一万回死んだ冒険者
ゴブリンの持つ棍棒が、俺の頭をめがけて迫ってくる。
死ぬような目にあった奴が酒場で言っていた、死にかけるとその寸前、全てがゆっくりに見えるっていう話、本当のことだったんだな。
嘘だろって茶化してたけど、あいつには悪いことをした。
『冒険者になる』って実家を飛び出して半年、ずいぶんとあっけない終わりだったなぁ。
ギルドのある街まできて冒険者になり、薬草採集や獣の狩りで金を溜めて武器を買い、ようやくゴブリン退治の依頼を受けられたっていうのに、その最初の依頼でこんなことになっちまうなんてな。
ほら、仲間達が驚いてる姿まで、ゆっくりに見える。
魔法使いのタバサ、普段はクールなお前がそんなに取り乱すなんてらしくないぜ。
お前は常にクールで冷静、どんなときにも取り乱さない女だったじゃないか。
僧侶のアイリス、泣くなよ、俺が死んだあとは別の男でも見つけてくれ。
あぁ、アイリスと過ごした夜が恋しい。
盗賊のフランク、お前また酒場のロレーヌに振られたんだって?
俺が死んでも、まぁ頑張れよ。
あぁ、まだ死にたくな
視界の全てが棍棒を映し、強い頭への衝撃と共に俺の意識は途切れた。
◆◇◆
「あれがゴブリンの潜んでる洞窟だ。……マット? 聞いてるのかマット?」
「うぉぁぁぁあああ。まだ死にたくねぇ!」
「うお!? 急に大声をあげんなよ!」
俺の声に驚いたフランクが、そう言って俺の頭を押す。
そのあと口に人差し指を当て、今は喋るなと仕種で伝えてきた。
「……ふぅ、大丈夫だ、こっちのことは気づかれてねぇ」
……あれ? 俺はたしかゴブリンの棍棒で、頭を殴られて死んだはず……。
ここはどこだ? こいつは……フランク? それにタバサやアイリスの姿もある。
フランクの視線の先には、遠くて見づらいが、洞窟とその入り口で佇む緑色の化け物――コブリンの姿も見えた。
「俺は死んだはずじゃ……?」
「はぁ? なに寝ぼけてんだ、今から俺達は初めてのゴブリン退治をしようってんだ。シッカリしてくれよ」
そうだ、たしかに俺はあのときゴブリンに頭を殴られて死んだ。
今みたいにゴブリンの潜む洞窟の中を、見張りをぶっ殺して入っていって、そこでゴブリンのグループと戦いになってそれで……。
もしかしてあれは夢……だったのか?
「それで、あの見張りはどうすんだ?」
夢の時はたしか、見張りのゴブリンはタバサの魔法の矢で、遠くから狙撃して倒したはずだ。
「タバサ、魔法の矢を頼めるか?」
「わかったわ」
魔法の矢とは、指先から魔力の光線を放つ初級魔法だ。
賢者の塔で魔法を習った魔法使いなら、誰にでも使える魔法ではあるが、その威力はなかなか高い。
普通のゴブリン程度なら、距離があっても不意をつけば一撃で倒せるはずだ。
「魔法の矢!」
タバサが指先に魔力を集中させ、スペルワードを唱えると、魔法の矢がゴブリンめがけて発射される。
そのまま目にも止まらぬ速さで、魔法の矢はゴブリンに命中し、一撃のもとに倒れ伏した。
「さすがタバサ」
「当然でしょ?」
そうして俺達はゴブリンの潜む洞窟へと足を進める。
洞窟の中は暗いため、もってきた松明に火をつけて進んでいく。
同じだ。全てがあの夢と同じだ。
もしもこのまま夢と同じなら、俺達は洞窟の最奥でゴブリンのグループとでくわし戦いになる。
普通のゴブリンが三体に、一回り体の大きなホブゴブリンが一体、そして魔法を使ってくるゴブリンシャーマンが一体の五体のグループだ。
前衛の俺がホブゴブリンとゴブリン二体をひきつけ、その間に盗賊のフランクとタバサが残りのゴブリンとゴブリンシャーマンを倒していく手筈。
俺はホブゴブリンの想像以上の力に押し負け、尻餅をついてしまい、そこをゴブリンの持つ棍棒が迫ってきて……。
もしも、もしもだ。あれが先のことを予言した夢だったとして、俺はどうすればいいのだろう。
ゴブリンシャーマンの相手は、同じ魔法使いであるタバサでなければいけない。
盗賊のフランクはゴブリン一体を相手取るので精一杯だし、アイリスの回復魔法では、潰れた頭を即座に治すようなことはできない。
それならどうする? そうだ、ゴブリンがいる場所は事前にわかってるんだ、見張りのゴブリンのようにタバサの魔法の矢で奇襲できないだろうか。
「この先にゴブリンのグループがいないか、フランクちょっと見てきてくれないか」
「ん? わかった」
盗賊のフランクは身が軽く目もいい。暗い洞窟のなかでもゴブリンのグループがいれば発見してくれるはずだ。
「おい、この先にゴブリンが三体、ホブゴブリンが一体ともう一匹、ハッキリとはわからなかったがおそらくシャーマンがいたぞ」
俺の期待通り、フランクは最奥でゴブリンのグループを見つけてきてくれた。
しかし本当にいたのか、数まで同じだ。
やっぱりあの夢は正夢というやつだったのかもしれない。
冒険中に夢を見るっていうのも変な話だが……。
「タバサ、魔法の矢を頼めるか?」
「できるけど、私はフランクみたいには見えないわよ」
「大丈夫だ、位置は指示する」
そうしてタバサは魔力を指先に集中する。
俺はタバサの手を握り、夢の記憶を頼りに位置を示した。
「魔法の矢!」
タバサがスペルワードを唱え、指先から魔法の矢が発射される。
「ゴブ!?」
奥からゴブリンの驚くような声が聞こえ、俺は奇襲の成功を確信した。
「よし、このままいくぞ! タバサは魔法の矢の準備、フランクはゴブリンの相手をしてくれ! 俺はホブゴブリンとゴブリン一体を相手にする!」
「わ、わたしは!」
「アイリスはタバサの隣で待機だ! 俺達に攻撃が当たったら回復魔法で援護してくれ!」
全員に指示をだして最奥まで走っていこうと……。
一歩進んだ瞬間、奥から魔法の矢が飛んできて俺の心臓を貫いた。
なっ……夢の中じゃこんなことは……。
穴のあいた胸から血が噴き出す。
力が入らなくなり、そのまま地面に倒れ伏せる。
視界がどんどんと暗くなっていく……。
「イヤッ! マット! マット!」
俺を見てタバサが叫び、取り乱す。
フランクはそんなタバサを取り押さえながら、その場から逃げ出そうと叫ぶ。
「駄目だ! 逃げるぞ!」
アイリスは俺に回復魔法をかけながら「治らない…治らないよぉ!」とその場で座り込み、泣き叫ぶ。
「逃げろアイリス……」
暗くなっていく視界の奥、ゴブリン達がこちらに向かってきているのが見える。
ごめん、ごめん皆……。
◆◇◆
「あれがゴブリンの潜んでる洞窟だ。……マット? 聞いてるのかマット?」
「なんだ、なんだこれは……」
俺はゴブリンシャーマンの放った魔法の矢に胸を貫かれたはずだ。
それがなぜか、気づけばゴブリンの潜む洞窟の前に俺はいた。
なぜだ、なぜ俺は生きている?
それにここはなんだ? 俺はまた夢でも見ていたっていうのか?
「おい? どうしたマット?」
わからない……いったい俺になにが起きているんだ?
こうなってはゴブリン退治どころではない。そうだ、帰ろう。
帰って……明日もう一度ここに来ればいいじゃないか。
仕事の期限はまだあるんだ。
「……帰ろう」
「は? なにを言ってんだ。奴らの住処はもう目の前なんだぞ? ここで帰るってどういうつもりだ」
「どういうつもりもなにもねぇよ! 期限はまだ先だ! 今日は帰るんだよ!」
そうだ、帰って、寝て、それから……いや、もうなにも考えたくはない。
「マットがそう言うのなら、私はかまわないけど」
「わ、わたしもマットさんに従います」
タバサとアイリスの言葉に、渋々といった表情でフランクも「仕方ねぇか」と帰ることに同意してくれる。
死への恐怖が頭から離れない。
少しずつ暗くなっていく意識、冷たく、寒くなっていく体。
今日は、今日は誰かと共にいたい。そうだ、アイリス、アイリス……。
「アイリス、宿に帰ったら……いいか?」
「え? あ、はい……」
俺の言葉に、赤くなって目を伏せるアイリス。
そうだ、このことをアイリスにも話して、それで……。
「え? どういうこと?」
俺とアイリスの会話を、隣で聞いていたタバサが、棘を含んだような声で聞いてきた。
そうか、そういえば皆には俺達が付き合ってるってこと、ちゃんと話していなかった。
「わるい、ちゃんと話してなかったな。俺とアイリス、付き合い始めたんだ」
隠していたわけじゃあないが、今の関係性が崩れるかもしれないのが嫌で、つい伝えるのを後回しにしてしまっていた。
この際だ、正直に伝えて二人にも俺達の関係を認めてもらおう。
「ねぇ、アイリスどういうこと? 私達、二人で話したよね?」
俺の言葉を聞いたタバサが。なぜかアイリスに怒り始める。
「ご、ごめんなさい、タバサちゃん」
タバサに謝るアイリス。
どういうことだ? 二人の間に何かあったのか?
「ごめん? そんな言葉で許されると思ってるの?」
アイリスの謝罪をタバサは意に介さず、どんどんと怒りが増しているのが見ているだけの俺にもわかった。
「ごめんなさい!」
アイリスにもそれは伝わっているようで、その場で土下座するような勢いでアイリスがもう一度タバサに謝る。
「許さない……!」
それでもタバサの怒りは収まらない。
どういうことだ? 俺に関係することなのか? それなら俺が間に入るべきなんじゃないか?
「おい、事情を説明し……」「魔法の矢!」
俺がアイリスとタバサの間に割って入った瞬間、タバサが指先をアイリスに向けて魔法の矢を放つ。
まさか仲間に魔法の矢を使うなんて、いったい何を考えてるんだタバサは……。
「なっ……わ、わたしそんなつもりじゃ、そんな、そんな」
「マット……さん?」
「おいマット!」
アイリスとマットがこちらを見て、信じられないものを見たような顔で驚いている。
なんだ? なにを驚くようなことがあるんだ?
「イヤ……イヤァァアアアアアア」
あれ? 視界が暗くなってきた。体に力が入らない。
音も遠くなってきた。これは……身に覚えのある感覚だ……。
そうして自分の胸をみると、そこには穴があいていて、血が噴き出ているのが見えた。
◆◇◆
「あれがゴブリンの潜んでる洞窟だ。……マット? 聞いてるのかマット?」
「なんだ! なんなんだ! なんなんだよこれは!」
またここだ。また死んでここに戻された。
どうなってる? どうなってるんだ。
それにタバサが俺を殺すなんて、そんなことあるはずがない。あるはずがないんだ。
きっとなにかある。俺がここで死ぬ運命みたいな、なにかがあるんだ。
魔法か? とんでもなく高度で非道で残虐な魔法が、俺にかかっているっていうのか?
三度だ、俺はすでに三度、殺された。
もう嫌だ。もう死にたくない。
そうだ、あのときは俺が妙な事を口走ったから、それでアイリスとタバサが喧嘩になったんだ。
よし、帰る道中では俺は喋らない。そうすればあんなことは起きないはずだ。
それで、宿へ帰って、それから……それから先のことなんてわからない。
とりあえず今日、今日を生きるんだ。明日のことは明日、そう、明日考えればいい。
「お、おい……どうしたんだ?」
「帰るぞ」
「は? いったいなにを……」
「帰るって言ってんだよ!」
「突然どうしたんだ、さっきまではお前も乗り気だったじゃねぇか」
「知るか! 俺は帰るぞ!」
そうだ、帰って早く一人になりたい。
誰もいない場所で、死ぬ危険のないところで今日という日を過ごしたい。
もう嫌だ、もうこんなところは嫌だ。
やめてやる、冒険者なんて絶対にやめてやる。
戸惑う三人を無視して、俺は山の中を降りていく。
ゴブリン退治の依頼主でもある、この山の麓にある村に俺達の泊まる宿がある。
そこまで辿り着ければ、大丈夫なはずだ。
村には結界があって、普通の魔物は入ってこれないはずだし、一人でいれば誰かに殺されることもないだろう。
早く、早く安心したい。
そうして俺達は山を下り、無事に宿へと帰ってくることができた。
俺は宿の部屋で、落ち着いてきた頭で考えていた。
なぜこんなことになっているるのか?
それはわからない。魔法かもしれないし、そうではないかもしれない。
すくなくとも、俺がなにかに巻き込まれているのは確実だ。
なぜ俺が死ぬのか?
わからないが、全てが俺の行動に起因しているのは間違いない。
何もしないように気をつけていれば、このまま死なずに済むかもしれない。
いや、済まないと困る。
この状況を抜け出す方法は?
結局のところ何もわからない。
明日になったら、街へ帰って賢者の塔へ相談に行ってみようか。
仮に呪いや魔法の類なら、それで何かがわかるはずだし、解呪も可能だろう。
そうして宿の部屋のベッドの上、眠ってしまおうと目を瞑った瞬間、村の外で大きな咆哮が聞こえた。
なんだ? なんの音だ?
慌てて宿の部屋を出ると、空にはとんでもない大きさのドラゴンが、こちらに向かって炎のブレスを浴びせようと、待ち構えているのが見えた。
◆◇◆
あれから何度、俺は死んだのだろうか。
結局のところ、俺がどんなことをしても、次の日を迎えることはできなかった。
途中からは死んだ数を、数えることさえやめてしまった。
フランクやタバサ、アイリスを疑って、全員を殺したこともあった。
それでも最終的に俺は死に、そしてまたゴブリンの住処の前へ戻ってくる。
何をしても、どんなことをしても俺は死に、またあの場所、あの時間に戻ってくる。
すでに俺の心は摩耗し、なにかをする気力さえ失ってしまった。
俺をこんな状況に追いやった奴がいるとして、そいつの狙いはこういうことだったのかもしれない。
「おい、なにを呆けてるんだ、いくぞマット」
フランクが先導し、ゴブリンの潜む洞窟へと入っていく。
どうせ俺は死ぬんだ。そして死んだあとにはまた戻ってくるんだ。
だからもう、どうにでもなってしまえばいい。
洞窟の最奥へついた俺は、剣を手にゴブリン達と戦った。
奴らとは、もう何度も戦った。行動パターンも何もかも全てお見通しだ。
ゴブリンの攻撃が俺に当たることはないし、何度も敵や人を殺したためか、俺の剣の腕は前と比べて、飛躍的に向上している。
「すごい……」
ほとんどの敵を一人で殺し、俺達は洞窟を抜け出した。
このまま村の宿に帰れば、巨大なドラゴンによって殺される運命が待っているだけだ。
俺は皆に提案して、村へ寄らずにギルドのある街への道を行く。
そうだ、こうして死を回避しようとしても、道中で地すべりなどの事故にあったり、予見不可能な位置から射撃されたり、仲間達の痴話喧嘩に巻き込まれて殺されたりするんだ。
知っている。全て知っている。
そして知っていることを全て回避しても、また新たなパターンで死ぬことも知っている。
だがおかしい、そう、今回に限ってはいつもと違うような気がしていた。
そうだ、いつもならそろそろ何かが起こって、それによって俺は死ぬはずなのに、一向にその気配がない。
そのまま街までの道を歩き、何事もなく辿り着いた頃には夜になっていた。
「街だ……街に着いた!」
初めてだ。街に着いたのは初めてだ。
いや、それをいうのなら、何事もなく夜を迎えたのも初めてかもしれない。
抜けた……抜けたのか? 俺はあの死のループから抜け出すことができたというのか?
それから俺達は街で宿をとり、俺は死ぬことなく翌日を迎えた。
宿の部屋に射す、朝日の光がまぶしい。
朝だ……ついに、ついに朝を迎えた。
生きている。俺は生きている。
自分が今を生きていることの実感が、喜びとなって俺の心を満たしていく。
「生きてるぞぉぉぉぉぉおおおお」
溢れ出るようなその喜びに、思わず声をあげると、隣の部屋から壁を殴る音がした。
「朝からうるさい!」
隣の部屋はタバサだ。そうだ、タバサともこの喜びを分かち合おう。
俺は走ってタバサの部屋へと向かい、戸惑う彼女を思いっきり抱きしめた。
「あぁ、生きてる、俺、生きてるんだよな!」
◆◇◆
それから俺は、あのループでの経験をもとに冒険者稼業を続け、ついにはドラゴンの討伐まで成し遂げることに成功した。
隣にはタバサとアイリスの二人。
二人とも、冒険においても、それ以外でも、俺の人生に欠かせないパートナーだ。
フランクはロレーヌへの執拗な求婚がついに実り、今では酒場のマスターをしている。
ドラゴン退治の依頼を俺達にもってきたのは、そのフランクだ。
富と名声、その全てを手に入れた俺達は、郊外に屋敷を買って、三人で残りの時を過ごした。
それから三十年、流行り病にかかった俺は、タバサとアイリスが見守るなか、その生を終えようとしていた。
「ありがとう、タバサ、アイリス、お前達二人のおかげで俺はここまで生きてこられた」
「なにを言ってんの、私こそマットがいたから生きてこれたのよ」
「マット……愛してる」
「あ、ずるい! それ私が先に言いたかった!」
歳をとっても二人は変わらない。
あぁ、目の前が暗くなってきた。
懐かしい感覚、そう、懐かしい感覚だ。
死が近づいている。それが自分でもよくわかる。
「おやすみなさい……」
耳が遠くなっていく。何も聞こず、何も見えない。
そうだ、これが……これが俺の本当の死だ。
思い返せば良い人生だった。来世があるとすれば、またこんな人生を送りたい、そう思える人生だった。
タバサ、アイリス……俺もお前達を愛している。
死んでもずっと……。
◆◇◆
「あれがゴブリンの潜んでる洞窟だ。……マット? 聞いてるのかマット?」
感想、批評、批判など、ありましたらお気軽にいただけると嬉しいです。