わかっているだけで、七人
「基本的に、
生きている人は幽霊を見られないんだよね?
幽霊と話せたりする人は、その人も幽霊だと思ってもいいんだよね?」
なんて、言っていた桜井ちゃんの遺影に向かって手を合わせる。
早過ぎるよ……。
と、つぶやいた新人看護師の山田の瞳から一筋の涙が頬を伝う。
瞼を閉じると、桜井ちゃんと仕事をした日々が、思い出される。
―――私は、この春から看護師として働き始めた。
山田と書かれている真新しい名札を胸に付けると、今日もお仕事、頑張ろうってスイッチが入る。
暑い季節を迎えるこの時期、仕事には慣れてきたけど、まだまだ不安もある。
一緒に働いている同期の桜井ちゃんは大人しいけど、しっかり者だ。
私は、おっちょこちょいだから、桜井ちゃんを見習うようにしている。
看護師の仕事は日勤だけじゃなくて夜勤もある。
夜中のトイレは怖いし、備品補充は一番嫌いな仕事だ。
ナースステーションは狭くて、備品の置き場所も限られている。
一日に使う分しか備品を置けないから、夜中のうちに次の日に必要な分だけ、倉庫からナースステーションに移動する。
だから、備品補充は夜勤の担当だ。
そして、こんな仕事はみんなやりたくないから、新人が担当することに決まっている。
備品は旧病棟の一階に保管してある。
旧病棟は、普段仕事をしている新病棟の奥から渡り廊下を抜けて行った先にある。
旧病棟は節電のためなのか、照明も最低限にしかついていなくて薄暗い。
診察室や病室もあるけれど、今は使われていないから誰もいない。
通路から見えるのは病院裏の森だけだから、風で木が揺れているのを見るだけでも怖くなっちゃう。
「あっ」
曲がり角で、守衛さんとぶつかりそうになって尻もちをついちゃった。
ちょっと、手首をひねったけど大丈夫。
守衛のおじさんとは夜勤の時に、よく顔を合わせていたので知り合いだから
「山田ちゃん、驚かせてごめんね。大丈夫かい?」
「あ、大丈夫です。私、あわてん坊で……。気にしないでください」
と、両手を胸の前でぶんぶん振って、何度もお辞儀をしてしまう。
振り向いてこちらを見ていた桜井ちゃんに
「大丈夫だよ。行こう」
と言って、備品室に向かう。
桜井ちゃんは、しっかり者だから備品倉庫に入ると扉をきちんと閉める。
私は閉じ込められちゃうんじゃないかと思っちゃうから、桜井ちゃんに気付かれないように、そっと扉を開けちゃうんだけどね。
ガーゼや使い捨て手袋、消毒液などを台車に乗せて新病棟まで持っていく。
こんな不便な場所に備品置き場を作らなくてもいいじゃないと思うけど、業者が備品をトラックで搬入するときに入れやすい位置だからなんだって。
その日の仕事終わりの、日勤の看護師たちとの申し送りが終わっても手首が痛かったので、先輩看護師に頼んで、手の空いている先生がいないか聞いてもらった。
しばらく待っていると、その先輩看護師から
「山田さん、小児科の先生が今、手が空いているみたいだから診てくれるって」
と言われたので、小児科の先生の所に行くと、前から幼稚園くらいの男の子が走ってきて、私に抱き付いてきた。
「お姉ちゃん、助けてー」
って、どうやら診察が怖かったみたいだ。
後ろにお母さんもいて、少し困ったような顔をして会釈をしていた。
私は子供には人気があるんだよなぁ。
背が小さいからかな?
童顔だからかな?
一人前になったら小児科勤務を希望してみよっかな。
小児科の先生には
「軽い捻挫だね」
と言われ、湿布と包帯で処置をしてもらった。
日勤で働いている時の私の主な仕事は、特別個室に入院している白石沙織さんの看護だ。
沙織さんは、私より少し年上で、華奢な身体つきをしている。
入院中だから当たり前だけど、化粧をしていない。
なのに、肌は雪のように白く美しい。
始めの頃は入退院を繰り返していたんだけど、最近はずっと入院している。
特別個室には窓際にベッドがあり、沙織さんはいつも、そこから見える病院裏の森を眺めている。
私は穏やかな日には、窓を開けてあげている。
「山田さん、ありがとうね」
って、消え入りそうな声で言ってくれると、嬉しくなっちゃうんだ。
沙織さんは、雨の日や天気の悪い日には本を読んで過ごしている。
休憩時間、桜井ちゃんと食事をしている時、桜井ちゃんが先輩に
「リーダー看護師はなんで、新人って呼ぶんでしょう?」
って、聞いた。
そうなの。リーダー看護師は私たちの事、新人って呼ぶの。
そしたら先輩は、
「リーダー看護師は昔から、一年目の看護師の事は新人と呼ぶのよ。私の時もそうだったから」
だって。
私も早く一人前と認めてもらいたいな。
看護師として働き始めてから一年が経った。
「新人!今日からあなたを桜井さんと呼ぶわね。今年は新人一人だったけどよく頑張ったわね」
「ありがとうございます。これからも頑張ります」
と、桜井ちゃんは頭を下げる。
確かに、桜井ちゃんは頑張ってたなぁ。
一番近くで見てきた私が言うんだから間違いないよ。
すると、桜井ちゃんは、今まで言えなかったんですけど……、と、少し言いにくそうに
「夜中の備品倉庫に向かう途中で、何かが倒れる音が聞こえたり、備品室の扉が勝手に開いたりするんですよ」
それを聞いたリーダー看護師は、驚く様子もなく
「あ、それはね、もう一人いるのよ」
「えっ?」
「昔、事故で亡くなった新人看護師って聞いたことない?
山田さんっていうんだけど。
夜勤の時に、守衛さんとぶつかって階段から落ちて亡くなったそうよ。
それがあってから、夜勤の守衛を廃止して、警備会社と契約したのよ。
新人が入ってくると、一緒に働きたいみたいで新人にずっとついてくるの。
で、新人の子を名前で呼ぶと、その山田さんが『私もいるよ』って、私の服を引っ張ったりするのよ。
ま、悪さをするわけでもないし、座敷童のような感じに思ってくれていいと思うよ。
だから、新人の子には山田さんを含めて新人って呼ぶことにしているの。
この病院に勤めている看護師はみんな知っているわよ」
周りの先輩を見渡すと、皆うなずいている。
それなら、と桜井ちゃんは続けて、
「特別個室の窓も開いているんですよね。気付いたら閉めるようにしてるんですけど。
なんでだろう。あの部屋って患者さんいないのに。
この病院って、不思議なことが多いですよね。
結構大きな病院なのに、小児科は無いし」
遺影の桜井ちゃんは優しく微笑んでいる。
深いしわが刻まれてはいるが、面影は残っている。
享年九十二歳。
老衰によるもので、
旦那さん、子供、孫たちに囲まれながら、安らかな最期を迎えたそうだ。
新人看護師の山田は、
今日は夜勤だから備品出し嫌だなぁ
なんて思いながら病院に向かった。