したのだと気付いた。
確かに今のは、言葉足らずだったかもしれない。
璃王は少し間を置いて、言い換えた。
「手当するっつってんだ。
腕も骨イッてるみたいだし、医務室にも連絡して──」
「だっ、ダメッ! それだけはダメッ、やめて!」
リオンの言葉を慌ててレイリスは遮る様に言った。
その顔は何かに怯えている様な顔。 リオンは困惑するも、それを表情に出さない様に言った。
「つっても、長期休みか入院が必要な大病でもない限り、学校からは出られないんだろ?
じゃあ、医務室で処置してもらわないと悪化するぞ?」
「……っ、解ってる……。
でも、医務室はダメっ!」
必死に訴えるレイリスの目を見る。
何処かレイナスと似た様な面影のある、彼と対極の深い水底を映したかの様な目に透明な膜が張ってあるのが見えた気がした。
大怪我をして医務室に行けば、そこから病院へ行く事になる。 そうなれば、親にも連絡が行くのだろう。
レイリスは余程、親に心配を掛けたくないらしい。 それか、親が頼れないのか。
それを悟った璃王は、重い溜息を吐いた。
「──解った。
暗黙の掟は破るが仕方ない。
まぁ、言わなきゃ解んないだろ」
「リオン君?」
璃王の呟いた言葉に、レイリスは首を傾げた。
戸惑うレイリスに視線を合わせる、璃王。
そして、真剣な眼差しをレイリスへと向けた。
「今からやる事は、本当は一般人にしたらいけない事だ。
終わったら全部忘れろ」
真っ直ぐに自分と同じ色の目を見つめる。
少ししてレイリスが頷くと、璃王は「よし」と頷いた。
「それと、「良い」と言うまで僕の顔は絶対に見るな。
そうだな、目を瞑っていると良い」
何を思ったのかレイリスは、コクコクと何度も首を振って頷くと、目をギュッと閉じた。
それを確認すると、璃王はレイリスの服の袖を捲る。 袖の下は、陶器の様な白い腕に大きな痣ができていた。
「──っ!」
パンパンに腫れた腕は折れているのだろう。 腕に触れれば、レイリスはとても痛そうに顔を歪めた。
それに構わず璃王は、レイリスの腕に手を添えて詠唱する。
「融解・結合」
黒と群青色が混ざった光が部屋に溢れると、紫みを強く帯びた群青色の髪は毛先が黒く染まり、璃王の頬に黒い二等辺三角形の痣が浮かび上がって、藍色の瞳は紅く血走り、瞳孔が猫の目の様な形になる。
その姿はとても“人間”と言い難い異様な風貌で。
璃王がレイリスに顔を見るな、と言ったのは、璃王のこの風貌を見せない為だった。
「うぁぁあっ!」
呪幻術を発動させて少しすると、イリスの口から絶叫が迸る。
闇属性の呪幻術で骨折を治そうモノなら、まず融解の術式で折れた骨を溶かして結合の術式で骨をくっ付けると言う荒技をする為、筆舌に尽くしがたい激痛を伴う。
当然、治療は璃王の専門ではないので麻酔などと言う便利な物はないし、光属性もなければ水属性もない為、麻痺効果のある呪幻術も扱えない。
その為、術を掛けられる方には想像を絶する苦痛が伴うのだ。
「っ!」
焼ける様な熱さを伴った痛みに絶叫するレイリスに、自分の腕を噛ませた。
激痛を叫んで誤魔化そうとすれば、誤って口の中を切ったりする事がある。
それを防ぐ為、璃王は自分の腕を噛ませたのだ。
レイリスに噛まれた腕が痛むが、術式が失敗して後遺症が残るよりは断然良い。 むしろ、噛んでくれてウェルカムだ。
後遺症が残って尚且つそれが呪幻術によるものだとバレた場合。
璃王の首が飛ぶ。 物理的に。
それを阻止できるなら、この痛みも勲章だ。
「……っ、もう少しの辛抱だから……耐えろ」
痛みを堪えながら、璃王はレイリスに言い聞かせる様に努めて穏やかな声で言う。
それを聞いたレイリスは、目尻に涙を溜めながらも小さく頷いた。
―― ――
「──これでよし。 もう良いぞ」
璃王の声が聞こえて、レイリスは目をゆっくりと開いた。
目を開けた先に居たのは、群青色の長髪に綺麗な藍色の瞳を持った、やや童顔気味で中性的な顔立ちの璃王だった。
それに安堵する、レイリス。
先程、黒と群青色の光の中で一瞬だけ見えた璃王の姿が、別人の様に見えたのだ。
「リ……く、っうあっ!」
璃王に手を伸ばそうとしたようだ。その瞬間に痛みが走ったのだろうレイリスはその痛みに驚き、声を上げて手を引っ込めた。
その様子を見て、璃王は思い出したかのように口を開く。
「あぁ……最近使わないから忘れてた。
明日の朝まで、腕は動かすなよ。 折角くっ付けた骨がまた折れるからな。
あと、体調が少しでも悪くなったら教えてくれ」
「分かりました」
そう言いながら璃王は、レイリスの右腕を布で固定して、首から吊り下げる。
手慣れたようなその動作にレイリスは感心してしまい、璃王の手元を見ながら璃王の言葉に頷いた。
呪幻術に耐性のない一般人が、いきなり呪幻術を浴びるとどうなるか。
良くて、気分が悪くなる程度で済むが、ひどい場合は意識障害や最悪死に至ることも間々あるのだ。
しかし、イリスが受診を拒否するなら、仕方がない事だろう。
折れた骨を放置するのは良くないことは、医術には疎い璃王でも分かることだ。
「さっきのは……? リオン君は一体……」
璃王の事を聞き出そうとするレイリスの唇に、璃王は自身の人差し指をそっと触れるように添える。
「その事についてはどうしても言えないんだ。 だから、忘れてくれ」
「――っ、はい」
璃王の微笑みは、あまりに凛々しく綺麗で。
同性でも思わず惚れてしまいそうな笑み。
それに困った様な色さえ垣間見えたから、レイリスは頷く事しかできなかった。
「所でイリス、 一つ確認する。
君のその腕は、転んで折ったヤツじゃないな? 勿論、体育か何かで折ったモノでもない。
複数人でリンチされたような傷もある。
それ、誰にやられた?」
レイリスの手当てをしながら、璃王はその傷が第三者によって付けられたモノだと確信して、レイリスに問う。
日常的に命のやり取りをしている璃王から言わせれば、暴行でついた傷とドジってついた傷の違いが分からない筈が無いのだ。
まさか、傷を見ただけでそれが解るなんて思っていなかったレイリスは、目を伏せた。
その様子に璃王は、誰かに怪我を負わされた、或いは日常的に暴力を受けていると解釈する。
「……えない……」
ポツリ、と静寂が広がる部屋にレイリスの呟きが落ちた。
それは、絞り出す様な小さな声で零れた言葉だった為、璃王には届かない。
璃王は黙ってレイリスの方を見ている。
「言えないの、ごめんなさい……」
嗚咽を押し殺した様な、漸く絞り出された声。
レイリスは恐らく、日常的に暴力を受けてそれを誰にも言えずにいたのだろう。
まるで、嘗ての自分の様に──。
全てを聞かなくても、璃王にはある程度理解できた。
「まぁ、簡単に他人にほいほい言えないよな。 そう言う事なんか、特に。
僕もそんな時があったから、全部じゃないがある程度は気持ちは解る」
声を殺して涙を流すレイリスの背中を撫で、璃王は言った。
第三者に打ち明けて報復される、何てことは良くある話だ。
それも、レイリスの状況を見るに、表面化している感じではない。
それなら尚の事、誰に言っても信じてもらえない事の方が多いのだろうか。
「え……?」
レイリスは、涙で濡れた瞳を大きく見開いて、驚いた様な表情を璃王に向けた。
その顔は信じられないと言いたげだ。
それもそうだろう、レイリスの目に映っている璃王は、雰囲気が怖くて虐められるような――虐められていたような人間には見えないのだから。
そんなレイリスの言いたい事が何となく伝わり、璃王は苦笑して言った。
「昔は、鈍間で泣き虫だったからな。
格好の標的だったよ。
あぁ、これも秘密な?」
「うん、解った」
璃王の言葉に頷きながら、レイリスは璃王の事が少し解った様な気がして、胸の内が舞い上がりそうな衝動を覚える。
秘密を共有する事で、ワクワクとした感情が込み上げてくる様だ。
こんな状況で不謹慎ではあるのだけれども。
璃王としては、女子失踪事件の手掛かりになりそうな標的が目の前にいるのだから、自分の過去を犠牲にしてもレイリスから話を聞く必要があった。
その為には、自分のトラウマを抉ろうが知ったこっちゃない。
「まぁでも、だからこそ頼ってほしい所もあるのかもしれない。
手遅れになってからじゃ遅いからな。
結局、僕も手遅れになってから漸く、両親の知る所になったワケだし」
そう言った璃王の表情は何処か悲しげで、過去に何かあったのだろうかと考える。
無意識に璃王は眼帯と前髪で隠している右目に触れていた。
(リオン君は、人に言えなかった事を私に話したんだよね……。
さっきだって、本当は私みたいな一般人にしたらいけないって言ってた事をして、手当だってしてくれたし……。
これ、フェアじゃないよね、流石に)
「あの、リオン君」
レイリスは、意を決して口を開いた。
この際、リオン君には全部話そう。
もう、巻き込んでしまった様なモンだし、迷惑かけるかもしれないけど……。
「聞いてください、私の話──」
ギュッ、と固定してない方の手を握り、レイリスは神妙な面持ちで話し始めた。
璃王は、レイリスの話を聞く体制に入る。
「去年の進級して間もなくの時から、よく物がなくなっていって……私自身がちょっと物忘れが多いから、気に留めてなかったの。
だから、忘れ物には気を付けてたんだけど……。
そしたらね、無くした覚えのない物がなくなってたりして。
それに気付いたら今度は、机の中にカッターを仕込まれたり靴に画鋲を入れられたり、小さな怪我をするような嫌がらせが続いて……。
机に花瓶とか落書きもあった」
レイリスの話を聞いた璃王は、自身の認識を改める。
そこまで目立つような嫌がらせを受けて、それが表面化しないってあり得るか?
一つ浮かんだ可能性は、見て見ぬふりをされているという事。
レイリスには友達はいないのだろうか。
そんな事を考えている間にも、レイリスの話は続く。
「それでも無視してたら今度は、こんな紙が机の中に入れられてたの」
そう言ってレイリスは立ち上がると、自分の机の引き出しから一つの大きな封筒を取り出した。
それを璃王に渡す。
璃王はそれを受け取ると、封筒を見て、レイリスに視線を移した。
「中身、見ていいか?」
璃王が問えば、レイリスはコクン、と小さく頷いた。
それを見届けて、璃王は封筒を開けて中身を見る。
その中には、数枚の紙切れが入っていた。
その数枚を手に取って見てみると、紙にはレイリスへの酷い中傷が書かれていた。
「これは……酷いな。
こんな事する奴って未だに居るのか。
前の学校でもこう言うのはあったが、それでも飛び級が懸かってるこの時期に他人で遊んでる暇はないから、ここまで酷いのは初めて見る」
レイリスへの中傷を見て、璃王はそんな事を呟いた。
王族や貴族が通う名門校であるスターライン校に通っていた璃王や弥王は、そこで中傷される事もあったが、レイリスが言われているような酷い中傷をされた事はないのだ。
あっても精々、「調子に乗るなよ、女男」とか「貴族に気に入られてるからってお高くまとまってんじゃねぇよ、ド平民が」などの子供の言い合い程度の物だ。
それも、璃王本人は外見はどうであれ中身は女だし、実は貴族の娘だし、弥王に至っては実は王族なので気にするような事もなかったのだ。
それに比べて、レイリスの中傷と言ったら、殆どいちゃもんに近い上、ただの僻みのようなものが多い。
その上で、レイリスの能力を愚弄する内容が殆どだった。
「ありがとう」、そう言って璃王は封筒をレイリスに返した。
「それにしても、よくそんなに集める気になったな?
そう言う証拠は取っておいた方が良いが……教師に掛け合うつもりなのか?」
璃王の問いにレイリスは俯いた。
「よく……解んないや。
先生に言えば、お父さんやお母さんに迷惑掛けちゃうし……でも、いつまでもこのままってワケにもいかないことは解ってるから……」
そう言ったレイリスは、その深い蒼色の目に影を落とした。
本人もどうしたいのかよく解っていないようだ。
両親に心配させたくないから問題提起しないのか、それとも両親と不仲なのがその理由なのか……。
いずれにせよ、これを教師に密告すれば、問題になるか揉み消されるかのどちらかなのだろう。
それを考えると、レイリスの判断も間違っていないと言いたい所だが……。
璃王は何も言えずに黙り込む。
実際、レイリスは骨に異常が出るほどの暴行を受けたのだ。
今回は自分が居たから、レイリスの意を汲んで秘密裏に処理できたが、こんな幸運は二度とない。
次は命に係わるような状況になるかもしれない。
それを考えたら、このままでいい筈がない。
「……あのね。
前、如月先輩……って人が居たの」
静寂が訪れた時、レイリスはポツリと話し出した。
レイリスが話し始めた事で、璃王は再び彼女の話を聞く体制に入る。
「如月黒羽先輩って人。
私が姉妹校のミーティア校の12歳クラスに居た時。
すっごく美人な人で、頭も良くて。
ちょっと変わってる所もあったけど、でも、合同行事とか体験入学の時にとっても良くしてくれて……優しい先輩だった」
「だった……?
今はその人は居ないのか?」
レイリスの話を聞いた璃王は、その言葉に違和感を覚えてレイリスに訊ねる。
今でも健在なら、過去形で話しているのは不自然だ。
それを問えば、レイリスは今にも泣きそうな顔を上げて頷いた。
「その先輩ね、自殺したの。
飛び降り自殺だって聞いた。 しかも、スタン先輩の目の前だった、って……」
「!!」
「信じられないの、今でも。
だって、本当に凄く優しい人だった。
それなのに、虐められて飛び降り自殺って……まだ、何かの間違いだって思いたいよ……っ!」
そう語ったレイリスの目から軈て涙が零れ、頬に一筋の涙痕を残して床に吸いこまれるように落ちた。
その如月先輩と言う人とレイリスは余程仲が良かったのだろう。
それとも、レイリスがその先輩を慕っていたのか。
どっちにせよ、他人の為にそうそう簡単に涙は流せない筈である。
一度、大きく息を吐くと、レイリスは声を震わせた。
「それから暫くして、中等部や高等部で虐めが起こって……その、虐められた女の子が皆、忽然と姿を消してるの」
「え……? それ、本当か!?」
レイリスの口から思いも寄らぬ情報が出てきて、璃王は思わずレイリスに詰め寄る。
思わぬ収穫かもしれない。 ここにきて、漸く聞き出せるかもしれない有力情報にリオンは気持ちが逸る。
レイリスは驚いたような顔をしながら頷いた。
「本当だよ。 最近で言うと、4ヶ月前にナターシャ先輩が虐められて失踪してるの。
噂じゃあ、先生に訴えてそれがバレたから、報復された……って。
何で虐められたか解らないけど、クライン先輩が凄く可哀想だった……」
「何でクライン先輩?」
レイリスの話を聞いた璃王は、突然出てきたアリスの名前に首を傾げる。
失礼な話、あのクライン先輩に仲の良い人が居るのかと疑問に思う。
生徒会のメンバーはクレハを嫌っているような感じではないから、仲が悪いと言う訳ではなさそうだが……。
すると、レイリスは少し間を空けて話し始めた。
「……、クライン先輩……ナターシャ先輩と仲が良かったの。
ナターシャ先輩も如月先輩が居なくなった時はこっちが心配する程落ち込んでたんだけど、クライン先輩と仲良くなってから明るくなり始めて……。
また噂になるけど、ナターシャ先輩とクライン先輩、付き合ってたって……たがらクライン先輩、女子失踪について調べてるらしいよ?」
レイリスの話を聞いた璃王は、考えを巡らせる。
彼女の話が正しい物ならば、上手くいけばクレハをこちら側へ引きずり込めそうだな。
しかし、相手はアリス。
学園側である可能性が高い以上、レイリスから得た情報は、十分に吟味する必要があるが……。
思わぬ収穫に、璃王の口元にうっすらと笑みが浮かんだ。
「そうか……ありがとう。 話が聞けて良かった」
璃王はレイリスに礼を言うと、レイリスの頭を髪を梳くように撫でる。
「あ、あのー、リオン……くん?」
「あぁ、悪ぃ」
躊躇いがちに声を掛けられて、璃王はレイリスの頭からパッと手を離した。 それと同時にその表情からうっすらと浮かべた笑みも消える。
無意識の内にレイリスを撫でてしまったので、声を掛けられるまで気付かなかったのだ。
(思わず、アスを撫でるみたいに撫でてしまったな。
何かイリスって、同い年に見えないんだよな)
「うぅん、ちょっと吃驚しただけだから」
「そうか」
はにかんで照れているように笑うレイリスに、璃王は微笑んだ。
その日の内に打ち解けた璃王とレイリスは、レイリスが寝るまでずっと話していた。
―― ――
―― ――
その夜。
弥王は璃王に呼び出され、寮の屋上へと来ていた。 流石、冬のグランは寒い。
肌に突き刺さる冷気に弥王は両腕を抱えて、呼び出した主が来るのを待っている。
軈て、一つの気配を扉越しに感じて、弥王は扉を振り返った。 やっと来たか。
扉を見つめていたらややあって扉が開き、璃王が屋上へ出てきた。
「よっ、遅かったな。 冷凍肉になるかと思ったよ」
「そりゃ悪かったな。 お前とは違ってこっちは2人部屋なんで、同室の奴が寝付くまで待ってたんだよ」
「そうか」
近付いてきた璃王へ声を掛けると、軽い謝罪が返ってきた。
ウェストスター校では、寮によって部屋の大きさが異なる。
璃王の入った炎の穹寮は2人部屋、弥王の入った蜃気楼の穹寮は1人部屋、ちなみに閃光の穹寮は教室くらいの広さの部屋に2人、深海の穹寮は3人部屋となっている。
この部屋の間取りは、レイトが校長になった時、生徒会と生徒達の需要によって決められたのだ。
「んで、弥王。 お前、今日は何か収穫はあったのか?」
「収穫……あっ」
話を切り出した璃王の言葉に思い出したかのような声を漏らした後、弥王は徐に現実逃避する様に視線を宙に投げ出した。
その様子を見て、璃王は眉を顰める。
「お前ッ、まさかとは思うが、情報収集してないな?」
「いやー……そんな事、あるワケないじゃないですか、リオンさん、はっはっはー」
隻眼で睨んでくる相棒の表情が段々と能面のようになってきて、弥王の視線は余計に明後日の方向を向いてしまう。
そんな弥王を問い詰める、璃王。
彼女は腕を組んで、弥王を睨み上げた。
「ほう、なら、お前から収集した情報とやらを話してもらおうか」
嘘は吐けないことを悟った弥王の行動は早かった。
「実はあれからずっと、生徒会室で駄弁っていました、本気でスミマセン」
秒で頭を下げた弥王に、璃王は呆れたような溜息をこぼす。
「素直でよし。 っつーかやっぱりかよ。
何やってんだよ、お前? 早く帰りたくねぇの?」
「うぅ……」
璃王に正論を言われて返す言葉もない弥王は項垂れる。
アリスのメンバーに捕まった状態で、逃げ出す口実もなく今に至ったのだ。
言い訳のしようもない。
弥王が黙っていたら、軈て溜息を吐いた璃王が話を切り出した。
「今日、同室の奴から話を聞けた。
どうもこの失踪事件、根本的には昨日今日の話じゃないみたいだぞ」
「どういう事だ?」
璃王の話を聞いた弥王は、直ぐ様頭を切り換えて璃王に問う。
先ほどレイリスから聞いた話を頭の中で整理しながら、璃王は話し始めた。
「2年前、如月黒羽って先輩が居て、虐めを苦に自殺したそうだ。
それから暫くして、中等部や高等部で虐めが起こって、虐めを受けてた女子が失踪しだしたんだと」
「虐めで失踪か……。 原因は?」
「さぁな。 そこまでは解らねぇ」
弥王の問いに、そこまで聞いていない璃王は肩を竦めて首を振る。
それを見た弥王は宙に視線を投げた。
想像以上に闇が深そうなこの案件に、弥王は頭痛を覚える。
「そうか」
少しの沈黙が、寒空の下で重く圧し掛かる。
ややあって、璃王は口を開いた。
「その同室の奴の話じゃ、つい最近、ナターシャという生徒が虐めで失踪したらしい。
その原因をどうも、クライン先輩が調べているみたいだが」
「クライン先輩が? 嘘だろ?」
レイリスから話を聞いた自分と同じ反応をした弥王に、璃王は「やっぱ、こんな反応になるよな―」と、肩を竦めた。
どうやら弥王も、クレハが人の為に動くような人間に見えていなかったらしい。
まぁ、生徒会室での彼を見てたら、そう言う印象しか抱かないのは無理もないのだろう。
璃王は言葉を続けた。
「何か、そのナターシャって先輩と付き合っていたとか言う噂があるらしいぞ?」
「へぇー、あのこけしにしか愛情を示さなそうな人がね」
「意外だよな」
「全くだ」
驚愕している弥王に相づちを打てば、弥王は頷いた。
「ともかく俺は、レイリス・リグレ・群雲――あぁ、俺の同室の奴な。
そいつもどうやら虐めを受けているみたいだし、俺はそっちをマークしておく」
「OK。 ちなみに、そのレイリスって子、可愛い? 何年?」
「おい、性別! ったく、お前は生まれて来る性別間違えてんじゃねぇの、本当?」
弥王の言葉に呆れた言葉を返す、璃王。
女子と聞くとどうしていつもこうなのか。
璃王は本気で弥王の性別を心配した。
「え、何、嫉妬? 妬いてるリオンも勿論可愛い――」
「これ以上巫山戯てると、その喉笛カッ切るぞ」
「ガチで申し訳ございません」
「ふん」
自分の肩に手を回してきた弥王を殺人鬼の目で睨むと、璃王は爪を少しだけ伸ばして言った。
殺人鬼の目で睨まれた弥王は璃王から直ぐ様離れ、土下座する勢いで謝る。すると、璃王は爪を仕舞ってそっぽを向いた。
「まぁ、ガチな話、公爵と校長の判断は正しかったワケだ」
「はぁ?」
突然の弥王の言葉の真意を測りかねて首を傾げる、璃王。
弥王は肩を竦ませて言った。
「あの、長期任務になるだろう、って話だよ。 だから、女生徒として探れっての。
これで男として入ったら、間違いなくストレスフルだな。
俺はともかく、お前が」
「あぁ……そうだな」
弥王の言葉に璃王は頷いた。
本当に女生徒として依頼を受けて正解だった。
他人の目を気にしながら性別を隠すのは、本人に思った以上のストレスがかかる。
幸い、裏警察の寮は個室だったから良かったものの……ここだと、完全に性別を隠すのに苦労しただろう。
「まぁ、あんまり無理するなよ? お前、上手く隠してるつもりだろうが、あまり長くないんだろ?」
「何のことだ?」
真剣な顔で問い掛けてきた弥王の言葉に、何を言わんとしているのかを理解した璃王は内心で驚愕する。
自分の寿命があまり長くないことはまだ、誰にも――幼馴染みである弥王や、上司に当たるグレイやグレアにでさえ言っていない筈だ。
主治医であるロラン・デュラン・ハーストにも、誰にも言うなと口止めをしていたというのに。
それを見抜かれていたなんて、思いもしなかった。
「芝居が下手なんだよ、大根役者。
お前の状態なんか、こうして見なくても解るっつーの」
弥王は呆れたように自分の服の袖を捲って見せる。
弥王の言葉に璃王は何も返せなかった。
やっぱり、弥王には何も隠せないな。
「ロランから、薬は貰ってるのか?」
「あぁ、取り敢えず今月はもう処置済みだから、来月の分。
もし間に合わなかった時に、ってさ。
あと、何があっても大丈夫なように緊急用の薬も貰った」
「そうか。 なら、安心だな」
「ああ」
璃王の呪いの事は、弥王も知っている。
そして、その呪いの進行を遅らせる薬を璃王は、裏警察に入る前から服用・投与していた。
普通はその人の寿命と共にゆっくりと呪いは進行していくのだが、璃王の呪いは普通の呪いとは少し違うようで、グレイに拾われてから暫くして突然、急激に進行し始めた。
今では毎日の服用と月に一回の服用・投与で呪いの進行を抑えている。
それとは別に、ストレスの状態によっては頓服用の薬も飲むことがあった。
璃王の呪いは、ストレスを受ける事で進行する事もあるのだ。
「その猫呪、だっけ?
精神が安定しなくなると急激に進行するんだろ。 だから、安心して無理なことはするなよ」
「……解ったよ」
「ならよし。
じゃあついでに、参考になるのか解らない情報を教えてやろう」
璃王を撫でると、しんみりしてしまった空気を壊すように弥王は、得意げに言った。
そんな弥王に呆れたような視線を投げかける、璃王。
大概、弥王の「参考になるのか分からない情報」は本当に参考にも当てにもならないこと方が多いのだ。
「いや、そんな情報は要らねぇ」
「まーまー、何かの手がかりになるかもだろ?」
「まぁ、じゃあ聞いてやる」
「そうこないとな」
弥王の話を聞くことを突っぱねたら弥王に食い下がられたので、仕方なく璃王は話を聞くことにした。
まぁ、いい。
これで本当に要らねぇ情報だったら、喉笛をカッ切ればいいしな。
忠誠を誓っている幼馴染にも情け容赦はない。
それが、リオン・ヴェルベーラという人間だった。
「何か昨日、炎の穹と閃光の穹の男子が喧嘩していたらしい。
何でも、炎の穹寮の男子の妹を虐めていた閃光の穹寮の男子と話し合いをしていたら喧嘩になったそうだけど……」
「その3人の名前は?」
「えっと……聞いてない」
「はぁー。 期待した俺がバカだったよ」
弥王の情報を聞いた璃王は深い溜息を落とした。
ほら、こいつの「参考になるか分からない情報」は殆ど参考にならない。
何で重要な所の情報を聞いてないんだよ。
やっぱり、こいつに情報収集は向いてねぇか。
そんな事を考えていた璃王の耳に、弥王の言葉が通り抜ける。
「あ、でもその場に確か、レイナスって人が居合わせたんじゃなかったっけ?
何か、その場を治めたらしいよ?」
「は?」
弥王の言葉を聞き逃した璃王は、弥王に聞き返す。
その彼女の顔はにまり、と何かを企んでいそうな顔をしていた。
「確かリオン、知り合いだったよな? 詳細、リオンになら喋ってくれるんじゃねぇの?」
「何で俺が」
弥王の提案に璃王は嫌な表情を浮かべて渋る。
「だってー、いきなり今日知ったばかりの後輩に「昨日の喧嘩の事、教えて下さい!」なーんて言われて喋るか、普通?
オレとその人に接点がある訳でもないし-?
それなら、前から知り合いだったっぽいリオンが世間話って体で話を聞く方が良くね?」
「ぐ……っ、それは」
弥王の言葉が正論過ぎて、璃王は押し黙る。
そんな事を言われたら、何も言えないじゃないか。
「それに、あの人なんだろ?
公爵の手を拒絶するくらいリオンが気になっている人って」
「いや、それは違う」
「じゃなきゃ、夜会の帰りに足を怪我していたお前が公爵の手を振り払った見当がつかない。
それに、あの時から微妙にお前と連携がずれてるの、気付いてたか?」
「う……」
璃王は押し黙ってしまった。
先程からどうも、弥王には見透かされてばかりだ。
「想う人間が居るなら尚の事、無理をして寿命を縮めるような事したらダメだ」
「想うって……俺は別にレイナスの事なんて――」
「好きだとまでは行かなくても、気にはなってるだろ、実際?
今日のお前、いつもより声が高かったの自覚無いのか?」
「えっ!?」
弥王の言葉に驚いたような声を上げる。
璃王としては、いつも通りに接していたと思っていたのに。
弥王に気付かれるほどに彼を意識していたのか?
「あと、いつものお前なら「俺が劇なんざやるかよ、面倒臭ぇ」って一蹴する所を「レイナスの……エルリック、見て……みたい……デス」だよ、ツンデレか、お前は?」
「う……、何も言えない」
弥王に矢継ぎ早に言われれば、璃王は紅くした顔を俯けた。
正直、この場から全力エスケープしたい。
何なら、テレポートして布団の中に逃げようか?
と思った璃王だが、ロランからは不用意に闇属性の呪幻術を使うな、と言われていることを今、思い出した。
ロランが近くにいない時に猫呪が暴走したら。
誰にも止めることができないからである。
「でも、“僕”にだってよく解らない……」
暫く黙っていた璃王は、ややあってポツリと呟きを落とすように言った。
弥王は何も言わずにただ、璃王の言葉の続きを待つ。
璃王の口から“僕”と言う一人称を聞いたのは、今回の任務を除いていつ振りだろうか。
こうして2人で話している時でさえ璃王はずっと、“俺”と言う一人称を使っていたというのに。
「こんな事……ミオンは笑うだろうけど。
僕は今でもマオが好きなんだ。 それなのに、“レイナスが気になる”なんて……自分は浮気性だったのかと混乱してる」
「あぁ、何だ、そんな事……」
弥王は璃王から未だに自分の兄――マオ・ルーンが好きだと言う事を聞かされて、何処か嬉しいような気持ちを覚える。
昔から、璃王はマオに懐いていたから。
しかし、璃王のマオに対するそれは――。
弥王は璃王の肩を叩いて、言った。
「一つ良い事を教えてやる。
リオンは浮気性なんかじゃないよ」
「――え?」
弥王から聞かされたことに璃王は驚いて、弥王を見る。
弥王はその続きを言った。
「――リオンが兄貴に抱いているそれは、“憧憬”と言うヤツだ。
恋愛感情とはまた別物。
だから別に、リオンは堂々とレイナスって人を気にして良い。
むしろ、その方が良いのかもな」
「えっ、でも、僕はたしかに――」
「じゃあさ」
尚も何か言おうとする璃王の唇に指を宛がい、弥王は微笑んで言った。
「学祭までに気持ちの整理をしてみたら?
マオに想っているのが憧憬なのか恋慕なのか。
レイナスって人に想っているのは恋情なのかそうでないのか。
感情を客観的に見るのも、“|ミオン・セレス・ルーン《わたし》”に仕えるんだったら必須項目だ」
「じゃあ、お休み~」と、弥王は璃王の言葉も聞かずに室内へ入ってしまった。
1人取り残された璃王は下弦の月を見上げて考えた。
「レイナスに対する感情と……マオに対する感情……?」
マオは、今でも好き。
少なくとも幼い頃、周りの大人が冗談半分で「マオのお嫁さんはリオンね」と言った言葉を真に受けるくらいには好きだった。
しかし、今はどうだろう?
……解らない。
考えてみても、今の璃王にはそれを紐解くアビリティーが存在していなかった。
レイリス・リグレ・群雲
リオンのルームメイト。
フワフワの茶髪にクリッとした藍色の目が可愛らしい天真爛漫な少女。
リオンに助けられてから、リオンにとても懐いている。
これからもリオンに餌付けされていくので、リオンのお菓子以外が食べられなくなりそう。
愛称はイリス。
@リオンから見たレイリス
貴重な情報源。
懐かれているのは寧ろ好都合だと考えている。
@レイリスから見たリオン
優しくてカッコいい憧れの人。
折角ルームメイトなので仲良くしたい。