死の際にて 5
それから、僕は目の前でずっと泣いている彼女を見ていた。俯いたままで嗚咽を漏らしている彼女……罪悪感を覚えた。
でも、実際僕がここに来なければ彼女は……飛び降りたんじゃないだろうか?
先週、明らかに本気で彼女はここから飛び降りると言っていた。今日だって、きっと本気だったんだろう。そうなると僕は、彼女の飛び降りを止めた……ということになるんだろうか……
「……君……誰なんですか?」
しばらく泣いていた彼女は僕に訊ねてきた。僕は思わず面食らってしまう。
「え……尾張……亘……だけど」
「……尾張君。君は……私のここから飛び降りて死ぬという決意を……踏みにじったんですよ。理解していますか?」
それまで俯いたままだった彼女は、顔を上げて、僕のことを睨んでいる。僕は思わず視線を反らしてしまった。
「じゃあ……君は……本当に死ぬつもり……だったんだね」
「当たり前です。それなのに……君こそ、死ぬつもりじゃなかったんですか?」
彼女は顔を上げて、冷徹な視線で僕を見る。そう言われると……なんと返事していいのか、わからなかった。
僕は……死ぬつもりだったんだろうか? 少なくとも先週ここに来たときはそうだったかもしれないが今は……
「……ごめん。よく、わからない……」
僕がそう言うと彼女はいきなり立ち上がった。そして、座ったままの僕の方に近づいてくる。
長い黒髪が、風に揺れているのは……美しいと思うと同時に、少し怖かった。
「……つまり、君は、私が死ぬのを邪魔するためだけにこの屋上にいた……そういうことですよね?」
「え……? それは……そんなつもりはなかったんだけど……」
「では、どういうつもりですか? 死ぬつもりじゃないのに屋上にいた……まさか、私が死ぬのを止めようとした……そんなわけないですよね? 先週初めて会ったばかりなのに」
そう言われると、ますます僕がここにいる意味がわからなくなってきた。一体僕は何を求めたこの場所に来たんだろう? 彼女に会うためか……それとも……
僕が黙っていると、彼女はまたしても呆れたようにわざとらしい溜息をついた。
「……わかりました。もし、来週もまた君がここにいるようだったら……私、君のことを殺します」
「……へ?」
さすがにいきなり過ぎて僕は耳を疑った。殺す……彼女は殺すと言ったのか?
「聞こえませんでしたか? 殺すって言ったんです……まぁ、殺すとまではいかずとも、君がこの屋上に来ようと思わない程度に酷い目に遭わせます」
「え……具体的には?」
僕が変な感じでそんな質問をしたので、彼女も少し戸惑っているようだった。しばらく考えてから、彼女は鋭い視線で僕を睨む。
「……痛めつけます」
「……痛めつける?」
僕はオウム返しで彼女にそう聞いた。彼女は困ったような顔で僕を見ている。
「はい……君のこと、たくさん殴ったり、蹴ったりしますよ……それでもいいですか?」
僕は彼女が言っていることが現実には思えなかった。こんな長い黒髪で大人しそうな彼女が僕を殴ったり蹴ったりして、殺そうとする……
「……うん。わかった」
僕がそう了承すると、彼女はさらに困った顔をした後で、僕に背を向ける。
「……いいですね。痛い目に遭いたくなければ、絶対に来週ここに来ないでください。いいですね?」
背中を向けたままで、そう言って、彼女は校舎内部に続く扉の方に歩いていく。その背中を見ていると、不意に彼女は振り返った。
「……私は、内田志乃です」
それだけ言って彼女は扉を開けて出ていってしまった。一人残された僕は今一度フェンスの向こうを見てみる。
「……内田さん、か」
そう呟いた後で、僕は彼女が言った「痛めつける」という言葉を思い出すと共に、来週もかならず屋上に来ようと誓ったのだった。