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寂しさを抱いて  作者: 橘皐月
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第二章 雨雫

「「お疲れさま~!」」

 湧き起る大歓声の中幕が下りて、一息つく間もなく片づけを終えると私たちは部室に集合した。そうしてようやく落ち着いて、誰かの「はあぁ」という吐息と共に皆の肩の荷が下りた。

「蒼衣、美桜、お疲れ。最高に良かったよ」

 部室には部長の佐山先輩も来てくれて私と蒼衣の頭をぽんぽんと撫でた。蒼衣は涼しい顔をしているが、私は舞台が終わって安心しすぎてその場にへたり込んでいた。

 舞台の幕が上がった時、私はまず最前列に座っている陽詩の姿を見つけた。友達がすぐ近くで見ていることに緊張したが、同時に安心もした。

 それからはもう夢中で覚えたことを再現していた。

 途中台詞が詰まってパニックになりそうになった時、蒼衣が私を安心させるように私の目を見て頷いてくれた。そのおかげで私は落ち着きを取り戻し、最後まで演じきることができた。

 舞台の上にいる時、緊張しながらも大勢の観客の前で演じることがとても気持ち良かった。

 私たちを見てほしい。

 朱音と碧がどうやって友情を育んできたか。

 蒼衣と私がどれほどお互いを想っているか。

 私たちの演劇を通して、それが皆に伝わればいいと思った。

「皆もお疲れさま。これで3年生は引退になるけれど、あたしたちの後は後輩たちが伝統を受け継いでくれると思うわ」

 部長のその言葉に、皆が拍手をした。三年生には「お疲れさま」の、1、2年生には「これから頑張って」の拍手。

 お疲れさま会が一通り終わると、私たちは急いで自分たちのクラスに戻った。そろそろ文化祭全体が終わる頃なので教室にも顔を出さなければならない。

 かくして私の初めての演劇が幕を閉じたのだった。

「はぁ~!美桜、今日は本当にお疲れ。美桜のおかげで、私も今までで一番いい演技ができたよ」

 青鳥川の橋の手前で、いつかのように蒼衣が立ち止まってそう言った。

文化祭が終わり、私たちはそれぞれ暗くなるまで片づけをしてから各々解散となった。我がクラス1組の喫茶店の売り上げはそこそこだったようで、担任の先生も満足気だったが、クラスの皆は疲れ切ってへたれこんでいた。

 私が蒼衣を迎えに2組を訪れると、陽詩が教室から飛び出してきて、私にむぎゅっと抱き付いてきた。

「美桜ちゃーん!すっごい演技上手かったよ。話も感動的で良かった~」

「陽詩、ありがとう。陽詩が一番前の席で観てくれてるのに気づいて嬉しかった」

「二人の晴れ舞台なんて、あたしが前で見るしかないでしょ!」

「ふふっ。そうだね」

 そんな感じで私が陽詩と話していると、蒼衣の帰り支度が済んだようで、彼女は教室からひょっこり出てきた。

「お待たせ~」

「じゃあ蒼衣も来たことだしそろそろ帰るね、陽詩」

「うん、ばいばい二人とも」

「また明日ね」

「ひなちゃん、バイバイ」

 こうして陽詩と別れて、橋の手前まで来たとき蒼衣が「お疲れ」と言ってくれたのだった。

「蒼衣こそ疲れたでしょ。私なんかが突然役者になったんだもん。いろいろサポートしてくれてありがとね」

「ふふふ。美桜は自分を卑下しすぎ。初めてなのにあれだけ上手くできたら十分よ」

「そうなのかなぁ…」

「そうよ」

 蒼衣から面と向かって褒められた私は何だかこそばゆいような照れくさいような感じがして、恥ずかしくなった。

「あ、美桜顔赤い」

「え、そ、そんなことないよ」

「もう真っ赤だよ」

「真っ赤じゃないもん!」

 こんな子供みたいな―まあ実際子供だけれど―会話が可笑しくて、私たちはふふっ、はは、と笑い合った。

 それからしばらくお互いの顔を見ながら、何が可笑しいのかも分からずに笑った。そうやってずっと笑っていると、二週間前に役者になることが決まった時の不安とか、本番の緊張とか、そんなことが全部ちっぽけな世界の話だったように思えてきた。

 そうして笑い疲れた私たちは、はぁはぁと呼吸を整える。

 二人とも息を吸って落ち着き、私がそろそろ帰ろうかなと蒼衣に言おうとした時だった。

 蒼衣が先程とは違う、大人びた声色でこう言ったのだ。

「…ねぇ美桜。明日もし、私が変になっても…それは()じゃ(・・)ない(・・)から…」

「え…私じゃないって、どういうこと?」

「それは言えない…。けど、私は今ここにいる私だけだって、信じてほしいの。美桜の前にいるのが本当の私だって、覚えておいて…」

 おかしい。

 いつもの蒼衣じゃない。

 いや、いつもの蒼衣じゃないというより、昔の蒼衣みたいだ。小学生の頃、クラスメイトにいじめられても寂しそうな笑みを浮かべていた蒼衣。

 今の蒼衣はあの時と同じように、何か大きなものを一人で抱えているようだった。ただ、それを詮索してほしくないことも分かって、私は不安そうな彼女を安心させることしか言えなかった。

「う、うん。蒼衣は蒼衣。私の一番の友達の蒼衣だよ」

 私が努めて明るい声でそう言うと、彼女は安心したように笑って手を振った。

「…ありがとう。ばいばい美桜、またね」

「うん、また明日」

 明るく振舞おうと思っても、つい素が出てしまったのだろう。別れ際の彼女は泣き笑いのような表情をしていた。

 私は彼女が何か深刻な悩みを抱えているのではないかと心配になったけど、今は彼女を信じるしかない。

 そう思いながら家に帰り着いた私は、思った以上に体が疲労を感じていたようで、部屋に入るなりどさっとベッドに倒れ込んだ。部屋に入る時、母が「夕飯できたわよー」と私を呼んでくれたが、私が「頭痛いからいらない」と言うと、「まあまあ大変ね」という間の抜けた返事が返ってきた。

 布団に潜り込んだ私は今日の舞台のことや蒼衣のことを考えながら、知らないうちに眠ってしまった。



 翌朝目が覚めた私は長く寝ていたせいか、疲労もすっかり取れていつもより体が軽かった。

「行ってきまーす」

「いってらっしゃい」

 外に出ると、何だか昨日より肌寒い。本格的に秋がやってきたみたいだ。青鳥川の橋を渡って学校までの一本道にたどり着くと、一気に生徒が増えて学校に近づいていると実感する。この一本道には桜と銀杏の木が交互に植えられていて、春は桜並木、秋は銀杏並木を楽しめるようになっている。

 私の中学校の生徒はみんなここを通ることになるので、毎朝ここで同じ人に会うというのがお決まりのパターンだった。

 私は銀杏の匂いが得意ではなので、秋の並木道はあまり好きじゃない。それでも銀杏自体は色鮮やかで綺麗だから並木道がなくなるのも嫌だな、と矛盾することを考えながら私は歩いていたが、ふと前を見ると見慣れた後ろ姿があったので声をかけた。

「おはよう、蒼衣」

 私の声に振り返った蒼衣は、目が赤くなっていてどうしたのだろうと心配になった。

「蒼衣、目赤いけど何かあった?」

 私がそう言うと、蒼衣はっとしたように目をこすって「何でもない。ちょっと寝不足なの」と言って私と目を合わせずに走り去る。

「あ、蒼衣ちょっと待って!」

 私はなぜ彼女が逃げるように走って行ったのか分からず、蒼衣を止めようとしたけれど、彼女はまるで私の声が聞こえてないみたいに振り返らずにそのまま校舎まで駆けていった。

「蒼衣、どうしたんだろう…」

 私は親友の不可解な行動に不安を覚えながらも、浮かない足取りで学校まで歩いた。靴箱で上履きに履き替えていると、今度は私が声をかけられて振り返る。

「美桜ちゃんおっはよーう」

「…陽詩、おはよう。相変わらず元気ね」

 先程いつもと違う蒼衣を見た後だったので、いつも通りの明るい陽詩を見て私は安堵した。

「えへへ、だって昨日あんなにいいもの見せてもらったんだもん。あたしはいつも以上にハッピーだよ」

「そっかそっか。それは嬉しいことで」

 陽詩の言う通り、昨日の今日だ。気が沈んでいる方が不自然じゃないか。

 それなら、蒼衣のさっきの態度は不自然なんだろうか…。

「さっきね、蒼衣に会ったの」

「蒼衣ちゃんに?」

「うん、それで…」

「変だなぁ。蒼衣ちゃん、いつもあたしより30分も早く学校にいるのに」

「え、そうなの?言われてみれば確かに私もいつも蒼衣とは会わないな」

「まあでも、今日偶々遅かっただけかもしれないね。ごめん、それで何だっけ?」      

 私は陽詩に言おうとしたことを思い出して、並木道で会った蒼衣の様子を彼女に話した。

「蒼衣ちゃんが、美桜ちゃんを見て逃げていった……か。うーん、蒼衣ちゃんどうしたんだろう。美桜ちゃんに何か隠したいことでもあるのかなぁ」

「隠したいこと?…それは考えにくいな。蒼衣と私は一度も隠し事なんてしたことなかったもん」

「そっかぁ。それなら尚更蒼衣ちゃんが心配だね。とりあえず教室に行ってみよう」

 そう言いながら私たちは蒼衣のいる2組の教室にたどり着いた。教室の中では昨日の文化祭の余韻に浸って楽しそうに話す女子生徒や、朝っぱらから狭い中で走り回る男子生徒がいつもと変わらない日常を繰り広げていた。

 そんな中、蒼衣は窓際の一番後ろの席で頬杖をついて窓の外を眺めていた。

「蒼衣ちゃーん、おはよう!」

 陽詩が教室の入り口から大きな声で蒼衣に挨拶をしたので、蒼衣も気づいてこちらを見た。

「ひなちゃん、おは――」

 おはよう、と言いかけた蒼衣は、陽詩の隣にいる私を目にした途端、ガタンと席を立って教室の後方扉から飛び出していった。

 咄嗟の出来事だったので、どうすることもできなかった私はその場に呆然と立ち尽くしてしまった。

「美桜ちゃん…もしかして、避けられてる?」

 その時陽詩がボソッと呟いた言葉が、私には冗談には聞こえなかった。

「そう、かも……。ごめん、とりあえず私も1組に戻るね。ありがとう陽詩」

「う、うん」

 どこかギクシャクした空気の中、私は1組の教室に入って自分の席に着くと、蒼衣のことを考え始めた。

 蒼衣が私を避ける理由があるとしたら、どんな理由があるだろう。

 1つ目に考えられるのは、単純に私を嫌いになったこと――これはあまり考えたくないが、知らないうちに私が蒼衣の気に障るようなことをした可能性はある。でも、蒼衣は自分の気に入らないことを言われたからといって、何も言わずに私を避けたりするだろうか……?ちょっと考えにくい。

 2つ目は、私と蒼衣をよく思っていなかった連中が、突然蒼衣に肩入れし、私だけをハブにしようとしていること。蒼衣も私を無視する側に回った、と考えるのはどうだろうか――これは1つ目の理由より非現実的か。こんな理由で蒼衣が私を無視するようになるなんて、考えたくない。というか、可能性はほぼゼロだろう。蒼衣は私をハブにするくらいなら真っ先に自分が犠牲になろうとするだろうから。

 3つ目は、蒼衣が私に対して何か後ろめたいことがあって、それを私に知られたくなくて、私と話さないようにしていること。蒼衣の性格上、この考えが一番現実的だろうか。でも、いくら後ろめたいことがあったとしても、蒼衣なら正直に私に話してくれるような気がする。

 うーん……。

 結局蒼衣が私を避ける理由が分からないまま、始業のチャイムが鳴り朝のホームルームが始まった。

 その日私は移動教室時や昼休みに何度か蒼衣に出くわしたが、予想通り蒼衣は私を見るなりその場からそそくさと立ち去ってしまった。

 放課後、念のため2組の教室を覗いてみたが、案の定蒼衣はすでに教室にいなかった。ちなみに今週からテスト期間に入るので、部活は休みになっている。

 途方に暮れた私は下駄箱で大きなため息をついた。

「はぁ……」

「はぁ……」

「え?」

 その時確かに、自分以外のため息が聞こえた私は1組の下駄箱の裏に人の気配を感じ、

裏に回った。1組の下駄箱は一番端なので、裏は2組の下駄箱のはずだ。

「あ……」

 私の予想通り、そこにいたのは紛れもなく、今まさにため息の原因となっていた蒼衣だ

った。

「蒼衣、あの――」

 私が話を切り出そうとした途端に、彼女は先程同様にバッと玄関の方に振り返って駆け

出した。

「ま、待って蒼衣!」

 私は急いで靴を履いて蒼衣を追いかける。が、きちんと靴を履けなかったせいで、靴紐がほどけて走りにくい。それでも私は彼女を追いかける。今度こそちゃんと蒼衣の話を

聞きたい。

 前を見ると、蒼衣の鞄のウサギが私からどんどん遠くなっていく。

「蒼衣、待ってよ、待っ――」

 どさっ

 という派手な音と共に私は顎を地面に打ち付けた。

「いっ…」

 どうやら自分の靴紐に引っ掛かって転んでしまったらしい。打ち付けた体の随所がひり

ひりと痺れる。

 私が転んだ音が蒼衣にも聞こえたようで、彼女は私から五メートルほど離れたところで

ピタリと止まった。

「蒼衣、どうして逃げるの」

 私は転んだ時の体勢のまま蒼衣に話しかけた。

「……」

 彼女は私に背を向けたままで、こちらを見ようとしなかった。

「ねえ蒼衣、私蒼衣に何かしたかな…?」

 私は振り返らない蒼衣の背中に必死に問いかける。蒼衣は私の言葉を無視したりしない。きっと答えてくれる。心のどこかでそう信じていた。

「……」

「蒼衣……」

「……だからよ」

「え……?」

「美桜のことが…嫌いだからよ」

「うそ……」

 一瞬、彼女の言葉が信じられずに私は息をのんだ。

 蒼衣は私が嫌い。

 アオイハワタシガキライ。

「ねぇ…嘘でしょう?蒼衣、あいつら(・・・・)に何か言われたんでしょう…?だからそんなこと言うんだよね?」

 嘘だと信じたい。蒼衣は、私を嫌う連中に不本意なことを吹き込まれて仕方なく演技してるだけなんだ。そうだ、そうに決まってる。

 けれど蒼衣は私の言葉に頷かず、ふるふると肩を震わせて言った。

「嘘じゃない。私は美桜が嫌いなの。無邪気に笑いかけてくる美桜が、私の味方なんて言って、自分がいじめられてもついてくる美桜が大嫌い。気づかなかった?あなたは、とんでもない偽善者よ…!」

 蒼衣は手をぎゅっと握りしめ、いつかのうさぎ事件の時みたいに声を荒げて叫んだ。その内容は、ずっと二人の友情を信じてきた私にとって、あまりに残酷で、彼女の口から出た言葉だと信じたくなかった。

「蒼衣……そんなのって、ひどいよ…。私は蒼衣が大好きなのに……。蒼衣はずっと、私が嫌いだったの?嫌いなのに仲良しのフリしてたの?」

 蒼衣はこちらに背を向けたまま頷きもしなかったが、逆にそれが私の言葉を肯定してい

るように思えて悲しかった。

「もう、いいでしょう?これ以上私に付きまとわないで。目障りだから」

「そんな……」

 私は信じたくない、という親友を庇う気持ちが生まれると同時に、今まで自分を騙してきた彼女への怒りが沸き上がってきた。

「ひどい……。蒼衣は私のこと、そんなふうに思ってたんだ」

 私が擦りむいた顎を手で押さえながら立ち上がってそう言うと、蒼衣の肩がピクンと動いたのが分かった。

「私、蒼衣のこと信じてたのに。蒼衣なんて…大っ嫌い」

 怒り。

 叫び。

 裏切り。

 痛み。

 全てがごちゃまぜになって、耐えられなくなって私はその場から駆け出した。手を握りしめて俯いたまま動かない蒼衣の横をすり抜けて、一心不乱に走った。小学生の時、教室から逃げていった蒼衣を追いかけて走った。でも今は、私がどんどん蒼衣から遠ざかっていく。

 大好きだったのに。

 自分より他人を大事にする蒼衣は誰よりも優しいと信じてたのに。

 全部全部、嘘だったんだ――。



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