Ⅹ.神南弥王-Mio Kônami-
私はずっと、いつまでもあの日常が続くのだと思ってた。
両親と姉と兄と君とずっと一緒に居て、
何も変わらずにただ幸せな日々を過ごすのだと信じて疑わなかった。
あの場所に還って王位を継承して、王座の上で王冠を被るまで私は死ねない。
それを本気で誓ったのは、君と共に彼女に拾われたその時──。
弱虫だった僕は、ずっと変わらずにあの日常を過ごすのだと思っていた。
両親と君の姉と兄と君と、
ずっと変わりなく笑って過ごすのだと信じて疑わなかった。
あの日々が壊れた時、弱虫だった僕は死んだ。
あの場所に還って、君の隣で君を守り通す。
君が望む死を迎えるまで、僕は死ねない。
たとえ、その足元に幾千の屍を積み上げても。
それを誓ったのは、君が“君である事”をやめた、その時──。
「──という訳で、エデンカンパニーは陥落。 少年らは、何者かの襲撃を受けた時に全滅してしまったらしく、残っていたのは義理の娘と息子のサン・エデンとジン・エデンだけだった。
彼等は今、医務室にてロランの治療を受けている。
サンの方は擦り傷などの軽傷で済んでいるものの、ジンの方は容体が悪く、彼が研究していたという解毒薬ができるまで、血清や輸血等の処置でやり過ごす事になるそうだ」
璃王は、裏警察の本部に帰ってくると、まず、サンを医務室へ連れて行き、その足で執務室へ行くと、グレアに任務の報告をした。
璃王の報告に、グレアは「神南は?」と弥王の容体を訊く。 弥王が倒れたと聞いて、心配をしていたのだ。
そんなグレアに、璃王は答える。
「弥王なら大丈夫だ。 気を失っているだけ。
今は自室で眠らせて、アスが介抱している。
初めて使った力に体が耐えきれなかったみたいだな。 最後は無意識だった様だ」
璃王の報告に、グレアは感心した様な感嘆の声を漏らす。
「ほう。 初めて会った時から彼奴は、タダ者じゃない感じはしていたが……幻奏者だったよな?
ここ2~3年で伸びてきていたからな……。
それに、幻奏者は呪幻術師と違って、突発的に成長するらしいから、任務中にどんな力が目醒めても不思議じゃない。
特に神南は、追い込まれると覚醒するタイプだから、尚更な」
璃王からの報告書に目を通しながら、グレアは弥王の力に興味を示す様に言う。
元々、弥王の力は普通の訓練や鍛錬で覚醒する物ではないらしく、璃王が高度な呪幻術を扱える様になっても、弥王はO.C.波以外、何の能力の兆しもなかったのだ。
グレアの後半の言葉は、璃王によって否定される。
「いや、おそらく、今回は──」
「うわぁぁぁああっ!!」
璃王の言葉を遮る様に、突然、弥王のけたたましい叫び声が聞こえてきた。
何かに怯えているような、取り乱している声。
それが聞こえてきたのは、それっきりだった。
「弥王!?」
璃王は報告を投げ出してすぐさま、弥王の部屋へと駆ける。
璃王の素早い行動に一瞬目を丸くしていたグレアも立ち上がって、璃王の後を追った。
―― ――
―― ――
──暗い、暗い部屋。 冷たい床の感触、焼ける様な喉の痛み。
身体中に付いた傷が疼いて、体が熱を帯びた様に熱い。
あぁ、これは夢か。
なんて悪趣味な夢だろうか。 今更、こんな昔の夢を見るなんて。
それを考えた時、弥王は首を振る。
――そうか、過去を清算する為の夢か。
自分達を苦しめ、自分に屈辱を味わわせた、あの外道な男は死んだ。
他でもない、自分が殺した。 この手で。
彼の養子と言う者の目の前で。 身を焦がすほどの復讐心に囚われるままに殺した。
それを清算する為の夢だろうか。
何年ももう、この過去に苦しめられた。
そこに誰もいない、暖かいベッドにセキュリティが万全な王宮で寝泊まりしていても、裏警察に連れて来られて、そこに住んでいる今でも、寝る時は枕の下か手元に銃を持っていないと眠れないし、人の気配がすると目を覚ましてしまう。
深い眠りに就けたひと時は、今までなかったのだ。
忌まわしい過去の夢が、走馬燈のように流れる。
コマ送りされていく記憶の中に、まるで先ほどのサンとジンの様な、あの日の自分達が映っていた。
殺戮の為だけに潰される声。 日毎に傷付いていく癒えぬ体。
幸いだったのは、精神まで壊れなかったことくらいだろうか。
幸い、弥王は幼いながらに、精神力は下手な大人よりタフだった。
それも、璃王が一緒に居たから。 それと、断片的にある前世の記憶のお陰で、精神力は大人に近いものがあるから。
だから、地獄の様な日々にも耐えていけたのだ。
これがもし、前世の記憶もなくこんな状態に放り出されたのだとしたら、幾ら璃王がいても耐えられなかっただろう。
記憶の中のエデンの声が鮮明に聞こえる。 弥王に人体実験を施した主犯だ。
『O.C.波は、声が低ければ低いほどに殺傷能力があると聞く。 癒しの歌など必要ない。
今日からお前が歌うのは、殺戮の歌だ』
感情も温度も感じられない、ただただ無機質な声。
鼓膜の奥に張り付いて、離れない声。
エデンの手が伸びてきて、弥王は思わず叫んだ。
『うわぁぁぁぁああ!!』
―― ――
―― ――
「神南ッ!?」
グレアは弥王の自室の扉をバンッ! と大きな音を立てながら開けると、弥王を呼びながら部屋に入る。
それと同時に、璃王とサン、明日歌もバタバタと慌ただしく部屋に入った。
ベッドの上には、シーツで身を包んで、何かに怯えている様に体を震わせている弥王の姿がある。
「だ……誰……?」
弥王は、怯えた様なか細い声を震えさせながら、どうにか問う。
どうやら混乱している様で、そこに誰がいるのか解らないらしい。
グレアは弥王に近付いて、努めて穏やかな声で言った。
「──グレアだ。 お前の上司の……」
グレアは、シーツの隙間から覗く弥王の目にぎょっと目を見開く。
シーツの隙間から覗く弥王の目の色は、いつもの緑の目ではなくて、緋色だった。
「っ!? どうしたんだ、神南?」
「触るなっ!」
グレアは、弥王の目を確認しようと手を伸ばす。 が、次の瞬間には、部屋にパァン!と乾いた音を立てて、弥王はグレアの手を払い、後ずさった。
払われた手を一瞥して弥王を見ると、弥王は尋常でない程、怯えている様に見える。
「私に……、触るな……っ!」
「弥王!」
呻く様に吐き出された拒絶の言葉に、グレアは言葉を失う。
グレアがショックを受けるのも当然の事だろう。
今まで、弥王の事は璃王と等しく弟のように見てきていたのだから。
そんな子に拒絶の言葉を吐かれて、正直、出てくる言葉などない。
そんなグレアを押し退けて、璃王は弥王に近寄ると、ベッドに腰掛けた。
「弥王、大丈夫だ。 ここは実験室じゃない。
裏警察の君の部屋で、ここに彼奴らは居ないから……。
ここに居るのは、君の上司と仲間だ。
皆、君を心配してる。 僕もだ」
璃王は、諭す様に弥王に話しかけると、シーツの隙間に手を伸ばして、弥王の頭を撫でる。
「もう、大丈夫だから……」
「璃王……」
璃王の呼びかけに我に返った弥王は、シーツから顔を出すと璃王を見た。 そして、ゆっくりと辺りを見回す。
黒と紫の家具が置かれている部屋に、心配そうに此方を見る、三人。
「……オレ……」
落ち着いたのか、呟いた弥王の左目は再び、いつもの緑色の瞳に戻っていた。
「お……おい、神南……だよな……?」
不意に、グレアが愕然としたような言葉を落とした。
次の瞬間、その顔は、何処か頬が紅潮しているように見える。
サンと明日歌も、口に手を当て、目を見開いていた。
「な……何だよ、三人とも……?
まるで「おい、足が消えかけてるぞ」とでも言いたげだな?」
弥王は、目を見開いて自分を注視するグレアを睨む。
睨まれている本人はそれどころでなく、今見えている現状の理解が追い付かない。
璃王はふと、視線を弥王の首から下に持って行った。
すると、本来、男ならばあってはいけないモノがあった。
というより、弥王の姿は普段の弥王のそれではなく――。
「おい、弥王……お前……」
璃王が、徐に口を開いた。
「……外見操作、解けてるぞ」
「え……?」
璃王の言葉に弥王は、視線を自分の体へ向ける。 すると、はだけたシャツの隙間から、谷間が見えた。
もっと言うなら、弥王の胸部が膨らんでいた、とでも言おうか。 しかも、中々のナイスバディである。
それだけでなく、弥王の髪は普段の紫みを帯びた黒のストレートヘアーでなく、ブルーマロウのウェーブが掛かった長髪になっていた。
それは、何処からどう見ても「少年」ではなく、紛れもなく「少女」の姿――。
「くぁwせdrftgyふじこlp~~~~!?」
弥王は、言葉にならない声を上げ、慌ててシーツを纏う。
グレアと明日歌とサンはただ、呆然としていた。
特に明日歌に至っては愕然と、の方が正しいのかもしれない。
え、ナニコレ? 彼は男の筈だったが……どういう状況だこれ。
弥王以外の人間が混乱する中で、璃王だけは困惑もなく、ただただ頭を抱えていた。
軈て、グレアが口を開く。
「神南……お前……」
グレアは、言葉を躊躇った。
きっと、これはドッキリだ。 ドッキリに違いない!と思いたかったのだ。
もしくは、自分の都合の良い夢か何かか。 だが、鼻孔を微かに掠める、弥王の部屋に充満している男性用の香水の微かな香りが、踏みしめる床の感覚が、これは夢ではないことを告げている。
そして、そんなグレアの言葉の続きを引き取ったのは……。
「弥王は女だ」
璃王だった。 弥王以外の全員が、璃王の言葉に驚愕する。
今まで、男の子だと信じてきていた彼は、実は女の子だった。
それ以上の衝撃があるだろうか。
「弥王の正体がバレた以上、もう隠してはおけねぇよな……話すぞ、弥王……いや、ミオン」
璃王は、降参した様に肩を竦めた。
こうなっては、もう隠し通しておくことはできない。
幾ら、弥王の希望で正体を隠していたとはいえ、もう姿を見られてしまったのだ。
今更、隠し通せる筈がない。
璃王の問いかけに、弥王は力なく頷いた。
「俺達の事を話してやるよ」
そう言って璃王は、溜め息を吐く。 そして、口を開いた。
「俺と弥王は、公爵や女王陛下達も知っている様に、グラン人じゃなくてイリア人だ。
そして弥王は、8年前に全滅したイリアの王家、ルーン家本家の娘、ミオン・セレス・ルーン。
俺は、ルーン家の近衛家令で呪幻術師の家系、桜の一族と呼ばれてる一族・ヴェルベーラ侯爵家の──」
「待て」
抑揚もなく、淡々と話す璃王の言葉を遮って、グレアは制止をかけた。
少し、疑問に思ったことがあったのだ。
話を突然遮られて、璃王は眉を顰めて訝しげにグレアを見る。
「ヴェルベーラ侯爵家に生まれたのは、女子だと聞いたが?」
訝しむ様にグレアは、璃王を見た。
自分の聞いた情報と、目の前の少年が言っている話に食い違いがあるのだ。
自分がヴェルベーラ侯爵の子供だというなら、女でなければ話が合わない。だが、自分の目の前にいるのは、どう見たって少年だ。
そこまで考えたグレアは、以前、自分が考えた仮説が頭を過ぎった。
そして、璃王は呪幻術師だ。
それも、高度な闇属性も使いこなす呪幻術師だから、外見の操作など容易いのだろう。
璃王の能力的に考えるなら、彼の話には全く矛盾がなくなる。
そんな事を考えるグレアを一瞥して溜め息を吐くと、「やれやれ」と璃王は頭を振る。
「これだから、グラーノは話を聞かない、と言われるんだ。まずは人の話を聞け。
──だから、女だろうが」
璃王は、緩く締めていたネクタイを更に緩めて、第2ボタンを外し、パチン、と指を鳴らす。
すると、平らだった筈の璃王の胸板が膨らんで、男性的なシルエットから女性的なシルエットへと姿を変えた。
こちらも、中々にナイスバディーである。
外見補正を全て取り払ったのか、顔付きも違って見える。
上目がちな大きな目と柔らかそうな頬は、先ほどの少年の姿とはまた異なって見えて、本当に同一人物なのかと思う。
「ほら、これでも信じられねぇ?
何なら、下の方も確認しますか、公爵さん?」
グレアを試す様に挑発めいた微笑を向ける、璃王。
普段、冗談をあまり言わない様な璃王が言うと、冗談に聞こえない為、色々な意味で怖い。
しかもその笑みは、上目がちなクリっとした大きな目と隻眼も相まって童顔ながらも妖艶で、一瞬でも、グレアは呆然と見惚れてしまった。
いつかの夜会の時とはまた、違った雰囲気だ。
「い、いや、結構だ!」
ハッと我に返ったグレアは、急いで目を反らした。
いかんいかん、これ以上女関係で変な噂が流れるのは、御免被りたい。
ただでさえ、「ロリコン・シスコン・女誑し」などと言う、不名誉なレッテルまで貼られているのに。
そんな事を考えているグレアを、璃王は鼻で笑った。
「ふはっ、冗談だ。
で話を戻すが、俺はヴェルベーラ侯爵家の娘として呪幻術を習いながら、ミオン達と兄妹の様に育てられた。
まぁ、グラン帝国の王族に名を連ねる公爵なら、ルーン家の家族構成は知っているだろう。
ミオンには上に8つ違いの姉と兄が居て、俺もよく、可愛がってもらっていたよ」
璃王は、遠くて近い日々へと思いを馳せる様に、目を閉じる。
―― ――
―― ――
それは、今から8年前。 まだ、弥王と璃王がイリアに居た時の事だった。
「リオン~、リオン~♪ 俺のマイハニー♪」
そんな事を言いながら、紫みを帯びた背中くらいの長い髪に、黒に近い緋色と藍色の瞳の少女、璃王──この時は、リオン・ヴェルベーラ──に抱き着いたのは、13、14歳くらいの少年。
赤紫の髪に青い目の彼は、人懐っこい笑みを浮かべている。
彼に呼ばれても、リオンは依然として、本に目を向けたままだ。
「抱き着くな、マオ。 あと、誰がマイハニーだ、ロリコン」
リオンは、抱き着いてきた少年──マオ・ルーンに見向きもせず、呪幻術の本に目を向け、冷たく言い放った。
この時のリオンは、猫呪の影響が強く出ており、懐いた人間には物凄く甘えてくるが、懐いてない人間には冷たい態度を取る・気分の移り変わりが激しいなど、猫のようなところが多々見られていた。
王宮で過ごす様になって3年経った今でも、ミオンとその姉、キオ・ルーンには懐いているが、マオにだけは、機嫌がいい時にしか寄り付かなかったのだ。
「ミオン~。 リオンが冷たいよ~」
マオはリオンから離れると、ブルーマロウの髪に青と緑の目の少女に抱き着いた。
機嫌が悪いリオンにしつこくし過ぎると、呪幻術でえらい目に遭わされる。
それは、この3年でマオが学んだ事だった。
「それは、兄貴に興味がないからだよ」
真顔でさらっと毒を吐く少女──弥王。この時はまだ、ミオン・セレス・ルーンだ。
ミオンは、帝王学の本を読んでいた。
ミオンはリオンとは反対に、先祖返りで前世の記憶を断片的にではあるが有している為か、まるで某少年誌の小さな探偵ばりに大人びている。
「酷いなー、ミオン~。 にーちゃん、泣くぞ」
「勝手に泣いてろ、ロリコン兄貴」
グサッ、と、ミオンの毒に胸を貫かれるマオ。 マオは意気消沈し、ミオンの隣でキノコ栽培機と化した。
可愛い妹に三度までも冷たくあしらわれたのだ。ショックを受けない筈がない。
何なら、今日はこのまま立ち直れないかもしれない――と思った時だった。
そんなマオの頭を、誰かが殴った……フライパンで。
「マオ! サボってないで、手伝え!」
かなり気の強い少女の声が聞こえ、マオは目に涙を溜めて、頭を手で押さえながら、後ろを振り向く。
そこには、自分と同じ容姿の少女が立っていた。
「キオ! いた──」
「キオ姉!」
マオの言葉を遮って、ミオンとリオンは、年相応の嬉しそうな笑顔を浮かべて、キオと呼ばれた少女に駆け寄って抱き着く。
そんな二人を、慣れた手つきでキオは抱き留めた。
えぇ!? 姉弟でこの差は何!? とマオは思うが、それはフライパンで殴られた後頭部の痛みにより、言葉にならなかった。
キオはマオの双子の姉で、ミオンの姉である。
「ミオン、リオン~! あと少しでご飯の準備ができるってリリーが言ってたから、待っててね~」
キオは、ミオンとリオンの頭を撫でた。
自分よりもかなり年下の妹たちが可愛くて、キオは、ミオンとリオンにはとても甘い。 双子の弟であるマオにはかなり辛辣ではあるが。
撫でられているリオンは、撫でられるのが好きなのか、もっと撫でてくれとでも言わんばかりに仔猫の様に頭をキオの手に擦り寄せる。
「ふふふっ、本当にリオンは撫でられるのが好きだよね」
キオがリオンの髪を梳く様に撫でると、指の間からするりと髪がすり抜ける。
「だって、キオ姉の手、暖かいもん」
「私もキオ姉に撫でられるの、好きー♪」
リオンとミオンが、満面の笑みで言う。
ウチに来て、リオンはよく笑う様になった。 王宮に来た頃が嘘の様だ、とキオは安堵する。
リオンはとある事情から、女王の配慮で家族共々王宮の一つであるオルテンスィア宮に移り住んでいた。
そんな事を考えていたキオは笑うと、手を離す。
「俺もミオンとリオンを撫で――」
「お前は私の手伝いだ。
さっき、依頼が来たから行くよ」
ミオンとリオンに抱き着こうとしたマオを引き摺って、キオは元来た道を戻っていった。
その間でも「俺の可憐な妹たち~!!」とか言いながら遠ざかっていく。
これで、キオと共に天才死宣告者と言われているのだから、信じられない。
私生活では、双子の姉に引きずられ、ミオンとリオンに対して全開のシスコンぶり。
到底「大人顔負けの中級死宣告者」の様には見えないだろう。
「リオン! そう言えば今日、誕生日だったね!
おめでとー」
「それはミオンも同じでしょ。
誕生日一緒なんだから。 プレゼントあげる」
嵐が去った後、ミオンはリオンに笑いかけて誕生日の祝いの言葉をリオンに掛ける。
つられてリオンも笑うと、自身が読んでいた呪幻術の指導書から栞を取り出した。
その栞は、ライラックを押し花にした可愛らしい栞だった。
「はい」
「えっ、いいの?」
栞をミオンに渡す、リオン。
その栞は、リオンがいつも使っていた物と同じ物だった。
「いつも見てたでしょ。 呪薬作るついでにできたから、あげる」
リオンが微笑むと、ミオンは栞を受け取った。
リオンは、ミオンがよく、自分の栞を見つめていた事を知っていたのだ。
この頃のリオンはまだ、意識的に読心術を制御する事が出来ない為、周りの人間の意識や思考がリオンに駄々漏れだった。
それは生まれつきのもので猫呪の影響だろう、という事は自分を診ている医者である、フィア・デュラン・ハースト公爵夫人から聞いている。
その為にリオンは、ミオンが栞を欲しがっていた事を知っていたのだ。
「ありがとう、大切にする!」
栞を受け取ったミオンは笑った。
―― ――
暫く、リオンとミオンは読書に明け暮れていた。
全力で遊ぶよりも静かに本を読んでいる方が好きな二人は、大抵いつも一緒に居ても本を読んでいる。
二人が読んでいる本は、大抵、ミオンは歴史書や帝王学に関する本、リオンの方は、呪幻術に関する本だ。
二人とも、次期女王候補とヴェルベーラ侯爵家の次期当主の為、この頃から少しずつ厳しく教育されていた。
「……何か来る……」
不意に顔を上げたリオンが、立ち上がって呟いた。
その顔は少しだけ強ばっており、その気配が「よそ者」だと感知している。
耳には、不穏な音が微かに通り抜け、鼻腔を通る風は、微かに硝煙の臭いを運んでくる。
そんなリオンの様子に、異変を察知したミオンも本を閉じて、立ち上がった。
唇をキュッと結び、リオンの手を握る。
「ミオン、リオン!」
少し離れた所から、キオの声が聞こえた。
死宣告者としての依頼に行っていた筈の彼女が、血相を変えてこちらに向かって走ってくる。
ミオンの手を取ると、キオはオルテンスィア宮へ向かって走り出した。
ミオンに手を握られていたリオンも、つられて走り出す。
「キオ姉? どうしたの?」
走ってきたキオに腕を引っ張られながら、ミオンはキオに訊ねる。 しかし、キオは何も言わずに、ミオンとリオンをただ引っ張って、離宮へと連れ帰った。
訳が解らないまま、ミオンは隣で併走しているリオンの顔を見る。
その顔は、先程よりも険しい物となっており、時折窓の方を注視している。
この状況をよく解っていないのはどうやら、自分だけらしい。
軈て行き着いた奥の部屋に、ミオンとリオンと入っていくと鍵を掛け、二人の背丈までしゃがんで言った。
「暖炉の底の一番奥に隠し扉があるから、そこから逃げなさい。
一本通路を走っていくといつもの森に出るから、あとは街を目指して行くのよ。
街に行ったら、エドゥアルド卿を探しなさい。
――解った?」
「キオ姉……は?」
キオの言葉に頷きながら、ミオンが不安げに言った。
その言葉ではまるで、自分はここに残るとでも言っているようじゃないか。
何が起こっているのか、状況は分からないが、不穏な空気は分かる。
キオは不安げに自分を見上げてくる、二人の妹たちに微笑んだ。
「大丈夫よ、直ぐに後を追いかけるから」
キオは、ポケットから包み紙を取り出すと、リオンとミオンに1つずつそれを渡した。
それは、紅葵と紫陽花の髪飾り。
ミオンとリオンはそれぞれ、それを受け取ると、嫌な予感を払拭する様にギュッと握り締めた。
「リオン、ミオン。 誕生日、おめでとう」
それだけを言うとキオは、二人を暖炉に押し込んだ。
それと同時に扉が破壊され、バタバタと数人の大人が入ってくる足音だけが聞こえた。
「走りなさい!」
キオは両腰のホルスターから2丁の銃を抜き、二人にぴしゃりと言い放つと、大人達に立ち向かっていった。
「キ……ッ、キオ姉ッ!」
「リオン、早く!」
チラリと大人達の姿が見えたミオンは、状況を理解するが早いか、リオンの手を引いて暖炉の奥の隠し扉を開けると、ミオンはリオンをその中へ押し込んだ。
その後で自分もその中へ入ると、扉を閉めて鍵を掛ける。
「大丈夫、お姉は強いから!
この前のフェンシングの大会で、副団長のレンツィアさんに勝ったんだよ?
あんな奴らに負けるワケないじゃん!」
リオンを励ますように努めて明るい声で言っているミオンだが、彼女が泣き出しそうな事は表情を見なくても解っている。
繋いでいる手が、明るく吐き出されている筈の声が、震えているから。
きっと、一人なら泣いてしまっていただろう。
女王になるなら、自分の傍で仕える人間をまず、安心させて守りなさい。
歌声はその為にある、と言うのは、日頃から母親に言い聞かせられていた事。
それは、自分に教育を付けている家庭教師からも言われていた。
そして、断片的にあるユリアとしての記憶に焼き付いている事――。
だから、今、この場にいるリオンを安心させて、守らなくちゃ。
そうだ、この間の騎士団主催のフェンシング大会で、キオ姉はレンツィアさん――リオンの父である神谷璃蓮の腹心の部下であり、リオンの呪幻術の師匠であるレンツィア・ナポリターノにギリギリではあるが、勝ったのだ。
そんなキオ姉が、負ける筈がない。
ミオンは、嫌な想像を振り切るように出口を目指して走っていった。
―― ――
―― ――
「ミオン、リオン!」
地下通路を抜けて森へ出た所で、二人を呼ぶ少年の声が聞こえた。
急いで振り返ると、マオがこちらへ向かって走ってくるのが見える。
その姿に安堵したのも束の間、マオが近付いてきて、その姿を見たリオンとミオンは絶句した。
マオは全身血塗れで、その左手には剣を握っている。
「マ……マオ! その血……!」
やっと、リオンの口から、驚愕とも恐怖とも取れる言葉が出てきた。
身内の血塗れの姿を見るのは、これが初めてだったのだ。
騎士団の団長を務めている父親も、死宣告者をしているキオもマオも、普段はどれだけ自分たちに血を見せない様に気を使っていたのかが良く分かる。
「あ? あぁ……これ、返り血な。
俺自体は至って無傷さ!」
カラカラと笑いながら、マオは血の付いてない手でリオンを撫でた。
本当に何ともないようだ。
しかし、そんな何でもないような態度のマオとは逆に、ミオンとリオンはゾッとする別の種類の恐怖を感じた。
マオとキオが「手っ取り早く力を付ける為」と称して、死宣告者をしているのは知っていた。
しかし、キオもマオも、それを普段は悟らせないように明るく振る舞っているので、二人が死宣告者をしている事は半ば信じられなかったのだ。
だが、今ここで血塗れになって笑っている所を見ると、相当慣れている事が窺える。
ミオンとリオンはそれに戦いた。
「それ、笑って言う事じゃない!」
やっと出てきた、呆れた様なミオンの言葉に、マオは苦笑する。
そして、顔付きを真面目な物へと変えると、マオはミオンとリオンに背丈を合わせ、言い聞かせるように言った。
「お前らはこのまま走って、ユリア教会へ行け。
確か今日は、エドゥアルド卿とスィカーが来ていた筈だ。
何度も行ってるから、道は解るよな?」
「わかるけど……マオは?」
「大丈夫、後で教会で落ち合おう」
不安そうなリオンとミオンの頭を撫でると、マオは近付いてくる足音の方へ向かって走り出した。
嫌な予感と共に遠ざかっていく背中は、不思議と大きく見えて。
これが、マオと会う――否、二人と会う最後なのかもしれない、と漠然と考えてしまった。
マオが走っていったのを見送ると、ミオンはリオンの手を引いて、街への道をひたすらに走っていく。
キオが追い掛けてこない事を考えると、嫌な想像が頭を過ぎるが、ミオンはそれを振り切るように走る。
――大丈夫。 二人とも、とても強い人だから。 この胸騒ぎだって、杞憂……。
ただひたすらに、ミオンはそう自分に言い聞かせる。
リオンは、遠くで微かに、だが確実にこちらに近付いてきている気配に耳を澄ました。
この足音は、キオとマオの物じゃない。
キオとマオどころか、私騎士団の人たちや自分の両親・王配殿下の物でもない。
「ミオン!」
リオンは、ミオンの手を取ったまま、別の方向へ走った。 手を繋いでるミオンは自分につられて、一緒に木陰の中へとダイブする。
「リオン……?」
「しッ。 足音が聞こえる。
しかも、キオ姉達のじゃない」
リオンはミオンの口を手で押さえると、注意深く自分たちが来た方角を木陰から凝視する。
遠目に何人かの黒い服を着た人物が歩いてきているのが見えた。
私騎士団の服の色は紅紫に黒の服なので、一目でそれが私騎士団の人間でない事が分かった。
そもそも、私騎士団の人間も特務騎士団の人間も今日に限って皆、任務中の筈だ。
「数は……4人か。 それなら、呪幻術でどうにか撒けそうだ」
リオンは呟く。
今、ここで現状をどうにかできるのは、呪幻術が扱える自分だけだろう。
――剣術も、お父様から習っている。 呪幻術だって、私騎士団で一番の実力を持つ副団長であるレンツィア様から手解きを受けている。
いきなり実践になるのは少し不安。 だけど、やらなきゃミオンも僕も終わりだ。
まだ、ミオンと話したいことが沢山ある。
それに――……。
リオンは、ミオンに向き直った。
「ミオン……僕が彼奴らを散らす。
その間に少しでも遠くに逃げて」
「リオン、バカな事言わないで!
一緒に逃げよう? 教会までもうすぐだよ!?」
リオンの提案にミオンは、思わずリオンを怒鳴る。 先程から、胸騒ぎを感じている。
恐らく、キオとマオにはもう会えないのだろうと、ミオンは直感していた。
一気に兄姉を失った挙げ句、リオンまで居なくなったら……と思うと、ミオンは呼吸が止まりそうになる。
大切な人を失うのは、もう二度とない事でありたいと思っていたのに。
いつだって、大切なものは突然、手からすり抜ける。
あの時も、突然だった。
朧げな前世の記憶までも脳裏にちらついて、いつの間にか涙が零れていたらしく、ミオンの涙をリオンが袖で拭った。
「大丈夫、僕はレンツィア様からちゃんと呪幻術を、お父様から剣術を習ってるから……。
僕が死ぬワケない。
前、ミオン言ってたよね?
『死ぬとしたら、王座の上で王冠被ったまま死にたい』って」
前、家庭教師の授業中に、ミオンが言った言葉。
“この国の女王になる身として、どのような死を望みますか”と聞かれた時のミオンの回答。
それが「王座の上で王冠を被ったまま死にたい」だった。
その時は「カッコいいなー」としか思ってなくて、その覚悟のほども良く分かっていなかった。
“侯爵令嬢の方は如何ですか? ヴェルベーラ家の近衛侍女となられる身で、貴女が望む死はどのようなモノでしょう”
それを聞かれた時は、答えられなかったけど――。
「君がその通りに死ぬまで、僕は死なないから」
――それが、僕の答え。
「リオン……」
覚悟を決めたリオンの目は、いつもの弱々しさは何処へやら、強い覚悟の色を見せていた。
彼らと外れた呪いの所為で、親戚にいつも迫害されてきたリオン。
優しくて弱虫で泣き虫だったその面影は、今は無い。
騎士団長である父親とも、近衛侍女たる母親とも似たような凛とした表情で、まっすぐミオンを見ている。
リオンは、半ば呆然としているミオンをその場に残し、木陰から出ていった。
「リオン!」
リオンが出ていった事に一拍遅れて反応する、ミオン。
しかし、リオンはミオンの呼びかけに応答する事もなく、黒服の大人達に立ち向かった。
どうする事も出来ないで、ミオンはただ、幼馴染みが戦っている所を見ていた。
「いやだ……リオン……!
だってあたし、まだ……まだ、リオンとちゃんと話せてない……!」
意を決すると、ミオンも木陰から出ていった。
自分だけが守って貰うなんて、全くフェアじゃない!
リオンは自分の役目を全うしようとしているのだろうが、そんな昔の柵なんか、関係無い。
リオンとまともに話も出来てないのに、こんな所でリオンが居なくなったら嫌だ!
ミオンは、息を大きく吸った。
前歌っていたら、自分を連れ去ろうとした人が重傷を負った事を思い出したのだ。
恐らく、今回も同じ様に歌えばきっと……!
しかし、ミオンは歌う前に何者かに背後を取られ、そのまま意識を閉ざした。
「ミオン!」
リオンは、突然途切れたミオンの意識を感知して、急ぎ振り返る。
視線の先には、倒れたミオンが黒服の男に担がれている所だった。
その光景を見て、プツリ、と何かが切れたような感覚が頭に過る。
「ミオンを離せぇぇぇええっ!」
リオンは、怒りのままにミオンを担いでいる男へ突っ込んでいく。
しかし、ミオンが攫われる事に気を取られたリオンは、背後から撃たれた銃弾に脚を撃ち抜かれ、倒れた所を腹を蹴り上げられて、意識を無くした。
「ぐ……ッ、ミオ……ン……」
―― ――
―― ――
現在。
「それから俺達は、エデンカンパニーのボス……あぁ、当時はジャーダファミリーの研究員だったジョージ・エデンに攫われ、帰る術を持たなかった俺達は、ジャーダファミリーの殺戮人形として飼い殺される事になった」
目を伏せて、璃王は自分たちの過去を語る。
一旦言葉を切ると、弥王の様子を気にしたように弥王に一瞬だけ目を向けた。
「……その時……。
ミオンには、ある特異体質がある事が解った。まぁ、本人は前から解っていたみたいだが……」
「ある……特異体質……って?」
璃王が話を切ると、明日歌が続きを促した。
璃王は明日歌に目を向けると、言う。
「お前は知ってるだろ? ミオンの特異体質。
お前にもあるんだから」
「え……? まさか、それって……」
璃王の言葉に、明日歌はその体質がどんな物なのかを悟ると、言葉を詰まらせた。
璃王は、頷くと明日歌の言葉を引き取る。
「そう、それは、オンダ・カント――またの名を、O.C.波。
元々、ミオンの家系のルーン家の子女は、その力が強い傾向にある。
稀に俺の方の一族の家系にもその力を持つ人間が居るから、ある一定の年齢になったら、その訓練をすることが決められているんだ。
だけど、その前に俺達は拉致られたから、それを隠す術もなかった。
だから、その研究の為に、ミオンは実験台にされ、酷い扱いを受けた」
璃王は、きつく拳を握り締めた。
無意識に握り締められた指は、掌に食い込む爪によって紅く染まる。
救出されて6年経った今でも、あの時の事を思い出す度に、体の底から沸々と怒りが沸き上がってくるのだ。
―― ――
―― ――
8年前。
手術室のような部屋に、ミオンは居た。 何らかの手術をされたらしく、首には包帯が巻かれている。
その包帯には、痛々しく血が滲んでいた。
ミオンは、粗末な牢屋の様な場所で寝泊まりしていた。 正確には、そこで寝泊まりさせられていたのだ。
「おぇ……っ……ぇっ……」
ミオンは嘔吐きながら、運ばれてきた簡素な食事を無理矢理呑み込む。
ミオンの食事には喉を潰す為の薬が仕込まれている為、その筆舌に尽くしがたい酷い味に、ミオンの脳が危険信号を出す。
“これ以上は危険だ、食べるな”と。
しかし、これを食べない訳にはいかなかった。 と言うのも、食事を摂らないと、リオンが酷い目に遭ってしまうのだ。
それに、自由に外に出られるわけではないので、木の実を取って食べる・せめて水だけでも飲むという事ができない。
即ち、否が応でも食べなきゃ死んでしまうのだ。
ここで死ぬのは嫌だ。
そんな思いで、只管に自分の身体を壊す食事を無理矢理飲み込む。
ジャーダファミリーの研究室に攫われて、一週間。
ミオンはリオンを人質にされ、非人道的な人体実験を強いられていた。
「O.C.波は低い声であればある程、破壊力を増すという。
NOL02の命が惜しいのなら、従ってもらおう」
紅い髪に厳つい顔の科学者が言った。 そう、この科学者こそが、後のエデンカンパニーのボスである、ジョージ・エデンだ。
誘拐され、実験体となった時、ミオンとリオンにはそれぞれ、実験番号が宛がわれた。
ミオンは、《NOL01》、リオンは《NOL02》。
リオンは特にこれと言って使えそうな特異体質がなかった為、リオンはミオンを動かす為の人質として扱われ、ミオンは声質にO.C.波を持っていた為、一日の大半を研究と実験に費やされた。
人体実験と殺戮を繰り返される日々に、ミオンはひと月と経たない内に満身創痍となっていき、日毎に声も低くなっていった。
「ミオン……大丈夫?」
隣の独房に居る筈のリオンが、心配そうにミオンの顔を覗き込んで話し掛けてきた。
リオンは時折こうして、見張りの目を盗んでは壁に穴を開けて、ミオンの傍に寄ってくる。
少しの細い隙間なら、小柄なリオンはいとも簡単に入り込めてしまうので、穴を開けた壁は張りぼてで埋めてしまえば気付かれないのだ。
しかし、それで逃げだそうと試みた時は、直ぐに捕まってしまい、ミオンはより酷い実験を受ける事になってしまった。
それがトラウマとなって以来、リオンはここから逃げ出すことを諦めたのだ。
「うん、大丈夫だよ。 だから、泣かないで。
こんなの、何ともないから」
泣きそうなリオンの頭を撫で、ミオンは言った。しかし、実験で低くなってしまった声を聞くと、余計に泣けてしまう。
ミオンは、微笑みながらリオンの涙を拭った。
「良いチャンスだ。 このまま実験を続けていったら、100%彼奴らを出し抜ける。
私に力を与えた事を後悔する日が、必ず来る。 その時まで、待ってて……」
ミオンは、それが気休めにしかならないと知りながらも、少しでもリオンを安心させるように言った。
リオンを撫でながらミオンの目に映るのは、この日々からの脱却と、復讐――ただ、それだけ。
外の風景を一度見た事がある。 明らかに、異国の地だった。
ここが違う国なら、リオンの両親や自分の父親、私騎士団または特務騎士団、ドーディチファミリーからの救出は絶望的だろう。
異国に干渉するのは、アウラ条約で違反になるからだ。
ここから逃げたいなら、自分たちでどうにかするしかない。
その為にはまず、力を付けないといけない。
この施設を壊せるほどの力を――。
その地獄のような日々は、突然終わりを告げた。
それは、ミオンとリオンが誘拐され、二年が経った後の事だった――。
―― ――
―― ――
ジャーダファミリーに誘拐され、二年が経った、ある日。
その日は特に寒く、凍てつくような部屋の温度が体から体温を奪っていた。
寒さにミオンとリオンは体を寄せ合って、渡された粗末な毛布で体を包んで眠っている。
この頃には、リオンの独房からの脱走は既に研究員にはバレていて、寒さで凍死されても困るから、とリオンがミオンの実験室で寝泊まりする事は目を瞑られていた。
「もう、時間か……」
アラームに叩き起こされたミオンは、ゆっくりと毛布から出て、重たい腰を上げるようにのっそりと立ち上がった。
リオンはまだ眠っているようで、自分が出た事で崩れた毛布を整える。
そろそろ、奴らを出し抜けそうだな。
ミオンは、今日でこの日々に終止符を打つ事を決めて、部屋を出ようとした。
その時の事だった。
突然、敵襲を知らせるアラートがけたたましく鳴り響き、研究員達が騒然と行ったり来たりしているのが窓越しに見えた。
「小娘ごときに何をやっている!? すぐに排除しろ!」
喧噪の中で、ジョージ・エデンが怒鳴っている声が一際大きく聞こえてきた。
直ぐ近くに居る。
ミオンはいつの間にか起きてきていたリオンを庇うように、扉の前に立った。
銃に手を伸ばし、油断なく扉を見つめる。
すると、扉が乱暴に開けられ、ジョージ・エデンと数人の科学者達が部屋に入ってきた。
「とにかく、この実験台は貴重なサンプルだからな。
この二人と資料だけでも持ち出すんだ!」
「はい」
バタバタと部屋の中の資料をボストンバッグに無造作に詰めて行く研究者を眺める、ミオン。
すると、今度は別の足音が近付いてくるのが解った。
今までの研究者とは違う足音。
ミオンとリオンは身構えた。
「た、大変です! 奴が現れました!
グレイ・ゼ――」
慌ただしく部屋に入ってきた研究者が狼狽したように捲し立てるが、その研究者の言葉は最後まで紡がれる事はなかった。
背後から誰かに刺されたらしく、鮮血と共にサーベルの切っ先がその研究者の胸を貫く。
その研究者はドッサリとその場に頽れて、床に血溜まりを作った。
「うるっさいなぁ。 ボクの名前をそうギャーギャー叫ばないでよね」
頽れた研究者の背後から、まだ幼い少女の声が聞こえた。
研究者の背中からサーベルが引き抜かれ、背中を思い切り蹴られたらしく、その研究者は血溜まりの中に倒れ伏した。
ドシャッ、と血溜まりの中に肉塊が落ちる不快な音が、耳に響く。
その背後にいた少女の姿に、ミオンとリオンは目を見開いた。
まだ、自分たちと同じくらいか少し上くらいの幼い少女。
彼女は、血に濡れたサーベルを振り払うと、次の標的をその部屋にいた研究者へ向ける。
圧倒的な強さを前に、戦闘の技術のない研究者は為す術もなく、動かぬ肉塊へと姿を変えた。
「……一匹逃したか……まぁ、良いや。
本命は置いていってくれたようだし、それで良しとしよう」
少女は、血溜まりの中で立ち尽くし、部屋を見渡す。
振り向いてミオンとリオンの姿を確認すると、少女は頬に付いた血を手の甲で拭い去り、手袋を外して捨てた。
「これは、もう要らないや。 男の血が付いてるとか、気色悪いし」
ミオンとリオンは、目の前に居る少女を改めて見て、その神々しさに息を呑む。
白い肌に、月明かりを反射して光る銀灰の髪、髪と同色の鋭い瞳がとても印象的な少女。
全身を包む黒い服が、薄暗い部屋が、彼女の存在感をより強調させていた。
彼女はミオンとリオンに手を差し出して、言った。
「生きるか死ぬか……二者択一だよ。
選ばしてあげる。 好きな方を選びな」
ここから逃げられるなら、と、ミオンとリオンは少女の手を取った。
―― ――
―― ――
現在。
「女王陛下――あの時はまだ、王女殿下だな。殿下に拾われた俺達はその時、名前を、性別も捨て、男として生きる事を選んだ。
身分を偽って、いつか、国に帰る為に……国に帰る為に強くなる、その為には、この方法しかなかったんだ。
俺もミオンも、見る奴が見たら、身分が解ってしまう身の上だから」
「そんな……」
淡々と話す璃王の話を聞いて、明日歌は目に涙を溜めて呟いた。
幼い頃の二人は、どんな気持ちで今まで過ごしていたのだろうか、と考えると、胸が痛む。
サンも、璃王の話を聞いて泣きそうな顔になっていた。
「まぁ、それからは公爵の知っている通り、俺達が9歳の時に陛下に裏警察を紹介され、入隊しましたとさ」
璃王は、童話の最後を締め括るように話を終わらせた。
その後で、居たたまれない沈黙が流れる。
誰も、二人に掛けられるような言葉が見つからないのだ。
――グレアでさえ。
少し、明日歌の居る前で話すにはヘビーだったかも知れない。
しかし、何れバレる事なので、それなら一緒に聞いて貰った方が早い、と璃王は判断したのだ。
沈黙の中、グレアが口を開いた。
「……で、神南のその目は……」
「解らない。
俺も今日、初めて見たからな……。 ミオンの目が緋くなった所なんか」
話の最中で再び緋くなった弥王の目を見て、グレアが問う。
璃王は首を振った。
今まで璃王は、弥王の目が緋くなった所を見た事がなかったのだ。
「この緋眼は……多分、実験の副作用で現れるようになった物だと思う。
オレも詳しくは知らない。
いつの間にか出るようになったから。
どうも、キレたり、感情が悪い方へ高ぶると緋くなるらしい」
弥王が、ポツリと言葉を零した。
初めて目が緋くなったのは、裏警察として活動した時の初任務の後だった。
標的に罵詈雑言を浴びせられた為、それにブチ切れて完膚無きまでに潰した後、見え方に違和感があった為、部屋に戻って鏡を覗き込んでみたら目が緋くなっていたのだ。
ミオンは、三角に膝を折り曲げて座った。
「あぁ……オッドアイも嫌だけど、この目もなぁ」
自嘲するように呟くと、ミオンは俯く。
兄も姉も、父親譲りの綺麗なブルーの目なのに、自分だけがオッドアイだった。
髪の色も、両親とは違う。
自分がユリアの先祖返りで、生まれ変わりだと知った時に、周りは皆、納得して自分を敬うような態度を取ったけれど。
この外見の所為でいつも、疎外感はあった。
誰が掛ける言葉もなく、沈黙する。
不意にグレアがミオンに近付いて、ミオンの隣に腰を下ろすと、ミオンの頭を撫でた。
突然の事に驚いて、ミオンは目を瞠り、グレアを見る。
目の前には、優しげなインディゴの目があった。
「そうか……やはり、お前がミオンだったんだな、神南」
グレアの言葉に、弥王は驚愕の表情を浮かべる。 今の言葉は、グレアが弥王の正体に気付いていた事を証明していた。
「気付いていたのか?」
「夜会の時から、何となく……確証はなかったがな。
……よく、生きていた」
「グレア……兄さん……」
グレアの言葉に安堵したのか、弥王は無意識に幼い頃に呼んでいた様にグレアの名前を呟いた。
弥王は俯いたまま、新緑色と青玉色の瞳に涙を浮かべて、蹲る。
また、こうして、本当の自分として話す事が出来るとは思わなかったのだ。
グレアは、そんな弥王の震えている肩を抱き寄せると、その緩くウェーブが掛かったブルーマロウの長い髪を優しく撫でた。
その様子を、何処か感傷的な目で見つめる、璃王。
「……あとは、公爵に任せるか。
出ていくぞ、二人とも」
「「はい」」
璃王は、後はグレアに任せた方が良さそうだ、と判断し、明日歌とサンに静かに声を掛ける。
二人は静かに頷いて、璃王の後に続いて弥王の部屋を出た。
部屋には、グレアと弥王だけが残された。
彼ら――否、彼女らの波瀾万丈で切ない悲哀恋歌は、始まったばかりだった――。
@ミオンの家族構成
母・父・姉・兄(姉と兄は双子)
母=アルテミス・セレス・ルーン
イリア王国の女王陛下。
リオンの母親とは遠い親戚関係であり、幼馴染でもある。
父=神南弥月
アルテミスの夫であり、女王付きの死宣告者。
死宣告者として動く時は、「アルバート・ディンバー」と名乗る。
リオンの父親とは、大和にいた時からの腐れ縁。
何の縁か、イリアで再会する。
姉・兄=キオ・セレス・ルーン、マオ・セレス・ルーン
8歳年上のミオンの姉と兄。双子。
姉がキオで、弟がマオ。
「手っ取り早く強くなるため」と称して、死宣告者をしている。
キオは銃を愛用し、マオは手に持ったものが武器。
マオは気の強いキオに頭が上がらない……。
ミオンとリオン激love。
@リオンの家族構成
母・父
母=雪華・ベルヴェーラ・ヴァルフォア
女王の近衛侍女。戦闘狂。
アルテミスの幼馴染であり遠い親戚になる。
厳しくリオンに近衛侍女として・ヴェルベーラの次期当主になる後継ぎとしての教育を施すのと反対に、リオンを溺愛する。
寅呪を持っており、地と風の呪幻術師でもある。
父=神谷璃蓮
イリア王国私騎士団「紅蓮の七騎士」の団長にして、イリア騎士団団長。
弥月とは大和にいた時からの腐れ縁。
噂では、雪華に猛アタックして、決闘の末に結婚したのだとか……。
超愛妻家であり、重度の親バカ。