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第58話 唐紅に水括る(前編)

「さて、流石に汗だくで食事をする気にはならんのぅ、温泉でも入ろうかの」



「温泉……だとっ? モヨモト、それは本当なのか……? このダンジョンにはまさか温泉まであるのか!? 本当に温泉なんだなっ!?」



 テュールは温泉という言葉を聞くや否や、バッと床から立ち上がる。そしてモヨモトまで浮動で距離を詰めると、両肩をガクガクと揺らしながら問い詰め始めた。テュールの食いつきぶりに皆が引いているが、テュール本人はそんなことお構いなしのようだ。



「あ、あぁ……、ほ、本当、じゃ。本、当、じゃ、から、やめぃ!!」



 モヨモトはあまりにしつこく揺らすテュールの襟首を掴むと、その体の下へ潜り込み一本背負いで投げ飛ばす。



「ひゃっほぉぉぉぅうう!!」



 しかし飛ばされたテュールは、歓喜の叫びを上げながらクルクルと回転し、綺麗に着地を決めてしまう。



 ここまでテュールが喜ぶのは、何も風呂がないからというわけではない。むしろ元日本人である五輝星が国の基礎を作ったのだから入浴という文化は広まっている。しかし、温泉は少なかった。イルデパン島では、個人用の檜風呂であったし、テュールが住むリバティの家も当然普通の浴室だ。そしてこの街には銭湯はあっても温泉はない。



(日本にいた頃からサウナや銭湯には通っていたが、やはり温泉には温泉にしかない魅力があるんだ。是非入りたい。温泉に入りたいぞ!!)



 テュールは師匠陣にボロボロにされて死んだ目をしていたが、ここに来てその瞳に輝きを取り戻す。



「ったく、目の色変えちまって……、はぁ、ほら向こうの壁に突き当たると扉があるからそっから入りな、入れば旅館があるさね。浴衣やタオルは中にあ──」



「ヴァナル、アンフィス、テップいくぞっ!! 向こうまで競争だ!! よーい、ドンッ!!」



 ルチアの言葉を聞き終わらない内に、テュールは歩法『瞬雷』を使い、光の速さで旅館へダッシュする。そのあまりの唐突なテンションの上がり方に、テップでさえ何もリアクションできないまま置いてきぼりだ。



「あぁー、よし、俺達も行こうか?」



「そうだな」



「そうだねー」



 そして唖然としたテップは、温泉イベントとか俺が一番はしゃぐべきだろ……、と小さく零しながら歩き始める。こうして男性陣三人ものんびりと旅館を目指すこととなった。



「ほれ、あんた達はどうするさね?」



 そんな男性陣を見送ったルチアが地面からいつの間に起き上がっていた少女たち五人に問いかける。



「うむ、リリスも温泉入りたいのだ!!」



「……ん、私もいく」



「私も入ろうかなっ」



「もちろん、私も温泉に入りたいです」



「ふむ、では私もいただくかな」



 どうやら五人とも温泉に行くようだ。ルチアは一つ頷いて言葉を続ける。



「ふむ、そうかい。浴衣はあるが、下着はないさね。上からとってきな。……さて、あたしも浴びるとするさね」



 その言葉に少女たち五人は返事をして、女性陣は着替えを取りに行く。



「ホホ、それじゃわしらもつかりにいくかの」



「ガハハハ、そうだな。おい、ツェペシュ、ファフ、いくぞ」



「はいはい~」



「うむ」



 こうして執事がせっせとパーティの準備をしている中、全員で温泉に入ることが決まったのであった。



 そして、当然旅館に一番早く着いたテュールはと言うと──。



「うぉっ、すげーな! ダンジョンの中に旅館とか違和感あるかと思ったけど、案外目の前にあるとこれはこれで風情があるな、そう思うだろ? お前、ら?」



 付いてきている筈の友人たちがいないことに、ここでようやく気付く。テュールは一瞬待とうと考えたが目の前にある十数年ぶりの温泉に歩みを止められるほどテュールは大人ではなかった。



「というわけで、お邪魔しまーす」



 テュールは石庭を横目に、立派なひさしをくぐり、趣のある扉をゆっくり横へと開ける。目の前には日本で何度か行ったことのある旅館のまま、受付があり、ふかふかのソファーが置いてあるロビーが映る。



「ふむ、流石元日本人がプロデュースした旅館だな。実に雅だ」



 テュールは下駄箱に靴を入れると、スリッパに履き替え受付へと歩みを進める。そして、これ見よがしに置いてあるハンドベルを手に取り鳴らしてみる。



 綺麗な鈴の音が誰もいない旅館に響き渡った。



「あら、気付かずに申し訳ありません。いらっしゃいませ、当旅館の女将で御座います」



「うおっ!?」



 受付の奥から着物がよく似合う妙齢の美人が現れた。テュールはその足の運び、溶け込むような気配の消し方、最初からそこにいたのではないかと錯覚させる女将に驚きを覚える。



 そんな時に今度は後ろの扉が開く音が聞こえる。



「フフ、やぁグレモリー。今日もよろしくねー。あっ、この子達はボクたちの弟子だよー」



「あら、ツェペシュ様。それに皆様、よくおいで下さいました。初めてお目にする方もいらっしゃいますね、当旅館の女将で御座います」



 師匠を含む男性陣が到着し、グレモリーと呼ばれた女将にツェペシュが挨拶をする。そして、男性陣が皆、玄関へと入り終えるとツェペシュがグレモリーを紹介する。



「あ、みんな彼女はグレモリーって言うんだー。バエルが温泉好きでね、管理はこちらでするから旅館を作ってくれって言うからここができたんだよ~。あとグレモリーは公爵級悪魔だからおイタするととんでもないしっぺ返しくらうからね~? フフ」



「まぁ、私はそんな物騒なことしませんよ? フフフ」



 しかし、そう言って笑うグレモリーの顔にはどこか凄みがあった。



「ふぅ、危なかったぜ。その一言がなければ俺は着物美人のお姉さんに猛アタックするとこだったな。って、ん? この子たちはボクたちの弟子? それ僕は入ってませんよね?」



「ホホホ」



「ガハハ」



「フハハハハ!」



 師匠たちは笑って、親指を立てていた。それを見たテップの顔は真っ青になり、両隣のヴァナルとアンフィスはそれはそれはいい笑顔で肩に手を乗せるのであった。



「あらあら、皆さん仲がよろしいんですね、羨ましい限りです。フフフ、では、案内させていただきますね」



「「「「お願いしまーす」」」」



「はい、お願いされました。フフ」



 そして先程からグレモリーとのやり取りを眺めていたテュールは、テップではないが、お姉さん属性も中々いいな、とこっそり思ってしまったのであった。こうして一行はグレモリーに案内され館内を歩き始める。



 ロビー、食堂、宴会場、客室、卓球場、そして──。



「こちらが浴場となります。男性はこちら、女性はあちらになります。フフ、覗いちゃダメですよ?」



「はい、覗きませんっ!」



 テップが目を血走らせ、鼻息を荒くして答える。



(いや、お前それ覗きますって言ってるようなもんだからな?)



 そんなテップをジト目で見ているのはテュールだけではなかった。ここまで笑顔だったグレモリーもその様子を見て、流石に顔が引き攣っている。



「で、では、どうぞごゆっくり。中に浴衣やタオルなどは置いてありますので」



 こうして、引き攣った笑顔のままグレモリーは去っていく。そして当然男湯と書かれた暖簾をテュールたちはくぐっていく。

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