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第58.5話 唐紅に水括る(後編)

「おぉー、これこれ。これだよっ!」



 脱衣所にはテュールが前世で見慣れていた竹籠があり、踏みしめる床は籐だ。



「あ、そうでした、そうでした。当旅館の一番の目玉はあちらの扉の外にある露天風呂で御座いますので」



 ひょっこりとグレモリーが顔だけ覗かせ、最後にそう付け加えていく。それを聞いたテュールの表情は険しいものとなる。



「あるのか……? 露天が本当にあるのか? だが、ダンジョン内だぞ? 星空と清涼な風を感じることはできるのか?」



「ホホホ、できるんじゃな、これが」



 テュールの凄みを利かせた独白にモヨモトがなんでもない風にそう答える。



「なに!? モヨモト本当か!? 期待するぞ!? いや、期待しちゃってるぞ!?」



 テュールは再びモヨモトへ詰め寄り、その肩をガクガクと揺らす。



「ほ、ほほ、本当、じゃ。本当じゃ、から、やめぃ」



「ひ……ひゃっほぉぉぉぅうう!!」



 そして、テュールは奇声を上げながら脱衣所で素早く着替え、タオルを掴むと駆けていく。



「今日はえらい目に合う日じゃのぅ……」



 モヨモトはそんなテュールを見ながらそう零し、皆が苦笑いを浮かべる。



「よしっ、洗うぞ!! まずは体をピカピカにする。これは温泉へ入るための当然のマナーだ!!」



 どんなに気は焦っていても、日本人の心を忘れていないテュールは念入りに洗体を始める。やや遅れることアンフィス、ヴァナル、テップの三人も現れる。



「おーし、アンフィス、ヴァナル、テップ! まずは隅々まで体を綺麗に磨け!! 間違ってもそのままダイブとかすんなよ?」



 駆け出そうとしていたテップはその言葉を聞き、非常口のポーズで動きを止め、振り返る。



「ダメ?」「ダメ」



 アンフィスとヴァナルは、テュールが拘るところはやけにうるさく口出してくるのを知っているためやれやれと肩をすくめ、抵抗することなく従う。



 こうして男四人が横並びでシャコシャコと髪や身体を洗うこととなる。そんな時、テュールの耳に豪快な笑い声とあり得てはいけない言葉が飛び込んでくる。



「ガハハハ!! 一番風呂頂きだー!!」



 元日本人であるはずのガチムチの獣人が、洗うどころか、かけ湯もせずに特攻をかけようとしている。テュールは右手に石鹸を掴むと、目一杯の力でクルクルと滑らし、リオンが踏み込んでジャンプしようとするそのタイミングに合わせた。



 つるんっ、そんな音が聞こえたような気がした。



「あんっ?」



 リオンは、自分の右足が何かを踏んだと気付いた時には、全裸で大の字になり天井を見上げることとなる。そしてゆっくりと立ち上がり、石鹸を投げた者を睨む。



「ガハハハハ!! おい、テュール? てめぇなんの真似だ?」



「おいおい、リオン、正気か? まさかあの土埃の中、汗だくになったその体で湯につかる気か? そいつぁ日本人の風上にも置けない、なっ! おりゃー!!」



 文句を言いながら近付いてきたリオンにシャワー型魔道具からお湯を放つテュール。そして──。



「ヴァナル!!」



「えぇー、もう、仕方ないなぁー」



 テュールは洗車用にも見える洗体ブラシを二本ヴァナルに渡す。しぶしぶヴァナルは二本を受け取り、自慢の二刀流でリオンに斬りかかる。



「うわっぷ、やめろっ、くすぐってぇ!! おい、分かった!! 分かった!! 今回は俺の負けだ、大人しく洗うからやめろ!!」



 こうして、しぶしぶとリオンも体を洗いはじめ、弟子と師匠たちは計八人でずらっと横並びになり、シャコシャコタイムに突入する。



「よし、入るぞー!!」



 こうしてようやくテュール温泉隊長からの許可が出て、入浴を始める一同。



「くぁ~、生き返るぅ~」



 テュールはこの瞬間をどれだけ待ち望んだかと言わんばかりに、だらしなく顔をゆるめ、ゆっくりと湯につかる。



「おぉ~、本当に気持ちいいな。いやぁ、これはいいもんだ、さてっ──」



「泳ぐなよ?」



 ルパンダイブのポーズで、飛び込もうとしたテップを諌めるテュール。



「ダメ?」「ダメ」



 テップはスネた様子でちぇ~っと言いながらお湯の中で両手をニギニギしてお湯を飛ばす。まったく可愛げのない絵である。



 そして数分後──。



「ウズウズ……、ウズウズ」



 まだ湯に入って数分だが、テュールは待ちきれずにいた。そう露天風呂だ。



「あぁーーーもう、辛抱たまらん!! 露天へ行くぞっ!!」



 テュールはザバッと湯から立ち上がり、頭に乗せたタオルを外し、握りしめながら叫ぶ。周りは、今日のテュールには何を言っても無駄だと悟ったのか黙って付き従う。



 そして、露天風呂へと続く扉の前に立つ一同。



「ホホホ、んじゃテュール。見て驚くがいい」



「フハハハハ!! 一枚の扉をくぐると──」



「ガハハハハ!! そこは日本であった!!」



 そう言って、ガチムチのおっさん二人が扉を開けると、そこはまさしく日本の景色であった。



「──!? ど、どういうことだ。なんで、こんな……景色が……」



 テュールの目の前には山々が木々が広がっており、その枝々の先には紅や黄色や緑の色鮮やかな紅葉。そして、草木の爽やかな匂いと涼やかな風が頬を撫でる。自然とテュールの目からは涙が零れた。



「ホホ、どうじゃ? すごいじゃろ?」



「あぁ、すげぇよ。すごすぎてそれ以外の言葉がでてこねぇよ……」



「フハハハ、日本にいた頃は当たり前に見ていた景色だがなくなるとこうも寂しいとは思わなかったからな」



「ガハハハ、ちげぇねぇ。当時は葉っぱが赤や黄色になるくらいで騒ぎやがってとバカにしてたもんだ。過去に戻ってぶん殴ってやりてぇよ」



「フフ、と言っても本当に日本に繋がっているわけじゃないんだけどね~」



 そして、扉の外を見たアンフィス、ヴァナル、テップも口々から感嘆の息が漏れ、初めて見る紅葉に心を打たれたようだ。



「ホホ、では湯をいただくとしようかの」



 モヨモトがそう言うと、ゆっくりと皆が露天風呂へと浸かっていく。



「あぁ~、これぞ温泉。これぞ文化」



 テュールが改めて露天の素晴らしさに感動していると、そんな感動をぶち壊す声が耳に届く。



「にょわー!! 露天さいっこうなのだー!! やっっほーーー!!」



 愛すべきバカがそこにはいた。そしてその声に反応する愛すべきバカがこちらにもいた。



(!? おい、テュール!! 聞こえたか!? リリスだ!! 女だ!! おい、つまり、この衝立ての向こうは……!?)



「女湯だろうな。つーか、なんで急に小声なんだよ」



(ッシ!! バカ!! 声がでけぇ!! よし、今から俺が温泉隊長を引き継ぐ!! 俺の言う通りに行動するんだ? いいな?)



「え、ヤだけど?」



「ちなみに俺もパスな」



「ボクもパスねー」



(嘘……だろ? お前ら本当に男か? ここで普通気持ちが一つになるもんだろ? 無言で手を取り合い、頷く場面だろ? 頼むよ……、俺の青春に華々しい一ページを飾らせてくれ……)



 覗きが華々しい青春の一ページなのかは置いておくが、結局、本気で泣いて頼みこでくるテップにしぶしぶ付き合う三人であった。

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