7.1
思い出したいことと思い出したくないことの割合というのがあると思う。私は普通の人と比べて、思い出したくないことのほうが3割ほど多い気がする。思い出したいことの大半は小学校までのもので、それも限られた期間のもの。
思い出したくないことは現在進行系で「現在」も含まれている。こんな生活ろくなものではない。いつまでこんな事をと下を向くと、思い出したくないことのトップクラスの出来事が頭の中で上映が始まる。
自宅は築20年以上の雇用促進住宅で、私と両親の3人で暮らしていた。4階建て、各階5室。リビングと和室が2部屋の計3部屋。4階の1号室に私達は暮らしていた。両親の部屋と自分の部屋とあり、大きな部屋ではなかったが、満足はしていた。当時はエレベーターがついていないので、毎日階段で移動していた。それが父親が嫌っていたこと、それを見て私がいつも馬鹿にしていた事も覚えている。
そこまで私達は裕福ではなかった。父も仕事に拘束される時間が長いにもかかわらず、給料は良いとは言えない額。でも、そんな事を当時は知らないので、いつもその時間を生きていた。
ゴールデンウィークが明けて、通常通りの生活が始まった時期、暑いのか寒いのかわからない中だった。
小学校に通っていた私はいつもこの時期が来るとあまりいい気分ではなくなる。毎年、その時期になると年に数回行われる授業参観の時期だったからだ。しかも、わざわざ土曜に行うため参加者は多く、逆に親が来ていない子が浮き上がってしまう。
母が小学校3年のときまでは懲りずに来ていた。ただ4年の時には用事があると言って来なかった。
授業参観が来週に控えていた夜に仕事から帰ってきた父に聞いた。私は授業参観の内容が書かれたプリントを握っていた。
「ねぇ、授業参観って来るの?」
聞かれた父は、夜ご飯を食べ終わっており、食器を洗っていた。
「来週のかい?ゴメンな。まだ仕事が終わっていないんだ。迎えには行けるとは思う」
スポンジに洗剤を掛け、食器を洗い始めた。モクモクと泡が増え、消えていくなか、私はいろんな事を危惧した。
その日の授業は自分の将来のことを発表するものだった。
当時の担任の先生、荻田先生が授業参観の用紙を配った後に、「皆さんの将来のことですからできるだけ、皆さんの授業に来てほしいです。なので、お父さんお母さんお爺さんお婆さんだれでも良いです。参加してもらうように話してくださいね」
それが気になっている。必ず呼ぶようにと言っている気がしてならない。ましてや、この時期も授業参観で来なかった生徒は浮いてしまうのだから、当時の私は一番それを恐れた。
「でも、私、1人だけで発表なんて」
震えるように父に伝えた。流れていく泡と水の音でかき消されていないか不安になる。プリントも数分前までピンと張っていたのに今は私の汗で萎れている。父は手を止めた。
「本当にゴメンな」
父は謝った。ただ、私の方を見ることなく、ただ言葉を発するだけだった。それが聞きたかったわけじゃない。そんな言葉を言ってほしかったわけじゃない。私の気持ちを汲み取ることもできないのか。今の私はこの場面を思い出すほど、思いをぶつけたくなる。
当時の私はあまり元気のある子ではなく、ただひたすらに時間を消費するような生活をしていた。今の生活のきっかけであるあ母の不調は家族の将来を全て決定づけた。
家は壁も薄く、隣の部屋などからは簡単に声が聞こえてくる。
5年生のときには両親は喧嘩をすることが多かった。そして、この日も同じだった。
母が会話が終わったのを見て、「お父さん、ちょっと」と言って父とともに自分たちの部屋へ消えていった。私はいつもなら自分の部屋に戻るか、リビングにあるテレビの音量を少し上げ、二人の会話を消すように努力をしていたが、その日は両親の部屋へ行き、ドアに近づき耳を立てた。
「どうした」
「あの用紙、持ってきてくれた?」
「用紙ってなんだよ」
「離婚届。言ったでしょ」
母は苛立ったのか、怒鳴るように言った。聞いた瞬間に私は持っていたプリントを握りしめた。もう、形は崩れた。
「大きな声出すなよ。大体、成人するまで待つと決めたじゃないか」
父は気持ちを抑えるような声で話した。心臓が血を大量に送っているのが分かる。耳を立てているせいか、ドクンドクンと鼓膜まで伝わってくる。父は続けて言った。
「せめて高校卒業後にこの話を考えるって言ったじゃないか」
「・・・気が変わったの」
母は先程の声と代わり、トーンを抑えた。最近は情緒不安定の状態が続いていた。それが今日もだった。
「気が変わったって・・・お前いつもそうじゃないか。いい加減に気づけよ。それがどれだけ生活に影響してきたかまだわからないか」
歯を食いしばりながら話すように声が震えている。扉の向こうの状態は見えないが、様子は簡単に想像がつく。
「もう決まってるもの」
「何が」
「教育に行ってきたの」
「教育ってまだあの宗教に行ってるのか」
「カルトみたいに言わないでよ」
また大きな声を発した。
母が会に入会したのはこの時期だったらしく、教育にはよく行っていたそうだ。ただ、私はまだ会の存在を知ることもなく、ただ二人の話だけを聞いていた。
「言うに決まってるだろ。あんなの適当な言葉を大げさに言ってるだけじゃないか。何が教育だ」
二人が胸ぐらを掴むまでの喧嘩をしないか不安になる。父は宗教に対して否定的だった。その否定的な態度をとる父にいつも母は反抗をしての繰り返しだった。
「あんたに何が分かるの?私は入会してから気づいた。私のことを真剣に考えてくれる人がいる。その人の期待に答えてみせるって」
「なんだよ。いいさ、別にいいさ。好きな人ができようが、俺を嫌いになろうが関係ない。お前の好きにしろ。でも、俺とおまえの問題だけではないこと忘れてないか?今更感情的になって碌でもないことをするのはやめろ。お前が宗教にハマってから良いことなんて一つもない」
説得とまではいかない、何か問いかけるような言い方で、二人は黙り込んだ。テレビの音を上げるのを忘れたなとか、二人に自分の息が聞こえていないかなどといつも気にしていたが、今日ばかりはそれらはもうどうでも良くなっている。
「・・・まだ、神様が見ていないの。ご加護、してもらうためには日数が必要なの」
母がそう言うと、「はぁ?」と呆れたような声を父が出した。「神様とか、お前おかしいよ。そんなことのために毎週、施設に行くのか?馬鹿げてる」
「馬鹿げてない」
「じゃあ教えてくれよ。どうせ、その宗教に入ったのも同級生だったやつの影響だろ。そうだろ」
父の問に、母は無言だった。私はただひたすらに会話を聞くだけに徹した。
「お前は良いように使われてるんだよ。お前だって分かるだろ。冷静になれよ」
「・・・私はもう限界」
また二人は静まりこむ。父は、「冷静になれ。考えろ」と言うと、母は、
「今月、今月までは待つ。それまで結果を出してね」
と言った。母が扉の方へ歩いてくるのが聞こえ、私は自分の部屋に入った。
泣くわけでもなく、怒鳴るわけでもなく、ただ父はじっと部屋にいるようだ。音も聞こえず、状況がわからない。私の方は気づいたら頭を抱え、下を向いていた。