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寂しさを抱いて  作者: 橘皐月
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第二章 雨雫

次の日から、私は蒼衣と一切口を利くことも、顔を合わせることもしなくなった。昼休みは私が教室からでなくなったので必然的に私は陽詩ともほとんど会わなくなった。陽詩は時々心配して一人で1組に来てくれた。彼女によると、蒼衣は私の話をしなくなったということ以外は以前と何ら変わらずに、陽詩ともちゃんと話をしているようだ。

「でもね、授業中とかずっと外見てて、先生に当てられてもぼーっとしてることが多いんだ。前は授業に集中して質問にも即答してたのに。やっぱり美桜ちゃんのこと、気になってるんじゃないかな……」

「そんなことあるわけないよ」

 蒼衣は私が嫌いなんだ。だから蒼衣が授業に集中していないとしたら、それは私から離れられて肩の荷が下りて気が抜けてしまっただけだろう。

「蒼衣は…私のこと大嫌いって言ったの。私をずっと騙してたんだよ。だから私も蒼衣が嫌い。それだけのことだから、陽詩は心配しないで」

「でも……」

 陽詩は腑に落ちない様子で1組から去っていった。

 蒼衣が本当は私のことをどう思ってるかなんて関係ない。陽詩は昨日の彼女を見ていないから何とでも言えるんだ。蒼衣のはっきりとした私への拒絶は、昨日の彼女を思い出せば一目瞭然だ。

「そっちがそっちなら、こっちも無視してやるんだから……」

 それからというもの、陽詩が来てくれる時でさえ私はムスッとした顔をしていたので、彼女もだんだん私のところに来てくれなくなった。でも私は、陽詩にあまり迷惑をかけたくなかったので、それでいいと思っていた。

 蒼衣とはたまに廊下ですれ違ったり、通学路ですれ違ったりしたが、その度に二人とも下を向いて速足で立ち去る、ということが続いた。

 ついこの間まで演劇部で一緒に舞台に立つために仲良く練習をしていたことが、嘘みたいに私たちはどんどんすれ違っていった。

 そうこうしているうちに、クラスで私をよく思っていなかった連中も、私と蒼衣の仲違いに感づき始めて、これはチャンスだと言わんばかりに私への総攻撃が始まったのだ。といっても、今更クラスでハブられようが持ち物を壊されようが、私には大したダメージにはならなかった。私にとって親友を失ったこと以上に辛いことはなかったから。

 テスト期間中、何をされても動じない私に、腹が立ったのだろう。やつら(・・・)はとうとう私にとっての重大事件を引き起こした。

 その日はテスト最終日で、私と蒼衣が口を利かなくなってちょうど一週間が経過した日だった。その日まで部活は休みだったので、ほとんどの生徒は昼間に帰っていたが、私は演劇部で使う次の脚本を書くために一人教室に残って仕事をしていた。

 脚本作りに熱中していたせいで、かなりの時間が経っていることに気がつかず、ぐーっと背伸びをして窓の外を見るといつの間にか日が暮れて西日が教室に差し込んでいた。

 そろそろ作業をやめて帰ろう、と思った私は荷物を片付けて帰路についた。テスト最終日の夕方なので、周りには中学生はおらず、出会うのは小学生ばかりだった。

 やがて青鳥川の橋までたどり着くと、私は何だか切ない気持ちになって通学鞄を肩から下ろし、欄干に肘をかけて夕日を眺めていた。ちょっと前まではここで蒼衣と大切な話をして笑い合っていたはずなのに、今の私はひとりぼっちで遠くを見てるなんて。

 世の中ほんと上手くいかない。

 上手くいかないことで溢れかえってる。

「はぁ…」

 溜息なんかついたら幸せが飛んでっちゃうよ、と私に注意してくれる彼女も今はおらず、私は好きなだけ気分を沈めて溜息をついた。

「はぁぁ…」

 何度も何度も、わざとらしく深く息を吐く。そうしていればいつか吐く息もなくなって、苦しくなって自然と上を見ることができると思ったから。

 それから何度溜息をついたか分からない。心の中が空っぽになってぼーっと夕日を眺めていた時だった。

 背後に誰かが近付いてくる気配がして、我に返った私は咄嗟に「あおい?」と呟いて振り返った。

 が、そこにいたのはずっと溜息の原因になっていた彼女ではなく、クラスメイトの七瀬いつきと、彼女と仲の良い谷口真美、石井香奈だった。三人とも私と同じ小学校だった、私の“敵”。

「こんなところで何黄昏てんの。青春ドラマの主人公気取り?」

 七瀬いつきが喧嘩を売るような口調でそう言った。実際喧嘩を売っているのだが。それだけなら私も相手にせずに無視して帰っていたが、彼女の手元を見た私はハッとして思わず叫んだ。

「ちょっとそれ…なにすんの!」

 彼女の手に握られていたのは、私の筆箱。それには蒼衣とお揃いのピンクのうさぎがぶら下がっている。私は自分の足元を見た。さっき何気なく下ろした鞄の口が開いている。どうやら私がぼーっとしている間に彼女らがこっそり鞄から筆箱を抜き取ったようだ。

「これ、山里とお揃いのストラップでしょう?」

「そうよ、返して」

「あれぇ~?おかしいなぁ。高木は山里と絶交したんだよね。だったらこれもいらないよね??」

「くっ……」

 そう、私は蒼衣と喧嘩して、口を利かなくなった。だからもう蒼衣との友情の印なんていらないはずなのに。それなのに、私は今目の前でストラップを筆箱から引きちぎって嫌な笑みを浮かべている七瀬いつきや、その後ろで腕組みをして立っている二人がこの上なく憎らしい。

「真美、パ~ス!」

 七瀬いつきがウサギを後ろの谷口真美にひょいっと投げた。

「はーい、香奈」

「ナイス!いつき!」

 三人はウサギをまるでお手玉のように投げ合ってきゃはきゃは笑っている。私は悔しくて唇をぎゅっと噛む。

痛い。唇がひりひりする。しょっぱい、鉄の味がする。

 そして何より、心が痛い。

「やめて…返せぇ!」

 とうとう我慢できなくなった私は、今ウサギを真美に向かって投げようとしたいつきを掴みにかかった。

「ひゃっ、なに、すんのよ!」

 七瀬いつきは私よりはるかに強い力で私を押のけて、ウサギを持った右手を高く上げた。 

 彼女に押のけられた私は、彼女の足元にドサッと手をついて倒れる。その瞬間、七瀬いつきは高く上げた右手で、ウサギを川に向かって力いっぱい投げ捨てた。

「あっ……!」

 私は倒れたまま、何もできずに七瀬いつきの悪行を見た。彼女が腕を振り上げたあと、咄嗟に立ち上がった私は欄干から身を乗り出して下の青鳥川を見たけれど、ウサギは私の目には映らなかった。

「ははっ!ウサギ、捨てちゃったよ。まあでも、ウサギが惜しいならまた同じの買えばいいしね。じゃあネ」

 彼女らはそれだけ言うと、その場から去っていった。

 私には彼女らの小憎らしい言葉も耳には入ってこず、ただ無造作に転がった筆箱を、鞄に入れて小さく歩き出した。

 あのウサギは……蒼衣との友情の印だった。

 でも彼女と口を利かなくなった今は、七瀬いつきの言う通りもう“いらないもの”だ。

 だからあれがなくなったとしても、私は落ち込む必要なんてない。

 それにウサギが川に落ちた時、ポチャンという音はしなかった。それぐらい、ちっぽけなものだったんだ、きっと。私たちの関係も、何もかも。



 七瀬いつきによってウサギが川に投げ捨てられてから1週間が経った。

「今日も…休みなんだ」

 テスト期間が明けてから、私は以前のように演劇部の活動に参加していたが、蒼衣は一向に部室に来なかった。

 文化祭の発表が終わり、3年生が引退するということで新しく今の二年生から部長やら副部長やらを決めないといけないのに、部長候補で肝心の蒼衣がやって来ない。

 後輩たちも、いい加減別の人に部長を任せればいいじゃないですか、と抗議の目で2年生を見る。彼女が来ないこの1週間、とりあえず皆宙ぶらりんのまま各々の練習や作業に明け暮れた。

 それから1日、2日…と日が経っても、蒼衣は一向に部活に来る気配がなかった。

「お疲れさまでーす…」

 その日も彼女が来なかったせいで、私は肩を落としたまま部室を後にした。いや、彼女が来ないのはきっと私のせいなんだ。それは分かっている。でも、だからと言って私に何ができるんだろう。彼女が私を避けている限り、彼女を迎えに行くことも話し合うこともできない。私は無力だ。

 通学鞄を肩に提げ、銀杏並木を歩く。吹きつける秋風が妙に冷たい。まるで、世界中のあらゆるものが私を嫌ってるみたいによそよそしく感じられた。

 私が見えないものからの疎外感を覚えつつ、そろそろ銀杏並木を出るところまで歩いた時だった。

「美桜ちゃーん!」

 後ろから大声で名前を呼ばれた私は咄嗟に振り返った。

久しぶりに聞いた陽詩の声はどこか切迫した感じで、走って私を追いかけてきた彼女は肩でゼエゼエ息をしながら、私の前に立ちはだかった。

「ど、どうしたの、陽詩」

 私はなぜ彼女がこんなにも険しい顔をして突然自分の前に現れたのか分からなくて、思わずそう訊いた。

「行っちゃうっ…早くしないと…!」

「行っちゃうって、誰が…」

「蒼衣ちゃんだよ。お、追いかけないと!」

「蒼衣が、行っちゃう…?」

「そうだよっ。美桜ちゃん、早く行ってあげて!」

「待って陽詩、ちゃんと説明して!蒼衣が行くってどういうこと…?」

 陽詩のあまりに慌てた様子と口走る言葉に困惑した私は、陽詩に詳しい事情を訊くことにした。彼女も彼女でいったん深呼吸して話し始める。

「美桜ちゃんが蒼衣ちゃんと仲違いしてから…あたし、蒼衣ちゃんの様子をずっと見てたんだけど…蒼衣ちゃん、ずっと寂しそうで…。でもあたしが話しかけても全然しゃべってくれなくて…。常に上の空っていうか、心ここにあらずの状態だったの。そんな状態がずっと続いてて、あたしもじっとしてられなくなって…それで、昨日の昼休みに蒼衣ちゃんを問い詰めたの。なんで美桜ちゃんのこと避けてるの?なんでそんな辛そうにして何も話してくれないの?って」

 陽詩は胸の辺りを手で押さえながら真剣なまなざしを私に向けて話す。

 私が蒼衣と顔を合わせていなかった間蒼衣がずっとどんな表情をしていたか、陽詩は一人で気にしてくれていたのだ。

「そしたら…そしたらね、蒼衣ちゃん教えてくれた。『ひなちゃんにだけ教えてあげる。私ね…家族で引っ越さなくちゃいけなくなったの。このことは絶対誰にも言わないで』って……」

「それって…そんな、まるで夜逃げみたいな――」

 夜逃げ…?

 そうだ、蒼衣の父親は確か数年前に多重債務者になって、それで……。

「……そう。多分蒼衣ちゃんもそのつもりで言ったんだと思う……。それでね、本当は明日引っ越す予定だったらしいの。でも、さっきうちに電話がかかってきて、急遽今日引っ越すことになったって!だからあたしにお別れをしたかったって……。でもあたしは、蒼衣ちゃんがこのまま美桜ちゃんと喧嘩したままでいいわけないって思ってるから、だから」

『蒼衣ちゃん…そのこと、美桜ちゃんは知ってるの?』

『…知らないと、思う』

『それなら、早く美桜ちゃんに教えなよ!』

『…それはいいの。お別れするのはひなちゃんだけで…』

『どうして?蒼衣ちゃんは美桜ちゃんのこと本当に嫌いなの?』

『私は……』

「美桜ちゃん、今すぐ蒼衣ちゃんのところに行って。お願い」

 何かを思い出しているようだった陽詩が、普段より強めの口調でそう言った。私は彼女がここまで自分たちのことを考えてくれていたなんて思わなかった。私が蒼衣から離れていても、彼女がずっと蒼衣のことを見ていてくれた。

 でも、それでも私は分からない。

 蒼衣はもう、私とは関わりたくないと言った。

 私が目障りなんだと、冷たい声で言った。

 本当に蒼衣のことを考えるなら、私は蒼衣の気持ちを邪魔してはいけないんじゃないのか。

 そうだ、このまま蒼衣と縁を切るのが彼女のためなんだ。

「…ごめん。私、やっぱり行けない。蒼衣は私が嫌いなの。だから私は蒼衣の気持ちを邪魔できない」

 わがままだろうか。

 自己中だろうか。

 息せき切って私と蒼衣のためにわざわざ走って来てくれた陽詩に、私は詫びなければいけない。

 陽詩は私の言葉を聞いた途端、信じられないというふうに呆然としていた。それから両目をぎゅっと瞑ってこう叫んだ。

「み、美桜ちゃんのバカ!!蒼衣ちゃんの気持ち、美桜ちゃんは全然分かってないよ!蒼衣ちゃんは……蒼衣ちゃんは……美桜ちゃんの投げ捨てられたウサギのストラップだって必死に探して見つけてくれてたんだよ」

「ウサギ……」

 まさか、まさかまさか、そんなことがあるわけない。

 だってあの時、七瀬いつきは思いっきりウサギを青鳥川に捨てたじゃないか。

 川は流れも速くて、とてもじゃないが子供が入るには危険で。

 そんな中大嫌いな私のために体を張ってウサギを探してくれただなんて。

「そんなの……」

「あるわけない?」

「うぅ…」

 違う、違う、違う。

 蒼衣は、本当(・・)の蒼衣ならきっと。

「美桜ちゃん、蒼衣ちゃんが本当に美桜ちゃんのことを嫌ってるって思う?もし本当に、美桜ちゃんのこと嫌ってるなら、蒼衣ちゃんの鞄についてるあのウサギだって、とっくに外してると思うよ」

 陽詩の真っ直ぐな瞳が、私を見据えて動かない。

 最後に蒼衣に会った時も紺色鞄にしっかりついていたピンクのウサギが私の頭をよぎった。

「……わないよ。思わない…いや、思いたくないよ」

 そうだ、これが本当の私の気持ち。

 私は蒼衣から嫌われてるなんて絶対思いたくない。このまま、蒼衣とすれ違ったまま終わりたくない。

 陽詩はそんな私の本音を聞いてほっとしたように優しい目をして言った。

「そうだよ美桜ちゃん。蒼衣ちゃんが何を言ったって、美桜ちゃんだけは信じてあげて。美桜ちゃんだけが、蒼衣ちゃんの本当の気持ちを分かってあげられるから」

「うん、ありがとう陽詩」

 それから陽詩は「さあ」と言って私を前に進むよう促した。

 行こう、蒼衣の家に。

 今ならまだ間に合う。まだ蒼衣を裏切らずに済む。

 出会った時から胸にいっぱい寂しさを抱えて生きていた蒼衣の気持ちを今慰められるのは、私しかいないのだから。


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