9.4
これからどうなるのだろうか。今までずっと頭の中でその問題がぐるぐると回り続けていたが、これほどまでに頭の中がそれで一杯になったのは久々だ。
今まで住んでいたところを離れ、今まで嫌悪を抱いてきた男から提供された家に住んでいる。住んで、もう一ヶ月は迎えようとしている。
奴から言われたことを今でも思い出す事がある。特にこの家に帰ってくるときがピークだ。重厚な扉を開け、部屋に入る。これは自分が稼いだ金で建てたものなのか、いや違うだろ。
そんなことはわかりきっているはずなのに、じっとその負の感情に浸ったまま、惨めな気持ちになるんだ。
あれ以来、恵美は明るく笑って過ごしている。この日を待ち望んでいたかのように楽しそうだ。それを見て、良かったのか悪かったのか未だにわからなくなる。私は半分あきらめていた状態の中、今の生活は何処か夢のようなもので、いつ壊されるのかびくびくしながら過ごしているようにも思える。
あれから荒川は私の前に出てこない。あちら側の都合がつけば、もう私はこの家から出なくてはならない。掌でもてあそばれているに違いない。でも、その時間はまだ先だ、などと思えて仕方がない。
この家に住む条件として2つ。ずっと笑顔を見せながら、荒川は白い歯を見せ言った。
「私からの条件は簡単です。私の方で準備が整い次第、そちらの家に引っ越します。その時点で、お二人は離婚していただきたい。2つ目に薫ちゃんの親権は恵美さんへ」
私は相手の目を見ることが出来なかった。淡々と話される条件を簡単には飲み込めない。
「それじゃあ恵美と結婚するのか?」
「私にも感情というのがあります。まだその段階には進もうとは思いませんが、いずれかは」
「1つ目の条件は構わない。するつもりだったから。でも2つ目は飲めない。私は薫を連れて、出ていくだけだ」
荒川は私の言っていることが不思議だというような顔をした。
「どうしてですか」
「薫には普通の生活をしてほしいんだ。離婚を経験させることもこれからの人生にどんな影響を及ぼすのかわからないのに、宗教と関連があるなんて。あいつはまだ自分で判断ができない年齢だ。大人の都合で面倒事には巻き込みたくないんだよ」
「あなたと暮らすほうが大きなデメリットだ。ここまで言ってもわかりませんか。あなたは恵美さんと薫ちゃんを幸せには出来ない。お金も性格も。全部」
つばを飲み込んだのを今でも覚えている。言い返すことはしなかった。出来なかったが正しい。
「今のうちにあなたの記憶を薄めといたほうが良いでしょう。薫ちゃんのためですから。あと会の運営する学校に転校してもらいます」
「何処に」
「栃木です。全寮制で会が全てを運営する」
ふざけてる。顔に出ていたのか、荒川は、「怖い顔しないでくださいよ」と半分笑いながら言った。
「これも彼女のためですよ。あと会員になってもらいます。今の所、予定は来年の3月ですかね」
私は机を強く叩いた。手は痛いが音は響かなかった。
「それだけは絶対にダメだ」
気持ちを載せた発した言葉に対し、
「本当にあなたは分かってないな」
荒川の声が冷たい。
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「薫、ちょっと話があるんだ」
家に帰って留守番をしていた薫に話をしようと声を掛けた。
「どうしたの」と何も知らない薫にこれからのことを話すのはとても気が引けたが、もう後戻りは出来ない。
私一人だけ帰ってきた。それでも時間は昼の2時前だった。
帰りの車に乗っている間にも荒川の声はずっとリピートし続けた。帰り際、荒川が玄関まで来た。
「結果は分かっているんですから、もうそのレールに乗りましょう。答えは恵美さんからでも直接ご連絡いただいても構いません。お待ちしてます」
「薫、近い内にこの家を出る」
薫は驚いた顔を見せた。
「どうして?」
「もう気づいていると思うけど、お母さんとは別れる。でも薫のために大きな家に引っ越して準備が出来たらお父さんは出ていく」
「お母さんと二人っきり?」
「好きな人がいるみたいなんだ。その人が新しいお父さん。その人と暮らす」
「いやだよ」
「強い子なんだろ。勝手なことで申し訳ないけど、決まったことなんだ」
大人の都合なんて子供からすれば、どうでもいいの頂点で、こんなことを急に話されても意味がわからないのは承知だ。
帰りの車の中。あいつの言うことは全てが正しいのでは。何が正しいのかわからないのに。
「転校するの?」
「お母さんの考えで栃木にある、有名な学校に」
今でも覚えている、薫が何処かもの寂しそうな顔をし、私のことを父親として見ていない表情だったことを。