第一章 桜花
翌日学校に行くと、泉先生が心配そうな表情で私たちに事情を聴いてきたが、私たちが口をそろえて何でもないです、と言うばかりだったので先生も、
「何かあったらまた言ってくださいね」
と言って何とか丸く収まった。
案の定私の“仲間”たちも先生には上手くごまかしたようだ。彼女らは私を見て冷たい視線を投げかけてきた。いや、もう“仲間”なんかじゃない。かと言って“敵”でもない。昨日蒼衣と打ち解け、蒼衣の心を知ってから、私は誰かを自分と同類か否かで分類することが、何の意味もないことだと思えるようになった。
私には彼女がいる。
それだけで満ち足りていて、他人が私をどう見ているかなんてどうでもよくなった。
「蒼衣、一緒にお昼食べよ」
「うん!」
給食の時間、普通なら班ごとに5人グループを作って一緒に食べるけれども、蒼衣は仲間外れにされるので、いつも一人きりだった。
でも、今日からは私も蒼衣と二人きり。一人じゃなくて二人。以前の私ならたった二人では寂しいと思っていたのに、今は全然寂しくなかった。
「友達とお昼を食べるのってすごく楽しいんだね」
今日のメニューは皆が大好きなカレーライス。蒼衣はスプーンでカレーをすくいながら、しみじみとそう言った。
「そうだね、私も蒼衣と一緒で楽しいよ」
「本当?」
「ほんとだって」
「…ありがとう」
蒼衣が泣きそうな声をしていたので、私は自分が何か悪いことをいったのではないかと不安になったが、それが嬉しさからきたものだと分かってほっと胸を撫で下ろした。
「蒼衣、今日の放課後は何か予定ある?」
「えっと…あ、今日は園芸委員の仕事がある」
「そっかぁ。じゃあまた空いてる日があったら教えて。蒼衣と放課後遊びたいから」
私がそう言うと、蒼衣の目がぱあっと開き年相応の子供らしさが垣間見えた。
「美桜と遊ぶの、楽しみにしてるね」
今までは寂しそうに笑っていた蒼衣が、心から楽しそうに微笑んでいるのを見て、私は幸せな気持ちになれた。
放課後、すっかり日も暮れて教室に西日が差し込み、橙色の光で室内が包まれる時間帯、私の班は日直だったので放課後の掃除をしていた。が、思った通り私以外の班のメンバーは私を置いて先に帰ってしまった。
どうやら彼女らは本気で私を仲間外れにしたいらしい。
私は誰もいなくなった教室で一人ごみを集め、ぞうきんがけをし机を運んだ。本来なら、一人で掃除するなんて、大変だし惨めな気持ちになるはずなのに、夕暮れ時の爽やかな風に揺られるカーテンを見ていると、不思議と寂しくなかった。むしろ誰かに嫌われたくないからという理由だけで友達を無視する方がよっぽどきついことのように思われた。
30分かけて掃除を終えた私は一息ついてから荷物を持って校舎を出た。外はすっかり
日も沈みかけていて山際で橙色と濃い青色が溶けて綺麗な層をつくっていた。空を仰ぎながら歩いていた私は、正門のすぐ傍にある花壇が目端に映り足を止めた。それからきちんと花壇に目をやると、そこには私が見慣れた女の子の姿があった。
彼女は私に気づいていない様子でしゃがみこんで花をじっと見ていたので、私は静かに彼女のもとに近寄って彼女と同じように隣にしゃがんだ。
隣を見ると、彼女は愛おしそうに花を見つめている。
「蒼衣」
私が彼女の名前を呼ぶと、彼女は突然現れた私にびっくりして「わっ」と声を上げた。…というか、隣に来るまで私の存在に気づかないほど花に見とれていた蒼衣はすごい。
「美桜、まだ学校にいたのね」
「えへへ、まあね」
「どうかしたの?」
「ううん、ちょっと職員室に行ったら先生に雑用頼まれちゃってさぁ」
平気で嘘をつく私。
でもそれが蒼衣にとっては面白かったようで、蒼衣がふふっと笑った。
私もつられて笑った。なんだか理由もなくおかしかった。
「ふふっ」
「ははっ」
笑っていれば、何も辛いことはないって思える。
いつか蒼衣が言っていた言葉が、身に染みて感じられた。今の私にとって、クラスメイトと一緒に蒼衣を無視することより、自分も蒼衣と一緒に省かれるほうが気楽だ。
「蒼衣も、ずいぶん長いこと園芸委員の仕事してたんだね」
「違うよ、本当は仕事なんてずっと前に終わったの」
「じゃあどうしてこんな時間まで」
「花見てた」
「え、ずっと?」
「うん、ずっと」
「何それ、おかしい」
「えー、おかしくないよ!花って見てたら楽しいよ」
「たのしい、か…」
私は目の前に広がる花壇の端っこに咲く、小さな黄色の花をじっと見つめてみた。確かに、一つ一つの花びらが交互に重なり合ってとても可憐で。蒼衣の言い分も分からなくはないと思った。
「うそ」
「え?」
唐突に、蒼衣が口を開いたので私は黄色の花から目を反らし、そっと隣を見た。
「本当は待ってた。花見ながら、美桜が来るの」
「蒼衣…ありがとう」
だって私たちは一人ぼっちじゃない。
これからはずっと、二人だ。
「先生さようなら!」
5限後、放課のチャイムが鳴り響きクラスメイトたちが一目散に教室から飛び出してゆく。いつもなら、私はそんな彼らを羨ましそうに見届けながらゆっくりと教室をあとにするのだが、今日は違った。
「蒼衣、早く早く!」
「わ、美桜待って」
私は慌ただしくランドセルに荷物を詰めている蒼衣の手を引いて、他のクラスメイトたちと同じように駆け出した。
なんてったって、今日は蒼衣と遊ぶ日だから。
真っ赤なランドセルを背負った私とほのかなローズピンクのランドセルを背負った蒼衣が肩を並べて町へ向かう。時刻は一五時半頃で、ちょうど肌に照り付ける太陽が西日に変わって少しだけ涼しくなっていた。遠くの方に目をやると、深い緑の山々が模型みたいに連なってある。胸を躍らせながら学校からの坂を下ってずんずん前に進む私たちは、まるで本当に二人だけの世界にでも迷い込んだかのようにどうしようもなく二人きりだった。でもこの時私たちは少しも寂しいなんて思っていなかった。
「蒼衣、楽しそうだね」
「うん、楽しいよ!だって、友達とこんなふうに遊びに行くの、初めてだから」
本当に心から嬉しい、というような声の調子で蒼衣が答える。それを聞いた私も嬉しくなって鼻歌を歌いながら前に進んだ。
坂を下りきって少し歩いたところで人通りも多くなり、私たちは桜木町というところに着いた。私たちの家からそんなに遠くもなく、小学生もここに来て遊んでいることが多い。
「桜木町着いたね」
「今日はいっぱい遊ぼ!」
「うん!」
私たちははぐれないように互いに手をとって駆け出した。
桜木町には特別大きなデパートなどはないけれど、雑貨屋さんや食事処が立ち並んでおり、ここに来た人は歩きながら様々な店に入って買い物を楽しむことができる。私たちも多くの人と同じようにいろんな店に入っては可愛らしい小物、おいしそうなお菓子を見て回った。そうして一時間ほど経った時、私はある小物屋さんでいいものを見つけた。
「ねぇ蒼衣、このストラップ可愛いよ」
「あ、ほんとだ。うさぎさんだね」
蒼衣の言う通り、それは縮緬でできたウサギのストラップで、タグを見ると「友情運アップ」と書いてあった。
「友情運かぁ、私たちにぴったりじゃん。ね、蒼衣、これ一緒にお揃いで買おう」
「え、買いたい…けど、私お金ないし…」
「大丈夫、お金なら私持ってるから」
私はそう言ってこっそり持ってきた小銭入れをランドセルから取り出した。小学生が学校にお金を持って行くのは禁止されているが、私は今日の放課後のためにばれない程度のお金を持ってきていた。
蒼衣もまさか私がお金を持ってきているとは思っていなかったらしく、「まあ」と言って驚いた。
「美桜ったら、不良なのね」
「えー、何よその言い方!」
「だって本当じゃない」
「そんなことないもん。いいじゃん、これでウサギのストラップ買えるんだから」
「…そうだね」
さっきまで頬を膨らませていた蒼衣も、私の言い分を聞いてふふっと頬を緩めた。
私はピンクの、蒼衣は白のウサギのストラップを買うと、早速それを袋から取り出して、
「これ、どこにつける?」
「うーん、そうねぇ…。あ、そうだ」
蒼衣は妙案を思いついたというように誇らしげな顔で私のストラップを受け取ると、それをランドセルのフックに引っ掛けた。それから自分も背負っていたランドセルをおろして自分のぶんのストラップを同じように引っ掛ける。
「これでいつも一緒だね」
ランドセルを背負い直してにっこりと笑う彼女を見ていると、私まで嬉しくなって笑った。もう前みたいに一人で寂しそうに笑う彼女はどこにもいない。彼女は本当に笑っていいるから。
それからまた私たちはウィンドショッピングを楽しみ、学校のこととか、家族のこととかいろんな話をした。蒼衣は小さい時に家族で遊園地に行った思い出を生き生きと話してくれた。そんな蒼衣を見ていると、彼女が本当に家族を大切に思っていること、世間になんと言われても父親を慕っていることを身に染みて感じた。
そうして話をしているうちにすっかり日も暮れて、帰らなければならない時間になった。
「そろそろ帰ろっか」
「うん、そうだね」
私と蒼衣の家は近所を流れる青鳥川という川を挟んでそれぞれ反対側にあるので、私たちは青鳥川の橋の手前でお別れすることにした。
「今日はありがとう」
蒼衣が私に言った。
「私の方こそ、楽しかったよ」
「ストラップ、大事にするね」
それから、と言って蒼衣が私の右手の小指と自分の左手の小指を絡ませる。
「指切りしよう。私は美桜と、ずっと一緒にいます」
普段の蒼衣とは違う、大人っぽい声で彼女がそう言った。私もつられて右手の小指に思いを込めて、
「私は蒼衣を信じています」
と、ちょっと照れ臭いことを言って蒼衣と別れた。歩きだしてランドセルのウサギが揺れるのを感じると、まるで蒼衣と一緒にいるみたいな気がして心があったかくなった。
蒼衣も、同じように感じてくれていたらいい。
そうして私も蒼衣も家に帰り着いた時、きっと満たされた気分になっているだろう。