Ⅸ.緋眼
――夢を見ていた。
いつかの暖かな記憶の夢。
両親と、君と一緒に楽しく暮らしていた。
もう一度、あの日々を手に入れられるなら、オレは何だってすると、心に決めていた。
あの日から、僕が願ったものはただ、一つだけ。
それは、君の“幸福”――。
「ジン……双子の弟を、助けて……!」
サン・エデンは、弥王に助けを求めた。
何故かは解らない。 だけど、気が付けば助けを求めていた。
「この人なら、ジンを助けてくれる」と、根拠はないが、サンは思ったのだ。
もし、弟が殺されてボスが殺されても、この人に付いて行けば、悲しみも怒りも復讐心も……殺意でさえ、受け止めてくれるだろう。 それは、何の迷いのない新緑の目が、哀しいくらいに優しい穏やかな彼の風が、そう言っている気がした。
「約束はできない。だが、最大限の努力はしよう」
流れる涙を手でデタラメに拭うサンの頭を撫で、弥王は言った。
その声は、とても優しく。
サンの瞳に、微かな希望が宿った。
弥王は、サンにハンカチを差し出す。
「泣くのもいいけど、折角の美人が台無しだよ。
これで拭くといい」
「あり……がと……」
弥王に差し出されたハンカチを受け取って、サンは涙を拭う。
そんな二人の後ろで、明日歌がボソッと呟いた。
「何か気に食わねー……」
「あ……明日歌?」
明日歌の呟きが聞こえたらしい、弥王は急ぎ振り返る。
後ろでは、明日歌が不機嫌なのが仮面を被っていても何故か解った。
「何ですか、弥王様。 私というものがありながら、誰にでもそういう事を言っているんですか? 女王陛下にもデレデレしちゃって、王宮の取り巻きの女の人たちにもチヤホヤと……。
最終的には敵の女ですか。 何処まで守備範囲広いんですか、まったく。
大体、凶悪カンパニーの赤髪とハゲとパンチパーマは信じるな、と言う教えは何処行ったんですか」
(こいつ、リオルに餌付けされてる!?)
機関銃のように捲し立ててくる明日歌の後半の言葉に、弥王はそんな事を思った。
リオル、明日歌に変な事吹き込むなよー! 弥王は、任務から戻ったらエリオールをギッチギチに締めよう、と思う。
そもそも、その敵カンパニーの赤髪の女に騙されまくったのも、ハゲとパンチパーマに騙されたのもお前じゃねぇかー!!
そんな事を思っていると「弥王ー」と、璃王に肩を叩かれた。
「お前の周り、女関係が泥沼化しそうだなぁ。
この調子じゃあ多分、最期は戦場じゃなくて女関係じゃね?」
璃王の表情を見るに、明らかに弥王の現状を楽しんでいる様に見える。
そんな璃王に、弥王は呆れた様に言った。
「お前なぁー。 オレは別に――」
「何をしている?」
弥王の言葉を遮る様に、不意にこの場にいない低い男性の声が聞こえた。
その声に、弥王は急ぎ振り返る。
その姿を見た瞬間、弥王と璃王は目を見開いた。
「あぁ……っ!?」
弥王と璃王の口から、愕然とした小さな声が漏れた。
視線の先には、灰色の短髪に顔の左側を包帯で覆っている、白衣を着た中年くらいの男が立っていた。
――ドックン、ドックン、ドックン。
心臓が、今まで立てた事もないような音を立てながら、胸を叩く。
それに比例するように、嫌な汗が背中に流れた。
二人の脳裏には、幼い頃の記憶が鮮明に蘇る。
男は、弥王と璃王に目もくれず、サンを睨む様に見て、言う。
「侵入者を消せ、と言っただろう」
威圧感を込めてサンに言うと、男は動揺して固まっている弥王と璃王に視線を向ける。
少し間を置いて、男は思い出したかの様に「あぁ……」と呟いた。
「誰かと思えば……。
8年位前、ジャーダファミリーで実験台兼殺戮人形になっていた、NOL-01とNOL-02じゃないか」
「え……っ!?」
男の言葉にサンと明日歌は、弥王と璃王に目を向ける。
サンは、驚いた様に声を上げた。
弥王はと言うと、額に脂汗を浮かべて、男を凝視している。 心臓がのた打ち回る様に脈打って、呼吸が短くなってきた。
脳裏には、忘れたくても忘れられない、地獄の様な日々を過ごしたあの記憶が浮かんでくる。
男の言葉は、まだ続いた。
「あの忌まわしき小娘のおかげで、死んだものと思っていたが……生きていたか」
全身が震えて、弥王は込み上げてくる吐き気で口元を抑える。 立っていられなくなり、壁に背中を預け、その場に頽れた。
「ゲホッ、ゲホッ!」
「弥王様!?」
喉に有りもしない異物感を覚え、それを吐き出す様に激しく咳き込む弥王に、明日歌は心配そうにその顔を覗き込む。
過去の記憶がフラッシュバックして、頭がどうにかなりそうな程痛い。
薄暗い実験室、夥しい量の血、代わる代わるやってくる白衣の研究者……。
断片的な記憶が幾つも流れてくる。
その時には、明日歌の呼びかけの声は聞こえていなかった。
現状が何処か遠くの事の様な錯覚さえ覚えて、弥王はその場に居る心地がしない。
少しすると、視界が一気に開けてくるのを感じた。 見るものが全て鮮明にに見える。
その時には、呼吸は大分楽になっていた。
「み……お、さ……ま……?」
顔を上げた弥王の顔を覗き込んだ明日歌は、愕然とその目を見ていた。 その顔は、苦痛を堪えている様だった。
弥王の目が、いつもの緑の目から、紅蓮の炎を連想させる黒みを帯びた緋色になっていて、明日歌は絶句する。
(何なの……弥王様のこの緋い目……!)
初めて見る弥王の顔に、明日歌は底知れぬ恐怖を感じた。 いつもの弥王じゃないみたいな感覚。
璃王様や公爵は、この事を知っているのだろうか?
明日歌は、仮面の下の顔を強張らせながら、考えた。
「まぁ、良い。 それより、早く侵入者を消せ。
……それとも、自分の立場を忘れたのか?」
男──エデンカンパニーのボス、ジョージ・エデンの言葉にサンは戦慄する。
そうだ、今、この場でこの人達を殺さなかったら……。
自分と瓜二つの少年の顔が浮かんで、サンは俯いた。
今、弟の命綱は、こいつが握っているんだ……。 ───血迷うな!!
「う……っうあぁぁぁぁぁ」
「ぐあああ!」
サンは、叫びながら弥王に突っ込んで行こうとした。 だがそれは、エデンが突然、断末魔に似た叫び声を上げたことで遮られ、サンは止まる。
一体、何が?
エデンは右目をやられたらしく、包帯が緩んで落ちていた。 呆然とするサンの耳に、少年の声が投げられた。
「駄目だよ、サン?」
誰かが近付いてくる足音に比例して、落ち着いた声がはっきり聞こえてくる。
少年の声は言った。
「『付いて行く』って決めたんなら、ちゃんと付いてかないと……、血迷っても」
照明の下に出てきた姿に、サンは驚愕した。
出入り口を塞ぐ様に立っている少年はサンと同じ容姿だが、水鉄砲を構えて薄ら笑いを浮かべている。
サンと違うところがあるとすれば、顔の痣が右側にある事と、白衣を着ている事くらいだろうか。
「ジン!!」
「貴様……っ!?」
サンが驚愕の声を上げるのと、エデンが恨めしく少年を睨み付け、呻く様に言葉を吐いたのは、ほぼ同時だった。
どうやら、エデンに何かしたのは少年の様で、構えていた水鉄砲を下ろす。
エデンの包帯が溶けている辺り、劇薬でも入っていたのだろうか。
「ねぇ、サン?」
少年───ジン・エデンは、サンに歩み寄りながら、サンに声を掛けた。
「君は僕を守る為に、しなくても良い精霊との契約をして、したくもない殺戮を繰り返してた。 唯一の肉親だもん、当然、守りたいよね。
僕だって、同じ立場なら同じ事してる。 だけど僕は、自分の事なんか最初からどうでも良かったんだ。
病弱で、虚弱体質な上に、いつ死んでもおかしくない体質だから。 ただ……」
サンに近付きながら、ジンは淡々と話す。
一卵性の双子でありながら、サンとジンは中身は真逆で、ジンは病弱で虚弱な体質を持っている上に、持病でそう寿命が長くない事を知っていた。
だからこそ、両親が死んで、唯一の親近者であるエデンに引き取られた時、格好の人質になったのだ。
ジンは、サンの前で立ち止まると、サンに手を伸ばした。
「ずっと、君だけは守りたいと思っていたし、君が自由を望むなら僕はその為に抗って相打ちしても良いと思ってる」
「──ジン……」
ジンの命懸けの覚悟に、サンは喉の奥が熱くなるのを感じた。
まさか、自分が守っていたと思っていた弟が、実は自分をこの日々から逃がす為に色々と考えていたなんて、思ってもいなかったのだ。
弟が決死の覚悟をしているのに、自分はどうだ。
姉である自分は「弟を守る為」と言いながら、どうする事も出来ず、他人に助けを求めながら結局は奴の言いなりになっている。
結局は、自分の命も惜しいのだろう。 何が「弟を守る為」だ。
自分の振る舞いに対して、恥を覚えるのと同時に悔しさが込み上げてきた。
静かに流しているサンの涙を、ジンはそっと掬う様に、指で拭う。
「別れの挨拶は……」
不意に、静寂の空間にエデンの声が落とされた。 視線を向けると、エデンは銃を構えて、ジンの方を狙っている。
弥王は、銃口をエデンへ向けて、引き金に指を掛けた。
「済んだか?」
エデンがトリガーを引くよりも少し早く、弥王はトリガーを引いた。
取り敢えず当てられれば何処でもいい、と適当に狙って撃たれた弥王の弾丸は、エデンの持っている銃の底に着弾し、その銃を弾く。
銃が弾かれる少し前に発砲したのだろう、エデンの手から銃が弾かれたのとほぼ同じタイミングで弾丸がジンへ向かって飛び出した。
突然の出来事にサンは、目を見開いた。
エデンの弾はジンの頭を大きく逸れ、肩を掠める。
ジンの肩からは、自身の髪と同じ、紅い鮮血が止めどなく流れ出た。
「ジン!」
「くっ!」
サンの悲痛な声の後にジンは、焼ける様な傷口の痛みにサンに寄り掛かった。
身体中が燃えているかの様に熱い。 ジンは立っていられなくなり、その場に頽れた。
エデンは痺れる左手を庇い、ふらりとよろける。
弾丸が掠めただけにしては、ジンの様子がおかしい。
「明日歌と璃王はジンの介抱を頼む! 璃王の指示通りにすればいいからな!」
「は……はい!」
明日歌に指示を出すと、弥王は脱出しようとするエデンを追う為、走り出した。
「んで、サン!」
「な……なんだ?」
弥王に突然名前を呼ばれて、サンは狼狽える様に応える。 弥王は言った。
「オレも一応、人の子なんだ。
これから殺る人間の娘に見られるのは、すげぇ殺りずらいんだがッ!?」
弥王は、エデンの脚を目掛けて銃を発砲する。
今度は正確に狙いを定めた右脚へと弾が貫通し、エデンは「ぐあっ!」と声を上げて倒れた。
サンとジンがエデンの養子であることは、事前に調べがついていた。
実験体扱いされていたにせよ、サンからすれば養父だ。
目の前で親類が殺されるのは、ショックも伴うだろう。
友人も殺されたと言っていた。そして、唯一の弟が撃たれた……。
これ以上、ショックの上塗りはさせられない。
そんな思いから出た言葉だった。
「え……?」
弥王の言葉の意味が理解できず、サンは聞き返す。 すると、ジンの応急処置をしていた璃王が補足した。
「訳すと『父親の死体見たいのか、馬鹿。 早くここから失せろ』だな」
「えっ、と……更に訳すと『オレ達のことは気にしなくて良いから、早く逃げろ』……って」
「訳に無理があるだろ!?」
璃王と明日歌の補足に、サンは突っ込んだ。
それを気にも留めず、璃王はジンの肩に手早く包帯を巻いていく。 だが、血はそれでも止まらず、包帯を赤く染めていった。
「くそ、そこまで深い傷を負っている様には見えないのに……!」
だだ流れる血を恨めしげに見ると、璃王は毒吐く。
サンは、思い出したかの様に言った。
「ジンが言ってた……。
エデンは体力が皆無だから格闘なんかできないし、かと言って射撃能力も皆無だから、超至近距離から撃てる小型の銃を携帯していて、その弾丸には巨像をも仕留める猛毒が塗られている……って。
奴が解毒剤なんか持っている筈はないし、ジンの研究室にありそうな気がするけど……」
「持ってこられるか?」
サンの話を聞いた璃王は、少し考えた後でサンに訊いた。 サンは頷く。
「持ってくることは……」
「無理だよ……」
サンの言葉を遮る様に、ジンは荒い呼吸の中、弱々しく言った。
「ジン!」と、サンが泣きそうな顔で名前を呼ぶ。
朦朧とする意識の中で、ジンはゆっくりと言った。
「解毒剤は……、未完成なんだ。 叔父さんが見てない、時に……弾丸をこっそり……失敬して……研究してたから……。
でも、毒の成分は……。
サン、僕の……部屋、水槽の奥、2段目に……レポートがある……から……」
それだけを言うと、ジンは力尽きた様に目を閉じた。
「ジン!」
「大丈夫、気を失っているだけだ。
とりあえず、ジンを医務室に運んでもらうから、アスはロランにこの事を説明してくれ。
その後で公爵に報告だ。 できるな?
で、お前は、さっき言われたレポートってヤツを取りに行ってくれ」
「はい。
あ……でも、運ぶって……?」
璃王の指示に返事はしたものの、違和感を覚えた明日歌は璃王に訊く。
璃王の言い方では、誰かに運んでもらうのだと言っている様だったが、まさか、小柄とは言え自分より年上の男の子なんか運べる力はないし、サンとか言う人には別の事頼んじゃってるし、弥王様は戦闘中だし……と、明日歌は考え込んだ。
そんな明日歌に「まぁ、見てろ」と言うと、璃王は床に魔法陣の様なものを書き出した。
一見、普通に読めそうな言語だが、解読しようとするものの解読はできなかった。 他の言語だろうか。
サンは興味深そうに璃王の手元を見つめる。
術式も見た事のないものだ。
書き終わると、璃王は自分の指を切って、プックリと傷口から出てきた血を陣の中心に垂らした。
「土塊人形」
呟いた瞬間、翳した璃王の手の下から、甲冑のヘッドの様な頭が地面から出てきた。
手を引くと、璃王の身長よりも高い、スタイリッシュな土で出来た甲冑が姿を現す。
サンは感心した様に、璃王とその甲冑を見ている。 甲冑はジンを軽々と抱き上げると出口へ向かい、歩き出した。
その後を明日歌が付いて行く。
「お前も、早くレポート持って来い。大切な弟なんだろ?」
璃王の言葉に、サンは慌てた様に「はっ、はい!」と返事をすると、出口とは反対方向の廊下を走って行った。
―― ――
一方、エデンと対峙している弥王は、俯いて銃口を下ろすと、語りだした。
「エデン。貴様がオレや璃王にした事は、忘れていない。
今思い出しただけでも胸糞悪くて、反吐が出るくらいだ。
だが、一つだけ感謝してやっても良い」
弥王の脳裏には、まだ幼い自分達の姿と璃王の泣きそうな顔、そして、自分を嘲笑しながら見下ろしているエデンの顔が浮かんでいる。
今でも、焼ける様な喉の痛みを鮮明に思い出す。 思い出す度に声が出なくなって、苦しくもなる。
喉の痛みを誤魔化す様に掻き毟っていた首には、未だに傷跡が消えないで薄く残っている。
それを見る度に、怒りと憎しみに身を焦がされる様な感覚を覚えていた。 それを誤魔化しながら、日々を過ごしていた。
悟られない様に。気付かれない様に。
気が付いた時には、両目が緋くなる様になっていた。
どうやら両目は、簡単に言えばキレると緋くなる事が解った。 なら、感情を上手くコントロールして、常に平静でいれば良い。
時にはお道化て見せて。 時には紳士ぶって。 そうやってずっと、自分を誤魔化しながら上手くやっていたつもりだった。
弥王は、湧き上がる激情を抑え込む様に言葉を吐き出す。
ゆっくりと顔を上げれば、先ほどよりも黒に近い緋色の目が、エデンを射抜いた。
「貴様から受けた屈辱を思い出す度に、身を焼く様な怒りに何度も支配されそうになっていた。
毎晩毎晩、眠れない夜をありがとう。
おかげでオレは、貴様が強制的に押し付けた“死の歌声”以外に別の力に目醒めた。
魅せてやるよ、その能力──」
弥王の不気味なくらいに鮮やかな緋色の目を見て狼狽えるエデンの目と、弥王の昏く沈むような緋色の双眸が合う。
その瞬間、エデンは言い様のない恐怖に脚が竦んで、眩暈を覚えた。
「悪夢の闇夜に抱かれて、堕ちるがいい──地獄の走馬燈」
緋い下弦の三日月が浮かんでいる黒い弥王の目と、目が合う。
弥王の姿が歪んで、目に異物が入った様な痛みに襲われ、エデンは目を押さえてふらついた。
痛みが治まってきた頃、エデンは顔を上げて、最初に飛び込んだ景色に目を見張る。
見間違える筈がない。 ここは────
「ジャーダの……実験場……!?」
狭い部屋に、沢山の山積みになっている資料と実験台。無数の薬品に特殊な機械。
それもこれも、昔の上司に命令された実験の時に使ったものだった。
実験台の上には、紫の髪の被験体。 手に入れるのに苦労した被験体だ。
何故、こんな所に?
エデンは混乱した頭で考えた。
『喉が……痛い……』
ふと、声が潰れた様な掠れた声が耳に響いた。
振り返ってみれば、被験体の少女が色の違う両目で、自分を見上げていた。
少女は潰れた声で言う。
『喉が痛いんだよ……私の声、返して……』
自分に伸びてくる白い手を、エデンは振り払う。
まるで、ホラー映画の世界に引き摺り込まれた様な恐怖に、エデンは身を強張らせた。
「でっ、出口……出口は……ッ!」
必死に逃げ場を探して、壁を叩く。
扉を見付けたエデンは、藁にも縋る思いでドアノブを回した。
すると、景色は一転して、今度はエデンカンパニーの実験場へ。
多数の実験台には、被験体として拉致してきた少年達が逃げ出さない様に張り付けられていた。
泣き叫ぶ少年達、日々に繰り返した非人道的な実験。
全ては、あの忌まわしい小娘──グレイ・ゼル・ファブレットに復讐する為。
そして、自分が亡くしたモノをもう一度手にする為……。
その為には、どんな手段も選ばない。
たとえ、死んでしまった兄と義姉の子供を利用しようとも──。
サンとジンの姿が見える。
二人の姿はまるで、あの日の被験体と、人質として飼い殺していた少女の様だった。
ゆっくりと、サンが自分に近付いてくる。 その片手には、チャクラムが握られていた。
後ろにはジンの姿。その手には、劇薬入りの水鉄砲を持っている。
無言で俯いて近付いてくる様は、正に怨念の様だった。
エデンは恐怖に後退るが、直ぐ背中には壁があり、それ以上は逃げられなかった。
「やめろ……来るな!近付くな……っ!」
悲痛な叫びも、目の前の甥と姪には聞こえていない。 そればかりか、距離を詰められている。
ふと、サンが顔をゆっくりと上げた。
その顔は、憎悪に満ちて、今にも自分を殺しそうな殺気を静かに放っている。
“逃げられない様に脚を固定しよう。”
エデンの足下から、無数の腕が伸びてきて、エデンの脚を力強く掴む。
『逃げられない様に磔にしてしまおう。 さぁ、実験の始まりだ』
頭の中で、少年の楽しげな声が響く。 体は、壁から伸びた無数の腕に張り付けられる。
あまりの恐怖にガタガタと震えるエデンの頭の中で、弥王のクスクスと笑う声が聞こえてきた。
『如何かな、オレの創った悪夢の記憶の中は?』
「ふざけるなよ、今直ぐこの悪趣味な幻影を解いてもらおう!」
頭の中の弥王の声に、エデンは喚き散らす。
それを気にも留めていない様子で、弥王は目を細めて薄ら笑いを浮かべた。
「悪趣味な幻影、ねぇ。お前らの方が余程酔狂で、悪趣味で残忍だと思わないか?
あぁ、それと一つだけ言うなら、これは幻影ではないよ。 現実でのお前は、オレと共に眠っているのだから」
弥王の言葉に、エデンは理解ができないと言う様に眉を顰める。
弥王の言う通り、現実にはエデンと弥王は、床にそのまま倒れて、壁に体を預けて眠っていた。
エデンに至っては、白目を向いて気絶している様に見える。
弥王は薄ら笑いを顔に貼り付けたまま、エデンを見下す様に説明する。
「今お前が見ているモノは、お前の記憶をホラー風味にアレンジした夢だ。
どうだ? 中々に良い様に仕上がっているだろう?
この地獄の走馬灯は、使用者の精神を蝕みながら対象者の最も触れられたくない記憶を掘り出して悪夢に変換、それを対象者に五分間だけ見せる、正に悪夢の様な走馬灯。
光栄に思いな? この能力で殺されるのは、お前が初めてだ。
あぁ、ちなみにこの悪夢は現実とリンクしていてね? 五分経っても悪夢から逃げられない場合──」
説明している弥王の声が、段々と小さくなっていく。それと同時に、辺りは炎の海に包まれた。
身動きも取れず、ただただ、肌が焼ける痛さだけがリアルに感じ取れる。
エデンは、筆舌に尽くし難き痛みに声を上げた。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
灼熱の炎が体をジワジワと 焼いていき、酸素と水分を渇望する口からは、灰と二酸化炭素しか入らず、脱水症状と喉が焼けるような痛みを引き起こす。
頭に激しい痛みを感じてきた頃には、意識が朦朧としていた。
あぁ、ここで自分は死ぬのだと、エデンは思う。
本物の走馬灯が脳裏に過る。それは、兄が死ぬ前までの楽しかった思い出。
別に、サンとジンが嫌いだった訳じゃない。
最愛の兄と、最初で最後に密かに愛した女性との子供だ、可愛くない筈はなかった。
二人が死ぬまでは──。
二人が双子を遺して死んでしまった。その時から、全てが崩れたのだ。
兄と義姉は、イリアで名を馳せる程の医者と死宣告者だった。
二人はそれぞれ「殺さない死宣告者」と「守る死宣告者」を目指していた。
死にそうな人間は、敵味方を問わずに助け、弱者は誰だろうが守る。
二人が目指していたのは、そんな医者と死宣告者だったのだ。
兄と義姉が死んだのは、卑怯な暗殺だった。
依頼主が二人を売り、最後には、凶悪と言われていた「ジャーダファミリー」に殺されたのだった。
それを知ってから、エデンは復讐を誓った。
まずは姿を変え、名前を偽り、ジャーダファミリーに入ったのだ。
その時には既に、エデンは死んでいたのかもしれない。
死んだ様に言われた通りの実験を繰り返す日々。 弥王と璃王に出会ったのも、その時だった。
璃王に出会った事がきっかけで、エデンは呪幻術師なる者の存在を知った。
それが、人体蘇生を行う事ができることも。
それを知った時、エデンはサンとジンを使うことにしたのだ。サンを術師に、ジンを生贄と器に。
だが、その計画も失敗し、こうして昔の被験体に殺された。
思い残すことはないと言えば、嘘になる。
ただ、叶うなら、兄と義姉とあの双子と、もう一度一からやり直したい──
脳裏を流れて行く走馬灯を呆然と眺めながら、エデンはそんな事を思う。
時は既に遅かった。何もかもが。
そんな事を呆然とした頭で思っているエデンの頭に、弥王の温度のない冷淡な声が響いた。
それは、死の宣告。
「Fineだ」
弥王の声の後に指を鳴らす音が聞こえ、それが耳鳴りに変わると、エデンはそこで意識が途切れた。 それから、目を覚ますことはない。
現実では、エデンの体は人の原型を保っていなく、辺りには鉄の匂いを漂わせた肉片と五臓六腑が、海と化した鮮血の中に散っていて、見るも無残で残虐な状態となっていた。
弥王は何も言わずただ、覚醒したばかりの意識でそれを無情に見つめる。 特に何も思わない。
いつもの任務の終わりと同じ。
殺してしまえば、どんな人間も最後は同じ物だ。
聖人も極悪人も。すべてが物言わぬ肉塊へとなり、風化する。
(何だ、今の弥王の能力は……? あんなの、見た事ねぇぞ……)
璃王は、今までの弥王の戦闘を見て、そんな事を考えた。
見たのは、能力を発動する前に一瞬だけ、弥王の姿が変わった所。 その次の瞬間にエデンと弥王が頽れて、そのまま眠っていた。
暫くして弥王が目を覚ましたかと思ったら、エデンの体が四散してからの弥王が血の海を眺めている現状だ。
あんな能力は、今まで一緒にいた中で見た事がなかった。
弥王の目は依然と緋く、そんな弥王を見るのも初めてで、璃王は暫く、弥王から目が離せなかった。
弥王から目が離せなかったのはサンも同じく、サンがレポートを取りに行く時に一瞬だけ弥王の方を見れば、弥王の容姿が一瞬だけ変わったのを確認したからだ。
――さっきのは見間違いなのだろうか?
サンは考える。
(弥王さんが一瞬だけ、女の人──まるで、闇の女王でも君臨したかの様に見えた……)
あの時に僅かに高揚した。
養父である叔父が殺されると言うのに、悲嘆よりも「悪夢の伯爵が戦う」事に僅かな興奮を覚えたのだ。
まるで、これから大スターがドラマの収録をする場面を見る時の様な高揚感。
それと同時に覚えた、言い様のない恐怖。
これが、裏警察の悪夢の伯爵!?
噂だけは聞いていた。
本当に目の当たりにするとは思わなかったが……。
(オレと同い年か、一個上くらいだよな……?
彼は一体……?)
サンは、立ち尽くす弥王を見つめながらそんな事を考える。
養父の死は最早、どうでもいい。
あの地獄から抜け出せたのだから。
今は一番、ジンの安否と弥王が何者であるか、という事が気になる。
彼に付いて行けば、解るだろうか?
サンは、弥王に対しての興味が湧いてきた。
「璃王……」
血の海を呆然と眺めていた弥王が、不意に璃王を呼ぶ。 璃王は弥王に歩み寄りながら、応える。
「何だよ?「やっぱ割り勘で」は聞かねぇぞ……、って、弥王……?」
璃王が冗談でも言う様に応えると、弥王は璃王に身体を預ける様に頽れた。
床に倒れる前に璃王は弥王を支えた。
いきなりの事に璃王は目を見開いて、呼び掛ける。
「おい……っ、弥王!」
呼び掛けに弥王は応答せず、ただ気を失っていた。
もしかして? と、璃王は推察する。
弥王の容姿が一瞬変わったのは、その時から弥王が無意識の中で能力を発動していたからではないのか?
それだと説明がつく。
恐らくは、弥王が突発的に発動できる様になった能力だろう。
(全く……。いつも直感で動くなと、あれ程言ってんのに。
帰ったら、絞り上げてやるからな……)
弥王は、こうして戦闘中に突発的に能力に目覚めて、いきなりそれを実践したりする事が多々ある。
それが悪いか良いかは、その時の現状による。
今回はそれが不適切であっただろうが、弥王はそれを考える暇もない程に復讐心が滾っていたのだろう。
実際、自分も弥王と二人きりで、サンやジン、明日歌が居なければ、復讐する事だけを考えていたに違いない。
それほど、自分の《主》が受けていた屈辱の事を思えば、エデンに対する怒りは、奴を殺しても終わらない。
だが──。 どんなに燃え滾る復讐の炎に身を焦がされようとも、冷静さを欠いて判断を誤る様では、命が幾つあろうが足りない。
リスクを考えないで行動した事を懇々と説教してやらないと。
下手したら、死んでしまう事も有り得るのだから。
(君が居るから、僕はここに在る。
君が居なければ、僕がそこに居る事は有り得ないんだからな……“ミオン”)
弥王を抱え、璃王はサンと共にエデンカンパニーのアジトを後にした。
彼等の素性が明かされるまで、後、40分。
@ジンの水鉄砲
劇薬入り水鉄砲。
殺傷力は中々高い。
「銃は扱えないけど、水鉄砲なら得意よ! あと、薬の調合もできるから、かけ合わせれば強くない?」と言う事で、水鉄砲に劇薬を入れている。
@サンの呪幻術
火の精霊・サラマンダーと風の精霊・シルフと契約している。
適正もないのに無理やり火の精霊と契約しているので、サラマンダーからは祟られており、料理を作ろうとすると食材が消し炭になる。
頬の痣はサラマンダーから祟られている証。
@ジンの痣
火の精霊に祟られて痣を作ったサンを元気づけようとして、自分で彫ったタトゥー。
――ジン「ほら、お揃い!」 サン「何やってんだよ、ジン」




