Ⅲ.生徒会兼寮長‐Alice‐
トラウマは今も癒えてなくて。
日常の些細な動作にもそれが表れてしまう。
凶器が手元にないと眠れない日々は、いつまで続くのだろう。
気が付くと、弥王は知らない天井を仰いでいた。 頭に鈍い痛みがある。
あぁ、自分は気絶したのだ、と理解するのに時間は掛からなかった。
あれから、どのくらい時間が経っただろうか。
テストはどうなっただろう。 そもそも、何故自分は気絶したのだったか。
弥王は天井を見上げながら、未だはっきりしない意識でそんな事を考える。
「弥王、起きたか」
「璃王……」
ぬっと自分を覗き込んでくる相棒の顔を茫然と見つめ、弥王は呟いた。
「……何か、凄く悪い夢を見たよ」
「ほう」
「オレと璃王が女装で学校に行かされて、その寮を決めるテストだとか言うの受けさせられる夢でさ……」
「ほう」
「細マッチョカマキリみたいなのとバスケしてて、オレが負けそうになった所でボールが頭に……」
「現実逃避か、弥王?
心配しなくてもそれは現実だ、み・お・ん?」
「うぅ……、薄情だ、璃王。
夢だと言ってくれ……」
こちらを見下ろして、口元に意地の悪い笑みを張り付けた璃王に、弥王は顔を背けて撃沈した。
あぁ、クソ。 これが全て夢なら良いのに。
「起きた事伝えに行くから、少し寝とけ。
お前、結構強く頭打ってるから、今日は安静だとよ」
そう言って、璃王は部屋を出て行ってしまった。
弥王は、いつの間にか強くなった幼馴染の背中を見送って、目を閉じる。
昔はあんなに泣き虫だった奴が、いつの間にか強くなりやがって。
昔の【リオン】なら、この状態だと大粒の涙をボロッボロ零しながら「大丈夫?」を連呼して、傍から離れようとしなかっただろうなぁ、と思うと、感慨深い。
それと同時に少しの寂しさも感じる。
──ガラッ。
感傷に浸っていると、扉が開く音が聞こえた。 誰かが部屋に入ってきたようである。
足音はこちらに近付いてきていて、無意識に弥王は枕の下に手を伸ばす。
弥王が使っているベッドの前で足音は止まり、向こうとベッドを隔てているカーテンがゆっくりと引かれた。
「──公、爵」
「何だ、神南。 起きていたのか」
カーテンを引いて現れた人物に無意識に安堵する、弥王。
「あぁ、まぁな……」
グレアの問いに短く答える。
確かに、頭を強く打ってしまっているらしい。
他に何か言った方が良いのだろうが、良いような言葉が浮かんでこない。
その場に静寂が訪れる。
「まだ、その癖は抜けないみたいだな」
ふと気付いたかのようにグレアが枕元を指して指摘する。
その顔は少し、同情の混ざった様な表情をしていた。
言われて弥王は、自分が枕の下に手を突っ込んでいる事に気付く。
弥王は未だに、枕の下に銃を仕込んで眠る癖があった。
それをグレアは、知っていたのだ。
「まぁ……一種の安心毛布のようなモノだからな。
中々消えないんだよ。 声も、記憶も」
そう言った弥王の顔色が翳る。
声が低い事で身分を偽って、裏警察に身を置いている弥王。
今まで、どのような思いで彼女は自分の傍に居たのだろうか。
昔、物凄く懐いてきていた彼女が、自分の身分を明かせず、それでも気丈に振舞って。
ずっと、不安で苦しかったのだろうという事は、あの日、弥王が静かに泣いていた事でも想像はできる。
が、それを考えても到底、グレアにはその思いを計る事はできない。
どう考えたって、それはグレアの想像でしかないのだから。
顔を俯かせている弥王の頭に手を乗せて、グレアは言った。
「まぁ、頼むから、寝ぼけて誤射するのだけは勘弁だからな。
朝起きたらお前の頭部がないとか、そんなホラーはいらないから」
「安全装置は常に付けてるから大丈夫だ。 オレがそんなヘマをするかよ。
そんな事したら、エルリック・シーズがブチ切れて化けて出てくるわ」
「本当にお前、エルリック・シーズ好きだな」
弥王の言葉にグレアは苦笑する。
弥王が半世紀以上前の英雄である銃騎士エルリック・シーズのことを尊敬し、敬愛している事は昔から知っていた。
「まぁ、銃もエルリック・シーズも、唯一の父との思い出だからな……」
そう言った弥王の感傷的な表情がとても大人びて見えて、不謹慎だと思いながらもグレアは、その端正な顔に息を飲む。
普段の彼女からはとても想像も付かない表情だった。
―― ――
―― ――
それから、弥王はレイトや生徒会のメンバー、璃王が戻ってきて、弥王の今居る場所が保健室だと聞かされる。
「ミオンちゃん、具合はどうだい?」
「まぁ、少し頭がグラグラします」
レイトと当たり障りない会話をする。 頭は痛むが、思考回路はどうやら正常のようだ。
周りの景色が可笑しいと思う様なこともない。
「すまなかった。
お前の頭にボールを当てるつもりは無かったが、気付いた時にはボールをコントロールできなかった」
エイルが平身低頭で謝罪をする。
弥王は「気にしないで下さい」と微笑んだ。
焦って跳んだのは自分だし、自業自得、と言うヤツだ。
「皆で話し合った結果、炎寮も合格になったから、好きな所選んで」
「えッ!?
いやでも僕、結局負けてしまいましたし!」
クレハの説明に、弥王は素っ頓狂な声を上げる。
あのままゲームが進んでいたら、エイルの勝ちは殆ど確定していただろう。
つまり、あの試合が有効なら、弥王は不合格の筈だ。
しかし、クレハは気にした様子もなく言った。
「不慮の事故とは言え、女子の頭にシュートを決めたんだ。
それも、類なきセンスの天才肌の頭を、だ。
軽い脳震盪では済んだけど、もし、そのセンスの詰まった頭に傷が入ったら、死ですら覚悟してもらわないとね。
それだけのことをしたよ、アホミドリムシは」
「ぬ! 誰がミドリム──」
「保健室ではお静かにー」
「おうふ!」
クレハの言葉にエイルが突っかかるが、それはクレハのこけしによって遮られた。
こけしは、エイルの脳天に直撃する。
このクレハの言葉からも、クレハに気に入られた事は間違いないようである。
「まぁまぁ、二人とも。ちょっとは落ち着けって。
まぁこれは、僕らと叔父とで決めた──」
「ライト」
「おっと、間違えた。
まぁ、校長とで話し合った結果、弥音ちゃんと璃音ちゃんには自分の行きたい寮を選んでもらおう、と言う事になったんだよ」
口を滑らせたライトは、レイトに呼ばれて口を噤む。
笑顔で無言の圧力が怖い。
ライトの話を聞いた弥王は、思わず訊いてしまった。
「……校長とレイ先輩は血縁者なんです?」
じーっと緑の隻眼で見つめながら問われれば、ライトとレイトは互いに困ったように顔を見合わせる。
軈て、答えたのはレイトだった。
「あぁ、まぁ、そうだよ。
ライトは従兄弟の息子でね。
だからまぁ、従甥になる訳だ。
全く、僕はまだそう言う年齢じゃないって……そこまで歳も離れてないのに」
「あぁ、どうりで言動といい、外見といい似てると思いました。
これで納得です」
後半でぼやくレイトを放置して、弥王は一人で納得していた。
そのマイペースな様子に、ライトが苦笑する。
「2人とも、私の寮に来ない?
まぁ、リオンちゃんは不合格だったけど、可愛いから私が許す!
ていうか、本当にうちの寮女の子少ないから来て~!」
レナが弥王と璃王をスカウトしている所を見て、ライトとエイルがそれぞれ、弥王と璃王に歩み寄る。
そして、それぞれが2人の肩を掴んだ。
「ミオンちゃん、僕の寮に来てくれ。
君のような可愛い子が海寮に来てくれたら、華々しくなる!」
「コウヤ! 是非とも我が寮に!
いや、むしろ、お前の様な身体能力を持っていながら、炎寮に来ないのは宝の持ち腐れだ!」
いや~、そんな事言われても、ねぇ?
弥王は必死になって自分の寮に引き込もうとしてくるライトを困った目で見る。
ちょっと近過ぎじゃない?
そんな迫られても困りますよ、先輩。
一方で璃王は、エイルの手を肩から振り払い、微笑んで手を差し出した。
「僕は体動かす方が性に合ってるし、炎の穹寮に行く。
よろしく、ギレック先輩」
「あぁ、よろしく頼む!」
エイルは、差し出された手を握ると、力強く頷いた。
ちなみに、璃王の一人称が変わっているのは「一人称を戻さないと、うっかり呪幻術を使いそうになる」との事。
璃王にとって、呪幻術は最早、生活する上で必須の能力となってしまっているのだ。
それを、一般生徒の目の前で披露したとなれば。
銀髪兄妹からどんな叱責を受けるか分かった物ではない。
下手したら、首が物理的に飛びそうである。
「じゃあ、残るはミオンちゃんのみ……さぁ、私と一緒にレッツ・化学──」
「あ、僕は蜃気楼の穹寮に行きたいです」
「えぇー!?」
「うん、君ならそう言うと思ってたよ、弥音。 よろしく」
弥音に遮られたレナは落胆して、その場にへたり込む。
それを気にした様子も無くクレハは、フード越しに弥王に微笑んで言った。
こうして、弥王と璃王の入学と、2人の寮は決まったのだ。
―― ――
―― ――
──それが、昨日の話だ。
時間は進みに進んで翌日。
弥王は、昨日紹介された寮の自室にて、昨日渡された制服に袖を通す。
制服はどうやら中等部と高等部でデザインが違うようで、中等部はセーラータイプ、高等部はブレザータイプのようだった。
更に、学年でも色が違うらしく、中等部はブルー系、高等部はグリーン系の制服だ。
弥王と璃王は中等部2年なので、黒を基調とした青い四つボタンとラインの入ったセーラー服と、それぞれの寮のリボンが支給された。
弥王は蜃気楼の穹寮の寮生なので、リボンの色はアメジストである。
「うっわ、何か別人みたい……やっぱり、男子の制服を貰っておくべきだったかな」
全身鏡の前に立って、いつもと違う自分が映っている鏡を見ると、弥王は肩を竦めた。
昨日は外見補正なしで赴いた為、右目を隠している以外は本来の姿のままだったのだ。
良かったよ、外見補正してなくて。
じゃなきゃ早速、髪から突っ込まれるところだった。
生徒手帳の校則の項目には、染髪やパーマは禁止と言う項目がある。
弥王の本来の髪の色はブルーマロウでウェーブがかかっているのだが、性別を偽る為にしている外見補正で、普段は髪を黒に近い紫のストレートロングにしていた。
その外見補正をしなかったのは、女装をして任務に当たれ、と言われたからなのだが。
これがまさか、こんな幸を生むとは。
鏡に映った本来の自分がいつもの見慣れた自分と違って見えるのは、本来の自分は先祖と瓜二つの容姿をしているが、外見補正時の自分はなるべく男に見えるように外見を父親に似せている為だ。
──コンコン。
暫く鏡と睨めっこをしていると、軽快なノックの音が聞こえてきた。
間を開けず扉の向こうから、クレハが呼びかけてきた。
「弥音、準備はできたかい?」
「あ、はい、今行きます」
弥王は首にロケットペンダントを掛けると、本体を服の中に隠して、部屋を出た。
「お待たせしました」
「じゃあ、行こうか。 食堂まで案内するよ」
当たり障りない会話をして、弥王とクレハは食堂へ向かった。
―― ――
―― ――
璃王は、洗面台にある鏡に映る自分の顔を見て、唸る。
大和とイリアのクォーターの為か、かなり童顔に見える顔。 童顔は大和人である父親譲りだ。
璃王は溜息を吐く。
よく弥王と似ていると言われる容姿だが、何処が似ているのかと小一時間問い詰めたくなる。
弥王の方が遥かに年相応か、少し上くらいの顔立ちをしていると言うのに。
冷たい水で顔を洗うと、目が一気に覚める。
目が覚めるのは良い事だが、寒いのは勘弁してもらいたい。
今すぐに炬燵に潜って、体を丸めたいくらいだ。
グランには炬燵なる便利道具はないのだけれども。
昨日渡された制服に着替えると、全身鏡で姿を確認する。
襟に青いラインの入った白いカッターシャツ。 その上に黒のパーカーを羽織る。
男子の制服は規定の学ランがあるらしいが、それは行事の時以外は着ないらしく、支給はされなかった。
ネクタイは炎の穹寮生である事を示す真紅。
眼帯を右目に着けて前髪を垂らすと、璃王は鞄の準備をする。
「ん……リオン、君……?
おはよう、早いんだね……」
「ん? あぁ、おはよう。
まぁな。 だが、そろそろ起きないと遅れるんじゃないか?」
いそいそと準備をしていたら同室の女子が起きてきて、声を掛けてきた。
それに返すと、時計を見た同室の女子は「うわぁぁぁあ!」と騒ぎながらベッドから出てくる。
彼女がバタバタと準備する様子を、璃王は「騒がしい奴だなー」と呆れながら横目に見つつ、自分の準備を済ませ、部屋から出た。
── ――
―― ――
「おう、コウヤ」
「あ、ギレック先輩。 おはようございます」
「あぁ、おはよう。
早いんだな」
昨日の記憶を頼りに食堂へと続く廊下を歩いていると、エイルが前から歩いてきて、声を掛けてきた。
璃王は疑問に思う。
この先って確か、女子寮しかない筈だが。
しかし、璃王の疑問はエイルの言葉により晴れる。
「お前を迎えに来た。
昨日は大雑把にしか教えていなかったから、食堂まで案内する」
「あ、はい、どうも」
「では、行こうか」
エイルの言葉に頷き、璃王とエイルは食堂へと向かった。
―― ――
―― ――
「……エイルが早く起きてる……。
今日はロクな事がなさそうだね」
炎の穹寮から食堂へと降りる階段の踊り場で、エイルと璃王の姿を確認したクレハの第一声がこれだった。
クレハと弥王は「どうせあのミドリムシのことだから、いつもみたいに寝坊してると思うし、璃音を迎えに行こう」と言ったクレハの言葉で、炎の穹寮の璃音の部屋まで向かっていたのだ。
その途中でエイルと璃王にバッタリと出会したものだから、クレハも表情には出さないが、驚いた。
ムッとした表情でエイルは返す。
「俺だって、生徒会兼寮長としての仕事はちゃんとしてるつもりだ」
「そう言って、今年の入学式の時に遅刻して来たアホカマキリは何処のどいつだったっけ?」
「ぐぬぅ、あれはだな、まぁ、確かに遅れはしたが……」
「男の言い訳は見苦しいよ、エイル。
それより、さっさと食堂に行こう。
食いっぱぐれるなんて僕はゴメンだよ」
エイルの言葉を流して、クレハは今登って来た階段を降りていく。
エイルは言いたいことをグッと堪えるように口を固く閉ざした。
入学式の時に遅れたのは事実なので、ぐうの音も出ない。
クレハに口では敵わないのだ。
「食堂は二つあって、此処の棟の食堂は主に炎寮と幻寮が使ってるよ。
まぁ、特に決められてるワケじゃないから、他の寮の子が来たりすることもあるんだけどね。
海寮と光寮は、隣の棟の食堂を主に使ってる」
クレハが淡々と食堂についての説明をする。
弥王と璃王はそれをただ、聞いていた。
「食事は平日は朝7時40分から8時の間と昼11時50分から13時の間、それと夜7時から9時の間に取ることになってるから。
って言っても、こっちの食堂は体育会系が居る所為か早く行かないと食いっ逸れる可能性が高いから、ゆっくり食べたいなら隣の食堂に行くことをお勧めするよ。
で、休日は食堂は休みだから自炊ね。
あぁ、それと頼めば弁当も作ってもらえるから、弁当が良い時は朝の内に注文を取ってね」
聞いた話によるとどうやら、こちらの食堂はサバイバルらしい。
そうこう説明を受けている内に、4人は食堂へと着いたのだった。
―― ――
食堂に入ると、赤いリボンとネクタイを付けている生徒と紫のリボンとネクタイを付けている生徒が和気藹々と食事を取っていた。
「あ、クライン先輩よ!」
「今日もミステリアスで素敵だわ~」
「ギレック先輩も居る! こんな朝から珍しいね?」
「その隣にいる二人は誰?」
「中等部? 綺麗な子だね?」
視線がこちらに集まって、ヒソヒソと室内が騒めく。
すると、クレハが例の如くこけしをエイルに然りげ無く自然的に当然のように投げ、生徒達に声を掛けた。
スコーン!といい音が食堂に響く。
「静かにして。
今から、炎寮と幻寮に来た編入生を紹介するよ」
「うぉっ! だから、俺にこけしを投げるなと──」
「こっちの綺麗な子が幻寮に入って来た編入生のミオン・コウナミね」
こけしは例の如くエイルの頭でキャッチされ、エイルはクレハに掴みかかる。
しかし、クレハはこれと言って気にせず、寮生達に弥王の紹介を始めた。
生徒達には分かりやすいように、苗字と名前を反対に入れ替えて紹介する、と言う配慮も忘れてない。
「で、こっちのちょっと美形っぽい童顔の子が炎寮に入って来た編入生のリオン・コウヤ」
「先程紹介に預かりました、ミオン・コウナミです。 お見知り置きを」
「リオン・コウヤ」
クレハに紹介された弥王と璃王は、自己紹介をする。
弥王が笑顔なのに対して璃王は無表情の為、璃王の方は冷たい印象を受ける。
生来から迫害を受けていた為か、やはり璃王は、人は苦手なようだ。
しかし、寮生の反応はこうだった。
「クールビューティーな男装の麗人きたーー!」
「その冷たさが素敵!」
「リオン君って呼ぶ事にする!」
クールな外見の無愛想は得するなー、とは、璃王に対する寮生の反応を見た弥王の感想だった。
つか、何で璃王だけ男装なんだよ。 解せぬ。
「あ、それと、ミオンちゃんとリオンちゃんはイト君と私達【アリス】のお気に入りだから、傷付けたら罰則ね」
「校長を名前で呼ぶな」
「痛っ! だから、クライン、お前はー!」
いつの間にか来ていたらしいレナの言葉に、寮生達はザワザワと騒めく。
成る程、だからアリスが直々に案内をしていたのか。
寮生達は、クレハたちが弥王たちを案内していた事に納得した。
編入生が来ても、校内の案内をするのは決まって、同室のルームメイトだ。
ちなみに、「校長と生徒会兼寮長のお気に入りという事にしておけば、下手に手を出してくる生徒もいないだろう」という事で、生徒会のメンバーには「俺のお気に入りってことでよろしく」と言われていた。
それは、事前にグレアから、「神谷にストレスを掛ける事について、ドクターストップが掛けられている」と言う話を聞いたレイトの配慮だった。
少なくとも「学校内での権力者のお気に入りなら、ある程度好き勝手しても咎められないから」と言う理由だ。
レナの言葉に反応したクレハによってこけしを投げられ、エイルはクレハに抗議する。
「あぁ、また君に当たったのかい?
まぁ、僕に女を殴る様な趣味はないからね。
この子はそれをちゃんと解ってたんだろうね」
エイルの抗議を何とも思っていないらしいクレハは、しれっとそんなことを言ってのけた。
まるで「投げているのは僕だけど、軌道はこけしが決めていますよ」と言っているかのようだ。
「まぁ、良いじゃないか。
ちょっとは頭が良くなるかもよ」
「クライン、ちょっと表出ろ!」
「え、ヤダよ。 僕に喧嘩なんてできるわけないじゃないか。
見なよ、この力コブ。
君にフルボッコにされるのが見え見えだよ」
そう言ってマントの下から腕を出して袖を捲ると、腕に力を込める。
しかし、クレハの色白華奢な二の腕は盛り上がることもなく寧ろ、女の腕宜しくペッタンコだ。
これでThe・体育会系のエイルと喧嘩をしようものなら、クレハが一方的にボコられて終わりなのは、火を見るより明らかだ。
「まぁまぁ、落ち着きなよ、エイル。
クレハの愛情表現だと思えば、なんてことないだろ?」
「何を言ってるんだ、レイ。 俺にそんな趣味はないぞ」
「からかうのはやめてくれる? そんなんじゃないから。
僕だって、BLの趣味はないよ」
いつの間にか来ていたライトの言葉に、エイルとクレハが抗議する。
うわー、何処かのBLカップルを見ているみたいだー、とは、璃王の感想だった。
何処かのBLカップル。 それは、言わずもがな、弥王とグレアの事である。
弥王とグレアが絡んでいると、普段の弥王の外見も相まってBLカップルの様にしか見えないのは致し方ない。
「あの……アリスって何です?」
レナの言葉に聞きなれない単語があった為、弥王は誰に問うでもなく訊いた。
ザワ……っ、と暖炉が付いている筈の部屋が冷えていく。
何か失言をしてしまったかな?と考えていたら、あちこちからヒソヒソと声が聞こえた。
「気に入られてるクセにアリスを知らないだなんて……」
「あの子、嘘でしょ?」
「この学校に来て一番に教えられる常識を……」
よくは聞こえないが生徒の様子からすると、それを知らないのは禁忌らしい。
清々しいほどに非難轟々である。
あー、こういう面倒臭いシステム、ここの学校でもあるのかよ……。
弥王は頭を抱えた。
弥王と璃王が高等学校を卒業したのは、去年の4月だ。
弥王と璃王は4年間、王立のスカレーター式の学校に在籍していた。
その時も禁忌やその学校ならではの習わしなど、面倒臭いことが多々あったのだ。
所謂「伝統」と言うヤツだ。
「あぁ、ごめん、教えるのを忘れてたね。
まぁ、彼らが勝手にそう呼んでるだけで、基本的に僕らは感知してないから、敢えて教える必要もないんだけど」
レナがヒソヒソと弥王に白い目線を向けている生徒を睨んでいるその隣で、ライトがそう前置きをする。
「まぁ、簡単に言うと、生徒会兼寮長の事だよ。
7年くらい前の生徒会に初の女の人が居てね。
生徒会兼寮長って長いわーって話だとかで、生徒の間で「アリス」って呼ばれ出したのが全校に定着した、って言うのが有力説」
「初の女の人……? じゃあ、今まで女の人が生徒会に入った事はなかったんですか?」
「まぁ、20年くらい前までは男子校だったからね、ここ。
時代が変わって「女の人も勉強して何が悪い!」みたいな風潮になったから、共学制を取り入れた……とか聞いた事あるよ?」
「へぇ」
クレハの話を聞いた弥王は感心したように言葉を漏らす。
「あと、アリスはパートナーを寮生の中から1人選ぶ事が出来る特権があるの。
所謂、寮弟ってヤツね」
「あぁ、あの有事に仕事を押し付けられる、悪く言えばパシリ要員」
レナの言葉に、クレハがげんなりとした様子で言う。
その寮弟とやらになった事があるのだろうか。
「そう言えばクレハとエイルはまだ寮弟が居ないんだから、ミオンちゃんとリオンちゃんにしちゃえば?」
「僕の理想は高いんだ。 並みの人間じゃ役不足だね。
……まぁ、弥音なら寮弟にしても良いけど」
「と言うか、クレハと相性が合う様な子なんかまず居ないでしょ」
クレハの言葉にレナは、呆れた様に肩を竦めるのだった。
―― ――
―― ――
それから、弥王と璃王はクレハとエイル、そして何故かレナに中等部の教室まで送って行ってもらい、その教室の前で別れる。
「名残惜しいけど……っ、また後でね、ミオンちゃん、リオンちゃん!」
「今生の別れじゃあるまいし、君は大袈裟すぎるよ」
弥王と璃王をぎゅうっと抱きしめながら、まるで今生の別れの様に言うレナに、クレハは呆れた様に溜息を吐く。
「じゃあ、また後でね。
放課後に迎えに来るから」
「あ、はい、よろしくお願いします」
クレハの言葉に、弥王は軽く会釈する。
実は先程の朝食の時に、弥王と璃王はクレハに校内の案内をしてもらう事になったのだ。
「じゃあね」
今度こそ、クレハ達と弥王と璃王は教室の前で別れた。
「あら、貴女達、編入生よね?
よくここが解ったわね?」
クレハ達と入れ違いで担当の教師が教室の前に来て、弥王と璃王を見つけるなり驚いた様に目を見開く。
校舎内はやたらと広く、初見では一人で教室へ辿り着けずに何処かで迷う生徒が毎年一人二人は現れる。
それなのに、弥王と璃王が教室に着いている事に驚いたのだ。
「生徒会の人たちが送ってくれました。
先程、先生と入れ違いで高等部の校舎の方へ行きましたよ」
「そうだったの。
えーと、貴女がミオン・コウナミで、貴女が……リオン・コウヤですね。
私は、貴女たちのクラスの中等部2年Aクラスを受け持っているガーベラ・バートンです。
宜しくね、二人とも」
弥王の説明を聞くと、ガーベラ、と名乗った女性教員が柔和な笑みを浮かべて物腰柔らかに言った。
@生徒会兼寮長
全校生徒を束ねる4人の代表者。
基本的に高等部の生徒から選出され、選ばれた4人は生徒と校長の橋渡し役をこなし、生徒の安全と快適な学校・寮生活を支援する。
生徒会は寮長が兼任しており、名前が長いから「アリス」と称されている。
アリスには、そのサポート役として寮弟を選出する権利が与えられている。
生徒の間では、絶対的な権力者として、生徒から羨望と憧憬を寄せられる存在。